Dear sword

香月 優希

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 武器屋を出たイルギネスは、そのまま街外れの丘にある墓地へ向かった。テオディアスの墓に参るためだ。墓地の奥まった場所にある、まだ新しい墓石の前には、おそらく母が供えた花が、今日も美しく咲いている。母は毎朝、ここへ来ているようだった。
『あなたが笑顔だから、救われるわ』
 弟亡き後、母はイルギネスが実家に顔を見せるたびにそう言った。笑顔が好きだと、弟にも言われていた。だから、出来るだけ笑っていようと心に決めたし、気落ちしている両親──特に母の前では、顔を曇らせずにいようと努めてきた。十八歳で実家を出てから、近いわりにあまり帰ることはなかったが、テオディアスが亡くなってからは、母が心配でまめに顔を出すようにしていた。弟との思い出が染み付いた家で、母の言葉を裏切らぬよう明るく振る舞うことが、自分の負担になっていることに、イルギネスは気づいていなかった。
 いつしか息苦しさを感じて、どうにも苛立った日、久し振りにたった一人で夜の街へ繰り出した。酒場で賑やかに酒を煽れば気が紛れ、時には昨夜のように、その場限りの出会いに身を投じて、彼は苦しみを忘れた。だが、独りで暮らす部屋へ戻った後、なんとも鬱蒼とした気分になるのは変わらない。またそれを忘れようと、"夜の遊び"は徐々に頻度を増し、ここ数ヶ月は、今日のように翌日に支障をきたすことも出てきた。
 まあ、どう見ても誉められた状況ではないなと、イルギネスは苦笑した。しらかげも最近は、会うたびに突っかかってくる。腑抜けた自分に喝を入れようとしてくれる彼の気持ちだって、分かっているのだ。だが、親友である以上に、好敵手ライバルとして切磋琢磨してきた仲だからこそ、弱みを見せたくはないというプライドもあった。
<結局あれじゃあ、弱みもクソもないな>
 急に思い当たって、自分で呆れた。互角に戦えなくなった時点で、いくら虚勢を張ったところで、弱みを丸ごと晒しているようなものだ。しかも、あんな剣で──

『すごく愛されている剣なんだなって、いつも思っていたの』

 ディアの言葉がよぎり、イルギネスは空を仰いだ。
「愛していたさ」
 知らず、呟いていた。
 いや、今だって愛している。
 だけど──だからこそ、剣と向き合うのが怖くなった。愛剣の手入れをする自分の傍らにあった、弟のきらきらした眼差しを、あの時間に二度と戻れないことを実感してしまったら、自分は笑っていられなくなる。
 でも、もう──
<驃にも、さっきはディアにもあんな態度をとって、とっくに笑えてなどいなかったじゃないか>
 向き合っても向き合わなくても、自分がどこにいるのか、彼は分からなくなりかけていた。
『こんなになるまで放っておくなんて、剣が可哀想じゃない』怒っていたディアを思い出す。
 放っておいたのは、剣だけじゃない。無理矢理の笑顔と引き換えに、置いてきたのは自分の気持ちだった。
「なんだよ。俺は可哀想じゃないのか」
 あの時、無意識に飲み込んだ言葉を、イルギネスは吐き出した。口に出して初めて気づいた。そうだ。自分だって、こんなに苦しいのに。
「なあ」
 ──もう、いいか?
「少しくらい、俺にも泣かせてくれよ」
 弟の墓を見つめながら、彼はやっと素直な気持ちを言ってみた。
 だけど、一年近くも必死に抑えてきた感情は、そう簡単に呪縛を解いてはくれなかった。
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