風は遠き地に

香月 優希

文字の大きさ
上 下
56 / 96
第四章 因縁の導き

野営 1

しおりを挟む
<そんな……>
 啼義ナギは目を疑った。だが、これは紛れもない現実のようだ。
 魔物は牙から唾を垂らしながら、啼義に視線を合わせたまま、太い四肢をゆっくりと運び、こちらへ進んで来る。このままではいけないと分かっているのに、今しがたの戦いで全てを出し切ってしまったようで、身体が動かない。
<立て>
 啼義は己を叱咤した。
<何やってる。立てよ>
 なんとか気力を奮い立たせ、剣を握り直した手が震える。こんなところで誰かが助けてくれるわけもない。自分しかいないのだ。
 ありったけの力を振り絞ってふらふらと立ち上がったものの、もう先ほどのような力を発動できる余裕は微塵もない。
 魔物が一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
<誰か>
 知らず、心の中で助けを呼んだ。飛びかかって来たら防げる自信はない。恐怖でどうかなりそうだ。心臓がバクバクと、魔物にも伝わりそうなほど激しく鳴っている。

 いきなり、魔物が助走もつけず──なのに、予想よりずっと身軽に、高く飛んだ。
 剣を構える暇などなかった。仰向けに転がったところに乗り掛かられ、無我夢中になって剣を振り回す。一撃でも食らったら終わりだ。
「あっ!」
 闇雲に振り回した剣身が、魔物の口にガッチリと収まった。次の瞬間、魔物は首を振るい、それを勢いよく遠くへ飛ばす。
<剣が──!>
 次こそもう、牙を防ぐ術はない。
 魔物の大きな口が目前に迫り、啼義は目を閉じた。

 グワアァァァー!

 耳をりそうな咆哮。
 しかし、痛みの衝撃は来なかった。
 目を開けると、大きくのけぞった魔物の姿が映った。その額に、一本の剣が突き立っている。目の前の光景が信じられずに凝視した視界の端を、何かが風のように横切ると、音もなく魔物の首が胴体から離れ、後ろに転がり落ちて視界から消えた。
 ドッ……! と、地面を揺るがすような振動を響かせ、魔物の巨体が倒れる。

<え?>

 放心状態の耳に、背後から澄んだ声が届いた。
「間一髪だぜ。ったく、何やってんだ」
 足音が近づいてきて、仰向けのままの視界に、見知った顔が現れた。しらかげだ。続いて覗いたのはイルギネス。
<──夢?>
「血だらけじゃないか、大丈夫かっ?」
 瞼を閉じて再び開けてみても、二人の顔は確かにそこにあった。イルギネスがしゃがみこむ。
「怪我は? どこか痛むか?」
「う……うん。だい……じょ……」
 啼義はホッとしすぎて言葉を失った。全身の力が一気に抜け、身体が地面と同化したように重みを増す。その途端、左足に鋭い痛みを感じて、啼義は呻いた。
「腿をやられてるな。引っ掻かれたか」
 イルギネスが啼義の身体状態を確認し、彼らしくもなく眉間に皺を寄せている。驃も、魔物に突き立った自分の剣を引っこ抜いて、こちらへやって来た。
「なんで……こんな、すぐ……」
 息も絶え絶えに二人を見上げる啼義に向けて、イルギネスが不機嫌そうに口を開いた。
「探されないように家出するなら、門を出る時にマントで顔を隠すぐらいして通れ。馬鹿が」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?

お子様
ファンタジー
机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。 飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい? 自重して目立たないようにする? 無理無理。快適な生活を送るにはお金が必要なんだよ! お金を稼ぎ目立っても、問題無く暮らす方法は? 主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。 (実践出来るかどうかは別だけど)

【完結】虐げられた男爵令嬢はお隣さんと幸せになる[スピラリニ王国1]

宇水涼麻
恋愛
男爵令嬢ベルティナは、現在家族と離れて侯爵家で生活をしている。その家の侯爵令嬢セリナージェとは大の仲良しだ。二人は16歳になり貴族の学園へ通うこととなった。 3年生になる年の春休み、王都で遊んでいたベルティナとセリナージェは、3人の男の子と出会う。隣国から来た男の子たちと交流を深めていくベルティナとセリナージェだった。 ベルティナは、侯爵家での生活に幸せを感じている。その幸せはいつまで続くのか。いや、まずその幸せは誰から与えられたものなのか。 ベルティナが心の傷と向き合う時が迫ってくる。

異世界召喚されたと思ったら何故か神界にいて神になりました

璃音
ファンタジー
 主人公の音無 優はごく普通の高校生だった。ある日を境に優の人生が大きく変わることになる。なんと、優たちのクラスが異世界召喚されたのだ。だが、何故か優だけか違う場所にいた。その場所はなんと神界だった。優は神界で少しの間修行をすることに決めその後にクラスのみんなと合流することにした。 果たして優は地球ではない世界でどのように生きていくのか!?  これは、主人公の優が人間を辞め召喚された世界で出会う人達と問題を解決しつつ自由気ままに生活して行くお話。  

その転生幼女、取り扱い注意〜稀代の魔術師は魔王の娘になりました〜

みおな
ファンタジー
かつて、稀代の魔術師と呼ばれた魔女がいた。 魔王をも単独で滅ぼせるほどの力を持った彼女は、周囲に畏怖され、罠にかけて殺されてしまう。 目覚めたら、三歳の幼子に生まれ変わっていた? 国のため、民のために魔法を使っていた彼女は、今度の生は自分のために生きることを決意する。

さようなら、私の初恋。あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。

処理中です...