Sword Survive

和泉茉樹

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第17章

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     十七

「ここは悪人の溜まり場じゃないけどな」
 言葉と裏腹に、店長はどこか嬉しそうだった。
「悪人に月賦を負わせるのも、マヌケだな」
 椅子に腰を下ろした天城さんが睨めつけると、店長が視線を逸らす。
 ここはマグマグの事務所だった。天城さんが店長を呼び出し、無理やり店を開けさせたのだった。
「それに」天城さんが椅子のキャスターを滑らせて、店長に近寄る。「どこぞの女子高生に監視された挙句、こちらの秘密の空間へ導くことになったのは、誰だったかな」
 店長は答えずにいるが、汗がこめかみと頬を伝っている。
「月賦って言葉の意味を、私は失念したようだが」
 容赦なく、天城さんが冷え冷えとした声で言った。さすがに店長が天城さんの方を向いた。
「俺が知っている月賦という言葉は、高額な買い物をした時、分割払いにする、という契約だったはずだが?」
「ふむ。では、私はお前に分割払いで、高額な支払いをしなくちゃいけないわけだ」
 僕も冷や汗が出そうな、まるで殺人鬼がナイフを突きつけて話しかけてくるような光景だった。しかもその殺人鬼が、犯行を重ねることを諦める可能性がゼロ、というかマイナス、すでに決定事項の場面に近い。
「何が言いたいのかな、お客さん」
 どうやら店長もヤケになったようだが、天城さんが情けをかける理由はなかった。
「私が、金を払う理由はあるかな?」
「それは、理由はあるだろうな。商品を買って、魔器のメンテナンスを受けた。その見返りとして、俺に金を払う義務がある」
 それが最後の抵抗だった。
「私が、金を払う理由があるかな?」
 同じ言葉を二度、繰り返すあたりが、どこか狂気じみていた。
「……そうだな」
 限界に達した店長の頑固な商売魂が、粉砕された。
「ないかもしれない」
「かもしれない?」
「……ない」
 月読が僕の手を握ってきた。さすがに恐怖したんだろう。
 蒼白を通り越して土気色の顔になった店長が、僕たちがいる事務室の隅のデスクへ行って、何か書類を調べ始めた。きっと、今月の収支を計算しているんだろう。
 大赤字は決定しているけど。
「それで、これからどうするんですか?」
 やっとそれを尋ねることができた。
 さっきまで冷酷無比の権化だった天城さんが少し表情を緩めた。
「仕方ないから、ここで状況の推移を見る」
「状況? 追っ手がここを嗅ぎつけないはずもないですよ」
 僕の頭の中には真澄の姿があった。
 今になって、申し訳ないことをしたと思っていた。話し合えば、あんなことをしないで済んだ。今からでも関係を修復できるか考えたけど、はっきりしない。僕がそう思っても、もう真澄は僕を許さないかもしれない。
 友達が一人、それも大きな存在が一人、いなくなると思うと、どこか淋しかった。
「もちろん、可能な限り、身を隠す。それにはそこの、月賦の新しい意味を教えてくれた男が協力してくれる。そうだよね?」
 また鬼の一面が出ていた。店長は背中を向けたまま、曖昧に応じていた。でもさすがに拒絶できないだろうし、もう失敗できない。
 今度、不手際があれば、天城さんが店長にどんな仕打ちをするか、悪い想像しか浮かばない。
「実は、言わなかったんだが」
 天城さんが僕と月読を正面に置いた。
「私の権限で、魔法管理機構に、打診していたことがあった」
 魔法管理機構に?
「月読を保護したい、という願いを出したんだ」
「え?」寝耳に水だった。「いつですか?」
「お前たちを匿ってすぐだ」
 もう二ヶ月近く前のことになる。月読も驚いているようだった。
「その返事がもう来ている」
 背広の上着の内側から、天城さんが封筒を取り出した。ちらりと見たところ、封筒には宛名以外、何も書かれていない。エアメールの赤と青の模様はあった。
「結論を言うと、私の願いは却下された」
 手で封筒を弄びながら、天城さんが言う。
「月読は不完全な存在で、使用者によるコントロールに難があると判断せざるをえない、ということだ」
「そんな……」思わず反論していた。「それは、間違いです」
「私に訴えても仕方ない。魔法管理機構が判断することだし、連中にお前が意見する権利も窓口も、何もない」
 隣で月読が俯いたのがわかった。僕は彼女が握ったままでいた手を、逆に握り返した。
「それで、天城さんはどうするんですか?」
「どうもしない。このままを続ける」
 意外な返事だった。
「月読を、魔法管理機構に差し出すんじゃ……」
「連中の判断は間違っている、と言ったのは睦月、お前じゃないか」
 余裕を感じさせる天城さんの口調だった。
「お前が間違っていると感じるものを、私が、間違っていない、その通りだ、と受け入れると思うか? 私だって、間違いだと思っているさ。ただ、今はそれを証明する場面がない。なら、それを待つことにする」
 僕の心にかすかに、月読の心が晴れる気配がした。天城さんも笑みを見せている。
「だから、機会が来るまで、お前たちは技を磨いておけ。月読は完全にコントロールできる、強力なだけの魔器だ、とはっきり分かるように」
 僕と月読は同時に頷いていた。
「さて」天城さんが立ち上がった。「今日からは新しい召使ができたな。どうだい、金勘定は終わったか?」
「今すぐあの世に昇天できたら楽だな」
 深刻な声でそう返事をした店長に、天城さんが食事のリクエストを伝え始めた。
 新しい召使って、つまり、前は僕と月読が召使だったのか?
 不憫なことに店長は徹夜明けの早朝に、食べ物を買いに走らされた。それも天城さんの恐怖による支配を受け、僕たちの存在を露見させないように強制されて。
 店長がまだ青い顔で戻ってきた時、月読はさっきまで天城さんが座っていた椅子で眠っていた。天城さんはデスクに腰を下ろして、勝手に店の帳簿を繰っている。
 僕は天城さんの指示で、僕たち三人が生活する環境を整えていた。
「次にやる商売は、宿泊所にするかもな」
 僕が店の商品で組み立てた立体映像投影装置を見つつ、店長が情けさなそうな声で言った。
「それも良いだろう、知り合いを大勢、紹介してやる」
 容赦ない天城さんの声で、また店長の心が折れかかっていた。

     ◆

「お前の無軌道さに呆れるよ」
 睦月と月読が眠ってから、マグマグの倉庫で天城と店長が向かい合っていた。
「ただの子どもを、あまり巻き込むなよ」
「最初に巻き込まれたのは、睦月の自業自得さ。私は脱出の手助けをしているだけ」
 首を振った店長が、顎をしゃくった。
「あいつらをこのままどこかで静かに過ごさせられないものかね」
「魔法管理機構が私の願いをはねつける以上、どこかでそれを逆転する必要がある」
「お前が本気で手を貸せばいいだろう」
 その一言に、天城はわずかに視線を下に落とした。珍しく、言葉をすぐに返さない。
 店長が胸の前で腕を組んだ。
「あいつらの自力で、どうにかさせたいんだな。わかったよ、余計なことを言ったな」
「苦労は買ってでもしろ、とはいうけど……」
 天城がサングラスの奥で目を細めたのに、店長は気付いたか、どうか。
「睦月が背負っている苦労は、実際、それほど楽じゃない。月読の存在は、実はものすごく大きい」
「わかっているよ、俺はな」
「あの科学と魔法の合いの子である聖剣は、世界中の全てが注目している。そして魔法管理機構は、それを許容する道を選ばず、封印することを決めた。でも、それに睦月は真っ向から反対している。反対しても、どうにもならないに」
 ため息を吐いた天城が、自分の額に片手を触れさせた。
「私に出来るのは、睦月にその自分の意志、いや、意地を貫ける力を与えることだけ」
「月読のことは、考えないのか?」
 その一言に、天城は息を漏らすように笑った。
「睦月次第、だな。二人は私から見ていても、いい組み合わせだよ。その点は、心配はない」
「自信があるのか?」
「これでも二ヶ月ほど、みっちりと指導した。よく知っているんだ」
 二人はしばらく黙り、ふとしたタイミングで視線を交わした。
「こうして話していると、昔を思い出す」
 店長がそういうと、そうだね、と天城も頷いた。
「十年は前か。あの時も三人で、よく話し込んだ」
 二人はこの場にいない三人目の姿をそれぞれに頭の中に浮かべていた。
 沈黙は少しも重苦しいものではなかった。いつの間にか、懐古の匂い、穏やかで、静かな、思い出に特有の、全てが暖かい気配が、倉庫の空気に広がっている。
「次の世代だな」
 店長がそう言って、組んでいた腕をほどいて、片手で髪の毛をかき回した。
「いつの間にか俺も歳をとった」
「私もだよ」
 天城が店長の背中を強く叩いた。
 二人は倉庫から出て、事務室に戻った。睦月は床に座って、壁に背中を預けて丸まって眠っていた。月読は椅子に座って、背もたれに身を預けている。かすかに口が開いていた。
 そっと天城がカーテンを開けた。魔法的処理が施された特殊なカーテンにできた隙間から、朝日が漏れてくる。
「朝だな」
 二人の大人が、目を細めた。

     ◆

 彼は朝日を浴びながら、集まってきた情報に目を通した。
 小型の魔法式通信機に手を当てると、意識の中に情報が展開するのだ。実際に文字で見るよりも早く、実際に映像で見るより鮮明に、全てを理解できる。
 昨夜の謎の魔法の気配の正体は、まだわかっていない。そもそも、彼以外に感知できたものはほとんどいなかった。
 ただ、世界中の魔法管理機構の諜報員の目に、油断はなかった。
 ヨーロッパの田舎にある屋敷で強大な魔法の痕跡があったのが、重要な情報に見えた。ただ、松代シティから離れすぎている。もちろん、そういう欺瞞で、彼の視線を逸らす意図かもしれない。
 詳細な情報が上がってくるまで、彼には出来ることはない。
 彼に対する任務も変更はなかった。
 すでに松代シティでの活動を始めており、複数の捜査官が動いている。
 これまでに何度もこなしてきた任務と違うところはない。
 聖剣の位置を探り出し、聖剣に接したものを追及する。聖剣に関するすべての情報を押さえ、隠滅するものは隠滅し、回収するものは回収する。
 最も重要なのは、聖剣を封印することだった。
 大抵、聖剣は所有者を支配し、抵抗してくる。それも、その聖剣を生み出した魔法使いの全力を行使して。
 はるか昔、魔法を極めた存在が、向かってくる。
 彼の心にかすかな高揚が、その時、生まれる。
 だが最終的には封印することになる。封印してしまうと、後には何も残らず、冷静な気持ちが再び彼を包み込んだ。
 今回の任務の対象、聖剣は特殊なものだと事前に情報がある。捜査員からの情報も程なく、届くはずだ。
 彼は相手のことを全て知った上で、向かい合う。
 それが定石、最も確実で、正道だ。彼はそう思っている。
 だから、今も、朝日の中の街を見ながら、至極、冷静に今後の展開を予想していた。
 彼の中には高揚感はまだない。
 ただ、その予感はある。
 手強い相手の気配が、どこかから立ち上っているのだ。

     ◆

 月読は跳ね起きた自分に驚いた。
 周囲を見る。マグマグの事務室だ。天城と店長はいない。睦月はしゃがみこむようにして眠っていた。
 今のは何だったのか、彼女は窓の方を見た。完全な遮光カーテンで、部屋は薄暗かったけれど、彼女の体内時計は松代シティが朝の五時だと告げていた。
 何かを感じた。
 でも、何を?
 しばらく考えたし、周囲を探ってもみたけど、何もわからなかった。
 二人の大人がいないのも不安だった。
 しかし、と彼女は睦月を見た。
 彼がいれば安心できる。
 月読はもう一度、窓の向こうを伺って、姿勢を変えると、再び椅子の上で丸くなった。
 程なく、穏やかな寝息を再び漏らして、彼女は眠りに落ちた。
 夢の中で、姉が微笑んでいる像が浮かんだ。
 月読も笑っていた。
 暖かい、その幸せな情景をどこかから俯瞰している自分に気づきつつ、彼女は思った。
 この幸せが、続きますように。
 そんな思いも、夢の中を漂い、やがてどこかへ流れていった。
 事務室では、二つの細やかな寝息が混ざっていた。












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