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第9章
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九
武道場の隅に上着を脱いで畳み、その上に眼鏡を置く天城さんを僕はただ見ていた。
もう何が何やら。とりあえず、今、僕の背後にあるドアはどこへでも移動できる、特殊なドアだ。空間を転移する魔法はその存在こそ推測されているものの、実際にコントロールできたというは話は聞かない。
つまり、このドアは世間に知られていない、超高等魔法なのではないか?
「ほら、こっちに来なさい」
天城さんが手招きするので、僕は月読と一緒に進んだ。
武道場の真ん中で、天城さんは軽くストレッチをした。畳の上で靴を履いているのが、何か変な感じだ。
いやいや、そんなことは重要じゃない。
「それじゃあ、かかって来なさい」
「え? 天城さん、魔器は?」
僕の声が終わるのと同時に、いや、終わる寸前に、彼女の姿は消えていた。
直後、背後からの衝撃に僕は畳の上に転がっていた。激しい痛みに呻きつつ、駆け寄ってきた月読を制して、相手を見る。
拳を繰り出した姿勢の天城さんが、こちらを見ていた。
不敵というよりは、ふざけている視線だ。
「このまま一方的にサンドバッグにされるのがお好みかな?」
月読が僕の手を握ってきた。月読の考えが頭の中で直接に理解された。
「まったく、こういうのは僕の柄じゃない」
立ち上がった僕の手元で光が瞬き、消えたときには僕の手には青い刀身の剣が現れている。
「それでいい」天城さんが身構える。「行くよ」
天城さんの姿が消える。
しかし、視界にその姿が現れ、スロウモーションでこちらへ進んでくる。
ただ、僕の体もゆっくりとしか動かない。
月読による魔法だ。詳細は不明、今はそれを考える暇はない。
天城さんが繰り出してくる拳をどうにか避ける。あまりにお互いの動きが遅すぎて、タイミングが計りづらいほどだ。
拳を避けたが、天城さんの視線は僕の方を見ている。
拳がゆっくりとほどけて、僕の服の襟を掴みに来る。
それを認識する前に、僕の手が天城さんの手を払おうと動き出していた。僕の意図した動きではない、月読の意思によるものだ。
天城さんの手と僕の手が衝突。
しかし、これは読まれていた。
天城さんの手が僕の手を掴んだ。心の中で、月読が驚く気配。
手を掴まれた瞬間、背筋に激痛が走り、視界の速度が通常に戻った、と気づいたときには僕は手をひねられて、両足が畳を離れていた。
背中から叩きつけられ、息が止まる。
「悪くない動きをする」
天城さんが僕の手を解放し、間合いを取って、こちらを見下ろした。
「剣を使え。手加減するのはそちらじゃなく、こちらだよ。わからないのか?」
僕は握ったままだった剣を見た。
(本気で、やります)
頭の中で月読の声が響く。
(私に、任せて)
言われなくても、そうするしかない。何せ、僕には格闘技の経験もなければ、魔法を使った経験もないのだ。
僕はゆっくりと立ち上がり、月読に全てを任せた。
全身に何かが行き渡り、体が軽くなる。
ただ、僕は天城さんの体から発散された妙な気配にも気づいていた。それは静電気のようにも思えて、かすかな燐光にも見えた。
そのことを月読に伝えたかったけど、間に合わなかった。
視界が再び、緩慢になる。
ただし、僕の体はほとんどいつもと同じように動いている。天城さんは動かない。
それもまた不審だった。
どうして天城さんは動かない?
このこともまた、月読には警告できなかった。
月読が発散しているものに、圧倒されてもいた。月読が発散しているのは、怒りや憎しみに近い何かだった。言葉を探せば、攻撃性、とでも言えばいいのか。
彼女はただ、天城さんを倒すためだけに、僕の体を操っているのだ。
剣が天城さんに突き出された。
刹那だ。
天城さんが半歩、体を開いた。
それだけで剣は空を切り、僕の体がわずかに重心を崩す。
未来を予知していたように、天城さんの手が再び僕の手を掴み、一捻りで投げ飛ばす。自分の身に起こっていることなのに、笑えるほど、鮮やかに、見事に僕は投げられた。
背中から、再び畳に落ちた。
「やはり動きは悪くない。ただ、無謀だな」
天城さんが足を持ち上げ、こちらを踏みつけに来る。
さすがにこれは僕が身を捻って避けた。畳を転がって、起き上がる。呼吸が乱れている。月読も混乱しているようだった。
「月読、落ち着いて」
自分自身を落ち着かせるためにも声をかける。
「きみが魔法で知覚と運動を加速させているのはわかってきた。でも、天城さんも同等のそれを使っているんだ。勝てる見込みはないよ」
(それは……)
天城さんが構えらしい構えを取った。考える時間も与えないつもりか。
「どうしたらもっと速く動ける?」
(同調が、高まれば)
同調という言葉と同時に、僕の頭の中に月読が浮かべたイメージが滑り込んでくる。
要は、二人の呼吸が合えばいい、ということか。
了解したことを伝える時間はなかった。天城さんの姿が搔き消える。月読が反射的に知覚を加速。
横手に天城さんが突然に現れ、こちらへ近づいてくる。歩いてくるような速度。
知覚の速度の同調は僕には理解不能。しかし、運動ならできそうだ。
頭の中でめまぐるしく、月読の思考が瞬いた。彼女が天城さんの動きを無数に想定しているのがわかる。
ただ、僕にはすぐに察した。
天城さんの動きはそのどれでもない動きでくる。
正確には、天城さんであろうと、他の誰であろうと、一流の使い手は相手に動きを読ませないものだ。
天城さんがすぐ目の前に立った時、僕はそれを月読にやっと伝えていた。
ほとんど同時に月読が僕に権利を移す。
僕を優先し、それに月読の魔法が乗ってくる。
突然に体が自由になる感覚、それと同時に周囲の空気がやたら重く感じられた。
体を捻り、天城さんの拳打を回避。
次に来る動きを月読は予想しているけど、僕は自分の直感を信じた。
それが的中し、後ろ回し蹴りへと繋げてくる天城さんが目の前にいる。
動作の途中。まさに勝機だった。
でも僕は攻撃をためらった。
だって、こっちが持っているのは、剣なんだ。
無傷で済む武器ではない。
「阿呆め」
その声を聞いた時には、足は畳を離れて壁に叩きつけられた後で、崩れるように床にしゃがみこんでいた。
「なぜ躊躇った?」
回し蹴りで僕を吹っ飛ばした天城さんが目の前にいる。目元を険しくして、こちらを見下ろす。
「悪くない動きだった。的確で、最善とも言えるものだ。勝てたはずだ。私に」
さすがに二度の畳への衝突と、さらに壁への衝突もあって、僕は動けなかった。
その僕の体がギクシャクと動いたのは、僕の意思ではなく、月読の意思。
彼女はまだ戦おうとしている。
それは僕を無視する行為であり、同時に僕のための行為でもあった。
「お前は黙っていろ」
僕の手首を天城さんのつま先が強烈に蹴りつけ、手から剣が離れて転がっていく。僕の体は糸を切られた操り人形のように力を失った。
苦しい呼吸が意識できた。他にも体のそこここが痛む。
「睦月、お前の筋は、悪くない。ただそこの小娘はまだなっていないな。いいだろう、私も納得しないわけにはいかない。認めることにしよう」
そう言って、天城さんは僕から離れていった。
納得? 認める? なんのことだろう。
とにかく、今は休みたかった。
視界の隅で光が起こり、転がるように人間の姿の月読がこちらにやってきた。僕の体を触って、怪我の様子を確認している。
「こちらを見ろ、二人とも」
どうにか顔を上げると、武道場の中心辺りで、天城さんが立っていた。その手には十字架があり、見ている目の前で、それが例の拳銃と剣を融合させた彼女の魔器に変化する。
「これが一流の魔法使いの技だ」
撃鉄を起こし、引き金を引く。
突如の、強烈な耳鳴りと、視界が激しく波打つ。
何が起こったのか、すぐには分からなかった。
視界の一点で何かが捻れたと思った。
思った時には、捻れが全てを巻き込み、その中に僕も月読も飲み込まれた。
浮遊感と同時に、目の前の光景に言葉を失った。
まさに僕は宙に浮いている。隣に月読もいたし、少し離れて天城さんもいた。
でも目の前にある光景は、どう説明したらいいのだろう。
まるで宇宙を漂っているようだった。
真っ暗闇の中、無数の光が瞬き、所々で渦を巻いている。遠近感が完全に狂う。
「反世界の一つだ」
天城さんの声が不思議な反響をした。空気を伝わっているのではない、と遅れて理解できた。直接に僕に響いてくる。隣を漂った月読が、どうにか僕の手に捕まった。
「反世界?」
聞いたことはあった。でも、見たことはない。
ほとんど伝説だ。
「高位の行使者のみが扱える、純粋な魔力だけで成立している、私たちの存在する世界、正世界の裏側にある世界だ」
天城さんが手を振ると、周囲の光景がぐるぐると回り出した。
「睦月、私はお前が気に入った。そしてそこの小娘もお前のことが気に入っている。それなら、私が小娘をどう思っていうようと、それは関係ない。その小娘はお前がどうにかしろ」
周囲の世界が縮まってきた。自然と天城さんと僕と月読の位置が近くなる。
三人が衝突する、というまさにその時、世界が弾けた。
周囲は元の武道場に戻っていた。僕は座り込んでいて、隣には月読がいた。
「どうだ、睦月。この件から降りるか?」天城が魔器の切っ先を僕に向けた。「もちろん、それは小娘を放り出すということだが」
「それはしない、と言いました」
どうにか僕は立ち上がった。まだ全身が痛む。
「良いですよ、天城さんの提案に乗りますよ。でも、条件があります」
「こちらに決定権があるのに、そちらが条件とは、笑わせる」
「笑いたいなら、笑えば良いんですよ」
実際、天城さんは可笑しかったようでかすかに笑った。
「良いよ、面白いことを言った見返りとして、聞くだけ聞く」
「追っ手からしばらく、守ってください」
ふむ? と天城さんが首を傾げる。
「追っ手というのは、民間の行使者事務所の連中と、警察の対魔のことか? それと、主体になっている水天宮魔法研究所?」
「そうです。できるでしょう?」
呆れたように天城さんは肩を竦める。
「わかりきった条件を出す必要はないな。連中がお前と小娘を引き離すのは、私としても本意ではないし、今になっては認めるわけにはいかない。今の条件は自然とクリアされている。つまり、私は連中からお前たち二人をしばらく、隠蔽するつもりでいる」
どうやら、僕の最低限の望みは叶いそうだ。
「逆にこちらも条件がある」
意外な天城さんの言葉だった。
「どういう内容ですか?」
なんとなく、警戒してしまう。天城さんは笑みを見せている。獰猛とも言える、笑み。
「私の指導には従ってもらう。お前と小娘は、知識も技術も、なさすぎる。私はかすかに、本当にかすかに、髪の毛一本ほど、可能性を感じている」
……ものすごくかすかだな、それは。
「その可能性をどうにかして伸ばすために、短時間で鍛えてやる。損はしないと思う。生きていくために必要になる」
生きていく、という言葉は僕の中で、生き延びる、という意味に聞こえた。どうやら僕は月読と出会ったことで、やや剣呑な生活を送ることが確定らしい。
「私のような教師がつくことなんて、滅多にないぞ」天城さんが胸を反らす。「一等級の行使者なんて、雇いたくても雇えないしな」
その点は感謝しないといけないな。不運なようでも、幸運もあるらしい。
「もし途中で投げ出すようなら、その時点までの講習料をもらう」
「え?」それはあんまりじゃないか。「ちなみにどれくらいですか?」
「一日につき四十万円だ」
冗談で聞いたのに、リアルな数字が返ってきたぞ……。
高いとも安いとも、言えないじゃないか。
「寝床と食事を用意してやるんだ、安いはずだ。もし払えなくても、ローンを組めるようにしてやる」
高校生にローンとか背負わせないでほしい。
天城さんが魔器を十字架に戻した。
「さあ、立て、不肖の弟子。ゆっくりしている暇はないぞ」
どうやらもう僕は弟子になったようだ。
月読の助けを借りて、どうにか立ち上がった。
「そこの小娘も、覚悟した方がいいぞ。人間の形をしているが、魔器みたいなものだ。ちょっとくらい壊れても困らないだろうしな」
……問題発言だ。
「あなたを頼るしかないですからね、僕たちは」
どうにか姿勢を整えて、僕は頭を下げた。隣で月読も、渋々という感じで頭を下げた。
「よろしくお願いします、師匠」
「……がいします」
よしよし、と頷いた天城さんは、少し表情を改めた。
「師匠と呼ばれるのも悪くないが、どうにも年寄りくさくて好きになれそうもない。別の呼び方で呼んでくれ」
「じゃあ……、天城さん」
「平凡だが、良しとしよう」
上着を回収して、眼鏡を開けた天城さんがドアに向かう。
「このドアの使い方は、近いうちに教える。便利だぞ」
「え? 僕たちにも使えるんですか?」
「何を寝ぼけたことを言っているんだ、我が弟子よ? どんな道具でも、誰もが使えなかったら意味がないだろう。お前の魔器のような欠陥商品は、魔法界隈では珍しいんだ」
隣でむすっとした顔になる月読に思わず吹き出しそうになりつつ、天城さんに集中する。
「でも、このドア、明らかに一般水準の技術を超えていますよね」
「だから、その程度の技術革新は、個人の間では当たり前なんだ。どんな道具でも、そうだろう。車を初めに作った人間は、まずは自分が乗っただろう。そういうことだ。最新の技術も、作った人間が最初に試す。忘れているようだが、さっき見せた反世界魔法だって、実はとんでもないんだ、実はな」
どうやら天城さんは僕が知っている以上にすごい人らしい。
もちろん、一流の、高位魔法使いだとは知っていた。
でも、これほどとは、恐れ入るというか、一日四十万の講習料もあながち、冗談ではないかもしれない。
払えるか払えないかは別として。
「では」
天城さんがドアを開いた。
「お前たちがこれからやることを伝える」
武道場の隅に上着を脱いで畳み、その上に眼鏡を置く天城さんを僕はただ見ていた。
もう何が何やら。とりあえず、今、僕の背後にあるドアはどこへでも移動できる、特殊なドアだ。空間を転移する魔法はその存在こそ推測されているものの、実際にコントロールできたというは話は聞かない。
つまり、このドアは世間に知られていない、超高等魔法なのではないか?
「ほら、こっちに来なさい」
天城さんが手招きするので、僕は月読と一緒に進んだ。
武道場の真ん中で、天城さんは軽くストレッチをした。畳の上で靴を履いているのが、何か変な感じだ。
いやいや、そんなことは重要じゃない。
「それじゃあ、かかって来なさい」
「え? 天城さん、魔器は?」
僕の声が終わるのと同時に、いや、終わる寸前に、彼女の姿は消えていた。
直後、背後からの衝撃に僕は畳の上に転がっていた。激しい痛みに呻きつつ、駆け寄ってきた月読を制して、相手を見る。
拳を繰り出した姿勢の天城さんが、こちらを見ていた。
不敵というよりは、ふざけている視線だ。
「このまま一方的にサンドバッグにされるのがお好みかな?」
月読が僕の手を握ってきた。月読の考えが頭の中で直接に理解された。
「まったく、こういうのは僕の柄じゃない」
立ち上がった僕の手元で光が瞬き、消えたときには僕の手には青い刀身の剣が現れている。
「それでいい」天城さんが身構える。「行くよ」
天城さんの姿が消える。
しかし、視界にその姿が現れ、スロウモーションでこちらへ進んでくる。
ただ、僕の体もゆっくりとしか動かない。
月読による魔法だ。詳細は不明、今はそれを考える暇はない。
天城さんが繰り出してくる拳をどうにか避ける。あまりにお互いの動きが遅すぎて、タイミングが計りづらいほどだ。
拳を避けたが、天城さんの視線は僕の方を見ている。
拳がゆっくりとほどけて、僕の服の襟を掴みに来る。
それを認識する前に、僕の手が天城さんの手を払おうと動き出していた。僕の意図した動きではない、月読の意思によるものだ。
天城さんの手と僕の手が衝突。
しかし、これは読まれていた。
天城さんの手が僕の手を掴んだ。心の中で、月読が驚く気配。
手を掴まれた瞬間、背筋に激痛が走り、視界の速度が通常に戻った、と気づいたときには僕は手をひねられて、両足が畳を離れていた。
背中から叩きつけられ、息が止まる。
「悪くない動きをする」
天城さんが僕の手を解放し、間合いを取って、こちらを見下ろした。
「剣を使え。手加減するのはそちらじゃなく、こちらだよ。わからないのか?」
僕は握ったままだった剣を見た。
(本気で、やります)
頭の中で月読の声が響く。
(私に、任せて)
言われなくても、そうするしかない。何せ、僕には格闘技の経験もなければ、魔法を使った経験もないのだ。
僕はゆっくりと立ち上がり、月読に全てを任せた。
全身に何かが行き渡り、体が軽くなる。
ただ、僕は天城さんの体から発散された妙な気配にも気づいていた。それは静電気のようにも思えて、かすかな燐光にも見えた。
そのことを月読に伝えたかったけど、間に合わなかった。
視界が再び、緩慢になる。
ただし、僕の体はほとんどいつもと同じように動いている。天城さんは動かない。
それもまた不審だった。
どうして天城さんは動かない?
このこともまた、月読には警告できなかった。
月読が発散しているものに、圧倒されてもいた。月読が発散しているのは、怒りや憎しみに近い何かだった。言葉を探せば、攻撃性、とでも言えばいいのか。
彼女はただ、天城さんを倒すためだけに、僕の体を操っているのだ。
剣が天城さんに突き出された。
刹那だ。
天城さんが半歩、体を開いた。
それだけで剣は空を切り、僕の体がわずかに重心を崩す。
未来を予知していたように、天城さんの手が再び僕の手を掴み、一捻りで投げ飛ばす。自分の身に起こっていることなのに、笑えるほど、鮮やかに、見事に僕は投げられた。
背中から、再び畳に落ちた。
「やはり動きは悪くない。ただ、無謀だな」
天城さんが足を持ち上げ、こちらを踏みつけに来る。
さすがにこれは僕が身を捻って避けた。畳を転がって、起き上がる。呼吸が乱れている。月読も混乱しているようだった。
「月読、落ち着いて」
自分自身を落ち着かせるためにも声をかける。
「きみが魔法で知覚と運動を加速させているのはわかってきた。でも、天城さんも同等のそれを使っているんだ。勝てる見込みはないよ」
(それは……)
天城さんが構えらしい構えを取った。考える時間も与えないつもりか。
「どうしたらもっと速く動ける?」
(同調が、高まれば)
同調という言葉と同時に、僕の頭の中に月読が浮かべたイメージが滑り込んでくる。
要は、二人の呼吸が合えばいい、ということか。
了解したことを伝える時間はなかった。天城さんの姿が搔き消える。月読が反射的に知覚を加速。
横手に天城さんが突然に現れ、こちらへ近づいてくる。歩いてくるような速度。
知覚の速度の同調は僕には理解不能。しかし、運動ならできそうだ。
頭の中でめまぐるしく、月読の思考が瞬いた。彼女が天城さんの動きを無数に想定しているのがわかる。
ただ、僕にはすぐに察した。
天城さんの動きはそのどれでもない動きでくる。
正確には、天城さんであろうと、他の誰であろうと、一流の使い手は相手に動きを読ませないものだ。
天城さんがすぐ目の前に立った時、僕はそれを月読にやっと伝えていた。
ほとんど同時に月読が僕に権利を移す。
僕を優先し、それに月読の魔法が乗ってくる。
突然に体が自由になる感覚、それと同時に周囲の空気がやたら重く感じられた。
体を捻り、天城さんの拳打を回避。
次に来る動きを月読は予想しているけど、僕は自分の直感を信じた。
それが的中し、後ろ回し蹴りへと繋げてくる天城さんが目の前にいる。
動作の途中。まさに勝機だった。
でも僕は攻撃をためらった。
だって、こっちが持っているのは、剣なんだ。
無傷で済む武器ではない。
「阿呆め」
その声を聞いた時には、足は畳を離れて壁に叩きつけられた後で、崩れるように床にしゃがみこんでいた。
「なぜ躊躇った?」
回し蹴りで僕を吹っ飛ばした天城さんが目の前にいる。目元を険しくして、こちらを見下ろす。
「悪くない動きだった。的確で、最善とも言えるものだ。勝てたはずだ。私に」
さすがに二度の畳への衝突と、さらに壁への衝突もあって、僕は動けなかった。
その僕の体がギクシャクと動いたのは、僕の意思ではなく、月読の意思。
彼女はまだ戦おうとしている。
それは僕を無視する行為であり、同時に僕のための行為でもあった。
「お前は黙っていろ」
僕の手首を天城さんのつま先が強烈に蹴りつけ、手から剣が離れて転がっていく。僕の体は糸を切られた操り人形のように力を失った。
苦しい呼吸が意識できた。他にも体のそこここが痛む。
「睦月、お前の筋は、悪くない。ただそこの小娘はまだなっていないな。いいだろう、私も納得しないわけにはいかない。認めることにしよう」
そう言って、天城さんは僕から離れていった。
納得? 認める? なんのことだろう。
とにかく、今は休みたかった。
視界の隅で光が起こり、転がるように人間の姿の月読がこちらにやってきた。僕の体を触って、怪我の様子を確認している。
「こちらを見ろ、二人とも」
どうにか顔を上げると、武道場の中心辺りで、天城さんが立っていた。その手には十字架があり、見ている目の前で、それが例の拳銃と剣を融合させた彼女の魔器に変化する。
「これが一流の魔法使いの技だ」
撃鉄を起こし、引き金を引く。
突如の、強烈な耳鳴りと、視界が激しく波打つ。
何が起こったのか、すぐには分からなかった。
視界の一点で何かが捻れたと思った。
思った時には、捻れが全てを巻き込み、その中に僕も月読も飲み込まれた。
浮遊感と同時に、目の前の光景に言葉を失った。
まさに僕は宙に浮いている。隣に月読もいたし、少し離れて天城さんもいた。
でも目の前にある光景は、どう説明したらいいのだろう。
まるで宇宙を漂っているようだった。
真っ暗闇の中、無数の光が瞬き、所々で渦を巻いている。遠近感が完全に狂う。
「反世界の一つだ」
天城さんの声が不思議な反響をした。空気を伝わっているのではない、と遅れて理解できた。直接に僕に響いてくる。隣を漂った月読が、どうにか僕の手に捕まった。
「反世界?」
聞いたことはあった。でも、見たことはない。
ほとんど伝説だ。
「高位の行使者のみが扱える、純粋な魔力だけで成立している、私たちの存在する世界、正世界の裏側にある世界だ」
天城さんが手を振ると、周囲の光景がぐるぐると回り出した。
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周囲の世界が縮まってきた。自然と天城さんと僕と月読の位置が近くなる。
三人が衝突する、というまさにその時、世界が弾けた。
周囲は元の武道場に戻っていた。僕は座り込んでいて、隣には月読がいた。
「どうだ、睦月。この件から降りるか?」天城が魔器の切っ先を僕に向けた。「もちろん、それは小娘を放り出すということだが」
「それはしない、と言いました」
どうにか僕は立ち上がった。まだ全身が痛む。
「良いですよ、天城さんの提案に乗りますよ。でも、条件があります」
「こちらに決定権があるのに、そちらが条件とは、笑わせる」
「笑いたいなら、笑えば良いんですよ」
実際、天城さんは可笑しかったようでかすかに笑った。
「良いよ、面白いことを言った見返りとして、聞くだけ聞く」
「追っ手からしばらく、守ってください」
ふむ? と天城さんが首を傾げる。
「追っ手というのは、民間の行使者事務所の連中と、警察の対魔のことか? それと、主体になっている水天宮魔法研究所?」
「そうです。できるでしょう?」
呆れたように天城さんは肩を竦める。
「わかりきった条件を出す必要はないな。連中がお前と小娘を引き離すのは、私としても本意ではないし、今になっては認めるわけにはいかない。今の条件は自然とクリアされている。つまり、私は連中からお前たち二人をしばらく、隠蔽するつもりでいる」
どうやら、僕の最低限の望みは叶いそうだ。
「逆にこちらも条件がある」
意外な天城さんの言葉だった。
「どういう内容ですか?」
なんとなく、警戒してしまう。天城さんは笑みを見せている。獰猛とも言える、笑み。
「私の指導には従ってもらう。お前と小娘は、知識も技術も、なさすぎる。私はかすかに、本当にかすかに、髪の毛一本ほど、可能性を感じている」
……ものすごくかすかだな、それは。
「その可能性をどうにかして伸ばすために、短時間で鍛えてやる。損はしないと思う。生きていくために必要になる」
生きていく、という言葉は僕の中で、生き延びる、という意味に聞こえた。どうやら僕は月読と出会ったことで、やや剣呑な生活を送ることが確定らしい。
「私のような教師がつくことなんて、滅多にないぞ」天城さんが胸を反らす。「一等級の行使者なんて、雇いたくても雇えないしな」
その点は感謝しないといけないな。不運なようでも、幸運もあるらしい。
「もし途中で投げ出すようなら、その時点までの講習料をもらう」
「え?」それはあんまりじゃないか。「ちなみにどれくらいですか?」
「一日につき四十万円だ」
冗談で聞いたのに、リアルな数字が返ってきたぞ……。
高いとも安いとも、言えないじゃないか。
「寝床と食事を用意してやるんだ、安いはずだ。もし払えなくても、ローンを組めるようにしてやる」
高校生にローンとか背負わせないでほしい。
天城さんが魔器を十字架に戻した。
「さあ、立て、不肖の弟子。ゆっくりしている暇はないぞ」
どうやらもう僕は弟子になったようだ。
月読の助けを借りて、どうにか立ち上がった。
「そこの小娘も、覚悟した方がいいぞ。人間の形をしているが、魔器みたいなものだ。ちょっとくらい壊れても困らないだろうしな」
……問題発言だ。
「あなたを頼るしかないですからね、僕たちは」
どうにか姿勢を整えて、僕は頭を下げた。隣で月読も、渋々という感じで頭を下げた。
「よろしくお願いします、師匠」
「……がいします」
よしよし、と頷いた天城さんは、少し表情を改めた。
「師匠と呼ばれるのも悪くないが、どうにも年寄りくさくて好きになれそうもない。別の呼び方で呼んでくれ」
「じゃあ……、天城さん」
「平凡だが、良しとしよう」
上着を回収して、眼鏡を開けた天城さんがドアに向かう。
「このドアの使い方は、近いうちに教える。便利だぞ」
「え? 僕たちにも使えるんですか?」
「何を寝ぼけたことを言っているんだ、我が弟子よ? どんな道具でも、誰もが使えなかったら意味がないだろう。お前の魔器のような欠陥商品は、魔法界隈では珍しいんだ」
隣でむすっとした顔になる月読に思わず吹き出しそうになりつつ、天城さんに集中する。
「でも、このドア、明らかに一般水準の技術を超えていますよね」
「だから、その程度の技術革新は、個人の間では当たり前なんだ。どんな道具でも、そうだろう。車を初めに作った人間は、まずは自分が乗っただろう。そういうことだ。最新の技術も、作った人間が最初に試す。忘れているようだが、さっき見せた反世界魔法だって、実はとんでもないんだ、実はな」
どうやら天城さんは僕が知っている以上にすごい人らしい。
もちろん、一流の、高位魔法使いだとは知っていた。
でも、これほどとは、恐れ入るというか、一日四十万の講習料もあながち、冗談ではないかもしれない。
払えるか払えないかは別として。
「では」
天城さんがドアを開いた。
「お前たちがこれからやることを伝える」
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ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
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猛焔滅斬の碧刃龍
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ある日、背後から何者かに突然刺され死亡した主人公。
目覚めると神様的な存在に『転生』を迫られ 気付けば異世界に!
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異世界転生バトルファンタジー!ここに降臨す!
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サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
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クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
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いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
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【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
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マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
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マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
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マーテルリアのイラストを変更致しました。
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