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第10章
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十
今までの僕の生活は、ただマグマグへ行くくらいのもので、部活も特にしていないし、通信制なので毎日、学校へ行くわけではない。
だから天城さんの指導は、まるで中学生に戻ったような気さえした。
規則正しい時間割に則り、一日に四回の講義の時間があり、その間の時間に炊事、洗濯をするアンドロイドを手伝う。他に空いている時間も体力作りや体術などの勉強に費やされた。
驚くべきことに、天城さんが使っているアンドロイドは、僕との格闘技の訓練さえこなすのだ。訓練用に格闘技の技術を教え込ませたアンドロイドの存在は知っていたけど、実際に相手をしたのは初めてだ。
結論から言うと、とんでもなく強い。
天城さんは軽く僕を投げ飛ばしたけど、ほとんど同じことをアンドロイドが行う。
当然、魔法は発動していないので、普通の人間の知覚速度で、普通の人間の運動速度なんだけど、このアンドロイドの動きのキレは異常だ。達人級と言ってもいい。
「あれは最初、ボディーガードとして作ったが、まぁ、それだけじゃつまらなくなってね」
そんなことを天城さんは言っていた。
一日に四回ある講義は、主に魔法に関することだった。場所は例の図書室が多い。
「基礎的な魔法は、現象化魔法、と呼ばれる。これは魔力を何かしらに変質させるものだ。例えば炎などにな。これをより高度に使いこなすと次の段階、現象変質魔法の習得になる」
僕の頭の中で真澄の姿が浮かぶ。
何もないところから炎を生み出し、それが鎧に変化する。
「現象化魔法と言っても、超高位の魔法使いはそれだけでも驚異的な力を見せるが、まぁ、現象化魔法だけで一流になる奴は稀だ」
机に置いたタブレットにペンを走らせて、メモ書きする。
「魔器の大半は、物質展開魔法をあらかじめ装備していて、起動と同時にそれが発動するのは知っているな? 物質展開魔法は、様々なものを持ち歩くのに便利だ。防具であれ、武器であれ。月読、寝るな」
風を切って天城さんの指示棒が振られ、月読の机が叩かれる。彼女がビクッと肩を震わせて、顔を上げた。構わずに天城さんが続ける。
「まず、睦月には魔法的才能はかすかにしかない、一ミクロンもない」
それはもういいから……。
「その代わり、月読は非常に特殊だ。こいつは、何にも特化していない。そのままなら平凡な魔器であり、使う人間も平凡になる」
「そのままなら、ということは、何かあるんですね?」
そうだ、と天城さんが頷く。
「月読型の魔器は、相手の能力を写し取るという性質を持っている」
「能力を、写し取る?」
「複製だよ。相手の魔法を受ければ受けるほど、精密にコピーできる。もっとも、相手と同等以上にそれを使うのは不可能だが」
僕は月読を見た。彼女は短く、上目遣いにこちらを見た。どうやら、本当のことらしい。
「だからだ」天城さんが指示棒で僕を示す。「明日からは、擬似的に様々な魔法使いを設定して、それと格闘訓練をしてもらう」
どうやら、またハードなことになりそうだ。
「行使者の基礎である、知覚強化魔法と運動強化魔法はおおよそ、月読に刷り込まれている。研究所で必要だったからだろう。他にも何かありそうだが、別に暴きたいとは思わない。機会があれば、そのうち見れるだろうから」
「それは良いんです。けど、平凡な僕が月読を持つのはマイナスからのスタートみたいですけど」
そんなことか、と天城さんは笑って一蹴した。
「睦月には何か、気づけない強みがあるんだろう。私も知らんがね」
……知らんがね、って、もしかしたら、ないかもしれない、ってこと?
天城さんは一時間ほど講義をして、どこかへ行ってしまった。時間は夕方。例のドアを使ってどこかの野原へ行くと、夕日の中、風に洗濯物が揺れていた。それを月読と協力して回収する。
「疲れてる?」
手を動かしながら尋ねると、月読は「少し」とだけ言った。
ここに来て、少しずつ月読は声を発するようになった。打ち解けたというより、どこか急いでいるような気がする。でも何を急いでいるのかは、見当もつかない。
「睦月さんこそ」月読がその場で器用にシーツを畳みながら言う。「体が痛くないですか?」
「痛いさ。あのアンドロイドは、容赦ないからね」
アンドロイドとの訓練は、今のところは生身で、月読の助けを借りずにやっている。だから、月読がどこかで学習した格闘に関する知識や経験は、全く使えない。
純粋に僕の実力で、やりあっている。
だから勝ちは遥かに遠くて、負けの連続、いや、負けしかない。
いつも夕方に月読は僕の体に湿布を貼ってくれているから、稽古の激しさも見ている以上に感じるんだろう。
そう、天城さんは僕にアンドロイドとの格闘を命じた一方、月読にはその稽古をしている僕をひたすら観察するように言ったのだ。
最初こそ不服そうだったけど、今は月読は何も言わずに、長い時間、武道場の隅で僕とアンドロイドが殴り合う、もとい、一方的に打ちのめされているのを見ていた。
じっと、瞬きもしていないんじゃないかと思うほど、真剣に。
洗濯物をしまうと、建物に戻り、アンドロイドが夕飯を作っているので、それの盛り付けと配膳を手伝う。食事は例の大広間が普通だ。
壁のボタンを押すと、何の反応もないけど、一分くらいで天城さんはやってくる。
食事の最中も、彼女は僕に魔法について色々と講義をしてくれる。
「月読」
食事の途中で、天城さんが月読に声をかけた。月読は食べていたパンを皿に置いた。
「睦月の動きの癖は読めてきたか?」
「はい」
はっきりとした口調で返事をする月読の姿を見ると、初めて会った頃の怯えていた姿が嘘だったようだ。天城さんはそんな月読に頷く。
「同調できそうか?」
「それは……実際にやらないと、わからないです……」
顎を撫でてから、天城さんはパクパクと食べ物を口に運ぶ作業を再開する。この人は無造作だけど、実に美味そうに物を食べるな、と僕は関係ないことを考えていた。
「私の評価では」突然に会話が再開した。「睦月の格闘技術を完璧にする気はない。どんなに才能があっても、一週間やそこらでものになるわけがない」
それもそうだな、と僕は心の中で応じた。実際、自分でも、強くなっている、上手くなってる、とは思わない。
もし進歩している点があるとすれば、受身くらいだ。
実戦でどれほど役立つかは、不明。
「狙いとしては、お前たち二人が組んだ時、魔法による知覚と運動の強化と同時に、お互いの同調が完璧に機能すれば、悪くない戦いができるのではないか、ということだ。今、睦月がやっていることは、月読の中にある知識としての格闘術を的確に引用し、最適な状況で行動に移すための訓練だ」
天城さんがこちらを見る。
「理解できるか? 睦月」
「いえ、まったく」
ため息が返ってくる。
「つまり、お前は叩きのめされているうちに、理想的な対処法を無意識に考えるだろう、と期待している。お前一人ではその理想を形にできないが、月読を持てば、それが実際になる」
「そんなものですか?」
「そういうものだ。それで終わりではないので、油断しないように」
念を押すように天城さんがそう言って、口元を拭うと、席を立った。
「コーヒーは書斎に持ってきて」
ずんずんと天城さんは部屋を出て行ってしまった。なんなんだ?
アンドロイドと一緒に食器を片付けた。
「月読さんには」
アンドロイドが話し始めた。当の月読も近くにいる。三人で食器を洗っていた。
「三つの特別な機能が備わっている、と天城様は考えているようです」
その天城さんが言わないのが不思議だったけど、とりあえず、僕はアンドロイドを見て、話の先を促した。
「その三つというのは、魔法複製魔法、魔法応用魔法、魔法融合魔法、この三つです」
どれも聞いたことのない名前だった。
「魔法複製魔法は、自分が受けた魔法、見た魔法を、複製する魔法です。ただし、コピーできても、完全にはコピーはできないのですね。常に相手より弱い力しか発揮できません」
アンドロイドの手が滑らかに動いて布巾で皿の水滴を拭う。
「魔法応用魔法は、魔法複製魔法の発展系の一つで、複製した魔法を独自の形で使うことです。これは実際に見ていないので、私にも、天城様にも分からないようです」
ちらりとアンドロイドが月読を見るけど、月読は黙って皿を拭いていた。
「獲得した何らかの魔法を、そのまま使うのでは相手に敵いませんから、おそらくその辺りの弱点を克服するための機能なのでしょう。常に相手より弱い力で戦わざるをえないのですから、仕方ありません」
僕は月読から受け取った皿を棚に戻しつつ、耳に集中した。
「魔法融合魔法も、やはり私どもにも分からない、未知の魔法です。名前の通り、コピーした複数の魔法を一つに練り上げるのだと推測できますが、それがどういうときに成立するのか、どういう仕組みなのか、天城様も興味を示しています」
「なら」僕はアンドロイドを見た。「行使者を相手に想定した訓練、みたいなものをやれば、どんどん月読は魔法を吸収できるわけだ」
「月読さんは、とにかく経験値が全てです。それが意味するところは、実戦を重ねれば重ねるほど、より強力に、幅広い魔法を、自由に行使できるようになる、ということかと」
食器が全て片付いて、台所を掃除したら、やっと自由時間だ。
僕は一人で天城さんを訪ねた。
書斎と呼んでいる部屋は、どう見てもガレージで、二台のスポーツカーが停車していて、その隅にテーブルがあり、最新式の映像投射装置が置いてある。天城さんは空中の文字をじっと見ていた。
視線がこちらに移動。
「なんだ、早く寝たほうがいいぞ。明日は今日までより一段と厳しくするつもりだ」
「どうしても答えを聞きたい質問があります」
やっと天城さんが体をこちらへ向けた。
「何?」
「月読がどうして僕が選んだか、気づいていますか?」
「調査中、だな。お前自身に覚えがあるか?」
「ないですよ。でも、怖いんです。月読はとんでもない可能性を持っている。でも僕は、何の力もない、平凡な、普通の人間ですよ」
天城さんが首を傾げる。
「何が怖いか、言える?」
何が怖いか。
何かが口をついて出そうだったけど、出なかった。
僕自身が危険に晒されるのが怖い、と思った。それと同じくらい、月読を無駄にするのが怖い、とも思った。
月読を無駄にする? 彼女の才能を無駄にするのが、恐ろしいのか?
彼女の革新的な性能を引き出せないことが?
それはつまり、自分の無力さを恐れているのか?
「道具というのは、使い手を選べないのが常だ」
天城さんが足を組み替えて、こちらを見ている。眼鏡の奥には、柔らかい光が見える。
「しかしあの娘は、ただの道具じゃない。道具だとしても、意志を持つ道具だ。意志を持つということは、選べるということでもある。お前は選ばれたんだ。その点に関して、月読に対して、気に病むことはないと思う」
僕はどう応じていいか、わからなかった。
言葉の意図はわかる。でも、なんで僕が選ばれた? もっと最適な人間がいたんじゃないか?
「自信を持ちなさい。それと、もし死にたくないという意味なら、月読はあなたを殺す気はないし、私だってそれを放っておくつもりは、今のところ、ない」
「今のところ、は余計な気がしますけど」
「未来永劫というわけにはいかない。何にせよ、自衛が成立する程度には鍛えてやる。ほら、早く寝ろ。おやすみ」
僕は頭を下げて、書斎を出た。
与えられた寝室のベッドで、僕は天井を見上げていた。色々な考えが頭を巡った。
どうして、こんなところにいるのか。
危ないことになんて関わりのない生活だったのに、今じゃ、まるで兵士みたいになっている。
それも何も信じるところのない、形だけの兵士。
月読を使いこなしたい、とは今まで、あまり思わなかった。
どちらかといえば、月読に僕を使いこなして欲しい、と思っていた。
天城さんの言葉を聞いた限りでは、どうやらそれではダメらしい。僕の意志と月読の意志がはっきりして、同じ方向へ向いた時、僕たちはやっと本当の力を発揮できる。
意志を、同調させる。
近いうちに、きっと月読を剣として手に取って模擬戦闘をするだろう。
あの剣を握れば、僕と月読は気持ちを一つにできる、とどこかで思ったけど、確信はなかった。でも、天城さんには何かしらの見込みがあるはずだ。
その点が少し、安堵を感じさせる。
ふと、月読が僕をじっと見ていた、あの視線を思い出した。
あの瞳は、真剣だった。僕のことを理解しようとしている。
僕も、彼女を理解できるかな。
したいけれど。
その日は気づくと、眠っていて、目を覚ました時には窓の外は薄明かりに包まれていた。時計を確認する。四時過ぎだった。
いつも五時には一時間のジョギングに出るので、ほぼ普段と同じ時間だった。
身支度を整え、部屋を出た。空間転移を実現しているドアを利用して、どこともしれない山の中に移動する。背後を振り返ると小さな小屋があり、ドアはその小屋のドアとしてそこにあった。小屋の中に入ったことは一度もない。
すでにその場にアンドロイドが待機していた。監督だ。
アンドロイドが古風なストップウォッチのスイッチを押し込んだ時、僕は走り出した。
コースが決まっていて、おおよそ一時間だ。相当、疲れる。でも最初よりは少しマシだ。
でこぼこの道を駆け下り、駈け上がる。木の根を飛び越え、小枝を払った。
元の小屋に戻った時には一時間と十分が経過していた。天城さんからは十五分以上遅れたら罰ゲームと言われている。今日も大丈夫そうだ。
元の屋敷に戻ると月読も加わって三人で料理を作り、天城さんが待ち構える食堂へ運んだ。
食事の後片付けも終わる頃、運動着に着替えた天城さんが迎えに来る。
腰に、魔器を下げていた。
「さて、訓練の時間だ。覚悟はできているか?」
「はい」
僕が頷く隣で、月読も頭を下げた。
その日から、一段と激しい稽古が始まった。
今までの僕の生活は、ただマグマグへ行くくらいのもので、部活も特にしていないし、通信制なので毎日、学校へ行くわけではない。
だから天城さんの指導は、まるで中学生に戻ったような気さえした。
規則正しい時間割に則り、一日に四回の講義の時間があり、その間の時間に炊事、洗濯をするアンドロイドを手伝う。他に空いている時間も体力作りや体術などの勉強に費やされた。
驚くべきことに、天城さんが使っているアンドロイドは、僕との格闘技の訓練さえこなすのだ。訓練用に格闘技の技術を教え込ませたアンドロイドの存在は知っていたけど、実際に相手をしたのは初めてだ。
結論から言うと、とんでもなく強い。
天城さんは軽く僕を投げ飛ばしたけど、ほとんど同じことをアンドロイドが行う。
当然、魔法は発動していないので、普通の人間の知覚速度で、普通の人間の運動速度なんだけど、このアンドロイドの動きのキレは異常だ。達人級と言ってもいい。
「あれは最初、ボディーガードとして作ったが、まぁ、それだけじゃつまらなくなってね」
そんなことを天城さんは言っていた。
一日に四回ある講義は、主に魔法に関することだった。場所は例の図書室が多い。
「基礎的な魔法は、現象化魔法、と呼ばれる。これは魔力を何かしらに変質させるものだ。例えば炎などにな。これをより高度に使いこなすと次の段階、現象変質魔法の習得になる」
僕の頭の中で真澄の姿が浮かぶ。
何もないところから炎を生み出し、それが鎧に変化する。
「現象化魔法と言っても、超高位の魔法使いはそれだけでも驚異的な力を見せるが、まぁ、現象化魔法だけで一流になる奴は稀だ」
机に置いたタブレットにペンを走らせて、メモ書きする。
「魔器の大半は、物質展開魔法をあらかじめ装備していて、起動と同時にそれが発動するのは知っているな? 物質展開魔法は、様々なものを持ち歩くのに便利だ。防具であれ、武器であれ。月読、寝るな」
風を切って天城さんの指示棒が振られ、月読の机が叩かれる。彼女がビクッと肩を震わせて、顔を上げた。構わずに天城さんが続ける。
「まず、睦月には魔法的才能はかすかにしかない、一ミクロンもない」
それはもういいから……。
「その代わり、月読は非常に特殊だ。こいつは、何にも特化していない。そのままなら平凡な魔器であり、使う人間も平凡になる」
「そのままなら、ということは、何かあるんですね?」
そうだ、と天城さんが頷く。
「月読型の魔器は、相手の能力を写し取るという性質を持っている」
「能力を、写し取る?」
「複製だよ。相手の魔法を受ければ受けるほど、精密にコピーできる。もっとも、相手と同等以上にそれを使うのは不可能だが」
僕は月読を見た。彼女は短く、上目遣いにこちらを見た。どうやら、本当のことらしい。
「だからだ」天城さんが指示棒で僕を示す。「明日からは、擬似的に様々な魔法使いを設定して、それと格闘訓練をしてもらう」
どうやら、またハードなことになりそうだ。
「行使者の基礎である、知覚強化魔法と運動強化魔法はおおよそ、月読に刷り込まれている。研究所で必要だったからだろう。他にも何かありそうだが、別に暴きたいとは思わない。機会があれば、そのうち見れるだろうから」
「それは良いんです。けど、平凡な僕が月読を持つのはマイナスからのスタートみたいですけど」
そんなことか、と天城さんは笑って一蹴した。
「睦月には何か、気づけない強みがあるんだろう。私も知らんがね」
……知らんがね、って、もしかしたら、ないかもしれない、ってこと?
天城さんは一時間ほど講義をして、どこかへ行ってしまった。時間は夕方。例のドアを使ってどこかの野原へ行くと、夕日の中、風に洗濯物が揺れていた。それを月読と協力して回収する。
「疲れてる?」
手を動かしながら尋ねると、月読は「少し」とだけ言った。
ここに来て、少しずつ月読は声を発するようになった。打ち解けたというより、どこか急いでいるような気がする。でも何を急いでいるのかは、見当もつかない。
「睦月さんこそ」月読がその場で器用にシーツを畳みながら言う。「体が痛くないですか?」
「痛いさ。あのアンドロイドは、容赦ないからね」
アンドロイドとの訓練は、今のところは生身で、月読の助けを借りずにやっている。だから、月読がどこかで学習した格闘に関する知識や経験は、全く使えない。
純粋に僕の実力で、やりあっている。
だから勝ちは遥かに遠くて、負けの連続、いや、負けしかない。
いつも夕方に月読は僕の体に湿布を貼ってくれているから、稽古の激しさも見ている以上に感じるんだろう。
そう、天城さんは僕にアンドロイドとの格闘を命じた一方、月読にはその稽古をしている僕をひたすら観察するように言ったのだ。
最初こそ不服そうだったけど、今は月読は何も言わずに、長い時間、武道場の隅で僕とアンドロイドが殴り合う、もとい、一方的に打ちのめされているのを見ていた。
じっと、瞬きもしていないんじゃないかと思うほど、真剣に。
洗濯物をしまうと、建物に戻り、アンドロイドが夕飯を作っているので、それの盛り付けと配膳を手伝う。食事は例の大広間が普通だ。
壁のボタンを押すと、何の反応もないけど、一分くらいで天城さんはやってくる。
食事の最中も、彼女は僕に魔法について色々と講義をしてくれる。
「月読」
食事の途中で、天城さんが月読に声をかけた。月読は食べていたパンを皿に置いた。
「睦月の動きの癖は読めてきたか?」
「はい」
はっきりとした口調で返事をする月読の姿を見ると、初めて会った頃の怯えていた姿が嘘だったようだ。天城さんはそんな月読に頷く。
「同調できそうか?」
「それは……実際にやらないと、わからないです……」
顎を撫でてから、天城さんはパクパクと食べ物を口に運ぶ作業を再開する。この人は無造作だけど、実に美味そうに物を食べるな、と僕は関係ないことを考えていた。
「私の評価では」突然に会話が再開した。「睦月の格闘技術を完璧にする気はない。どんなに才能があっても、一週間やそこらでものになるわけがない」
それもそうだな、と僕は心の中で応じた。実際、自分でも、強くなっている、上手くなってる、とは思わない。
もし進歩している点があるとすれば、受身くらいだ。
実戦でどれほど役立つかは、不明。
「狙いとしては、お前たち二人が組んだ時、魔法による知覚と運動の強化と同時に、お互いの同調が完璧に機能すれば、悪くない戦いができるのではないか、ということだ。今、睦月がやっていることは、月読の中にある知識としての格闘術を的確に引用し、最適な状況で行動に移すための訓練だ」
天城さんがこちらを見る。
「理解できるか? 睦月」
「いえ、まったく」
ため息が返ってくる。
「つまり、お前は叩きのめされているうちに、理想的な対処法を無意識に考えるだろう、と期待している。お前一人ではその理想を形にできないが、月読を持てば、それが実際になる」
「そんなものですか?」
「そういうものだ。それで終わりではないので、油断しないように」
念を押すように天城さんがそう言って、口元を拭うと、席を立った。
「コーヒーは書斎に持ってきて」
ずんずんと天城さんは部屋を出て行ってしまった。なんなんだ?
アンドロイドと一緒に食器を片付けた。
「月読さんには」
アンドロイドが話し始めた。当の月読も近くにいる。三人で食器を洗っていた。
「三つの特別な機能が備わっている、と天城様は考えているようです」
その天城さんが言わないのが不思議だったけど、とりあえず、僕はアンドロイドを見て、話の先を促した。
「その三つというのは、魔法複製魔法、魔法応用魔法、魔法融合魔法、この三つです」
どれも聞いたことのない名前だった。
「魔法複製魔法は、自分が受けた魔法、見た魔法を、複製する魔法です。ただし、コピーできても、完全にはコピーはできないのですね。常に相手より弱い力しか発揮できません」
アンドロイドの手が滑らかに動いて布巾で皿の水滴を拭う。
「魔法応用魔法は、魔法複製魔法の発展系の一つで、複製した魔法を独自の形で使うことです。これは実際に見ていないので、私にも、天城様にも分からないようです」
ちらりとアンドロイドが月読を見るけど、月読は黙って皿を拭いていた。
「獲得した何らかの魔法を、そのまま使うのでは相手に敵いませんから、おそらくその辺りの弱点を克服するための機能なのでしょう。常に相手より弱い力で戦わざるをえないのですから、仕方ありません」
僕は月読から受け取った皿を棚に戻しつつ、耳に集中した。
「魔法融合魔法も、やはり私どもにも分からない、未知の魔法です。名前の通り、コピーした複数の魔法を一つに練り上げるのだと推測できますが、それがどういうときに成立するのか、どういう仕組みなのか、天城様も興味を示しています」
「なら」僕はアンドロイドを見た。「行使者を相手に想定した訓練、みたいなものをやれば、どんどん月読は魔法を吸収できるわけだ」
「月読さんは、とにかく経験値が全てです。それが意味するところは、実戦を重ねれば重ねるほど、より強力に、幅広い魔法を、自由に行使できるようになる、ということかと」
食器が全て片付いて、台所を掃除したら、やっと自由時間だ。
僕は一人で天城さんを訪ねた。
書斎と呼んでいる部屋は、どう見てもガレージで、二台のスポーツカーが停車していて、その隅にテーブルがあり、最新式の映像投射装置が置いてある。天城さんは空中の文字をじっと見ていた。
視線がこちらに移動。
「なんだ、早く寝たほうがいいぞ。明日は今日までより一段と厳しくするつもりだ」
「どうしても答えを聞きたい質問があります」
やっと天城さんが体をこちらへ向けた。
「何?」
「月読がどうして僕が選んだか、気づいていますか?」
「調査中、だな。お前自身に覚えがあるか?」
「ないですよ。でも、怖いんです。月読はとんでもない可能性を持っている。でも僕は、何の力もない、平凡な、普通の人間ですよ」
天城さんが首を傾げる。
「何が怖いか、言える?」
何が怖いか。
何かが口をついて出そうだったけど、出なかった。
僕自身が危険に晒されるのが怖い、と思った。それと同じくらい、月読を無駄にするのが怖い、とも思った。
月読を無駄にする? 彼女の才能を無駄にするのが、恐ろしいのか?
彼女の革新的な性能を引き出せないことが?
それはつまり、自分の無力さを恐れているのか?
「道具というのは、使い手を選べないのが常だ」
天城さんが足を組み替えて、こちらを見ている。眼鏡の奥には、柔らかい光が見える。
「しかしあの娘は、ただの道具じゃない。道具だとしても、意志を持つ道具だ。意志を持つということは、選べるということでもある。お前は選ばれたんだ。その点に関して、月読に対して、気に病むことはないと思う」
僕はどう応じていいか、わからなかった。
言葉の意図はわかる。でも、なんで僕が選ばれた? もっと最適な人間がいたんじゃないか?
「自信を持ちなさい。それと、もし死にたくないという意味なら、月読はあなたを殺す気はないし、私だってそれを放っておくつもりは、今のところ、ない」
「今のところ、は余計な気がしますけど」
「未来永劫というわけにはいかない。何にせよ、自衛が成立する程度には鍛えてやる。ほら、早く寝ろ。おやすみ」
僕は頭を下げて、書斎を出た。
与えられた寝室のベッドで、僕は天井を見上げていた。色々な考えが頭を巡った。
どうして、こんなところにいるのか。
危ないことになんて関わりのない生活だったのに、今じゃ、まるで兵士みたいになっている。
それも何も信じるところのない、形だけの兵士。
月読を使いこなしたい、とは今まで、あまり思わなかった。
どちらかといえば、月読に僕を使いこなして欲しい、と思っていた。
天城さんの言葉を聞いた限りでは、どうやらそれではダメらしい。僕の意志と月読の意志がはっきりして、同じ方向へ向いた時、僕たちはやっと本当の力を発揮できる。
意志を、同調させる。
近いうちに、きっと月読を剣として手に取って模擬戦闘をするだろう。
あの剣を握れば、僕と月読は気持ちを一つにできる、とどこかで思ったけど、確信はなかった。でも、天城さんには何かしらの見込みがあるはずだ。
その点が少し、安堵を感じさせる。
ふと、月読が僕をじっと見ていた、あの視線を思い出した。
あの瞳は、真剣だった。僕のことを理解しようとしている。
僕も、彼女を理解できるかな。
したいけれど。
その日は気づくと、眠っていて、目を覚ました時には窓の外は薄明かりに包まれていた。時計を確認する。四時過ぎだった。
いつも五時には一時間のジョギングに出るので、ほぼ普段と同じ時間だった。
身支度を整え、部屋を出た。空間転移を実現しているドアを利用して、どこともしれない山の中に移動する。背後を振り返ると小さな小屋があり、ドアはその小屋のドアとしてそこにあった。小屋の中に入ったことは一度もない。
すでにその場にアンドロイドが待機していた。監督だ。
アンドロイドが古風なストップウォッチのスイッチを押し込んだ時、僕は走り出した。
コースが決まっていて、おおよそ一時間だ。相当、疲れる。でも最初よりは少しマシだ。
でこぼこの道を駆け下り、駈け上がる。木の根を飛び越え、小枝を払った。
元の小屋に戻った時には一時間と十分が経過していた。天城さんからは十五分以上遅れたら罰ゲームと言われている。今日も大丈夫そうだ。
元の屋敷に戻ると月読も加わって三人で料理を作り、天城さんが待ち構える食堂へ運んだ。
食事の後片付けも終わる頃、運動着に着替えた天城さんが迎えに来る。
腰に、魔器を下げていた。
「さて、訓練の時間だ。覚悟はできているか?」
「はい」
僕が頷く隣で、月読も頭を下げた。
その日から、一段と激しい稽古が始まった。
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トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
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