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1-6章 異邦の拳法家

1-6-4 海

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     ◆

 どこに行ったのか、タツノはなかなかた見つからなかった。
 彼女はロロ港湾都市に来て間もないと聞いた。大陸から渡ってきたばかりなのだ。エドマとも海で初めて会ったと、二人の口喧嘩のようなやり取りの中で聞いている。
 海、か。
 私は夜の街を走って、港へ向かった。船は二十四時間、運行していて、旅客線こそないが、輸送船は夜でもひっきりなしに行き来している。灯台の光も明るく、遠くへ伸びている。
 桟橋が並ぶあたりをぐるぐると歩き回り、そうしてやって彼女を見つけた。
 一人きりで、桟橋の先に立っている。
 まるで今にも海に飛び込みそうだった。
「タツノ!」
 彼女がちらりとこちらを振り向くが、すぐに海の方に視線を戻した。
 私はゆっくりと、刺激しないように歩み寄った。
「話してもらえる?」
「体のこと?」
「うん、そう……」
 あなたは人間ですか? と、危うく口にしそうになった。
 ぐっとこらえて、彼女の背中を見て、次に彼女の視線が向いている先を見る。
 そちらには海しかないが、その遥か先には、大陸があるはずだ。
 彼女の故郷が。
「私は、生まれた時から、不思議な体質だった」
 波が寄せる音に紛れるように、タツノが話し始めた。
「怪我があっという間に治癒する。どうしてそうなのかは、誰にもわからない。両親はすぐに気づいたけど、それを秘密にした。そして私に自分たちが修めた拳法を叩き込んだ。それこそ血反吐を吐くほどにね」
「それが嫌だった?」
 彼女はかすかに俯いた。
「嫌だった。でも、そうとは言えなかった。体質のこともあった。私の体が傷ついてもすぐ治る。それは戦いに向いている、と自分に言い聞かせたし、両親はそう信じていたね。で、ここに放り込まれた」
「なら、大陸に帰る?」
「帰れるなら、帰りたいわね」
 やっとタツノが振り返ったけど、私には彼女の表情は暗くてよく見えなかった。
「荷物は全部盗まれちゃったし、身分証もない。お金だってほとんどない。傭兵にもなれない。どうやって生きていける? どうやって帰ることができる?」
「それは、私たちが力を貸すよ」
 私たち、と自然と言っていて、これは逆効果かな、と遅れて気づいた。慌てて付け足す。
「この街には大勢、いい人たちがいるんだよ。住むところも、食べ物も、なんとかなるよ。あまり深く考えず、流れに乗ればいいと思うけど」
「私、自信がない」
 こぼすような、まさにポロリと出たその言葉は、でも彼女の本音の言葉だった。
「拳法なんて、この街じゃ意味がない。あなたたちの部屋で、あなたたちの剣が置かれているのを見た。つまりあのおっさんは格闘家じゃない、剣士なんだ。剣士なのに、剣を使わず、私の土俵に立ったのに、私を圧倒した」
 どう答えていいのか、わからなかった。
 それは事実だった。
 エドマが本気になれば、タツノなんて一捻りだし、剣を持てば、一撃で首を刎ねるだろう。
 もちろん、私もやろうと思えば、それができる。
「人には、与えられた役目がある、と教えてくれた人がいるんだ」
 私は、思ったことを言葉にした。
 それは少し前に、たまたま顔を合わせたメイリアさんから聞いた話だった。彼女は今、この街の一角にある古びた部屋で生活していて、エドマは気が向くと会いに行っている。私もそれについて行ったのだ。
「その人も事情があって、不自由な生活をしていたけど、今は、新しい生活をしてる。そういう生活を始めてから、役目を実感した、っていうんだよ」
「何が言いたいの?」
「あなたのその体質にも、何か意味があるかもしれない、って話」
「そんなもの!」
 タツノが歩み寄ってきて、私に組みついた。
「そんなもの、どこにあるのよ!」
「あなたが見つけるしかないでしょ!」
 私は一瞬で彼女を投げ飛ばし、彼女は海に放り込まれていた。
 あー、やっちゃった。
 ジャバジャバと水音を立てて、タツノが桟橋に上がってくる。もちろん、びしょ濡れというか、ずぶ濡れというか。
「ご、ごめん、やりすぎた」
「ううん」
 髪の毛を搔き上げて水滴を飛ばしつつ、タツノがこちらを見た。
 雲間からの月明かりの中で、彼女の顔はよく見えた。
 どこか憑き物が落ちたような、あっさりとした表情だった。
「私、何の力もないんだって、よくわかったよ」
「何か、生きていく方法があるから、それを探しなよ」
「やっぱり、傭兵は向いていないかな」
 それが冗談だとわかったので、私は強く頷いた。
「まだ力不足だね、それじゃあ」
「そうだよなぁ。どこか、見る目はありそう?」
 真剣に考えるべきだろうけど、私は思いついたことを口にしていた。
「剣を習う、とか?」
「剣かぁ。それはどうも、気の長い話になりそうだな」
「ゆっくり考えればいいよ」
 タツノが頷いた。
「話は終わったか?」
 急に声をかけられ、私たちはそちらを見た。
 闇の中に赤い点があると思ったら、それはエドマが吸っているタバコの光だった。
 いったい、いつからそこにいたんだろう?
「ガキンチョ、お前、住むところはあるのか?」
「……ないわよ」
「この場所へ行け」
 座り込んだまま動かず、エドマが小さな紙をこちらに向けている。ゆっくりと歩み寄ったタツノが、ひったくるようにメモを受け取る。
「そこにいる爺さんは、親切な人だから、力になってくれると思うぞ。お前のことも知っているしな」
 胡乱げな気配を発散させつつ、タツノはエドマを睨んでいる。エドマも睨み返しているようだ。
「それと、今日はうちに泊めてやる。シャワーも使わせてやるよ」
「ありがとう」
 その言葉を受けて満足したらしいエドマが、立ち上がろうとした。
 まさにその時だった。
 タツノの容赦ない蹴りがエドマを直撃、彼の体が泳いだところへ、さらにトドメの一撃を加えて、エドマが海に落ちていく。
 唖然とする私の前で水しぶきが上がり、激しい水音の中で怒声が響いた。
「テメ! このクソガキ!」
「じゃあね、おっさん」
 スタスタとタツノが桟橋を去って行っても、私は立ち尽くしていた。目の前に海から這い上がってきたエドマが、まだ罵り声を上げていた。
「なんだ、あのクソガキ! クソッタレめ。親切になんてするんじゃなかった!」
「まあまあ」
 どうにかエドマをなだめようとしたけど、それどころじゃない。
 私は堪えきれずに笑い出してしまった。エドマはムッとした雰囲気のまま、「さっさと帰るぞ」と、靴をガボガボ言わせながら、歩き出す。それもまた可笑しい。
 部屋に帰っても、タツノの姿はなかった。
 彼女がどこへ行ったのか、私はしばらく話を聞かなかった。
 一度、例の桟橋をもう一度見たくなって、昼間に行ってみた。
 もちろん、タツノはいない。
 桟橋の端に立つと目の前をゆっくりと小舟が走っていく。
 老人がじっと座り、若い女性が櫂を漕いでいる。
 なんだ、いるじゃないか。
 私はその光景を眩しく感じて、目を細めた。


(第6話 了)
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