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第11章
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十一
ベッドに倒れこんだのは稽古の後で、十五時くらいだっただろう。
本当はベッドに寝るつもりはなかった。でも、二時間に及ぶ稽古があまりにもハードで、横にならずにはいられなかった。
そして、横になった瞬間、意識を失った。
気づいた時にはヨダレを垂らしていて、時計を見ると、二十二時だった。
完全に夕食の手伝いをすっぽかしている。つまり夕飯も食べていない。
そう意識した途端、強い空腹感を感じて、耐えられないな、と即座に決断した。
部屋を出て、食堂へ向かう。食堂には明かりこそ点いているものの、人はいなかった。よし、これでこっそりと何かを食べられるぞ。
食堂の隣の調理室へ向かった。
明かりをつけて、冷蔵庫へ向かう。なんとなく、そっと開けると、そこにあるものに思わず目を丸くしてしまった。
サンドイッチがあり、そこに「睦月さんへ」と書いたメモが貼ってあるのだ。
字体は月読でも天城さんでもない。アンドロイドが書いたんだろう。
ありがたくて涙が出そうだ。いや、少し泣いた。
サンドイッチを取り出し、調理室にある椅子に座って食べ始めた。
頭の中にあるのは、もう、稽古の時のことだけだった。
天城さんはあまり僕たちに自分の魔法について話さないけど、やはり尋常なレベルではない。
真澄が何度か魔法の練習をして、炎を操っているのを見た。あれでも高いレベルの技術、練度を感じたものだ。
でもそれよりも天城さんの技は、段違いと言える。
例の魔器は銃弾を入れることで、その銃弾に封印された魔法を一定時間、自由に使えるらしい。今日、それがわかった。
一度、炎の魔法が発動した時があった。
炎の帯は天城さんの周りをぐるりと回ったかと思うと、一瞬で四条に裂け、僕を四方向から襲った。
もちろん、僕も平然とはしていられない。
手には剣になった月読がいた。
瞬間で、知覚が加速し、炎の動きが緩慢になり、その火の粉の一つ一つがはっきりと見えた。
炎の帯をどうにか、やり過すけど、四本のうちの一本は僕の背後を狙っている。
月読の意思が僕の頭の中で瞬き、体が自然と動いた。
体を捻りつつ、剣で炎を受け止める。
不可視の障壁が見えた気がした。そしてそれが炎を包み込むように動くのも。
それも月読の能力の一つ、防御のための魔法だとすでに知っていた。
揉みつぶすように、四つのうちの一つの炎が消えた。
でもそこまでだ。
三条の炎は完璧な連携と、使い手の非情さを露わにして、僕を包み込んだ。
「アッツ!」
悲鳴を上げつつ倒れこんだ僕の周囲で、炎が浮かび上がり、天城さんの方へ戻っていく。
「悪くない発想だが、未熟だな」
僕は身体中を払って、服のそこここの小さな火を消した。
「魔法相殺魔法、発想としてはいい」
魔法相殺魔法、というのは天城さんがつけた名前だけど、この魔法を構築したのは僕と月読だった。
きっかけは天城さんが稽古の中で見せた、魔力の流れに魔力の流れを叩きつけて、魔法を破壊する技術だった。
その場面は、天城さんとの格闘戦の中にあった。
何回か手合わせした中で、一区切りになって、それではもう一度、とお互いに構えを取った時、僕が知覚と運動を強化しようとした瞬間、天城さんが魔器をこちらに突き出したのだ。
切っ先が届く間合いではない。
でも僕は何かに貫かれたような気がした。思わず下がりつつ、倒れこむ。身体中に激痛が走り、視界が明滅した。
「これは行使者同士の戦いの初歩だぞ」
そんなことを言って、天城さんが僕をニヤニヤした顔で見下ろしている。
「相手が魔法を使うより先に、こちらから魔力を強引に流し込んで、邪魔をするんだ。大抵はちょっとした欺瞞だが、初心者には思ったよりも効くようだ」
結局、その日はその攻撃を五回ほど、受けた。
稽古が終わって夕飯も終わって、自由時間になった時、月読が僕の部屋を訪ねてきた。
「あの技だけど……」
月読が僕の手をそっと握った。
脳内に無数のイメージが一瞬で浮かび、消えた。それだけで彼女が言いたいことは理解できた。なるほど。
「魔力を流し込んで相殺する技を、複製しつつあるんだね?」
「今夜、作業を続ければ、少し、形にはなると思う」
今まで見たことがないほど、真剣な瞳をしている月読に、僕は微笑み返した。
そんなわけで、その日の翌日、魔法相殺魔法の原型は出来上がった。そしてそれを何度も実践の中で試し、今に至る。
どうにか炎の一つを消す程度の力にはなった。でも、それで戦いが有利に運んでいるわけではないし、ただの芸にしかなっていない。
サンドイッチを食べつつ、考えていた。
やっぱり月読の魔法応用魔法か、魔法融合魔法を使いこなせないと、ダメかもしれない。
そもそも、今の時点では彼女が持っている三つの特殊な性質の魔法は、僕の意志を必要としない。月読が一人で考え、使っている。
二人で利用すれば、もっと幅が広がりそうだけど。
「あの……」
いきなりの声に思わず椅子から落ちそうになった。
振り向くと、調理室の入り口に月読がいた。
「大丈夫?」
「いや、驚いた。すごく」
月読が調理室に入ってきた。寝間着姿だった。
「起きているんじゃないかと思って」
そう言って彼女は僕の横に立った。最近では、ちゃんと話せるようになっているのが、不思議だった。話していると、普通の女の子と少しも変わらない気になる。
「ちょっと」僕はサンドイッチを飲み込んだ。「稽古のことを考えていた」
「私も……」
それから月読は椅子を持ってきてそこに座ると、
「話しておいた方がいいと思うから」
と前置きをして、ゆっくりと話し始めた。
研究所で自分がやってきたことを、彼女は話した。
全くの空っぽだった自分に科学者たちが様々な魔法を刷り込んでいく。頭の中を探られるような錯覚。自分の存在の根幹に無神経に触れられる悪寒。意識を失い、気を取り戻す度に、全く違うものが感知できる恐怖。
それを何度も何度も乗り越えて、今の月読はいる。
彼女は僕に謝った。
能力を全部使えなくて、ごめんなさい。
そう言って彼女は俯いた。
僕は、「大丈夫だよ」としか言えなかった。その言葉が、月読にどう届いているのか、わからないまま、そう言っていた。
月読はいつの間にか泣いていて、ポツポツと涙の雫が彼女の膝に落ちた。
僕は彼女の肩を軽く撫でて、落ち着かせた。
「もっと、勉強します」
立ち上がった月読が、そう言って、頭を下げた。
「僕も努力するよ。また話そう」
月読が自分の部屋に戻っていった。僕は皿を片付け、椅子を戻して、調理室の電気を消した。
「呑気なもんだ」
調理室を出た途端、すぐ横の壁に天城さんが立っていた。
「……盗み聞きですか?」
「そんなところ」
否定してよ。
「あの娘は理解を望んでいると思うけど、どうするつもりだ?」
訊かれても、どう答えていいのか。
「理解し合いたいですけど、時間が必要だと思います」
「私は可能な限り、お前たちに時間を与えるべきなんだろうけど」
「よろしくお願いします」
ため息を吐いた天城さんが僕の肩を叩く。
「あとはお前次第だ」
翌日の稽古はいつも通りの乱取りの後、突然に天城さんが手を止め、
「少し自分たちの魔法を確認しろ」
と、言った。もちろん、僕の手には月読が握られている。
そこに意識を集中すると、月読の意思が脳裏に浮かび、走り抜ける。
魔法複製魔法は七割ほどの完成度と月読は見ている。
ただし魔法応用魔法の稼働率は五割、魔法応融合魔法の稼働率は三割ほど。
新しく構築しつつある魔法相殺魔法は、比較対象がないが、月読の自己評価では理想的な効率と比べれば五割ほど。
月読はそれを不思議がっているのが、よくわかった。
彼女の頭の中には、研究所で彼女を試験していた魔法使いの姿が浮かんでいる。その魔法使いはもちろん、僕よりも高い等級で、熟練の行使者のようだった。その男性は月読の魔法をおおよそ八割、稼働させ、模擬戦闘の相手の魔法使いを翻弄している。
僕とは全く違う、高い戦闘力が見えた。
「今のが」僕は思わず声に出した。「月読の本当の実力?」
(それは……)
月読が困っているのがよくわかった。
彼女が僕に、もっと自分の力を引き出せる素質を見ていることが、ぼんやりと伝わってくる。
でも実際の僕は、その期待に応えられていない。
(まだ、わからないから)
その一言は、僕には少しショックだった。
まだ、わからない。つまり、今の僕は彼女の満足のいく結果を出していない。
僕は僕なりに努力してきた。必死に稽古をして、体を鍛えた。
そうか。でも、それはただここ数週間だけの話だ。まさかそれだけの時間で、一流の使い手になれる理由なんてない。
月読が僕の思考の気配を察して、
(焦らないで)
とだけ、伝えてきた。
僕は焦っているのか。
自分たちの立場が、不安定なのがその理由かもしれない。いつまで天城さんが僕たちを保護していてくれるのか、わからない。天城さんの庇護がなくなれば、僕たちは自力で戦うしかない。
僕は強く月読の柄を握って、息を吐いた。
「ゆっくりやるしかないか」
天城さんが聞きつけて、「ゆっくりしている暇はないぞ!」と怒鳴った。
その日も天城さんは厳しかったけど、僕たちに自分たちの魔法の確認をさらに深めさせるためか、僕たちに力を出させるような乱取りをした。
一日が終わって、夜になって、 僕が天城さんの書斎を訪ねると、サングラスではなくメガネで本を読んでいた。紙の本だ。
「あの、そろそろ学校の課題を提出する必要があるんですけど」
天城さんの目が吊り上がった。
「学校? 松代総合の通信科のか?」
「ええ、まあ」
「その程度のもの、放っておけ!」
ええ……。
「結構、重要な課題で、進級に関わるんですけど」
「進級など気にするな、進級したら命を守ってもらえるのか?」
これはまさに取り付く島もない。
「魔法通信で送るだけでいいんです」
この天城さんの生活空間は、通常の科学通信は元より、魔法による通信も遮断されている。だから僕もモバイルを持っているけど、ほとんど使うことはない。
「馬鹿か。通信した瞬間、ここが露見する。私がどれだけ努力してここを作ったと思っている? お前一人のために余計なことはしないからな」
やっぱり無理か。
最初から半分は諦めていたけど。
「明日の稽古はより厳しくしてやるからな」
そんな声を追い立てられるように、僕は書斎を出た。
部屋に戻ろうとすると、部屋の前で月読が待っていた。
「気になることがあって」
僕たちは部屋に入って、椅子に座って向かい合った。
「私、もっと、できると思うんだけど……」
月読が呟くように言った。
「今まで、それでうまくいっていて、それなのに、どうしてか、今は……」
「うまくいかない?」
月読が怯えるようにこちらを見た。
「月読自身が、理由だと思っている?」
「あなたなら」
月読が顔を上げて、こちらをまっすぐに見た。
「私を最もうまく、使えるはずなんです」
「最も、うまく? どうして? どういう根拠で?」
また俯いてしまった月読が話し出すのを、僕は待ち構えた。話してくれるという確信があったから。
「あなたを、そう判定したから」
「え? 判定?」知らないうちに、テストを受けていたのだろうか。「誰が? どうやって?」
それは、と掠れているような、弱々しい子で、彼女が答える。
「それは、もう一人の私が」
もう一人の私。
「どういうこと?」
「すぐにわかると思います。もう、あなたに迷惑をかけちゃいけないと、思っているんですけど、それでも、どうしようもなくて」
「待って待って」
僕は椅子を立って、月読の前に立つと膝を折って、視線の高さを合わせた。
「迷惑だなんて思っていないよ。まだ残り時間がなくなったわけじゃない。天城さんだって、きっと根気強く教えてくれる。それなら誰よりも僕たちが辛抱して、訓練を続けるしかない。今はまだ不完全でも、少しずつでも前進するはずだ」
「前進……?」
月読の目尻に雫が浮かぶ。
「きっと、無理です」
「そう思ったら、本当に無理になるよ」
僕は彼女の涙を流れる間に、指で拭ってあげた。
「信じるしかない。僕たちが同じ気持ちでいるのが、何よりも重要なのはわかってきた。お互いに相手を信じるしかない」
もう月読は何も言わず、でも、泣くこともなかった。
ただ身を固くして、顔を俯け、瞼を閉じていた。
「何か飲み物でも飲みに行こう」
そう言うと、彼女は頷いて、立ち上がった。二人で部屋を出て、調理室へ行って、冷蔵庫からジュースを取りだして、飲んだ。でも二人とも、言葉は何も口にせず、ただ、それぞれに喉を鳴らした。
廊下で別れて、僕は自分の部屋のベッドに横になった。
月読の力をどうにかして引き出したかった。そのためにはもっとしっかりと意思を疎通する必要があるのかもしれない。
でも、どうやったらそれができるのかが、僕にはわからない。
天城さんに聞いてみてもいい。
もしかしたら、天城さんは最初から、この状況を想定して訓練の内容やスケジュールを考えているのかもしれない。何せ、魔法に関しては天城さんが一番詳しい。僕が一番、門外漢だ。
要は、僕が努力するしかない。
早く眠りたかったけど、なかなか、寝付けなかった。
ベッドに倒れこんだのは稽古の後で、十五時くらいだっただろう。
本当はベッドに寝るつもりはなかった。でも、二時間に及ぶ稽古があまりにもハードで、横にならずにはいられなかった。
そして、横になった瞬間、意識を失った。
気づいた時にはヨダレを垂らしていて、時計を見ると、二十二時だった。
完全に夕食の手伝いをすっぽかしている。つまり夕飯も食べていない。
そう意識した途端、強い空腹感を感じて、耐えられないな、と即座に決断した。
部屋を出て、食堂へ向かう。食堂には明かりこそ点いているものの、人はいなかった。よし、これでこっそりと何かを食べられるぞ。
食堂の隣の調理室へ向かった。
明かりをつけて、冷蔵庫へ向かう。なんとなく、そっと開けると、そこにあるものに思わず目を丸くしてしまった。
サンドイッチがあり、そこに「睦月さんへ」と書いたメモが貼ってあるのだ。
字体は月読でも天城さんでもない。アンドロイドが書いたんだろう。
ありがたくて涙が出そうだ。いや、少し泣いた。
サンドイッチを取り出し、調理室にある椅子に座って食べ始めた。
頭の中にあるのは、もう、稽古の時のことだけだった。
天城さんはあまり僕たちに自分の魔法について話さないけど、やはり尋常なレベルではない。
真澄が何度か魔法の練習をして、炎を操っているのを見た。あれでも高いレベルの技術、練度を感じたものだ。
でもそれよりも天城さんの技は、段違いと言える。
例の魔器は銃弾を入れることで、その銃弾に封印された魔法を一定時間、自由に使えるらしい。今日、それがわかった。
一度、炎の魔法が発動した時があった。
炎の帯は天城さんの周りをぐるりと回ったかと思うと、一瞬で四条に裂け、僕を四方向から襲った。
もちろん、僕も平然とはしていられない。
手には剣になった月読がいた。
瞬間で、知覚が加速し、炎の動きが緩慢になり、その火の粉の一つ一つがはっきりと見えた。
炎の帯をどうにか、やり過すけど、四本のうちの一本は僕の背後を狙っている。
月読の意思が僕の頭の中で瞬き、体が自然と動いた。
体を捻りつつ、剣で炎を受け止める。
不可視の障壁が見えた気がした。そしてそれが炎を包み込むように動くのも。
それも月読の能力の一つ、防御のための魔法だとすでに知っていた。
揉みつぶすように、四つのうちの一つの炎が消えた。
でもそこまでだ。
三条の炎は完璧な連携と、使い手の非情さを露わにして、僕を包み込んだ。
「アッツ!」
悲鳴を上げつつ倒れこんだ僕の周囲で、炎が浮かび上がり、天城さんの方へ戻っていく。
「悪くない発想だが、未熟だな」
僕は身体中を払って、服のそこここの小さな火を消した。
「魔法相殺魔法、発想としてはいい」
魔法相殺魔法、というのは天城さんがつけた名前だけど、この魔法を構築したのは僕と月読だった。
きっかけは天城さんが稽古の中で見せた、魔力の流れに魔力の流れを叩きつけて、魔法を破壊する技術だった。
その場面は、天城さんとの格闘戦の中にあった。
何回か手合わせした中で、一区切りになって、それではもう一度、とお互いに構えを取った時、僕が知覚と運動を強化しようとした瞬間、天城さんが魔器をこちらに突き出したのだ。
切っ先が届く間合いではない。
でも僕は何かに貫かれたような気がした。思わず下がりつつ、倒れこむ。身体中に激痛が走り、視界が明滅した。
「これは行使者同士の戦いの初歩だぞ」
そんなことを言って、天城さんが僕をニヤニヤした顔で見下ろしている。
「相手が魔法を使うより先に、こちらから魔力を強引に流し込んで、邪魔をするんだ。大抵はちょっとした欺瞞だが、初心者には思ったよりも効くようだ」
結局、その日はその攻撃を五回ほど、受けた。
稽古が終わって夕飯も終わって、自由時間になった時、月読が僕の部屋を訪ねてきた。
「あの技だけど……」
月読が僕の手をそっと握った。
脳内に無数のイメージが一瞬で浮かび、消えた。それだけで彼女が言いたいことは理解できた。なるほど。
「魔力を流し込んで相殺する技を、複製しつつあるんだね?」
「今夜、作業を続ければ、少し、形にはなると思う」
今まで見たことがないほど、真剣な瞳をしている月読に、僕は微笑み返した。
そんなわけで、その日の翌日、魔法相殺魔法の原型は出来上がった。そしてそれを何度も実践の中で試し、今に至る。
どうにか炎の一つを消す程度の力にはなった。でも、それで戦いが有利に運んでいるわけではないし、ただの芸にしかなっていない。
サンドイッチを食べつつ、考えていた。
やっぱり月読の魔法応用魔法か、魔法融合魔法を使いこなせないと、ダメかもしれない。
そもそも、今の時点では彼女が持っている三つの特殊な性質の魔法は、僕の意志を必要としない。月読が一人で考え、使っている。
二人で利用すれば、もっと幅が広がりそうだけど。
「あの……」
いきなりの声に思わず椅子から落ちそうになった。
振り向くと、調理室の入り口に月読がいた。
「大丈夫?」
「いや、驚いた。すごく」
月読が調理室に入ってきた。寝間着姿だった。
「起きているんじゃないかと思って」
そう言って彼女は僕の横に立った。最近では、ちゃんと話せるようになっているのが、不思議だった。話していると、普通の女の子と少しも変わらない気になる。
「ちょっと」僕はサンドイッチを飲み込んだ。「稽古のことを考えていた」
「私も……」
それから月読は椅子を持ってきてそこに座ると、
「話しておいた方がいいと思うから」
と前置きをして、ゆっくりと話し始めた。
研究所で自分がやってきたことを、彼女は話した。
全くの空っぽだった自分に科学者たちが様々な魔法を刷り込んでいく。頭の中を探られるような錯覚。自分の存在の根幹に無神経に触れられる悪寒。意識を失い、気を取り戻す度に、全く違うものが感知できる恐怖。
それを何度も何度も乗り越えて、今の月読はいる。
彼女は僕に謝った。
能力を全部使えなくて、ごめんなさい。
そう言って彼女は俯いた。
僕は、「大丈夫だよ」としか言えなかった。その言葉が、月読にどう届いているのか、わからないまま、そう言っていた。
月読はいつの間にか泣いていて、ポツポツと涙の雫が彼女の膝に落ちた。
僕は彼女の肩を軽く撫でて、落ち着かせた。
「もっと、勉強します」
立ち上がった月読が、そう言って、頭を下げた。
「僕も努力するよ。また話そう」
月読が自分の部屋に戻っていった。僕は皿を片付け、椅子を戻して、調理室の電気を消した。
「呑気なもんだ」
調理室を出た途端、すぐ横の壁に天城さんが立っていた。
「……盗み聞きですか?」
「そんなところ」
否定してよ。
「あの娘は理解を望んでいると思うけど、どうするつもりだ?」
訊かれても、どう答えていいのか。
「理解し合いたいですけど、時間が必要だと思います」
「私は可能な限り、お前たちに時間を与えるべきなんだろうけど」
「よろしくお願いします」
ため息を吐いた天城さんが僕の肩を叩く。
「あとはお前次第だ」
翌日の稽古はいつも通りの乱取りの後、突然に天城さんが手を止め、
「少し自分たちの魔法を確認しろ」
と、言った。もちろん、僕の手には月読が握られている。
そこに意識を集中すると、月読の意思が脳裏に浮かび、走り抜ける。
魔法複製魔法は七割ほどの完成度と月読は見ている。
ただし魔法応用魔法の稼働率は五割、魔法応融合魔法の稼働率は三割ほど。
新しく構築しつつある魔法相殺魔法は、比較対象がないが、月読の自己評価では理想的な効率と比べれば五割ほど。
月読はそれを不思議がっているのが、よくわかった。
彼女の頭の中には、研究所で彼女を試験していた魔法使いの姿が浮かんでいる。その魔法使いはもちろん、僕よりも高い等級で、熟練の行使者のようだった。その男性は月読の魔法をおおよそ八割、稼働させ、模擬戦闘の相手の魔法使いを翻弄している。
僕とは全く違う、高い戦闘力が見えた。
「今のが」僕は思わず声に出した。「月読の本当の実力?」
(それは……)
月読が困っているのがよくわかった。
彼女が僕に、もっと自分の力を引き出せる素質を見ていることが、ぼんやりと伝わってくる。
でも実際の僕は、その期待に応えられていない。
(まだ、わからないから)
その一言は、僕には少しショックだった。
まだ、わからない。つまり、今の僕は彼女の満足のいく結果を出していない。
僕は僕なりに努力してきた。必死に稽古をして、体を鍛えた。
そうか。でも、それはただここ数週間だけの話だ。まさかそれだけの時間で、一流の使い手になれる理由なんてない。
月読が僕の思考の気配を察して、
(焦らないで)
とだけ、伝えてきた。
僕は焦っているのか。
自分たちの立場が、不安定なのがその理由かもしれない。いつまで天城さんが僕たちを保護していてくれるのか、わからない。天城さんの庇護がなくなれば、僕たちは自力で戦うしかない。
僕は強く月読の柄を握って、息を吐いた。
「ゆっくりやるしかないか」
天城さんが聞きつけて、「ゆっくりしている暇はないぞ!」と怒鳴った。
その日も天城さんは厳しかったけど、僕たちに自分たちの魔法の確認をさらに深めさせるためか、僕たちに力を出させるような乱取りをした。
一日が終わって、夜になって、 僕が天城さんの書斎を訪ねると、サングラスではなくメガネで本を読んでいた。紙の本だ。
「あの、そろそろ学校の課題を提出する必要があるんですけど」
天城さんの目が吊り上がった。
「学校? 松代総合の通信科のか?」
「ええ、まあ」
「その程度のもの、放っておけ!」
ええ……。
「結構、重要な課題で、進級に関わるんですけど」
「進級など気にするな、進級したら命を守ってもらえるのか?」
これはまさに取り付く島もない。
「魔法通信で送るだけでいいんです」
この天城さんの生活空間は、通常の科学通信は元より、魔法による通信も遮断されている。だから僕もモバイルを持っているけど、ほとんど使うことはない。
「馬鹿か。通信した瞬間、ここが露見する。私がどれだけ努力してここを作ったと思っている? お前一人のために余計なことはしないからな」
やっぱり無理か。
最初から半分は諦めていたけど。
「明日の稽古はより厳しくしてやるからな」
そんな声を追い立てられるように、僕は書斎を出た。
部屋に戻ろうとすると、部屋の前で月読が待っていた。
「気になることがあって」
僕たちは部屋に入って、椅子に座って向かい合った。
「私、もっと、できると思うんだけど……」
月読が呟くように言った。
「今まで、それでうまくいっていて、それなのに、どうしてか、今は……」
「うまくいかない?」
月読が怯えるようにこちらを見た。
「月読自身が、理由だと思っている?」
「あなたなら」
月読が顔を上げて、こちらをまっすぐに見た。
「私を最もうまく、使えるはずなんです」
「最も、うまく? どうして? どういう根拠で?」
また俯いてしまった月読が話し出すのを、僕は待ち構えた。話してくれるという確信があったから。
「あなたを、そう判定したから」
「え? 判定?」知らないうちに、テストを受けていたのだろうか。「誰が? どうやって?」
それは、と掠れているような、弱々しい子で、彼女が答える。
「それは、もう一人の私が」
もう一人の私。
「どういうこと?」
「すぐにわかると思います。もう、あなたに迷惑をかけちゃいけないと、思っているんですけど、それでも、どうしようもなくて」
「待って待って」
僕は椅子を立って、月読の前に立つと膝を折って、視線の高さを合わせた。
「迷惑だなんて思っていないよ。まだ残り時間がなくなったわけじゃない。天城さんだって、きっと根気強く教えてくれる。それなら誰よりも僕たちが辛抱して、訓練を続けるしかない。今はまだ不完全でも、少しずつでも前進するはずだ」
「前進……?」
月読の目尻に雫が浮かぶ。
「きっと、無理です」
「そう思ったら、本当に無理になるよ」
僕は彼女の涙を流れる間に、指で拭ってあげた。
「信じるしかない。僕たちが同じ気持ちでいるのが、何よりも重要なのはわかってきた。お互いに相手を信じるしかない」
もう月読は何も言わず、でも、泣くこともなかった。
ただ身を固くして、顔を俯け、瞼を閉じていた。
「何か飲み物でも飲みに行こう」
そう言うと、彼女は頷いて、立ち上がった。二人で部屋を出て、調理室へ行って、冷蔵庫からジュースを取りだして、飲んだ。でも二人とも、言葉は何も口にせず、ただ、それぞれに喉を鳴らした。
廊下で別れて、僕は自分の部屋のベッドに横になった。
月読の力をどうにかして引き出したかった。そのためにはもっとしっかりと意思を疎通する必要があるのかもしれない。
でも、どうやったらそれができるのかが、僕にはわからない。
天城さんに聞いてみてもいい。
もしかしたら、天城さんは最初から、この状況を想定して訓練の内容やスケジュールを考えているのかもしれない。何せ、魔法に関しては天城さんが一番詳しい。僕が一番、門外漢だ。
要は、僕が努力するしかない。
早く眠りたかったけど、なかなか、寝付けなかった。
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