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第五章 竜が啼く
風の導き 6
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母の歌声のような優しい響きが、ダリュスカインの耳をくすぐった。
しかし、知っている歌ではないし、よく聞くと母の声とも違う。
<一体、誰が>
確かめようとして、しかし瞼は重く、押し上げるように目を開けた。一瞬、ぼんやりした世界に包まれたあと、だんだんと視界がはっきりしてくる。見上げているのは天井だと気づいた。
<ここは>
そこに映る大きな梁には、見覚えがある。そして、歌声はまだ、彼の耳に届き続けていた。いささかの不自由を感じながら、彼はそちらへ目を向ける。
そこには、結迦の姿があった。
声は、結迦の口元から発せられている。座敷の上に姿勢よく正座して衣服を畳みながら、鈴の音のような声で、柔らかな旋律を奏でている。
<声を──>
夢現にその光景を見つめていると、結迦がふと顔を上げ──瞬間、息を飲んで深緋色混じりの紅い瞳を見開いた。
「あっ……!」
彼女は肩で大きく息をつき、次には転ぶように枕元へ駆け寄るとダリュスカインを覗きこんだ。ダリュスカインが確かに目を開けているのを見て、彼女の瞳が潤む。
「カイン」
間違いなく、結迦の声が自分を呼んだ。別れのあの日、初めて耳にし、まだ自分の耳に残っている凛とした涼やかな声で。自分が幼き日に呼ばれていた、懐かしい呼び名を。
「……結迦」
呼び返された結迦が、毛布の上に出ていたダリュスカインの左手を、華奢な指先で包む。伝わる体温はダリュスカインの心の奥まで届き、冷えた身体に徐々に熱が通い始めた。
「これは──夢か?」
すると彼女は、激しく首を振る。
「夢なんかじゃありません。あなたはちゃんと、目を開けています」
結迦の瞳から涙がこぼれ落ち、ダリュスカインの頬を打った。ぽたぽたと結迦の涙が頬を打つたびに、ダリュスカインの中に、命の実感が甦ってくる。
<俺は、生きているのか──>
「ごめんなさい」
自分の涙に気づいて、慌てて顔を拭こうとした結迦の手を、ダリュスカインの左手がそっと掴んだ。
「いや」
涙に濡れた結迦の顔を、じっと見つめる。結迦もまた、ダリュスカインの赤い──光を取り戻した瞳を見つめた。もう何を取り繕うことも忘れ、二人は互いの目を逸らすことなく視線を重ね合わせる。
「お帰りなさい」
しっかりとした声で、結迦は言った。
溢れる思いのままダリュスカインを抱くように回された腕に、彼は躊躇いがちに手を触れる。しかし触れてみれば、その手は本能的に結迦の肩に沿って艶やかな黒髪へと流れ、髪に纏うほのかな花の香がダリュスカインの鼻先を掠めた。
<ああ>
柔らかな香りを確かめるように、目を閉じる。結迦の髪を撫で、その顔を自分のもとに引き寄せた。抵抗することなく、結迦の顔が、ダリュスカインの肩に収まった。
頬と、頬が触れる──温かい。
<夢ではない>
両手で抱き寄せられぬ悔しさを感じながらも、ダリュスカインの胸の内に果てしない安堵が広がった。熱い刺激が目の奥に突き上げてきて、きつく目を瞑る。
ずっとずっと求めていた温もりが今、全ての苦衷を溶かしていく。
<もう一度、生き直せるだろうか>
残されたこの、一本の腕で。
結迦の涙が、閉ざしていた心の深い場所に恵みの水となって流れ込む。
<──置いていくわけには行くまい>
償う術など、分かりはしない。だが、生きながらえたからには、成すべきことがあるはずだ。
ダリュスカインは、別れた時と同じように、ゆっくりと結迦の黒髪に左手を這わせる。もう二度と触れることはないと思っていた、けれど確かにここにある、愛おしい温もり。
「結迦」
腕にできる限りの力をこめ、結迦をしっかりと抱きこむと、彼は心に強く誓った。
この一本の腕の中にあるかけがえのない存在を、今度こそ命を懸けて守って行こうと。
しかし、知っている歌ではないし、よく聞くと母の声とも違う。
<一体、誰が>
確かめようとして、しかし瞼は重く、押し上げるように目を開けた。一瞬、ぼんやりした世界に包まれたあと、だんだんと視界がはっきりしてくる。見上げているのは天井だと気づいた。
<ここは>
そこに映る大きな梁には、見覚えがある。そして、歌声はまだ、彼の耳に届き続けていた。いささかの不自由を感じながら、彼はそちらへ目を向ける。
そこには、結迦の姿があった。
声は、結迦の口元から発せられている。座敷の上に姿勢よく正座して衣服を畳みながら、鈴の音のような声で、柔らかな旋律を奏でている。
<声を──>
夢現にその光景を見つめていると、結迦がふと顔を上げ──瞬間、息を飲んで深緋色混じりの紅い瞳を見開いた。
「あっ……!」
彼女は肩で大きく息をつき、次には転ぶように枕元へ駆け寄るとダリュスカインを覗きこんだ。ダリュスカインが確かに目を開けているのを見て、彼女の瞳が潤む。
「カイン」
間違いなく、結迦の声が自分を呼んだ。別れのあの日、初めて耳にし、まだ自分の耳に残っている凛とした涼やかな声で。自分が幼き日に呼ばれていた、懐かしい呼び名を。
「……結迦」
呼び返された結迦が、毛布の上に出ていたダリュスカインの左手を、華奢な指先で包む。伝わる体温はダリュスカインの心の奥まで届き、冷えた身体に徐々に熱が通い始めた。
「これは──夢か?」
すると彼女は、激しく首を振る。
「夢なんかじゃありません。あなたはちゃんと、目を開けています」
結迦の瞳から涙がこぼれ落ち、ダリュスカインの頬を打った。ぽたぽたと結迦の涙が頬を打つたびに、ダリュスカインの中に、命の実感が甦ってくる。
<俺は、生きているのか──>
「ごめんなさい」
自分の涙に気づいて、慌てて顔を拭こうとした結迦の手を、ダリュスカインの左手がそっと掴んだ。
「いや」
涙に濡れた結迦の顔を、じっと見つめる。結迦もまた、ダリュスカインの赤い──光を取り戻した瞳を見つめた。もう何を取り繕うことも忘れ、二人は互いの目を逸らすことなく視線を重ね合わせる。
「お帰りなさい」
しっかりとした声で、結迦は言った。
溢れる思いのままダリュスカインを抱くように回された腕に、彼は躊躇いがちに手を触れる。しかし触れてみれば、その手は本能的に結迦の肩に沿って艶やかな黒髪へと流れ、髪に纏うほのかな花の香がダリュスカインの鼻先を掠めた。
<ああ>
柔らかな香りを確かめるように、目を閉じる。結迦の髪を撫で、その顔を自分のもとに引き寄せた。抵抗することなく、結迦の顔が、ダリュスカインの肩に収まった。
頬と、頬が触れる──温かい。
<夢ではない>
両手で抱き寄せられぬ悔しさを感じながらも、ダリュスカインの胸の内に果てしない安堵が広がった。熱い刺激が目の奥に突き上げてきて、きつく目を瞑る。
ずっとずっと求めていた温もりが今、全ての苦衷を溶かしていく。
<もう一度、生き直せるだろうか>
残されたこの、一本の腕で。
結迦の涙が、閉ざしていた心の深い場所に恵みの水となって流れ込む。
<──置いていくわけには行くまい>
償う術など、分かりはしない。だが、生きながらえたからには、成すべきことがあるはずだ。
ダリュスカインは、別れた時と同じように、ゆっくりと結迦の黒髪に左手を這わせる。もう二度と触れることはないと思っていた、けれど確かにここにある、愛おしい温もり。
「結迦」
腕にできる限りの力をこめ、結迦をしっかりと抱きこむと、彼は心に強く誓った。
この一本の腕の中にあるかけがえのない存在を、今度こそ命を懸けて守って行こうと。
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