マリアとイヌ

和泉茉樹

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十七

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     十七

 私は悲鳴に近い声を上げながら、走りまわっていた。
「なんでこんなことになっているのよ!」
 虚糸を操作して、目の前に荒い目の網を作ると、そこに銃弾がぶつかり、明後日の方向へ飛んで行った。戦車に据え付けられた副砲の機関銃弾だ。もし虚糸を使えなかったら、操糸など今の一撃でズタズタになり、ついでに私の体もボロ雑巾か、ひき肉だっただろう。
 視線を巡らせると、泰平が腕を縦横に振っているのが見えた。操糸が幾重にも折り重なり、無数の刃が戦車に衝突する。しかし、戦車の装甲に傷をつけるだけで、破ることはできない。さらに、装甲の傷はひとりでに修復されてしまう。
「泰平! あんた、最強なんでしょ! 何とかしなさいよ!」
 思わず怒鳴ると、泰平が機関銃から逃げつつ怒鳴り返してきた。
「この戦車の装甲は虚界物質で出来ている! 虚界物質じゃないと太刀打ち出来ない! 紫紺と紺碧よりも運動能力の高い狗彦くんに任せる!」
(聞こえた、狗彦!)
(聞こえているよ! こっちはそんな生温い弾を相手にしているんじゃねぇんだ!)
 狗彦の位置が分かり、視線を向けると、轟音とともに戦車の主砲が発射された。私の目の前で、狗彦の体が土煙の中に消える。
「狗彦!」
(生きてるよ! 援護しな!)
 脳内の声にほっとしながら、私は泰平に怒鳴る。
「泰平! 狗彦を援護して!」
「分かった!」
 土煙から、まるで彼自身も砲弾であるかのように飛び出した狗彦が、戦車に突っ込んでいく。
(真利阿、悪い、ちょっと無理させる)
(大丈夫、好きなようにして)
 そんなやりとりの後、私の体から少し強く、マナが吸い取られた。
 狗彦の手のナイフが変形し、一本のサーベルになる。
戦車から砲弾が発砲されるが、狗彦はそれをサーベルで受けた。胸が悪くなるような、そんな酷く不快な音が鳴り響き、砲弾は横に逸れる。サーベルは折れなかった。狗彦も、やや進路を変えたものの、それでも戦車に向かう。
戦車が狗彦を正面に捉えようとする。しかし、戦車は動けなかった。
泰平と紫紺、紺碧を結ぶ十本の操糸が、幾重にも幾重にも、何本にもなって戦車の足や胴体に絡みつき、その動きを止めていた。泰平の援護だ。
踏ん張る泰平、紫紺、紺碧に囲まれ、戦車が一瞬混乱し、それでも砲と銃を無理やり狗彦に照準しようとする。
だが、それよりも狗彦が速かった。
サーベルを構えて、飛びかかる。
勝った。私は無責任にもそう思った。
次の瞬間、狗彦の体は、戦車の脇から飛び出した腕に捕まえられている。
「グッ!」
 狗彦が息をつまらせる。腕の先のマニュピレーターが狗彦の胴と左腕を挟んでいる。圧力が一気にかかり、狗彦の左腕がおかしな方向に曲がり、体が軋む。
「グ――ガッ――!」
 狗彦が呻きながらも、右手に持ったサーベルでマニュピレーターの一本を切り落とし、脱出する。だが、着地したところで、地面にへたり込んだ。
「狗彦!」
 私が叫ぶ中で、戦車を拘束していた操糸が、一瞬で全て切れる。同時に、私と狗彦を結んでいる虚糸が、まるでろうそくの火が暴風に吹き消されたみたいに、消滅する。泰平とそのマリオネットの間の操糸は、マナによっての補修が無くなり、散っていた。
「反虚界物質装置によるジャミングかよ!」
 泰平が怒鳴り、手を振るのが見えた。私はそれを視界の端に捉えつつ、虚糸を狗彦に繋ごうとするが、しかし、虚糸は生まれなかった。
 戦車の機銃が狗彦を照準する。狗彦はダメージの上に虚糸が切れているため、マナが枯渇し、動けない。
 ダメだ――
 次の瞬間、狗彦の体が突き飛ばされ、代わりに機関銃弾を浴びた少女が、濃い緑のドレスを派手に散らしながら、地面に散った。
 泰平が操糸を直接接続して操作した紺碧が身代わりになったのだと、紺碧だったものが地面にバラバラになって落ちてから、気付いた。
ジャミングが発動している中で、私と狗彦の間に、虚糸は生まれない。
その時、何か、私の手に熱いものが生まれ、それが誰かのマナだと気付く。そしてそれが膨れ上がると、それが狗彦との間で一本の虚糸となった。
感じたことのない、柔らかなマナが、私と狗彦を繋いでいた。
(親父?)
 狗彦の思考が私に届いた。
しかし、それを気にしている間もない。戦車がジャミング装置を強化するより先に、動きが回復した狗彦がサーベルを投げ、それが戦車に深々と刺さっていた。
 戦車が、止まる。ジャミングが止んだ。
「やった、のか?」
 泰平が呟いた。
 私は復活した十本の虚糸をいつでも動かせるようにしながら、狗彦へ一歩、踏み出そうとした。
「来るな、真利阿! 逃げろ!」
 ガゴン!
 狗彦の声をかき消すように重い音を立てて、戦車が動きを再開する。
主砲が、こちらを向く。私は紺碧の最期を見て、完全に足がすくんでいた。動けないまま、ほとんど無意識に、防御のための虚糸を張り巡らせようとする。
しかし、先ほどのジャミングによって疲弊した私が生み出したそれは、おそらく戦車の主砲を受け止めるほどの力がない。
「虚木さん、逃げろ!」
「真利阿!」
 泰平と狗彦が叫ぶが、私は動けなかった。
 そして、轟音が鳴り響いた。

     ◆

「なっ――!」
 若紫が声を詰まらせたのに合わせて、少女はそっと息を吐いた。
「さて、若紫先生、もうこれで良いでしょう?」
「バカな……、そんな……、マナ式多脚戦車の、それも虚界物質搭載型の最新鋭機だぞ! それを、それを……」
 若紫は震える顎を手で撫でた。何度も撫でた。手も震えている。
 画面の中では、戦車が燃えていた。マスターたちも、マリオネットたちも、動けずにいる。戦車の中央部に太い穴があいているのが煙の奥に時折、見えた。
 戦車を破壊したのは、ドームの屋根を突き破って飛来した、一本の矢だった。黄金に輝く、高速の一本の矢が、戦車を射抜いたのだ。それだけで、戦車は破壊された。
「虚界物質の矢だと……? それも、虚界の形をそのまま持っている、完全体の虚界物質だ……。そんなもの、そうあるわけが……」
 若紫のうわごとに、少女が答える。
「先生ご自身がおっしゃったじゃないですか。知らないこともある、と。これもそのうちの一つですよ」
 少女がソファから立ち上がる。若紫が震える手を、やはり震える手で押さえようとする。
「まさか、きみのマリオネットかね。そうなのか?」
「お答えできませんわ、先生。それは知ってはいけないことですから」
「きみが、きみたちが、噂のSランクのマスターとマリオネットなのか……?」
 少女が首を振る。そして部屋を出て行こうとした。
「なぜここへ来た。私に裁きを下すためではないのか?」
 もはや怯えていると言っても過言ではない若紫を、少女はドアの前で振り返った。
「それはまた、別の人間のする事です。私はあなたに警告に来ただけ。今回の件は、ちょっとした火遊びとして、処理させていただきます。今のままなら、ですが。今のところ、全ては手違いか、あるいは事故ですしね。犯罪も一つありましたが。そうでしょう? 先生」
 少女に、若紫は答えられなかった。少女は、若紫の部屋を出た。

 少女は、教員棟の廊下をゆっくりと進むと、エレベータが下りてくるのを待った。開くと、そこに彼女のパートナー、隼丸がいる。屋上から降りて来たのだ。彼が手に提げていた、長大な、美麗な細かい彫刻が施された黄金の弓が、すぅっと大気に溶けた。
 隼丸が言う。
「お疲れ」
「そちらこそ、お疲れ様」
 エレベータの扉が閉まってから、少女が変装用の特殊メイクのマスクを引き剥がした。
 素顔に戻った本堂優奈は、ほっと一息吐いた。
「隼丸、ギリギリだったわよ。危なかった」
「すまん。狙い過ぎた」
 優奈は襟元の記章に手を当てる。それは綺会学園の理事会直轄部隊の記章だ。記章に詳しい人間でないと、それが一般の記章と少し違う事に気付かない。若紫は気付いたようだったが。
 記章に触れている指先にマナを通すと、記章はかすかに変形し、本来の綺会学園高等部のマスター科を示す記章に形を変えた。
 隼丸が首にマナを無線で供給するためのチョーカーをはめる。
「真利阿と狗彦は、どうなると思う?」
 隼丸の言葉に、優奈は首を振る。優奈は透視さえも可能な隼丸の目を借りて、ドームの中を見ていた。狗彦も傷を負ったし、勝負の先は見えない。
「あとは根性、なのかしらね。精神論って、あまり好きじゃないけど」
 優奈の言葉に隼丸が笑った。
「何にしても、早く応援に行こうぜ」

     ◆

 俺はドームの天井に空いた穴を見た。さっきの矢の攻撃は何だったのだろう? そしてあのドームの穴は、一体、誰が修理代を出すのか。
それから戦車の残骸を遠目にしつつ、目の前の泰平に訊いた。
「本当にやるのか?」
「当たり前だ。まだ勝負はついていない」
 泰平がじっと視線を注いでいた戦車から、瞳を俺たちに移して、そう答える。彼は戦車を見ていたのではなく、紺碧の残骸を見ていたのかもしれない。彼の顔には、微かな疲弊が見られた。
「狗彦……」
 俺の背後で、真利阿が言うが、俺は振り向かずに頷いた。
 泰平も操糸が激しく分断されたので、今は、ただの虚糸の状態になっている。紫紺は、目立った損傷はなし。
 一方、こちらは真利阿が疲れを見せている。俺は虚界物質のサーベルを投げてしまったので、手ぶらだ。そして左腕が肘の上で完全に折れている。痛みは、真利阿の制御のお陰で、感じない。
「行くよ、虚木さん!」
 泰平が虚糸を操作する。真利阿も虚糸にマナを流し込んだ。俺は不安定な真利阿のマナを感じる。何度も虚糸を切られたし、先ほどの戦車のジャミングもあった。息切れして当然だ。もうそう長くは持たないだろう。
 紫紺がこちらに駆けだす。虚糸による攻撃が来るかと思ったが、その両手に、光が集中すると、それぞれにナイフが生まれた。虚界物質のナイフだ。事前の情報では映像はなく、記録上でしかなかったが、彼らもそれを使えるのだ。
虚界物質の武装の攻撃を受けるには、虚界物質を作るしかない。
(やって! 狗彦!)
 俺は脳内に響く声に後押しされて、右手にマナを集中させた。真利阿のマナがみるみる吸いだされていく。そこに俺のブーストアクセルによる増幅も加え、真利阿だけでは実現しない、虚界物質の召喚を行う。
 俺の右手には、サーベルが生まれていた。先ほどよりもやや短いが、仕方ない。
 紫紺のナイフを受け、もう一本は避ける。体の動きが鈍い。痛みを真利阿が抑制してくれているため、違和感が増す。しかし、もし痛みがあったら、その激痛で動けなくなっていただろう。
 ナイフが俺の体をかすめる。
 同時に、周囲で虚糸が荒れ狂う。俺と真利阿を狙う、泰平自身による攻撃。それが真利阿の虚糸の操作術によって、弾かれる。だが、真利阿も先ほどよりキレが無い。
 撃ち漏らした虚糸が俺のすぐそばをかすめる。
 紫紺が無駄のない動作でナイフを突き出してくる。
 ここで決める、と俺は決断した。
 左腕を突き出し、ナイフを受け止める。紫紺のナイフが、俺の左腕に突き刺さって、切り裂き、それでもどうにか止まった。
 俺はサーベルで刺突を放つ。
 サーベルが、紫紺の左胸に一直線に向かい――突き刺さった。
 俺のサーベルは紫紺の左腕をも貫通していた。いや、左腕が割り込んできたのだ。手応えが、軽い。左腕を盾に、剣先を逸らされたか。
 俺と紫紺はそれぞれ、右手の武器で相手の左腕を刺す形になっていた。動きが止まっている。
 そこへ、真利阿と泰平の虚糸が、それぞれ、相手のマリオネットを破壊しようと、鋭角に襲いかかる。
 そして胸に激烈な衝撃を感じた後、俺は意識を失った。

(続く)
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