91 / 96
第五章 竜が啼く
風の導き 5
しおりを挟む
収穫祭の日がやって来た。
「啼義の生誕日は、今日だったな」
イルギネスが、昼も過ぎて屋台が賑わい始めた中、運ばれてきた銅製の大きなマグをテーブルに並べながら啼義に笑顔を向けると、当の本人は肩をすくめた。
「いまいちピンと来ねえや。今までずっと、拾われた日に歳を重ねてたし」
「まあ、どうであれ、これで合法的に酒が飲めるのは間違いない」驃が、マグを啼義の前に差し出す。「ひとまず、今日で十八ってことにしとけ」
受け取ったマグにはなみなみと酒が注がれている。啼義は、何とも言えない顔で年長者二人を見つめた。いつもは真面目な驃まで、こんな適当な認識になるなんて。この二人、酒が目の前にあると、かなりいい加減になるのかも知れない。
「でも、驃が前に話を聞いた人、いなくなっちゃってて残念だったわね」
リナが、少し寂しそうに呟いた。状況が落ち着いたこともあり、以前、驃が調査に来た際に啼義の出自に関する情報を提供してくれた人物を探したのだが、彼は南へ向かって旅立ってしまっていたのだ。
イルギネスが、添木はなくなったもののまだあまり自由の利かない右腕をさすりながら、啼義に穏やかに微笑んだ。
「方向的に、ミルファあたりで会えるかもしれん。また探してみたらいいさ」
「うん」
啼義は頷いた。確かに、自分が生まれた時の両親を知っている人物に会いたい気持ちはあったが、今は正直、これ以上の情報を受け入れる余裕がないような気もしている。本当の生誕日と名前が知れただけでも、思いもかけない出来事だったのだから。その時が来れば、きっとまた巡り会えるだろう。
「よし、乾杯しよう」
イルギネスが左手にマグを持ち意気揚々と告げると、驃も「収穫祭と、啼義の十八歳の祝いに」と嬉々として続いた。
「乾杯っ!」
啼義が自分のマグを手にするや否や、二人がほぼ同時にマグをぶつけてきた。「啼義、おめでとう!」「これで堂々と酒が飲めるな!」
「あ、ありがとう」
若干、勢いに押されながら、啼義は慌てて返す。
<また、俺より盛り上がってるぜ>
俺のことなのに、自分のことみたいに喜んで。啼義は少々呆れ顔になりながらも、やっぱり嬉しくなるのを否定できない。彼らのこういうところが自分を惹きつけていることを、啼義はもう充分認識していた。
隣を向くと、リナもにこにこしている。彼女は啼義の視線に気づくと可憐な笑顔を浮かべ、「おめでとう」と果物を絞った飲料を入れたグラスを差し出してきた。啼義が、自分のマグをコツンと当てる。
「ありがとう」
リナの瞳の紫は、いつも以上に綺麗に輝いて見える。啼義はその目を、まっすぐに見つめて言った。
「あのさ。あとでちょっと、二人で歩かないか」
イルギネスと驃が、予想より早く近隣のテーブルの者たちとも盛り上がり始め、啼義とリナはそんなに気に掛けられることもなく、二人で抜け出すことに成功した。
賑わう大通りを抜けると人通りは少しずつ減り、昨日、啼義が一人で訪れた大樹のある丘の麓まで来ると、喧騒はだいぶ遠ざかった。空はまだ明るいが、少しずつ日が傾いて来て、西から色が変わり始めている。
「もう少し先、あの上まで行くと、見晴らしがいいんだ」
ふと立ち止まったところで、二人の視線が何となく重なった。リナの息が、心なしか上がっている。啼義は、自分が少し速く歩きすぎたことに気づいた。「ごめん。歩くの速かったな」
リナが首を振る。「ううん、大丈夫」
けれど、ここからは少し上り坂だ。また自分が行きすぎないためには一緒に歩けばいいんだと思い立ち、啼義はリナの手を取った。
「行こう」
するとリナも、その手をキュッと握り返してきた。握り返されるとは思っていなかった啼義は、動悸がするのを悟られないよう、黙々と丘の上まで進んだ。結局、また少し速足になりながら。
丘の上から見るカルムは、ミルファよりはだいぶ小さいが、収穫祭のために飾られた照明がだんだんと灯されてきて、町全体がふんわりと優しい明るさを保っていた。
「本当だ。いい眺め!」
リナが、少し息を切らしながら感嘆の声を上げる。
「啼義は、こんな素敵な日に生まれたのね」
振り返ったリナの笑顔が、殊更キラキラと啼義の目に映った。こんなふうに二人でいられる時間は、ミルファにいた時以来だ。けれどあの時はまだ、とても気持ちを告げられる状況ではなかった。
「あの通りが、さっき私たちがいたところね」
啼義は、眼下の景色に夢中なリナを見つめながら、こうしていられるひと時の幸せを、心から噛み締めた。こんな時間をこれからも、何度でも迎えたい。
「ねえ、啼義」
振り向いたリナが、啼義の視線に気づいた。その熱のこもった眼差しに、リナは思わず口を閉じ、訝しげに啼義を見上げる。
啼義は身体ごとリナに向かうと、さっきとよりもしっかりと彼女の手を取り、出来るだけ優しく自分の方へ向かせた。
「リナ」
啼義の黒い瞳を見返したリナの瞳も、心なしか、ほのかな熱を宿している。
<今しかない>
啼義は背筋を伸ばし、今度はリナの手を両手で包んだ。
「俺は、リナとずっと一緒にいたい」
啼義の声は、穏やかながらも揺るがない決意に満ちている。
「ミルファから先も──イリユスまで、俺と一緒に来てくれないか」
リナの瞳が、驚いて一瞬惑う。それから啼義を真っ直ぐに捉え──断られるのかと不安になりかけた啼義の耳に。
「はい」と、彼女の答えが届いた。
西日が照らして赤くなり始めた空を、木の幹に背を預けたイルギネスが仰ぐ。
「まあ、ここなら宿のすぐ裏だし、心配ないだろう」
隣では驃が、何となく目のやり場に困った様子で小さく息をついた。
「そうだな。これ以上俺らが見てるのも野暮だ」
「主人のプライバシーも、大事だからな」
少し酒が入ってニヤニヤしながら言ったイルギネスを「そんな顔で言うな」と驃が諌めたが、その顔はやっぱり笑っている。
「護衛どころか、すっかりアテられちまったな。飲みに戻ろうぜ」
「本当にな。羨ましい限りだ」
振り返った向こう、一つになった影をそっと振り返ると、二人は静かに踵を返した。
「啼義の生誕日は、今日だったな」
イルギネスが、昼も過ぎて屋台が賑わい始めた中、運ばれてきた銅製の大きなマグをテーブルに並べながら啼義に笑顔を向けると、当の本人は肩をすくめた。
「いまいちピンと来ねえや。今までずっと、拾われた日に歳を重ねてたし」
「まあ、どうであれ、これで合法的に酒が飲めるのは間違いない」驃が、マグを啼義の前に差し出す。「ひとまず、今日で十八ってことにしとけ」
受け取ったマグにはなみなみと酒が注がれている。啼義は、何とも言えない顔で年長者二人を見つめた。いつもは真面目な驃まで、こんな適当な認識になるなんて。この二人、酒が目の前にあると、かなりいい加減になるのかも知れない。
「でも、驃が前に話を聞いた人、いなくなっちゃってて残念だったわね」
リナが、少し寂しそうに呟いた。状況が落ち着いたこともあり、以前、驃が調査に来た際に啼義の出自に関する情報を提供してくれた人物を探したのだが、彼は南へ向かって旅立ってしまっていたのだ。
イルギネスが、添木はなくなったもののまだあまり自由の利かない右腕をさすりながら、啼義に穏やかに微笑んだ。
「方向的に、ミルファあたりで会えるかもしれん。また探してみたらいいさ」
「うん」
啼義は頷いた。確かに、自分が生まれた時の両親を知っている人物に会いたい気持ちはあったが、今は正直、これ以上の情報を受け入れる余裕がないような気もしている。本当の生誕日と名前が知れただけでも、思いもかけない出来事だったのだから。その時が来れば、きっとまた巡り会えるだろう。
「よし、乾杯しよう」
イルギネスが左手にマグを持ち意気揚々と告げると、驃も「収穫祭と、啼義の十八歳の祝いに」と嬉々として続いた。
「乾杯っ!」
啼義が自分のマグを手にするや否や、二人がほぼ同時にマグをぶつけてきた。「啼義、おめでとう!」「これで堂々と酒が飲めるな!」
「あ、ありがとう」
若干、勢いに押されながら、啼義は慌てて返す。
<また、俺より盛り上がってるぜ>
俺のことなのに、自分のことみたいに喜んで。啼義は少々呆れ顔になりながらも、やっぱり嬉しくなるのを否定できない。彼らのこういうところが自分を惹きつけていることを、啼義はもう充分認識していた。
隣を向くと、リナもにこにこしている。彼女は啼義の視線に気づくと可憐な笑顔を浮かべ、「おめでとう」と果物を絞った飲料を入れたグラスを差し出してきた。啼義が、自分のマグをコツンと当てる。
「ありがとう」
リナの瞳の紫は、いつも以上に綺麗に輝いて見える。啼義はその目を、まっすぐに見つめて言った。
「あのさ。あとでちょっと、二人で歩かないか」
イルギネスと驃が、予想より早く近隣のテーブルの者たちとも盛り上がり始め、啼義とリナはそんなに気に掛けられることもなく、二人で抜け出すことに成功した。
賑わう大通りを抜けると人通りは少しずつ減り、昨日、啼義が一人で訪れた大樹のある丘の麓まで来ると、喧騒はだいぶ遠ざかった。空はまだ明るいが、少しずつ日が傾いて来て、西から色が変わり始めている。
「もう少し先、あの上まで行くと、見晴らしがいいんだ」
ふと立ち止まったところで、二人の視線が何となく重なった。リナの息が、心なしか上がっている。啼義は、自分が少し速く歩きすぎたことに気づいた。「ごめん。歩くの速かったな」
リナが首を振る。「ううん、大丈夫」
けれど、ここからは少し上り坂だ。また自分が行きすぎないためには一緒に歩けばいいんだと思い立ち、啼義はリナの手を取った。
「行こう」
するとリナも、その手をキュッと握り返してきた。握り返されるとは思っていなかった啼義は、動悸がするのを悟られないよう、黙々と丘の上まで進んだ。結局、また少し速足になりながら。
丘の上から見るカルムは、ミルファよりはだいぶ小さいが、収穫祭のために飾られた照明がだんだんと灯されてきて、町全体がふんわりと優しい明るさを保っていた。
「本当だ。いい眺め!」
リナが、少し息を切らしながら感嘆の声を上げる。
「啼義は、こんな素敵な日に生まれたのね」
振り返ったリナの笑顔が、殊更キラキラと啼義の目に映った。こんなふうに二人でいられる時間は、ミルファにいた時以来だ。けれどあの時はまだ、とても気持ちを告げられる状況ではなかった。
「あの通りが、さっき私たちがいたところね」
啼義は、眼下の景色に夢中なリナを見つめながら、こうしていられるひと時の幸せを、心から噛み締めた。こんな時間をこれからも、何度でも迎えたい。
「ねえ、啼義」
振り向いたリナが、啼義の視線に気づいた。その熱のこもった眼差しに、リナは思わず口を閉じ、訝しげに啼義を見上げる。
啼義は身体ごとリナに向かうと、さっきとよりもしっかりと彼女の手を取り、出来るだけ優しく自分の方へ向かせた。
「リナ」
啼義の黒い瞳を見返したリナの瞳も、心なしか、ほのかな熱を宿している。
<今しかない>
啼義は背筋を伸ばし、今度はリナの手を両手で包んだ。
「俺は、リナとずっと一緒にいたい」
啼義の声は、穏やかながらも揺るがない決意に満ちている。
「ミルファから先も──イリユスまで、俺と一緒に来てくれないか」
リナの瞳が、驚いて一瞬惑う。それから啼義を真っ直ぐに捉え──断られるのかと不安になりかけた啼義の耳に。
「はい」と、彼女の答えが届いた。
西日が照らして赤くなり始めた空を、木の幹に背を預けたイルギネスが仰ぐ。
「まあ、ここなら宿のすぐ裏だし、心配ないだろう」
隣では驃が、何となく目のやり場に困った様子で小さく息をついた。
「そうだな。これ以上俺らが見てるのも野暮だ」
「主人のプライバシーも、大事だからな」
少し酒が入ってニヤニヤしながら言ったイルギネスを「そんな顔で言うな」と驃が諌めたが、その顔はやっぱり笑っている。
「護衛どころか、すっかりアテられちまったな。飲みに戻ろうぜ」
「本当にな。羨ましい限りだ」
振り返った向こう、一つになった影をそっと振り返ると、二人は静かに踵を返した。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
Dear sword
香月 優希
ファンタジー
銀髪の魔術剣士イルギネスは二十四歳。
弟を病で亡くしてから一年が経とうとし、両親や周りに心配をかけまいと明るく振る舞う一方、自らの内に抱える苦しみをどうすることも出来ずに、気づけば夜の街に繰り出しては酒を煽り、時には行きずりの出会いに身を投げ出して、職務にも支障が出るほど自堕落になりかけていた。そんなある日、手入れを怠っていた愛剣を親友に諌(いさ)められ、気乗りしないまま武器屋に持ち込む。そこで店番をしていた店主の娘ディアにまで、剣の状態をひどく責められ──そんな踏んだり蹴ったりの彼が、"腑抜け野郎"から脱却するまでの、立ち直りの物語。
※メインで連載中の小説『風は遠き地に』では、主人公ナギの頼れる兄貴分であるイルギネスが、約二年前に恋人・ディアと出会った頃の、ちょっと心が温まる番外短編です。
<この作品は、小説家になろう、pixiv、カクヨムにも掲載しています>
異世界で穴掘ってます!
KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語
アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~
明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!!
『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。
無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。
破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。
「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」
【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?
『希望の実』拾い食いから始まる逆転ダンジョン生活!
IXA
ファンタジー
30年ほど前、地球に突如として現れたダンジョン。
無限に湧く資源、そしてレベルアップの圧倒的な恩恵に目をつけた人類は、日々ダンジョンの研究へ傾倒していた。
一方特にそれは関係なく、生きる金に困った私、結城フォリアはバイトをするため、最低限の体力を手に入れようとダンジョンへ乗り込んだ。
甘い考えで潜ったダンジョン、しかし笑顔で寄ってきた者達による裏切り、体のいい使い捨てが私を待っていた。
しかし深い絶望の果てに、私は最強のユニークスキルである《スキル累乗》を獲得する--
これは金も境遇も、何もかもが最底辺だった少女が泥臭く苦しみながらダンジョンを探索し、知恵とスキルを駆使し、地べたを這いずり回って頂点へと登り、世界の真実を紐解く話
複数箇所での保存のため、カクヨム様とハーメルン様でも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる