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第一章 信用度数最低編

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 一週間はあっという間に過ぎた。
 僕の仕事は地下空間のさらに地下にある空間の整理で、自然とシリュウが手伝うことになった。僧服を脱いで、作業着になっている。
 とりあえず、崩壊した瓦礫を地上へ運ぶことになる。これが相当な力作業になるはずが、想定より早く進んだ。
 理由は簡単で、シリュウの体力が尋常ではなかった。
 僕は縦穴の底で長くて太いロープの先の網に瓦礫を乗せるだけで、それを引っ張り上げるのはシリュウが一人でやった。最初こそ信じられなかったが、滑車がスルスル回転し、面白いように瓦礫が縦穴を登っていく。
 そんな作業を僕は半日、こなして、それから一人でリーンの図書館へ出かけた。シリュウは地下空間に持ちあげた大量の瓦礫を、今度は地上へ上げているはずだ。
 図書館でシリュウに関する情報を調べた。閉架の書籍も確認させてもらって、やっと毀れの剣の形状はわかった。
 細身の剣で、片刃だ。刃の部分が細かく波打っているように見える。
 それでも、毀れの剣に関する情報は、なかなか出会えない。八英雄に関する書類をだいぶ読み込んだ。
 八英雄は一人を除いて、すでに故人らしい。その一人というのは、連合軍の剣術指南役をやっている老人である。シリュウも、鬼籍に入ったひとりとされていた。
 ただ、戦死した、行方不明になった、のどちらかで、はっきりしない。
 そして実際は、死んでない。封印されていたのだ。
 図書館の閉館時間まで調べ物をして、それから教会の僧房へ行き、シリュウに経過を報告した。彼は特に質問するでもなく、落ち着いて話を聞いていた。
 一日があっという間に流れるので、僕の方が落ち着かないくらいだった。
 教会の地下の瓦礫の撤去は、順調に進んだ。夜は暗くてわからないけど、朝、教会に行くと地上にできた瓦礫の山がどんどん大きくなるので、前日の午後のシリュウの働きがよくわかった。
 結局、僕がシリュウと出会って一週間が過ぎた。
 大きな変化はない。だから、リッカが僕とシリュウを応接室に呼んだ時、僕はどう言い訳するべきか、考えていた。
「お入りなさい」
 リッカが僕たちを導き、二人で並んで、彼女の前に座った。
「約束の期限ですが、地下はどうなっていますか?」
「おおよそ」
 シリュウが黙っている気配なので、僕がしゃべった。
「片付きつつあります。縦穴の下に、まだ確認できていない通路があります」
 リッカが無言で頷いた。
「縦穴と、そこに繋がる空間の探索は、あなたにもできますか?」
 あなた、というのはどうやら僕のことのようだった。
「それは、できますが、するのですか?」
「教会としても知っておく必要があると考えます。何日、必要ですか?」
 ここが勝負、と、唐突に気づいた。
「まだ終わっていない瓦礫の撤去の後になるので、二週間です」
 堂々とした口調、態度を意識したけど、やりすぎたかも、と思った。思ったけど、僕はリッカの視線を受け止めた。彼女は探るような視線を少しだけ見せたけど、頷く動作で視線を外した。
「良いでしょう、二週間で、終えてもらいます」
 どうやら勝負には勝ったらしい。
 これであと二週間、シリュウを僧房に置いておける。
 応接室を出ると、シリュウが呟くように言った。
「リッカもまた、立派になったな。堂々としている」
「知り合いなの?」
 返事はない。視線を向けても、シリュウは前を見ていた。
 その日からさらに一週間、僕は午前中は地下、午後は図書館という生活を続けた。
 瓦礫が全て取り払われ、シリュウはさらに簡易的に階段も作り直した。これで縄ばしごを使う必要はほぼなくなった。
 二人で縦穴の底に降りて、塞いでいた瓦礫が取り払われた通路の前に立つ。
「シリュウは、この先のこと、何か知っている?」
「知らん。お前が来るまで、入らないようにしておいた。楽しみにしていると思ってな」
 そんなこともない。断じて。
「この奥に毀れの剣があれば、良いんだがなぁ」
 ぼやきながら、シリュウが通路に入っていく。僕は後に従った。
 通路は狭いため、明かりが隅々まで届く。通路の造りは完璧で、傷みも少ない。
 通路が終わると、広い空間だった。途端に明かりが頼りなくなる。
 僕はシリュウの後について行ったけど、突然に彼が立ち止まって、ぶつかりそうになった。
「何?」
「いや。あれを見ろ」
 彼が明かりを掲げて、指差す方を照らした。
 広い空間は、シリュウが封印されていた部屋と比べれば、装飾が圧倒的に少ない。
 その部屋の真ん中に、台座が置かれ、そこに剣が突き立っている。
「これが、毀れの剣……?」
 二人で歩み寄る。
 違う。僕が見た剣の図とは、形状が違う。
「これは……」
 シリュウが周囲を見た。明かりがゆっくりと動く。
 僕にもやっと理解できた。
 部屋のそこここに台座と剣が安置されている。この部屋は、剣が封じられているのだ。
「ここで使いやすいのをもらったら?」
 これだけ剣があれば、一本くらい、シリュウの好みのものがあるだろう。
 そのシリュウは答えずに、ゆっくりと歩いて一本ずつ、剣を確認している。離れるのがどこか不安で、僕はそれ追うようにして歩いた。
 一本目の剣のところに戻ってくるまで、二十本ほどの剣を確認した。
 でも、シリュウは手を触れさえしなかった。
「どうしたの? 何が気に入らない?」
「魔法の気配だ」シリュウが周囲を伺う。いつでも動けるような体の構えだった。「何が起こるか、わからん」
「考えすぎでしょ」
 何気なく、僕は剣に触れた。
 剣が、傾く。
 気づいた時には、剣が台座から外れて、甲高い音を立てて床に落ちていた。
 シリュウが身構える。僕は身を硬くしただけだった。
 反響した音が消える。
 何も、起こらなかった。
「大丈夫、かな?」
「まさか」
 シリュウの体が霞むように動いた。
 剣が舞い上がったのだ。誰かが降ったわけじゃない。剣が単体で、飛んでいる。
 それをシリュウが手で弾いた。刃を避けて叩きおとす、高等な格闘技術。
 甲高い音が連続した。
 部屋にあった全ての剣が台座から倒れると、一直線にこちらに飛んでくる!
 何もしないわけにはいかなかった。
 僕の右手が魔界に滑り込み、即座に盾を引っ張り出す。
 想定より大きい盾だが、体を守れる。盾に強烈な反動があるが、剣をはじき返す。
 そのまま僕は壁際へ下がった。
「シリュウ!」
 悲鳴を抑えきれなかったように僕は呼びかけたけど、返事はない。
 壁に背を預けて、やっと僕はシリュウを確認できた。
 彼の体は、まさに躍動していた。
 剣を次々と跳ね返し、その剣を掴むと、それでまた剣を跳ね返す。
 ただ、剣も動きを止めない。弾かれても、跳ね返されても、弧を描いてシリュウ、あるいは僕へ殺到してくる。彼が握る剣も、それ自体が逃れようと、激しく震えているようだ。
 切りがない。
「ややこしい」
 そのシリュウの声には、やや怒気が込められていた。
 その腕が、脚が、背筋の冷える音を発する。
 正しくは、その音は剣が発している。シリュウの手脚が向かってくる剣をへし折り始めたのだ。
 異常、超常の体術だった。音と共に剣だったものが空中で弾け、折れて、すっ飛んでいく。
 そうしてついにシリュウは全ての剣を破壊した。構えを解かずに、周囲を見ている。もう動くものはなかった。
 僕は盾を拡散させて、シリュウに歩み寄った。床には折れた剣が、もう微動だにせず、転がっている。
「その技で」
 僕が話しかけても、シリュウはまだ周囲をうかがっている。
「剣を持ったら、手に負えないな」
 返事はない。シリュウはしばらく周囲を見てから、やっと構えを解いた。
「ここにはまともな剣はない」
「まともじゃないのは僕も見てわかっている」
 結局、僕たちは何の収穫もなく、その空間を出た。
 縦穴を登りながら、シリュウが尋ねてきた。
「あと一週間、猶予がある。どうするつもりだ?」
「どうするも何も、シリュウはどうしたいの?」
「俺には戦うことしかできん。それで生活するさ」
 そうなると、剣は必要になる。
 ただ、僕がいつまでも関わるのも、違うかもしれない。
「普通の剣で我慢できないの?」
「そうだな、武器も防具も、最高のものが好ましい。下手な武器は命取りだ」
 わからなくもない。
「アルス、お前も武器を手に入れておけ」
「だから、僕は誰とも組めないよ、今は」
「俺が組んでやろう」
 ……フゥム。
 感想はいろいろと湧いたけれど、まず口から出たのは、
「別の人と組めば?」
 だった。
 その一言で、先を進むんでいたシリュウが振り返った。
「俺と組みたくないのか?」
「いや、組みたいけど、シリュウが本当に八英雄なら、僕じゃ、役不足だと思うけど」
「俺が良いと言っている」
 やれやれ、これは、とんでもないな。すごいことだ。
「考えておく」
 ほとんど考えなんて決まっていたけど、そう答えていた。即答するのが惜しい気がしたし、同時に細部まで煮詰めるべきとも思った。
 縦穴を登りきり、地上へ向かう。
 僕が黙っていたのは、シリュウの言葉を真剣に考えていたからだ。
 ひたすら、考えていた。
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