風は遠き地に

香月 優希

文字の大きさ
上 下
78 / 96
第五章 竜が啼く

対峙 3

しおりを挟む
 畑仕事をしていた年老いた夫婦が案内してくれた空き家で、啼義ナギたちはやっと荷を下ろし、ひと息着くことが出来た。
「もともと小さな集落ですし、こんな状態であまりお構いできませんで。イリユス神殿の討伐隊の剣士様がいらっしゃると分かれば、もう少し何かご用意いたしましたものを」
 そうは言いながらも老婦人が差し入れてくれた手料理は、畑で採れた食材を使って味わい優しく仕上げられ、腹だけでなく心も満たされた。
「美味しかった」
 ミルファを出発してからどことなく張り詰めていた啼義だったが、数日ぶりに気持ちがほぐれ、そうすると緩やかな眠気が頭をもたげてくる。しかし、ほどなくして頭の片隅の小さな危機感が眠気を妨げた。
 ダリュスカインの位置は、もう近いのだろうか?
「リナ、魔の刻石の反応を見てもらえるか?」
 果たしてあちらの動きはどうなのだろうか? 推測が正しければ、近いうちにここに現れる可能性は充分にある。
「ちょっと待ってね」
 リナは机の上に地図を広げると、その上に出した両の手で魔の刻石を包み、目を閉じた。

 しばしの沈黙。

 啼義、イルギネス、しらかげが神妙な様子で見守る中、やがて彼女は目を開けた。
「あんまり動いてはいなさそうだけど──やっぱり、こっちに近づいている気がする」
 リナは地図の上で波動の位置を思い出すように指を彷徨わせ、ルオのやや西のあたりを指す。
「この辺かしら」
「山の中だな」と、驃。イルギネスが、リナの示したすぐ横に指を這わせた。
「ソダナとここの間にある山道には、今は活動のない小さな噴火口跡があるって言ってたな。道も険しいらしいし、難儀しているのかも知れん」
 その時、地図に目を落としていた啼義が、不意に顔を上げた。
「だったら、会いに行こう」
「え?」三人が一斉に啼義を見る。彼は姿勢を正し腕を組んだ。
「逃げ出した人たちもいるけど、ここにはまだ人が住んでいる。一連の噂が本当なら、万が一にもここを焦土にするわけにはいかない」
「なるほど」
 驃が、啼義の黒い瞳に挑戦的な眼差しを投げる。
「賛成だ」
「俺も賛成だ」イルギネスも続いた。リナも、あらためて覚悟を決めるように口元を引き締め、頷く。
「そうね。行ってみましょう」

 本当は怖い。
 けれど、行かなければ終わらない。
 着いて来てくれるみんなのためにも。
 
 イルギネスは、啼義の毅然とした表情を見て、口の端を上げた。
<間違いない。啼義は、俺たちを率いて立てる男だ>
 啼義は自覚していないようだが、その意識の底には、早くも人を率いるに相応しい土台が出来つつある。イルギネスは、自分がこの青年に付き従うであろう未来を、頼もしい気持ちで思い浮かべるのだった。


 だがその夜の啼義は、さすがになかなか寝付けずにいた。イルギネスも驃も、間仕切りの向こうではリナも、どうやらすでに眠りの中にいるようだ。取り残されたような闇の中、啼義は自分の心を落ち着かせる拠り所を探した。

レキ
 
 ふと思い出し、父代わりだった男の名を心の中で呼ぶ。
 実の子ではないと分かっていても、その態度が好意的でなくても、苦しい気持ちの時に頼って呼ぶのはいつも靂だった。
 ある幼い日の夜、どうしても眠れずに夜中に靂の自室を訪れたことがあった。朝矢トモヤと彼の母とのやり取りがたまらなく羨ましくて、憎らしくて、そして寂しくて、どうしていいか分からなくなって、気づいたら靂の部屋の前に来ていたのだ。
 そっと扉を開けると、気配で目覚めた靂は驚きつつも、相変わらず冷ややかな目で啼義を見下ろしたが、自分を見上げる黒い瞳に何かを感じ取ったのか、『夜中にうろうろするな』と啼義を招き入れ、『もうここで寝ていくがよい』と自身の寝台を指した。
 それで啼義は緊張が解け、思わず言ったのだ。『一緒に寝てほしい』と。
 靂は暗い中でも分かるほど迷惑そうに眉根を寄せ──大きくため息をつくと、もうそんなに軽くはない啼義をふわりと抱き上げ、一緒に寝台へ向かった。そうして啼義の身を横たえさせると靴を脱がせ、隣に自分も乱暴に横になった。
『今夜だけだぞ』素っ気なく言うと、彼は目を閉じた。
 啼義は恐る恐る靂の腕に触れてみた。怒られる気配はない。もう少し身を寄せてみても、靂は動かなかった。その温もりに安堵を覚え、さっきまで昂っていた気持ちが嘘のように、啼義はあっという間に眠りに落ちていったのだ。
 それが自分が記憶している、靂と一緒に眠った最初で最後の夜だった。けれどあの時の経験したことのない安心感は、啼義の心を支える大きな柱となり、事あるごとに孤独を和らげる作用を果たしてきた。

<もし、ダリュスカインと会って、俺が葬られるようなことがあっても>

 そうだな。靂に会えるなら──怖くはない。
 やれるだけやったなら、きっと少しは柔らかく迎えてくれるだろう。
 
 そう思えた途端、ざわついていた心が緩やかに鎮まり、重みを伴って胸の奥に落ち着いた。どうなっても、導きのままに従おう。だけど絶対に、イルギネスたちは無事に返すのだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

異世界で穴掘ってます!

KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語

あの味噌汁の温かさ、焼き魚の香り、醤油を使った味付け——異世界で故郷の味をもとめてつきすすむ!

ねむたん
ファンタジー
私は砂漠の町で家族と一緒に暮らしていた。そのうち前世のある記憶が蘇る。あの日本の味。温かい味噌汁、焼き魚、醤油で整えた料理——すべてが懐かしくて、恋しくてたまらなかった。 私はその気持ちを家族に打ち明けた。前世の記憶を持っていること、そして何より、あの日本の食文化が恋しいことを。家族は私の決意を理解し、旅立ちを応援してくれた。私は幼馴染のカリムと共に、異国の地で新しい食材や文化を探しに行くことに。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

俺だけに効くエリクサー。飲んで戦って気が付けば異世界最強に⁉

まるせい
ファンタジー
異世界に召喚された熱海 湊(あたみ みなと)が得たのは(自分だけにしか効果のない)エリクサーを作り出す能力だった。『外れ異世界人』認定された湊は神殿から追放されてしまう。 貰った手切れ金を元手に装備を整え、湊はこの世界で生きることを決意する。

処理中です...