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第一章 信用度数最低編
二
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紹介所からの書類を手に、目的地に向かう。
あまりに自分と縁がなさすぎて、逆に、気楽だ。建物の中に入る、シンとした空気が出迎えた。広い空間に整然と椅子が並ぶ、しかし人はいない。ステンドグラスが眩しい。荘厳な気配の中、僕は奥へズンズンと進んでいく。
誰もいない。
「どなた?」
適当なドアを開けたところで、やっと、人がいた。通路を掃き掃除していた。初老の女性だ。真っ黒い服をまとっていた。
「こちらで」僕は少し居住まいを正す。「雇ってもらえたら、と思いまして」
「……あなたが?」
「ええ。シスター」
そう、ここは教会なのだ。リーン中央教会。
箒を止めた尼僧が、こちらをじっと見る。そして視線を僕の腰に向ける。
「剣をお持ちですね。それは不用です」
「もちろん」僕は堂々と答えた。「そうだろうとわかっています」
「書類を貸していただけますか」
僕は尼僧に書類を渡した。尼僧はちらりと視線を向け、
「アルスさん。明日、またいらっしゃい。そこで、あなたを雇うか、お伝えします。この通路の一番奥に応接室があります。そこまでご自由にどうぞ」
もうこの場は、僕にできることはない。礼拝堂へ戻ると、三人ほど、じっと教会のシンボルに手を合わせてる人がいた。
今まで、僕は教会に来たことはほとんどない。祈ることにそれほど意味があるとは思えなかった。
祈っても、命が助かるわけではない。
その次の日、僕はいつも通りの格好で、教会へ行った。剣は部屋に置いてきた。リーンは平和なのだ、そして教会も平和である。
教会の建物に入ると、礼拝堂で誰かがオルガンを弾いていた。なめらかな運指を想像させる、弾むような調子が少し教会にそぐわない曲だった。
オルガンを弾いているのが誰かはわからなかった。
音楽を背に奥に入る。昨日の通路には、尼僧はいなかった。通路を進み、幾つかのドアを横目に、奥の部屋に向かった。
ドアをノックすると、かすかに返事が聞こえた。
入ると、二人の尼僧が待ち構えていた。一人はまだ若い。もう一人は昨日の尼僧だった。
「どうぞ、アルスさん」
「どうも」
ソファに腰を下ろし、二人の尼僧と向かい合った。二人とも、すぐには何も言わなかった。窓の向こうで、鳥がさえずっている。
「あなたを雇いますよ、アルスさん」
初老の尼僧がそう言って、持っていた封筒をこちらに差し出す。
「お仕事は、様々ですが、剣は必要ありません」
どこか不安だけど、まぁ、危ない目に合わないのなら、良いだろう。
封筒を受け取り、中身を改めた。少ない収入だが、生活できないわけじゃない。
「ありがとうございます。明日から、ここに来れば良いですか?」
「今日のうちに、紹介しておきましょう。私はシスター・リッカ、こちらは、シスター・アリ」
若い尼僧が頭を下げる。
「よろしくお願いします」
僕も返礼する。リッカが立ち上がった。
「こちらへどうぞ」
応接室から通路に出る。アリはついてこなかった。
「服装はどうしますか?」
歩きながらリッカが効いてくる。
「僧服を着なくて良いのですか?」
「あなたは裏方です」
ちょっと、嫌な予感がしてきた。
「では、平服で」
「作業着をお貸ししても良いのです。その時、また言ってください」
リッカはドアの一つを開ける。階段だった。降りていく。地下に行くらしい。
ぼんやりとした明かりの階段を下りきると、じっとりとした空気が出迎える。
「ここを少しずつ、整えていただきます」
床は石が敷かれ、壁も石積み、天井は木が張ってあるが、だいぶ変色している。
細部まで見通せないけど、綺麗とは言えない、というか、綺麗とかではなく、汚れしか見えない。蜘蛛の巣、埃、そして何かの入った無数の木箱。
「整えるというと……?」
「清潔にしてほしい、ということです」
僕は何も言えなかった。何も言わないのを了承を受け取ったのか、リッカがそっと頷いた。
「よろしくお願いしますね」
よろしくも何も……。
しかし、どうしようもなかった。
翌日、作業着を借りて、仕事を始めた。
地下空間なので、とにかく換気ができない。そして暗い。
換気はどうすることもできないが、明かりをいくつも持ち込むことはできる。無煙の携行光源を設置して、これだけでだいぶ片付いた印象を受けた。
石が敷かれているが、その石の敷き方見事なもので、ほとんど隙間がない。熟練の技術者が工事を請け負ったことがうかがえた。
まずは無数の蜘蛛の巣をすべて払った。地下空間は相当な広さで、地上の教会全部の敷地と同規模だ。地下空間は仕切りがほとんどないので、余計に広く感じた。そこを行ったり来たりして、蜘蛛の巣を除去したわけだ。
それだけで丸二日が必要だった。夕方、帰る前に殺虫剤を盛大に使用した。換気が悪いので、自分が殺虫剤に取り巻かれないように、夕方にやったわけだ。せめて、と思って、地上に通じる階段は開けておいた。
もしかしたら、教会に殺人ガスが流れたかもしれない。
翌日、行ってみると、想定通り、殺虫剤に燻された虫が無数に落ちており、そして殺虫剤自体はすでに散っていた。教会も無事だった。
今度は虫の死骸を集め、それを地上でまとめて捨てた。
こうして地下空間は、比較的、過ごしやすいとも言える環境になった。
残る問題は木箱だ。どれも相当、古い。試しに一つ、箱を壊してみた。出てきたのは虫に食い荒らされて、原型を留めていない布地だった。どうやら僧服か尼僧服らしい。黒いのでそうとわかる。しかしもう捨てる以外にない。
そんなわけで、一週間かかって、僕は箱をすべて検め、捨てるものは捨て、保存するものは保存するように新しく木箱を用意して、整理した。
この作業で僕に大きな得となったのは、一つの木箱から出てきた書類の山だった。
どれも古いものだったけれど、読んでみると、五十年前の誰かの日記のようだった。詳細を知りたくても、古いのと、文字が現在とは少し違うため、判読できない。
しかし、記録は記録。しかるべきところに出せば、相当の金と交換してくれることはわかった。そしてそれをそのまま黙っている僕でもない。
リッカに相談すると、彼女は地下へやってきて本を確認し、
「お任せします」
とだけ、言った。
こうして僕は書類の山をひとまとめにして、古本屋へ持ち込んだ。
鑑定に一日がかかり、作業終わりに確認すると、ちょっとした額の金にその書類の山が変わったのだった。
もちろん、すぐに何か使ったりはしない。貯蓄の一部にその金は加わった。
そんなこともありつつ、地下空間は半月で見違えるほど綺麗になった。
地下空間が整うと、リッカがやってきて、細部を確認していった。彼女は興味深そうにその空間を見て、頷いた。
「ありがとうございます、前にもこういう仕事をしたことがあるのですか?」
「とんでもない」
思わずそう言った僕に、リッカが微笑む。
「良いでしょう。あなたを雇います。教会で雑用を請け負ってもらいます」
「作業着で?」
「平服というわけにはいきません。僧服は嫌でしょう?」
僧服は嫌だった。リッカも気づいていたようだ。
「アルスさん、僧房に部屋を用意できますが?」
「いえ」即座に答えていた。「それは、遠慮します」
僧房に部屋を借りてしまうと、いよいよ自分がこの道に進みそうな気がした。
この道、って、よくわからないけど。
とにかく、自分に似合わない場所へ、進みそうだった。
夕方、地下空間の状況を再確認した。
その時、ふと気付いた。
床に敷いてある石の中で二つ、小さな石がある。それは少し奇妙だった。他に無数にある石の大きさからすると、不自然である。わざと小さな石を組み込んだように見える。
膝をついて、軽く石に触れてみる。動きそうだ。
ちょっと押し込んでみた。ズズッと石が沈む。
何も起こらない。なら、もう一つもやってみるか。
二つ目の石を押し込んだ。これも、深く沈む。
何かが噛み合う重い音がした。周囲を確認するが、何も起こっていない。
何だろう? これは。
と、思った瞬間、轟音と浮遊感が同時にやってきて、僕は崩壊した石畳と土と一緒に、落ちていった。
これは、死ぬか……?
死んだ……。
浮遊感の中で、僕は諦めていた。
あまりに自分と縁がなさすぎて、逆に、気楽だ。建物の中に入る、シンとした空気が出迎えた。広い空間に整然と椅子が並ぶ、しかし人はいない。ステンドグラスが眩しい。荘厳な気配の中、僕は奥へズンズンと進んでいく。
誰もいない。
「どなた?」
適当なドアを開けたところで、やっと、人がいた。通路を掃き掃除していた。初老の女性だ。真っ黒い服をまとっていた。
「こちらで」僕は少し居住まいを正す。「雇ってもらえたら、と思いまして」
「……あなたが?」
「ええ。シスター」
そう、ここは教会なのだ。リーン中央教会。
箒を止めた尼僧が、こちらをじっと見る。そして視線を僕の腰に向ける。
「剣をお持ちですね。それは不用です」
「もちろん」僕は堂々と答えた。「そうだろうとわかっています」
「書類を貸していただけますか」
僕は尼僧に書類を渡した。尼僧はちらりと視線を向け、
「アルスさん。明日、またいらっしゃい。そこで、あなたを雇うか、お伝えします。この通路の一番奥に応接室があります。そこまでご自由にどうぞ」
もうこの場は、僕にできることはない。礼拝堂へ戻ると、三人ほど、じっと教会のシンボルに手を合わせてる人がいた。
今まで、僕は教会に来たことはほとんどない。祈ることにそれほど意味があるとは思えなかった。
祈っても、命が助かるわけではない。
その次の日、僕はいつも通りの格好で、教会へ行った。剣は部屋に置いてきた。リーンは平和なのだ、そして教会も平和である。
教会の建物に入ると、礼拝堂で誰かがオルガンを弾いていた。なめらかな運指を想像させる、弾むような調子が少し教会にそぐわない曲だった。
オルガンを弾いているのが誰かはわからなかった。
音楽を背に奥に入る。昨日の通路には、尼僧はいなかった。通路を進み、幾つかのドアを横目に、奥の部屋に向かった。
ドアをノックすると、かすかに返事が聞こえた。
入ると、二人の尼僧が待ち構えていた。一人はまだ若い。もう一人は昨日の尼僧だった。
「どうぞ、アルスさん」
「どうも」
ソファに腰を下ろし、二人の尼僧と向かい合った。二人とも、すぐには何も言わなかった。窓の向こうで、鳥がさえずっている。
「あなたを雇いますよ、アルスさん」
初老の尼僧がそう言って、持っていた封筒をこちらに差し出す。
「お仕事は、様々ですが、剣は必要ありません」
どこか不安だけど、まぁ、危ない目に合わないのなら、良いだろう。
封筒を受け取り、中身を改めた。少ない収入だが、生活できないわけじゃない。
「ありがとうございます。明日から、ここに来れば良いですか?」
「今日のうちに、紹介しておきましょう。私はシスター・リッカ、こちらは、シスター・アリ」
若い尼僧が頭を下げる。
「よろしくお願いします」
僕も返礼する。リッカが立ち上がった。
「こちらへどうぞ」
応接室から通路に出る。アリはついてこなかった。
「服装はどうしますか?」
歩きながらリッカが効いてくる。
「僧服を着なくて良いのですか?」
「あなたは裏方です」
ちょっと、嫌な予感がしてきた。
「では、平服で」
「作業着をお貸ししても良いのです。その時、また言ってください」
リッカはドアの一つを開ける。階段だった。降りていく。地下に行くらしい。
ぼんやりとした明かりの階段を下りきると、じっとりとした空気が出迎える。
「ここを少しずつ、整えていただきます」
床は石が敷かれ、壁も石積み、天井は木が張ってあるが、だいぶ変色している。
細部まで見通せないけど、綺麗とは言えない、というか、綺麗とかではなく、汚れしか見えない。蜘蛛の巣、埃、そして何かの入った無数の木箱。
「整えるというと……?」
「清潔にしてほしい、ということです」
僕は何も言えなかった。何も言わないのを了承を受け取ったのか、リッカがそっと頷いた。
「よろしくお願いしますね」
よろしくも何も……。
しかし、どうしようもなかった。
翌日、作業着を借りて、仕事を始めた。
地下空間なので、とにかく換気ができない。そして暗い。
換気はどうすることもできないが、明かりをいくつも持ち込むことはできる。無煙の携行光源を設置して、これだけでだいぶ片付いた印象を受けた。
石が敷かれているが、その石の敷き方見事なもので、ほとんど隙間がない。熟練の技術者が工事を請け負ったことがうかがえた。
まずは無数の蜘蛛の巣をすべて払った。地下空間は相当な広さで、地上の教会全部の敷地と同規模だ。地下空間は仕切りがほとんどないので、余計に広く感じた。そこを行ったり来たりして、蜘蛛の巣を除去したわけだ。
それだけで丸二日が必要だった。夕方、帰る前に殺虫剤を盛大に使用した。換気が悪いので、自分が殺虫剤に取り巻かれないように、夕方にやったわけだ。せめて、と思って、地上に通じる階段は開けておいた。
もしかしたら、教会に殺人ガスが流れたかもしれない。
翌日、行ってみると、想定通り、殺虫剤に燻された虫が無数に落ちており、そして殺虫剤自体はすでに散っていた。教会も無事だった。
今度は虫の死骸を集め、それを地上でまとめて捨てた。
こうして地下空間は、比較的、過ごしやすいとも言える環境になった。
残る問題は木箱だ。どれも相当、古い。試しに一つ、箱を壊してみた。出てきたのは虫に食い荒らされて、原型を留めていない布地だった。どうやら僧服か尼僧服らしい。黒いのでそうとわかる。しかしもう捨てる以外にない。
そんなわけで、一週間かかって、僕は箱をすべて検め、捨てるものは捨て、保存するものは保存するように新しく木箱を用意して、整理した。
この作業で僕に大きな得となったのは、一つの木箱から出てきた書類の山だった。
どれも古いものだったけれど、読んでみると、五十年前の誰かの日記のようだった。詳細を知りたくても、古いのと、文字が現在とは少し違うため、判読できない。
しかし、記録は記録。しかるべきところに出せば、相当の金と交換してくれることはわかった。そしてそれをそのまま黙っている僕でもない。
リッカに相談すると、彼女は地下へやってきて本を確認し、
「お任せします」
とだけ、言った。
こうして僕は書類の山をひとまとめにして、古本屋へ持ち込んだ。
鑑定に一日がかかり、作業終わりに確認すると、ちょっとした額の金にその書類の山が変わったのだった。
もちろん、すぐに何か使ったりはしない。貯蓄の一部にその金は加わった。
そんなこともありつつ、地下空間は半月で見違えるほど綺麗になった。
地下空間が整うと、リッカがやってきて、細部を確認していった。彼女は興味深そうにその空間を見て、頷いた。
「ありがとうございます、前にもこういう仕事をしたことがあるのですか?」
「とんでもない」
思わずそう言った僕に、リッカが微笑む。
「良いでしょう。あなたを雇います。教会で雑用を請け負ってもらいます」
「作業着で?」
「平服というわけにはいきません。僧服は嫌でしょう?」
僧服は嫌だった。リッカも気づいていたようだ。
「アルスさん、僧房に部屋を用意できますが?」
「いえ」即座に答えていた。「それは、遠慮します」
僧房に部屋を借りてしまうと、いよいよ自分がこの道に進みそうな気がした。
この道、って、よくわからないけど。
とにかく、自分に似合わない場所へ、進みそうだった。
夕方、地下空間の状況を再確認した。
その時、ふと気付いた。
床に敷いてある石の中で二つ、小さな石がある。それは少し奇妙だった。他に無数にある石の大きさからすると、不自然である。わざと小さな石を組み込んだように見える。
膝をついて、軽く石に触れてみる。動きそうだ。
ちょっと押し込んでみた。ズズッと石が沈む。
何も起こらない。なら、もう一つもやってみるか。
二つ目の石を押し込んだ。これも、深く沈む。
何かが噛み合う重い音がした。周囲を確認するが、何も起こっていない。
何だろう? これは。
と、思った瞬間、轟音と浮遊感が同時にやってきて、僕は崩壊した石畳と土と一緒に、落ちていった。
これは、死ぬか……?
死んだ……。
浮遊感の中で、僕は諦めていた。
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