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第16章
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十六
彼は魔法管理機構の用意したマンションの一室でそれを感じ取った。
強大な魔法が行使された気配が遥か遠くでした。気配というより、わずかな残滓とも言える。
それでも彼にはその重大さがわかった。
椅子から立ち上がり、窓に歩み寄るとカーテンを開いた。
夜の松代シティは煌々と明かりが灯っている。この街が本当に寝静まる時は、極めて短いと彼はすでに知っていた。
彼はまさに、その短い時間に仕事をする必要があった。それが守護者の常である。
窓の外を見るが、すでに魔法の気配は消えた。少しも残らず。
それが逆に不自然でもある。魔法それ自体と同様の、強力な隠蔽の気配がした。
椅子に戻り、静かに目を閉じた。
彼の基礎魔力が広がっていく。極めて薄く、しかし周囲を舐めるように広がったそれを、いったいどれほどの人が感知できるか。
彼はしばらくそのまま動かなかった。
◆
僕は横っ跳びに炎の濁流を回避した。
真澄は本気だった。容赦のない攻撃には、情けは微塵もない。
今、真澄は全身を真っ赤な金属の鎧で覆い、そして周囲に業火を引き連れている。
運動能力も底上げされていて、僕の運動強化魔法でもギリギリだ。知覚強化魔法と、わずかに相手の先を読む月読の意志がなければ、回避は難しい。
真澄の両足が地面に真っ黒い痕跡を残しつつ、その体を霞ませる。
槍による刺突、いや、ほとんど体当たりだ。
月読との意思疎通が最高に高められる。
僕の持つ剣の切っ先が、真澄の槍の穂先に当てられる。
激しい火花と甲高い音、何よりも物凄い反動を受けて、吹っ飛ばされているのか体を逃したのかわからないほど、激しく僕は横に宙を舞う。
両足から中庭を形成する建物の壁に着地。そこから地面に降りるまでに、複雑な軌跡で真澄の炎が僕を包みこもうとする。着地を断念、壁を走って回避。
心の中に複数の魔法が浮かび上がり、それを瞬時に判断、発動する。
現象化魔法が僕の体から流れる微弱な魔力を、物理力に変化させる。
壁を蹴りつけ、何もない空中で、僕は四肢をわずかに振ることで、姿勢を変える。
炎が僕のすぐそばを駆け抜けていく。
視界に無数のイメージ、どこに炎が向かってくるか、先読みできた。
月読が僕に伝えてくるこれは、彼女の基本に組み込まれた魔法の一つ。
知覚強化魔法の発展系で、対象の運動の次の段階を予測することができる。予知ではなく、純粋な計算、超高速運動解析魔法、と名付けられていた。
炎の間をすり抜け、地面に降りる。
もちろん、真澄が何もしていないわけがない。
再びの突撃は、僕の足が地面に着く前。
空中を蹴って、僕の体が頭を中心に回転、脚を上へ。
体を貫くはずの槍の穂先は空中を貫くのみ。
炎が吹き上がり、檻を形成。畳み込む真澄の意図。
宙を泳ぐように僕がすり抜けるのは、読まれている。振られた槍の先に、超高温の気配。
現象変質魔法を発動、魔力が実際の壁となり、僕の代わりに収束された熱の放射を受け止める。ただし、僅かに弱める程度しか役に立たない!
熱線が一瞬で壁を貫通する。
その壁を目くらましに、姿勢を空中で変化させ、熱線を避けることができた。
今度こそ着地する。
「まるで別人だね」
真澄が構えを解く。
「しばらく、他にやることもなくてね」
「今からでも、遅くはないよ」
真澄が兜の面頬を持ち上げる。切実な感情がうかがえる瞳の色。
彼女は、僕のために今、僕と戦っている。
僕が月読を手放せば、それでこの戦いは終わるわけだ。
でも、その選択肢は少しも選べない。
「真澄が僕たちが見逃すのも、今からでも遅くはない」
その一言は、逆鱗に触れそうだけど、そこまでではなかったようで、彼女はただ顔をしかめただけだ。
「私はもう選択している。それは分かってるよね、実際にこうして魔法をぶつけているわけで」
「僕も一応、選択しているつもりだけど」
これはちょっと、売り言葉に買い言葉だな。
「私が本気でやっていると思っている? 私の等級は三等級。あなたは今は違うようだけど、ついこの間まで八等級。こちらは民間行使者事務所の現役所員で、あなたはただの通信科に通うアルバイター」
「反論する隙がないな。確かに僕は八等級で、アルバイターだね」
僕は肩をすくめる。
「それでも、全くの無能力者ではないらしい」
「はぁ?」真澄が目を見開く。「どうしてそうなるわけ?」
僕はちょっと得意になった。僕にも誇れるものがあるのだ。
「月読が選ぶ程度には、僕には見込みがあるらしい」
今度こそ、真澄の逆鱗に触れたのがわかった。
幼馴染だし、彼女の気持ちはよくわかる。
「その欠陥製品に見初められて、舞い上がっている、って判断するよ」
「欠陥製品かは、自分で確かめるといい」
どうやら、僕もいつの間にか頭に来ている。
きっと真澄がこんな理不尽なことをしているのが、受け入れられないんだろう。僕の中では、月読を守ることは、正しいことだ。それを真澄が否定するのを、僕は理解できないでいる。
あまり交渉っていうのは得意じゃないし、実際に、今の空気を感じてみれば、下手すぎるかもしれない。
今、この場は、喧嘩別れになりそうだ。
「仕方ないね」
真澄が面頰を勢いよく下ろした。
「本気で行くから、耐えられるなら、耐えなさい」
真澄の周りの炎が激しく揺らめく。次の瞬間には波濤となって、中庭を席巻していた。
草木が刹那で燃え上がり、灼熱地獄が顕現していた。
その真ん中で、僕は月読の魔法相殺魔法を全力で行使して、火炎魔法を自分の周囲だけ無効化していた。
そこへ真澄が突っ込んでくる。運動強化魔法に加えて、炎を噴射しての大加速。
短い間合いは瞬きをする間もなく、消え去った。
槍が触れた瞬間、魔法相殺魔法が許容量を超え、揺らぐ。
その中で、僕の思考は今までで一番の知覚強化魔法を行使して、緩慢に事態を捉えていた。
超高速運動解析魔法はすでに手遅れ、即座に中止し、魔力の流れを他へ振り分ける。
運動強化魔法を行使しても、相手の一撃を受け流すのは不可能。衝撃で対処不能な事態になるのは目に見えている。
魔法相殺魔法で真澄の本体を妨害しようにも、残された時間が少ない。
今、真澄の魔法を不完全に止めても、突進の勢いに押し切られる。
つまり、今のままでは、僕は自分が倒れるのを眺めるしかない。
でも、奥の手もないわけじゃない。
月読が僕の思考を一瞬の何分の一かで理解、逆に考えを伝えてくる。
どうやら、これしかない。
僕の基礎魔力が月読に流れ込み、月読がそれを内包魔力へ通じさせる。
その間にも真澄は前進している。肝が冷える、落ち着くように自分に言い聞かせたつもりが、
(大丈夫)
と、月読の意思が心に届く。どうやら月読にも僕の気持ちが通じていたようだった。
内包魔力が引用されているが、必要量に届かない。
ダメか、わずかに真澄の方が速い!
ふっと真澄の切っ先が横に逸れたのは、僕がほとんど諦めて、覚悟した瞬間だった。
その短い短い、本当に短い間隙が、とりあえず、僕を救った。
周囲から魔力が月読に集中した。
中庭の炎が全て、搔き消える。
まるで最初からそうだったかのように、全て、一切合切、全部の火が消えたのだ。
残ったのは唖然とした真澄と、彼女の槍を受け流した僕、そして無残な草木の燃えかすだけだった。
真澄がよろめいて、僕の横をすり抜ける。
さすがに冷や汗をかきながら、僕は彼女に向き直った。
「何が……」
理解できない真澄が周囲を見ている。彼女の体から、再び炎が沸き起こるが、先ほどほどの勢いはない。消耗しているのは間違いない。
「何を、したの?」
教える必要もなかったけど、思わず答えていた。
「真澄の魔力を瞬間的に封印した」
「封印……」
真澄が面頬の向こうで歯ぎしりした。その面頬も鎧や兜も、少しずつ崩壊していく。存在の基礎となる魔力が極端に弱くなり、形を維持できないのだ。
「天城さんは、その手の専門家だったね、失念していた」
ついに鎧が全て崩壊し、制服姿の真澄が槍を構えているだけになる。
「訓練を受けたわけだ、封印魔法の」
今度はすぐには答えられなかった。
実は、少しも教わっていない。ただ、ずっとそばで見ていた。
実際の戦闘ではなく、天城さんと生活していた場所を。
主に月読が、だけど。
「自然と覚えた、かな」
黙っているのも申し訳なくて、そう答えてしまった。やっぱり真澄に通じなかった。
「詳しくは後で聞く。面倒だけど、仕方ない」
どうやら、撤退を決めてくれたらしい。
「今から、残りの力、全部で行く」
……なんで、そうなるかな。
「諦めてくれると嬉しいんだけど……」
「私は最後まで諦めない」
「ちなみに最後とは?」
「私が倒れるまで」
すごい決意というか、すごい自信というか。
(注意して。来ます)
意識の内側で、月読の警告。
言われる寸前に、僕も気づいていた。
真澄の体に残っていた基礎魔力のほとんど全部が、放出された。周囲の内包魔力を引用していくが、今までとはまるで違う。
内包魔力が、さらに内包魔力を引き寄せ、つまり、雪崩のように魔力が真澄に集中した。
感じたことのないような、力の渦が真澄を中心に起こっていた。
現象化魔法が発動したわけではなく、純粋な魔力が炎に変わった。
途端、僕は視界が歪むような錯覚を感じた。
(反世界魔法です)
冷静な月読の声。
真っ青な炎が真澄の周囲で吹き荒れる。
彼女の最強の攻撃がこれから繰り出される。
「これはちょっと」さすがに僕は声をこぼしていた。「死んじゃうんじゃないの?」
「大丈夫」
制服の裾や袖が焦げるのを無視して、真澄が微笑む。
「片腕を消し飛ばす程度に加減する」
「……それ、加減してないと思うけど」
「ごちゃごちゃうるさい」
うるさくもなるだろうさ。
真澄の頭上で青い炎の渦が収束する。まるで蛇、いや、龍のようだ。
(やります)
「こんな場面で実践するとは思わなかったよ」
そう応じつつ、心の中では即座に同意。
月読に組み込まれている意識同調魔法が発動する。
今まで以上にお互いの感覚がわかる。僕は月読を持たないと意識できない周囲の魔力の細部を、より細やかに認識できた。
自分の基礎魔力も、周囲の内包魔力も。
月読が何を感じているのかも、わかった。
二人の意思が、完璧に同じことを思考し、実行する。
もちろん、呼吸が合うどころではなく、全くの同時なのだ。
二人分の魔力制御が稼働し始める。
封印魔法を練り上げていくが、そこにはさっきとは違い、送り込めるだけの魔力を流し込んでいた。
自分の魔力が膨れ上がり、それが圧縮された。
超高密度の魔力が正世界と反世界の境界の壁を突き破った。
自分の存在がひっくり返ったような違和感。天地が逆転し、空気ではないものが僕を取り巻いている。
二つの世界が鏡合わせに見える。
裏側の僕の前に、真澄の生み出した炎の流れが見えた。
それを僕は魔力で包み込む。
一瞬の逡巡をした僕の思考を、即座に月読の思考が後を追う。
決断。即座に、発動。
反世界の一点で、僕と月読が練り上げた魔力が、炸裂し、一瞬で収縮を始める。
その収縮の流れに、真澄の炎が飲み込まれていく。
僕が正世界に戻った時、真澄は愕然と頭上を見ていた。
そこには炎の龍は存在しない。
「ごめんね、真澄」
僕は物凄い疲労感を感じながら、謝った。
「どうやら、諦めてもらうしかなさそうだ」
僕は真澄の横を抜けて、戦いの最中に割れていた窓を飛び越えて、建物の中に入った。
「ありがとう、月読」
廊下を走りながら、僕は月読に言った。
「真澄の魔力の封印を、時限式にしてくれて」
月読がどこか安心した気配を発したけど、言葉はなかった。
僕と月読には真澄の魔力を長い時間、封じておくこともできた。今頃、反世界から引用した封印魔法は、わずかの水も漏らさぬほど、厳密に真澄を封じているはずだ。
ただ、少し待てば、自然と回復する。
真澄にはきっと不服な事態だけど、手加減をしたのは僕たちだった。きっと、受け入れ難いだろうけど。
廊下を進んでいるうちに、ドアが開いて天城さんが飛び出してきた。
「こっちへ来い」
手招きされて、部屋に入ると、そこは例の海に囲まれた中庭だった。
「世界を繋ぎ合わせるのが面倒だ、良い経験になった」
そんなことを言いつつ、天城さんは入ってきたドアではなく、別の、庭にあるドアへ向かう。
「それにしても、お前たちも、相当、デタラメだな」
ドアの鍵を開けながら、天城さんが言う。僕は即座に応じた。
「良い教師に教わったということですね」
「そんなことは言わなくて良い。理解している」
すごい発言だな。自信満々というか、なんというか。
でも今は追及することはそこじゃなく、別にある。
「どこへ行くんです? このままどこかに隠れますか?」
いや、と天城さんが顔を歪める。
「さっき、ドアを一つ犠牲にした時、勘の良い奴にはここの存在がバレているかもしれない。つまり、絶対に安全とは言い難い」
さすがに僕も不安になった。
「じゃあ、どこか安全なところへ行くんですね?」
「ここがどこよりも安全だったし、厳重だったはずだ。まったく、放棄しなくてはならないとは、悔しいというか、なんというか」
言っている天城さんの手元で錠が開いた。ドアノブをつかみ、こちらを振り返る天城さんはどこか不敵だ。
「とりあえずは、地元に戻ることになる」
開けられたドアの向こうは、夜の闇に包まれたどこかの街だ。いや、僕はよく知っている。
「なるほど」
「そういうことだ」
僕たちがドアをくぐり抜けると、ドアはどうやら、コンビニの裏口だった。今も監視装置は欺瞞されているのだろう。
僕たちは松代シティに戻っていた。無意識に時計を探しそうになったけど、それは今じゃなくてもいいか。
「それで、地元に当てがあるんですね」
「もちろんだ」天城さんがゆっくりと歩き出す。「いい場所を知っている」
どこのことを言っているのか、なんとなくわかったぞ。
「嫌な顔をされる気がしますけど」
「全ての元凶はあいつだ、責任を自覚してもらう前に、責任を取ってもらう」
……それは順番が逆ではないかな。
天城さんがモバイルを取り出し、電話をかけた。相手はすぐに出たようだ。
「私だ。ちょっとした依頼がある」
彼は魔法管理機構の用意したマンションの一室でそれを感じ取った。
強大な魔法が行使された気配が遥か遠くでした。気配というより、わずかな残滓とも言える。
それでも彼にはその重大さがわかった。
椅子から立ち上がり、窓に歩み寄るとカーテンを開いた。
夜の松代シティは煌々と明かりが灯っている。この街が本当に寝静まる時は、極めて短いと彼はすでに知っていた。
彼はまさに、その短い時間に仕事をする必要があった。それが守護者の常である。
窓の外を見るが、すでに魔法の気配は消えた。少しも残らず。
それが逆に不自然でもある。魔法それ自体と同様の、強力な隠蔽の気配がした。
椅子に戻り、静かに目を閉じた。
彼の基礎魔力が広がっていく。極めて薄く、しかし周囲を舐めるように広がったそれを、いったいどれほどの人が感知できるか。
彼はしばらくそのまま動かなかった。
◆
僕は横っ跳びに炎の濁流を回避した。
真澄は本気だった。容赦のない攻撃には、情けは微塵もない。
今、真澄は全身を真っ赤な金属の鎧で覆い、そして周囲に業火を引き連れている。
運動能力も底上げされていて、僕の運動強化魔法でもギリギリだ。知覚強化魔法と、わずかに相手の先を読む月読の意志がなければ、回避は難しい。
真澄の両足が地面に真っ黒い痕跡を残しつつ、その体を霞ませる。
槍による刺突、いや、ほとんど体当たりだ。
月読との意思疎通が最高に高められる。
僕の持つ剣の切っ先が、真澄の槍の穂先に当てられる。
激しい火花と甲高い音、何よりも物凄い反動を受けて、吹っ飛ばされているのか体を逃したのかわからないほど、激しく僕は横に宙を舞う。
両足から中庭を形成する建物の壁に着地。そこから地面に降りるまでに、複雑な軌跡で真澄の炎が僕を包みこもうとする。着地を断念、壁を走って回避。
心の中に複数の魔法が浮かび上がり、それを瞬時に判断、発動する。
現象化魔法が僕の体から流れる微弱な魔力を、物理力に変化させる。
壁を蹴りつけ、何もない空中で、僕は四肢をわずかに振ることで、姿勢を変える。
炎が僕のすぐそばを駆け抜けていく。
視界に無数のイメージ、どこに炎が向かってくるか、先読みできた。
月読が僕に伝えてくるこれは、彼女の基本に組み込まれた魔法の一つ。
知覚強化魔法の発展系で、対象の運動の次の段階を予測することができる。予知ではなく、純粋な計算、超高速運動解析魔法、と名付けられていた。
炎の間をすり抜け、地面に降りる。
もちろん、真澄が何もしていないわけがない。
再びの突撃は、僕の足が地面に着く前。
空中を蹴って、僕の体が頭を中心に回転、脚を上へ。
体を貫くはずの槍の穂先は空中を貫くのみ。
炎が吹き上がり、檻を形成。畳み込む真澄の意図。
宙を泳ぐように僕がすり抜けるのは、読まれている。振られた槍の先に、超高温の気配。
現象変質魔法を発動、魔力が実際の壁となり、僕の代わりに収束された熱の放射を受け止める。ただし、僅かに弱める程度しか役に立たない!
熱線が一瞬で壁を貫通する。
その壁を目くらましに、姿勢を空中で変化させ、熱線を避けることができた。
今度こそ着地する。
「まるで別人だね」
真澄が構えを解く。
「しばらく、他にやることもなくてね」
「今からでも、遅くはないよ」
真澄が兜の面頬を持ち上げる。切実な感情がうかがえる瞳の色。
彼女は、僕のために今、僕と戦っている。
僕が月読を手放せば、それでこの戦いは終わるわけだ。
でも、その選択肢は少しも選べない。
「真澄が僕たちが見逃すのも、今からでも遅くはない」
その一言は、逆鱗に触れそうだけど、そこまでではなかったようで、彼女はただ顔をしかめただけだ。
「私はもう選択している。それは分かってるよね、実際にこうして魔法をぶつけているわけで」
「僕も一応、選択しているつもりだけど」
これはちょっと、売り言葉に買い言葉だな。
「私が本気でやっていると思っている? 私の等級は三等級。あなたは今は違うようだけど、ついこの間まで八等級。こちらは民間行使者事務所の現役所員で、あなたはただの通信科に通うアルバイター」
「反論する隙がないな。確かに僕は八等級で、アルバイターだね」
僕は肩をすくめる。
「それでも、全くの無能力者ではないらしい」
「はぁ?」真澄が目を見開く。「どうしてそうなるわけ?」
僕はちょっと得意になった。僕にも誇れるものがあるのだ。
「月読が選ぶ程度には、僕には見込みがあるらしい」
今度こそ、真澄の逆鱗に触れたのがわかった。
幼馴染だし、彼女の気持ちはよくわかる。
「その欠陥製品に見初められて、舞い上がっている、って判断するよ」
「欠陥製品かは、自分で確かめるといい」
どうやら、僕もいつの間にか頭に来ている。
きっと真澄がこんな理不尽なことをしているのが、受け入れられないんだろう。僕の中では、月読を守ることは、正しいことだ。それを真澄が否定するのを、僕は理解できないでいる。
あまり交渉っていうのは得意じゃないし、実際に、今の空気を感じてみれば、下手すぎるかもしれない。
今、この場は、喧嘩別れになりそうだ。
「仕方ないね」
真澄が面頰を勢いよく下ろした。
「本気で行くから、耐えられるなら、耐えなさい」
真澄の周りの炎が激しく揺らめく。次の瞬間には波濤となって、中庭を席巻していた。
草木が刹那で燃え上がり、灼熱地獄が顕現していた。
その真ん中で、僕は月読の魔法相殺魔法を全力で行使して、火炎魔法を自分の周囲だけ無効化していた。
そこへ真澄が突っ込んでくる。運動強化魔法に加えて、炎を噴射しての大加速。
短い間合いは瞬きをする間もなく、消え去った。
槍が触れた瞬間、魔法相殺魔法が許容量を超え、揺らぐ。
その中で、僕の思考は今までで一番の知覚強化魔法を行使して、緩慢に事態を捉えていた。
超高速運動解析魔法はすでに手遅れ、即座に中止し、魔力の流れを他へ振り分ける。
運動強化魔法を行使しても、相手の一撃を受け流すのは不可能。衝撃で対処不能な事態になるのは目に見えている。
魔法相殺魔法で真澄の本体を妨害しようにも、残された時間が少ない。
今、真澄の魔法を不完全に止めても、突進の勢いに押し切られる。
つまり、今のままでは、僕は自分が倒れるのを眺めるしかない。
でも、奥の手もないわけじゃない。
月読が僕の思考を一瞬の何分の一かで理解、逆に考えを伝えてくる。
どうやら、これしかない。
僕の基礎魔力が月読に流れ込み、月読がそれを内包魔力へ通じさせる。
その間にも真澄は前進している。肝が冷える、落ち着くように自分に言い聞かせたつもりが、
(大丈夫)
と、月読の意思が心に届く。どうやら月読にも僕の気持ちが通じていたようだった。
内包魔力が引用されているが、必要量に届かない。
ダメか、わずかに真澄の方が速い!
ふっと真澄の切っ先が横に逸れたのは、僕がほとんど諦めて、覚悟した瞬間だった。
その短い短い、本当に短い間隙が、とりあえず、僕を救った。
周囲から魔力が月読に集中した。
中庭の炎が全て、搔き消える。
まるで最初からそうだったかのように、全て、一切合切、全部の火が消えたのだ。
残ったのは唖然とした真澄と、彼女の槍を受け流した僕、そして無残な草木の燃えかすだけだった。
真澄がよろめいて、僕の横をすり抜ける。
さすがに冷や汗をかきながら、僕は彼女に向き直った。
「何が……」
理解できない真澄が周囲を見ている。彼女の体から、再び炎が沸き起こるが、先ほどほどの勢いはない。消耗しているのは間違いない。
「何を、したの?」
教える必要もなかったけど、思わず答えていた。
「真澄の魔力を瞬間的に封印した」
「封印……」
真澄が面頬の向こうで歯ぎしりした。その面頬も鎧や兜も、少しずつ崩壊していく。存在の基礎となる魔力が極端に弱くなり、形を維持できないのだ。
「天城さんは、その手の専門家だったね、失念していた」
ついに鎧が全て崩壊し、制服姿の真澄が槍を構えているだけになる。
「訓練を受けたわけだ、封印魔法の」
今度はすぐには答えられなかった。
実は、少しも教わっていない。ただ、ずっとそばで見ていた。
実際の戦闘ではなく、天城さんと生活していた場所を。
主に月読が、だけど。
「自然と覚えた、かな」
黙っているのも申し訳なくて、そう答えてしまった。やっぱり真澄に通じなかった。
「詳しくは後で聞く。面倒だけど、仕方ない」
どうやら、撤退を決めてくれたらしい。
「今から、残りの力、全部で行く」
……なんで、そうなるかな。
「諦めてくれると嬉しいんだけど……」
「私は最後まで諦めない」
「ちなみに最後とは?」
「私が倒れるまで」
すごい決意というか、すごい自信というか。
(注意して。来ます)
意識の内側で、月読の警告。
言われる寸前に、僕も気づいていた。
真澄の体に残っていた基礎魔力のほとんど全部が、放出された。周囲の内包魔力を引用していくが、今までとはまるで違う。
内包魔力が、さらに内包魔力を引き寄せ、つまり、雪崩のように魔力が真澄に集中した。
感じたことのないような、力の渦が真澄を中心に起こっていた。
現象化魔法が発動したわけではなく、純粋な魔力が炎に変わった。
途端、僕は視界が歪むような錯覚を感じた。
(反世界魔法です)
冷静な月読の声。
真っ青な炎が真澄の周囲で吹き荒れる。
彼女の最強の攻撃がこれから繰り出される。
「これはちょっと」さすがに僕は声をこぼしていた。「死んじゃうんじゃないの?」
「大丈夫」
制服の裾や袖が焦げるのを無視して、真澄が微笑む。
「片腕を消し飛ばす程度に加減する」
「……それ、加減してないと思うけど」
「ごちゃごちゃうるさい」
うるさくもなるだろうさ。
真澄の頭上で青い炎の渦が収束する。まるで蛇、いや、龍のようだ。
(やります)
「こんな場面で実践するとは思わなかったよ」
そう応じつつ、心の中では即座に同意。
月読に組み込まれている意識同調魔法が発動する。
今まで以上にお互いの感覚がわかる。僕は月読を持たないと意識できない周囲の魔力の細部を、より細やかに認識できた。
自分の基礎魔力も、周囲の内包魔力も。
月読が何を感じているのかも、わかった。
二人の意思が、完璧に同じことを思考し、実行する。
もちろん、呼吸が合うどころではなく、全くの同時なのだ。
二人分の魔力制御が稼働し始める。
封印魔法を練り上げていくが、そこにはさっきとは違い、送り込めるだけの魔力を流し込んでいた。
自分の魔力が膨れ上がり、それが圧縮された。
超高密度の魔力が正世界と反世界の境界の壁を突き破った。
自分の存在がひっくり返ったような違和感。天地が逆転し、空気ではないものが僕を取り巻いている。
二つの世界が鏡合わせに見える。
裏側の僕の前に、真澄の生み出した炎の流れが見えた。
それを僕は魔力で包み込む。
一瞬の逡巡をした僕の思考を、即座に月読の思考が後を追う。
決断。即座に、発動。
反世界の一点で、僕と月読が練り上げた魔力が、炸裂し、一瞬で収縮を始める。
その収縮の流れに、真澄の炎が飲み込まれていく。
僕が正世界に戻った時、真澄は愕然と頭上を見ていた。
そこには炎の龍は存在しない。
「ごめんね、真澄」
僕は物凄い疲労感を感じながら、謝った。
「どうやら、諦めてもらうしかなさそうだ」
僕は真澄の横を抜けて、戦いの最中に割れていた窓を飛び越えて、建物の中に入った。
「ありがとう、月読」
廊下を走りながら、僕は月読に言った。
「真澄の魔力の封印を、時限式にしてくれて」
月読がどこか安心した気配を発したけど、言葉はなかった。
僕と月読には真澄の魔力を長い時間、封じておくこともできた。今頃、反世界から引用した封印魔法は、わずかの水も漏らさぬほど、厳密に真澄を封じているはずだ。
ただ、少し待てば、自然と回復する。
真澄にはきっと不服な事態だけど、手加減をしたのは僕たちだった。きっと、受け入れ難いだろうけど。
廊下を進んでいるうちに、ドアが開いて天城さんが飛び出してきた。
「こっちへ来い」
手招きされて、部屋に入ると、そこは例の海に囲まれた中庭だった。
「世界を繋ぎ合わせるのが面倒だ、良い経験になった」
そんなことを言いつつ、天城さんは入ってきたドアではなく、別の、庭にあるドアへ向かう。
「それにしても、お前たちも、相当、デタラメだな」
ドアの鍵を開けながら、天城さんが言う。僕は即座に応じた。
「良い教師に教わったということですね」
「そんなことは言わなくて良い。理解している」
すごい発言だな。自信満々というか、なんというか。
でも今は追及することはそこじゃなく、別にある。
「どこへ行くんです? このままどこかに隠れますか?」
いや、と天城さんが顔を歪める。
「さっき、ドアを一つ犠牲にした時、勘の良い奴にはここの存在がバレているかもしれない。つまり、絶対に安全とは言い難い」
さすがに僕も不安になった。
「じゃあ、どこか安全なところへ行くんですね?」
「ここがどこよりも安全だったし、厳重だったはずだ。まったく、放棄しなくてはならないとは、悔しいというか、なんというか」
言っている天城さんの手元で錠が開いた。ドアノブをつかみ、こちらを振り返る天城さんはどこか不敵だ。
「とりあえずは、地元に戻ることになる」
開けられたドアの向こうは、夜の闇に包まれたどこかの街だ。いや、僕はよく知っている。
「なるほど」
「そういうことだ」
僕たちがドアをくぐり抜けると、ドアはどうやら、コンビニの裏口だった。今も監視装置は欺瞞されているのだろう。
僕たちは松代シティに戻っていた。無意識に時計を探しそうになったけど、それは今じゃなくてもいいか。
「それで、地元に当てがあるんですね」
「もちろんだ」天城さんがゆっくりと歩き出す。「いい場所を知っている」
どこのことを言っているのか、なんとなくわかったぞ。
「嫌な顔をされる気がしますけど」
「全ての元凶はあいつだ、責任を自覚してもらう前に、責任を取ってもらう」
……それは順番が逆ではないかな。
天城さんがモバイルを取り出し、電話をかけた。相手はすぐに出たようだ。
「私だ。ちょっとした依頼がある」
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サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
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クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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注)作者が楽しむ為に書いています。
誤字脱字が多いです。誤字脱字は、見つけ次第直していきますが、更新はまとめて行います。
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