風は遠き地に

香月 優希

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第五章 竜が啼く

北へ 5

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「リナが……一緒に?」
 動揺が隠せない啼義ナギに、アディーヌが説明した。
「リナはここ連日、かつて私が使っていた魔法杖ワンドの作り手の元へ通い、その魔力の回復を図ると同時に、使い方の訓練もしていました。それで、ここを留守にしていたのです」
 謎が解けたが、その理由の意外性に、啼義はただ驚いて言葉もない。
「リナは、どうしても啼義様のお力になりたいと私に申し出ました。ですがあのままでは、危険はもちろん、足手纏いになりかねません。ひとまず、魔法杖の能力をどのくらい引き出せるようになるかを見て、判断することにしたのです」
 しらかげが、厳しい表情で口を挟んだ。
「それで、及第点に至った──と言うわけですか?」
 アディーヌが頷く。「そう、及第点です」
心許こころもとないな」驃の冷ややかな反応に、アディーヌは言葉を返した。
「私は、賭けてみるに充分な及第点とみなしました」
「命に関わります。それを賭けなどと──」
 その時、扉が開いてリナが入って来た。驃が口をつぐむ。
「あの──」
 ただならぬ様子に、リナは怪訝な顔で一同を見渡した。アディーヌが、彼女の前に進み出る。
「リナ。話があります」
 師の眼差しに、リナは事態を悟ったようだった。表情を引き締め、彼女は問うた。
「来た……のですか?」
 アディーヌが、深く頷いた。


 星空は、中庭の長椅子に並んで腰掛けている啼義とリナを、静かに見守るように広がっている。
「全然、知らなかったや」
 連れ出したのは啼義だ。リナの行動の意図は理解できたが、自分の心の整理も兼ねて、リナとちゃんと話がしたかった。
「実はさ、避けられてるのかと思ってたんだ。なんかこう、表情も険しかったし」
 そうではなかったと分かった安心感から、彼は思ったままを口にした。
「やだ。怖い顔になってた?」
 リナが慌てたので、啼義は咄嗟とっさに「いや、そうじゃなくて」と修正する。
「張り詰めてるような感じだった」
 リナは「そうね」と、膝の上で組んでいた手を離し、「確かに、張り詰めていたわ」と認めた。
「だって、アディーヌ様が認めなければ、私はまた留守番だもの」
 啼義は、自分がここを抜け出した日、リナがイルギネスたちと一緒に探しに行くと頑なに言い張った話を思い出した。それにしても一体どうして、彼女はそんなに──
<まさか>
 リナが、自分が思うのと同じように、一緒にいたいと思っているなどと──あまりに自分に都合のいい解釈が浮かんできて、啼義は狼狽うろたえた。あり得ない。こんな、何の取り柄もなく、それどころか、危険な事情の只中にいる自分に。
<同情……か?>
 彼女は、他人に寄り添う心を持ち、慈悲の深い性格でもあるようだ。だから、過酷な状況にある自分が、放っておけないのかも知れない。そういうことだろう。
「でも、リナ。俺が不憫だって思って着いてくるには、やっぱり危険だよ」
 納得のいく理由だが、それだけで道連れにはできない。が、啼義の言葉を受けたリナは眉根を寄せた。
「え?」
 啼義は戸惑った。「俺、何か変なこと言ったか?」
「そんなこと、思ってないわ」リナは、キッパリと否定した。その声は、ちょっと怒っているようにも聞こえる。
「私」
 しかしリナは、そこで何かを言いかけて黙り、啼義を見つめた。深い紫の瞳が、心なしか揺れている。それは彼女の心の内の、言いようのない思いを反映していたが、啼義にはうまく掴むことが出来ない。
<何だ?>
 見えない壁に阻まれたように、互いに見つめあったまま、二人は硬直した。実際にはそんなに長くはなかったが、それは二人にとっては、ずいぶん長い沈黙に思えた。
 耐えかねたように、口を開いたのはリナだ。啼義を見つめたまま、彼女は、小さな声で言った。
「そんなんじゃないわよ。啼義が不憫だからとか、そんな理由ことじゃない」
「じゃあ、なんで──」
 同情でないのなら、なんだと言うのだ。
 続けて問いかけようとして、啼義の中に、唐突な理解が走った。言いようのない思い。今、自分と合わせた彼女の瞳の、奥に在る感情は──

<言葉にして、簡単に言えたならいいのに>

 思わず目線を落とした視界に、リナの華奢な左手が映る。自分の右手をちょっと動かせば、触れ合う位置だ。今なら、この手を握ってもいいのかも知れないと、彼は本能的に感じ取った。
 けれど、そんな直感とは裏腹に、右手が金縛りにでもあったかのように動かない。頭の中で、もう一人の自分が囁く。そんなことをして、見当違いだったらどうするのだ。それに、突然すぎないか。
 あれこれ思考が回り、彼はささやかに混乱した。
 観念して息をつき、顔を上げると、自然に視線が重なった。リナは、その顔にわずかに困惑の色を浮かべながらも、しっかりと啼義の黒い瞳を見返してくる。その目が伝えようとしている感情は──

<同情なんかじゃ、ない>

 啼義は一つの答えに行き着いた。にわかには信じ難い。でも。
 鼓動が速まる。ここでもし思いを告げたら、彼女は「はい」と、頷いてくれるのではないか。
「リナ」熱情に突き動かされるように名を呼び、今度こそ彼女の手を取ろうとした時──待て、と声が聞こえた気がした。それと同時に強く湧き上がってきたのは、これから対峙せなばならない現実の重みと、そこに彼女を伴う責任──
<待て。まだだ>
 今はまだ、言える資格なんてない。こんな不安定な状況で、告げてどうするのだ。
 啼義は手を引っ込めた。自分にはまだ──
「ああもうっ」
 余計な思考を追い払おうと、彼は頭をぶんぶんと振った。身体を動かしたら、一気に緊張がほぐれた。そのまま、大きく身体を伸ばす。
「ふう……」
 ふと隣を見ると、リナが隣できょとんとしていた。目をまん丸くしているその様子が可愛くて、啼義は思わず笑った。
「ちょっと。何で笑うの?」
 リナが抗議の眼差しを向けたが、啼義は笑顔のまま「ごめん」と謝り──自然に、彼女の頭に手を伸ばしていた。
「ありがとう」
 初めて触れた彼女の髪は滑らかで、ふんわりと柔らかな香りがした。が、次の瞬間、呆気に取られているリナの顔を見て、自分の行動に気づいた啼義は慌てて手を引く。
「ごめん」今度は本気で謝った。すると、リナはくすくすと笑った。「ううん」
 それでまた舞い上がっている自分を自覚し、啼義はほのかに嬉しくなった。今は、これでいい。いつかきっと──彼は立ち上がり、リナを振り返る。
「話せてよかった。もう遅いし、中に戻ろう」

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