Dear sword

香月 優希

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 イルギネスは、見慣れない部屋で目を覚ました。海のような青い瞳が、周りの景色を捉える。
 朝日は爽やかな光を窓からカーテン越しに落としているが、目の前には──柔らかな亜麻色の髪の女が眠っていた。状況は全然、爽やかではない。
<やっちまった>
 昨夜の記憶を巡り、彼は嘆息した。酒場で飲んでいた時に声をかけてきた女が、今ここにいる。無論、衣服は身につけていない。
 褐色の壁に掛けられた時計は、七時を回っている。今日は特別鍛錬の日だ。彼はすでに魔術剣士として、イリユスの神殿で警護の職務にあたっているが、定期的に師匠級からの鍛錬があり、それが今日なのだ。慌ててベッドから出ると、乱れた長い銀髪を手櫛で整えて素早く衣服を身につけ、愛用の剣を腰に装備した。その時──
「もう行っちゃうの?」
 女がそっと上体を起こし尋ねた。彼は髪を左肩側に束ねながら、振り返らずに答える。
「ああ、すまん。用事を思い出した」
 玄関へ向かうと、やっと彼女の方を向き直り、穏やかに微笑んだ。
「夕べは楽しかった。ありがとうな」
 そして、名残惜しそうな素振りは全く見せずに、颯爽と立ち去った。
 
 稽古場へ着くと、大体の面子は揃っていた。師匠はまだ来ていないが、皆、すでに個人練習を始めている。その中の一人、黒髪短髪の、がっしりと背の高い男──しらかげが、剣を磨きながらイルギネスを一瞥した。おそらく、一番乗りの勢いでここにいたに違いない。左頬に、少し目立つ一筋の傷跡がある。
「どこにいた?」
 その顔には、やや軽蔑的な感情が混じっている。イルギネスは荷物を台に放り出し、答えた。
「間に合ったんだから、どこでもいいだろう」
「そういう問題じゃない。部屋に帰ってないだろう?」長年の親友は鋭い。
「帰ったさ。さっき装備を取りにな」
「ふざけやがって」言いながら、驃がその剣先をイルギネスに向けた。動じることなく、装備を整えたイルギネスもまた、剣を引き抜く。
「やるのか」
「勝負だ」
 間髪入れず驃の剣先が動き、二人の打ち合いが始まった。

 結果は散々なものだった。イルギネスにとって。
 酒はとっくに抜けているが、如何せん寝不足は否定できない。だが、理由はそれだけではなかった。
「腑抜けもいいとこだ。話にならん。大体、なんだその剣身は。ろくに手入れもしないで」
 膝をついたイルギネスに、驃は容赦ない言葉を投げつけた。いつも互角に打ち合えていた相棒の堕落ぶりに、苛立ちを隠せない。
「酒や女に頼ったところで、このザマなら、いっそ墓の前で泣いてろ」
 イルギネスは黙っている。驃はハッと表情を変え、「──すまん。言いすぎた」と謝った。友が心に抱えているであろう苦しみを痛いほど感じながら、自分では救ってやれない歯痒さが、厳しい言葉になって責めてしまう。だが、言われた本人は怒るでもなく、笑顔にもならない形で少し口元を緩めただけだった。
「いや、いい」
 イルギネスはそれだけ言うと立ち上がり、泥を払うと荷物を乱暴に担ぐ。
「どやされるのは目に見えてるから、今日は帰る。師匠に伝えてくれ」そう言い置くと、驃が言葉をかける隙も与えずに、身を翻して歩き出した。
「おいっ!──ったく。馬鹿野郎っ!」
 悪態を背中に受けながら、イルギネスは足速に稽古場を後にした。
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