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1-10章 新しい名前

1-10-1 終わりの始まり

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     ◆

 その日は暇な一日で、部屋でぐったりしていた。
 風はかすかに涼しく、開け放した窓から吹き込んで、カーテンが芸術的に揺れていた。
 小娘はデッカの店の昼間の営業に合わせて働きに行っている。あいつ、このままあそこで店員をやった方がいいんじゃないか? 前もそう思って口にしたら、烈火の如く怒ったので、もう言わないけど。
 静かな昼下がりだ。タバコが美味い。
 と、控えめにドアがノックされた。当然、居留守を使う。
 面倒だし。
 もう一度、ドアがノックされる。さらにもう一度。しつこいな。
 なんとなく、小娘が初めて来た時のことを思い出した。
 やれやれ、いったい誰?
 玄関へ行ってドアを開けると、見知った相手だった。
「何の用だ? 調整官殿」
 メイヴが穏やかに笑みを見せる。
「あなたたち、ちょっと稼ぎすぎましたね」
 そう言って、一枚の書類がこちらに差し出される。ロロ港湾都市にも様々な税金があるが、きっちり払ったはずだ。何の書類だ?
 受け取ってみて、思わず額に手を当てていた。
「確かに渡しましたよ、一ヶ月以内に提出してください。では、これで」
 優雅な笑みとかすかに甘ったるい匂いを残して、美しき悪魔は去っていった。
 一人になってリビングに行き、もう一度、書類を見た。
 それは見間違えようもない、「パーティー登録書」だった。
 正規の傭兵は大抵が自然とどこかのパーティーに所属するが、中には個人で活動する者もいる。だが傭兵事務所としては、そんな個人傭兵は管理しづらく、好ましい存在ではない。
 で、傭兵事務所がとったやり口は、一定の稼ぎを上げる傭兵に強引にパーティーを組ませるというやり口なのだ。
 つまり、多くを稼ぎたければパーティーを組むしかなく、一人でやっていきたいのなら、少ない収入しか受け取れない。
 個人の傭兵は大勢いて、連中もあれやこれやの抜け道を使ってやっているが、俺とマギの場合は、そんな小賢しいことをしなかった。
 というか、そもそもそれほど稼ぐつもりもなく、俺としてはあの小娘に傭兵のイロハを教え、いずれ独り立ちさせるつもりだった。そうなれば小娘がいくら稼ごうがどうしようが、あいつが決めればよかった。
 そうなって俺はまた一人になり、気ままに暮らせる、という計画があった。と思う。
 だけど現状では、俺とマギは頻繁に地下迷宮に降りては、珠やら何やらを手に入れて売りさばき、カネを稼いでいる。別に生活費に困っていないのに、やってしまった。
 結果、傭兵事務所は俺とマギにパーティーを正式に発足させるように、要請してきている。
 突っぱねることはできる。
 できるが、どこか違う気もする。
「ややこしいなぁ」
 漏らすように呟いて、俺はソファに横になり、目をつむった。
 どれくらい時間が過ぎたのか、かすかな音に俺は目を覚ました。リビングに小娘がやってくる。どこか晴れ晴れとした顔だ。
「ただいま、エドマ」
「ああ。こいつが届けられた」
 俺は素早く机の上の紙を手に取り、小娘に向かって投げる。ひらひらと舞う紙を彼女が器用にすくい上げた。
「パーティー登録書? 誰がパーティーを組むの?」
「俺とお前しかいないだろう」
 こちらをマギがまじまじと見てくる。居心地が悪いったらないな。
「まだ時間はあるから、ゆっくりと決めようぜ。いきなりじゃ答えられないだろ?」
「う、うん」
「じゃ、そういうことで。夕飯を頼む」
 おずおずとこちらに書類を返してから、小娘は台所へ小走りに入って行って、見えなくなる。
 俺がまた、パーティーか。
 もう二度と、誰とも組まないと決めていたはずなのに、時間の流れとは、すごいものだ。つくづく、そう思う。
 繰り返したくない悲しみや苦しみを、忘れちまうんだから、恐れ入る。
 頭の中には弓取の連中の顔が浮かんだ。
 もうそれも過去のことなのだ。俺にとっても、誰にとっても。
 新しい場所へ踏み出す頃合いかもな。
 タバコの箱を取り出し、一本くわえて火をつけた。
 もうマギと生活し始めて一年近くが過ぎている。悪くない一年だった。
 まったく、俺も歳ばかりとった気がするよ。
 しばらくぼんやりしているうちに料理が出来上がってきたのが匂いでわかる。窓の外は薄暗くなった。風も夜のそれに近づいた。
「できたよー」
 小娘が呼びにきたので、俺は食卓へ向かう。
 どうやらデッカの店で作った料理の復習らしい。盛り付けの感じが、いかにも店で出す感じだった。
「いただきます」
 ちゃんと声にして、食べ始める。
 味付けは改善されつつあるが、たまに異質な風味が口に広がる。その辺は悪魔の舌に合わせているんだろうな。
 俺は悪魔じゃないが。
 食事の最中、小娘はデッカの店に来た客の話を静かな調子で話し、くだらない冗談も混ぜて、二人で笑い声をあげたりした。
 不意に胸に去来するのは、やっぱり弓取のことだった。
 あいつらとも、いろんな話をして、いろんなものを飲み食いして、大騒ぎも繰り返した。
 あの五人の仲間は、もういないし、集まることもない。
 今は、俺とマギの二人しかいない。
 それがどこか寂しく感じるのは、俺の感傷が過ぎるのだろうか。
 食事が終わって、お茶を飲みつつ、俺はタバコを吸った。いつの間にか当たり前のように、マギが片付けをしてくれる。
 まるで俺はお大尽だな。
「これは試作品ね」
 片付けを終えたマギが何かを持ってきたと思うと、プリンだった。見た目は完璧だ。
 小さな匙がそれられているので、それですくって口に運ぶ。
 うむ、これは美味い。
「どうかな?」
 マギはどうか不安そうだが、俺は頷いて見せる。
「よくできているんじゃないか?」
「ほんと! 良かったぁ。容器は食べ終わったら台所に置いておいて!」
 嬉しそうにステップを踏んでマギが自分の部屋、元は俺の寝室へ消えていく。ドア越しに鼻歌が聞こえてきた。
 俺はいったい、どうしちまったんだ?
 こんな仲良しごっこが、俺の望みだったのか?
 ……違う、が、悪くはない。
 結局、プリンはさっさと食べて、自分で容器と匙を片付けた。食器棚も全部、小娘がいいように片付けて配置しているので、棚に戻す時に苦労した。
 シャワーを浴びて歯を磨き、服を着替えてソファに寝転がった。
 窓はもう閉めてあるが、カーテンは引いていない。
 夜空が見えた。部屋の明かりを暗くして、しばらく星を見上げた。
「エドマ、もう寝てる?」
 リビングにマギがやってきたのが気配でわかる。
「いや、起きている」
「なんだ、暗いから寝ているかと思った」
「何か用か?」
 答えがないのでわずかに身を捻って彼女の方を見ると、視線が合った。
 しばらくの無言。
「ううん、なんでもない。また今度、話すね。じゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 なんだったんだ? 考える間もなく、小娘は廊下へ消え寝室のドアが閉まる音がした。
 まあ、いつでも良いだろう。
 タバコを灰皿に突っ込み、窓の外へ視線を戻す。
 俺はその夜、星を見ているうちに眠ってしまった。
 夢を見た気がしたけど、目が覚めた瞬間に忘れていた。
 その日が騒動の初日になるとは、予想も何もしていなかった。




(続く)
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