風は遠き地に

香月 優希

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第五章 竜が啼く

破邪の光 2

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 啼義ナギたちは、ダリュスカインが去った方角へひたすら進んだ。
 噴火口跡が近いせいか、木々が生い茂る山道は、徐々に殺風景な岩場へと変わって行く。
「山の地を掘る場所は、魔気も強まると言うが──なるほど、明るいのにどことなく嫌な気配を含んでいる感じはするな」
 しらかげは相変わらず、周囲に鋭い眼差しを走らせながら呟いた。啼義は彼を振り返ると、驃をまじまじと見つめる。
「ん? どうした」
「驃、傷は大丈夫なのか?」
 思わず聞いたが、驃はさらりと「なんだ、そんなことか。見ての通り大したことねえよ」と返してきた。啼義は驚きを隠せない。
 彼も全身の強打だけでなく、見えざる刃も受け、顔だけでなく上半身にも下半身にも、明らかに幾らかの切り傷を負っているが、そんなことは全く気にならないかのような足取りだ。先ほどの様子を見たら、かなりのダメージがあるはずで、それがこんな短時間で回復するわけもない。
<精神力がずば抜けてるんだ、きっと>
 そう考えれば納得できなくもないが、自分だったら、どんなに念じても痛みには勝てないだろう。
「驃」
 また名を呼ばれ、驃は「ん?」と首を傾げる。
「俺、あんたみたいに強くなりたい。これからも、ビシバシ鍛えてくれよな」
 今まさに、自分の人生が続くかどうかの瀬戸際で、啼義は敢えて言いたくなった。明日が来ないかも知れないなんて、考えるのはよそう。ここまでついて来てくれた仲間のためにも、万が一は考えない。
 驃が、白い歯を見せて笑った。屈強な男なのに、破顔すると無邪気な少年のようだ。
「言われなくても、お前はまだまだだ。これからもっと鍛えまくるから、覚悟しとけよ」



 その少し先──

 岩場の間にできた洞窟の中に、まさにダリュスカインの姿があった。
 ここに辿り着いてからしばらくの間、身を横たえて動く気配も見せなかったが、やがて、久しぶりの目覚めのように、目を開けた。

<啼義──>

 自分の意識ではどうにもならないところで見たのは、確かにあの青年の顔だった。
<やはり、生きていたんだな>
 そんなことは分かっていた。そうしてやっと、啼義を消し去れる機会が訪れたというのに。
 繰り広げられたのは、自分の意思ではなく、得体の知れない力によって引き起こされた戦いとなった。
<仕留められなかった>
 今やこの身を潤し満たすのは、罪なき人々の魂を喰らうことだけだ。これが目指した先の成れの果てかと言われれば──たとえ愚かと承知でも、ここまで来た以上、何も得ることなく引き下がれるわけがない。

 ほんの少し身体を動かしただけで広がる耐え難い痛みに、ダリュスカインは喘いだ。
 引き下がれない。だがもう、苦しみや憎しみもとうに限界を越えて、何を掴んだら希望となるのかも分からない。どうしたら──

<楽になりたい>

 ついにダリュスカインは、その思いに辿り着いた。
 楽になりたい。ただ、楽に。
 そうか──このまま肉体が果て行くに任せればいいのだ。

<もう──解放されるならば>

 ところがその途端、あの頭を割るような痛みが襲ってきた。
「うわあ‥…ああっ!」
 意識は急速に散り散りになり、そこに声ならぬ声が響く。

 ──まだだ。あいつを消し去るまで、この身体を止めることなど許さぬ。

 全身の血が逆流しそうな熱がこみ上げる。それが一気に身体を駆け抜けると、傷の痛みは消えた。しかし、傷が治ったわけではない。いまだ、脇腹からも、落とされた右の肘付近からも、ぽたぽたと血が滴り落ちている。こんな状態で、この肉体は、よくもこと切れずにいるものだ。
 ゆるゆると身を起こしたダリュカインに、声の主は優しく告げた。

 ──れ。さすればそれが糧となり、全ての苦衷くちゅうからも解放されよう。

 解放される?

 ダリュカインは、自らを嘲笑うかのように口元を歪めた。
<笑止な>
 これは解放という名の、殺戮へのいざないだ。

 宗埜ソウヤの言葉が、頭の奥にこだまする。
『その業が、お前さんを喰らわんことを祈るよ』
 
 そう、これは業だ。
 どこの者とも分からぬ自分を迎え、傍に置いてくれたあるじしいした罪。己の欲する目的のために、歪んだ思惑に取り憑かれた報い。
 業に喰われ、魔物よりも醜い哀れな道を行くしか、残された道はないのだ。この肉体は、もはや自分のものなどではない。

 本当の解放は──

 閉じたダリュスカインの瞼の裏に、一人で寂しげに雪を眺めていた幼い啼義の後ろ姿の記憶が蘇った。
 自分より遥かに小さな少年は、レキという庇護者のもとにいながら、どこかで自分と同じように孤独を抱え、耐えていた。靂の、啼義に対する言葉や態度には現れない──しかし紛れもない愛情が浮かぶ眼差しに嫉妬を覚えながらも、それに気づくことが出来ない啼義の幼さも、常に片隅にある寂しさも、ダリュスカインには痛いほど分かった。

<俺たちは、どこか似ていたんだな>

 その時また精神が揺らぎ始め、彼は思わず、結迦ユイカから託された腰元の巾着を握った。そうして自我か掻き消える寸前、念じるように力をこめた。

<啼義よ、来い。そうして今度こそ──俺を消し去るがいい>
 消し去ってくれ。



 ──やがて。
 再び目を開けたダリュスカインの瞳からは光が消え、気配を捉えた顔は悦びに満ちていた。

 来た。
 噴火口跡の地中からは、わずかだが魔気が発生している。先ほどかなりの魔力を消耗したが、ここでならまだ申し分なく力を使えるだろう。

 ダリュスカインは立ち上がり、肉体の損傷などまるでないかのように、悠然と洞窟の入り口へ踏み出した。
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