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第三章 邂逅の街
癒しの手 1
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扉が開く音を聞いて玄関に出てきたリナは、戻って来た啼義とイルギネスの様子に、驚きの声を上げた。
「ちょっと、二人ともどうしたの?」
啼義の着ている服は見覚えがないし、イルギネスが啼義の肩を借りている。彼が自力で歩けないような事態が起こったのだ。
「──色々あってな。リナ、足を診てくれ」
イルギネスはさして気にもしていない口調で答え、居間に入って椅子に腰掛けると、靴を脱ぎ右足を示した。包帯には、わずかに血が滲んでいる。
いつの間にか驃も現れて、イルギネスの足を覗き込むと、「どうした?」と眉を顰めた。
「何踏んだんだ。これじゃ、ろくに足がつけないだろう」
「分からん。咄嗟だったんで、気づいたのもだいぶ後でな」
「これに気づかないって……どういう状況だ」
驃は困惑の表情を浮かべた。土踏まずのやや上あたりに、鋭利な何かで裂いたような傷がある。リナはガーゼや消毒液を入れた籠を持ってやって来て、イルギネスの足元に膝をつくと、丁寧な手つきで彼の足をとり、傷を確かめながら、心配そうに尋ねた。
「これ……だいぶ痛むでしょう? 少し深いから、治癒をかけておきましょうか」
「ああ。ちょっとしんどいと思ってたんだ。頼む」
イルギネスの言葉に、思わず口を開いたのは啼義だ。
「やっぱり、痛かったんじゃねえか。大丈夫だなんて、ハッタリかましてんじゃねえよ」
抗議する彼に、イルギネスは「いや、すまん」と軽く笑ったが、反省は全く伝わってこない。啼義は眉間に皺を寄せた。心配をかけまいとしてだろうが、何となく騙されたような気がして、納得がいかない。これからは言葉を鵜呑みにせず、慎重に様子を見るようにしなければ。
黙っている啼義に、イルギネスが言った。
「そんな顔ばっかりしてると、気難しい顔のジジィになるぞ」
「うるせぇ」啼義の眉間に、また皺が寄る。「だとしたら、あんたのせいだ」
二人のやり取りに、驃が吹き出した。「お前ら、仲良しだな」
リナは、そんな会話も耳に入っていないかのように黙々と傷口をガーゼで拭っていたが、やがてほっと息をついた。
「とりあえず──何か刺さったままとかじゃなさそうね。良かった」
彼女はガーゼを机に置き、自分の右の掌に、イルギネスの大きな足をそっと乗せた。その甲に左手を重ねて瞼を閉じ、何かを念じる。すると、彼女の右手が光を灯したように見え──次の瞬間には、イルギネスの足下に吸い込まれるように消え去った。
「はい」
リナが目を開け、手を離す。訝しげな啼義の前で、イルギネスが足裏を見た。傷があったはずの場所には、出血の汚れと、うっすらとした痕が残っているのみ。
「凄え」
啼義は、その鮮やかな仕草と速さに思わず感嘆の声を上げた。似たような裂傷にダリュスカインが治癒を使っているのを見たことがあるが、もう少し時間をかけていた記憶がある。
「リナは、治癒に関してはアディーヌ様のお墨付きだからな」驃が言う。
「治癒だけよ」
少し目を伏せ、リナが答えた。それとなく──彼女の表情が曇ったのに、啼義は気づいた。
「いいさ。充分助かる」
イルギネスの言葉にも、リナはそっと微笑んだだけで、言葉を返さずに立ち上がる。
<なんだ? 何がいけないんだ?>
気に掛かった啼義が、無意識に目で追っているとも知らず、彼女は籠を棚に戻して振り返った。彼は自分の視線を急に意識し、慌てて目を逸らす。
「とりあえず、お昼にしましょう。それに、何があったのか、ちゃんと聞きたいわ」
困ったように自分たちを見つめるリナの眼差しを、啼義は気まずい気分で受けた。話さないわけにもいかないが、自分の愚行が明らかになると思うと──腹は減っていたが、あまり美味しく食べられる気がしない。
結局、食事中は、啼義が海に落ちたのを助けて、停泊していた船に世話になったということくらいしか、イルギネスは話さなかった。
「けっこう端折って、こんな感じだが……今ここで全部話すには、少しばかり込み入った事情があってな。それに、細かい話はアディーヌ様にも伝えたい」
「アディーヌ様?」
リナが意外そうに尋ねる。
「ああ。アディーヌ様にも関係がある。だから、会ってから一緒に話したい」
イルギネスは柔らかい口調で、しかしそれ以上の追求を明確に締め切った。啼義はホッとした反面、やはり自分が情けなく溺れたことを知られて、肩身が狭いばかりだ。また額の奥が疼くのを感じながら、せめて食器を片付けるのでも手伝おうと席を立った時、身体がよろめいた。
「おい、大丈夫か?」
隣にいたイルギネスが見上げ、それからふと何かに気づいたように眉を上げる。
「啼義、お前──」
彼は素早く立ち上がると、啼義の額に掌を当てた。
「熱があるな」
言われてみれば、さっきから身体が火照っているような気がする。意に反して、匂いにそそられ、肉料理をたらふく頬張ったせいかとも思ったが──意識した途端、啼義はもう一度椅子に座り込んだ。やはりクラクラする。
「少し横になった方がいい。一緒に上ろう」
「……うん」
額の奥が、ガンガンと割れるように鳴っている。不調を感じたと思ったら、もうまともに立つことも出来ない不甲斐なさに、啼義は自分で辟易した。だがこの状態では、従うしかない。
<畜生>
心の中で毒づいた。全く、今の自分の駄目さ加減は酷い。一体いつになったら、自分はしっかり立てるのだろう。
「ちょっと、二人ともどうしたの?」
啼義の着ている服は見覚えがないし、イルギネスが啼義の肩を借りている。彼が自力で歩けないような事態が起こったのだ。
「──色々あってな。リナ、足を診てくれ」
イルギネスはさして気にもしていない口調で答え、居間に入って椅子に腰掛けると、靴を脱ぎ右足を示した。包帯には、わずかに血が滲んでいる。
いつの間にか驃も現れて、イルギネスの足を覗き込むと、「どうした?」と眉を顰めた。
「何踏んだんだ。これじゃ、ろくに足がつけないだろう」
「分からん。咄嗟だったんで、気づいたのもだいぶ後でな」
「これに気づかないって……どういう状況だ」
驃は困惑の表情を浮かべた。土踏まずのやや上あたりに、鋭利な何かで裂いたような傷がある。リナはガーゼや消毒液を入れた籠を持ってやって来て、イルギネスの足元に膝をつくと、丁寧な手つきで彼の足をとり、傷を確かめながら、心配そうに尋ねた。
「これ……だいぶ痛むでしょう? 少し深いから、治癒をかけておきましょうか」
「ああ。ちょっとしんどいと思ってたんだ。頼む」
イルギネスの言葉に、思わず口を開いたのは啼義だ。
「やっぱり、痛かったんじゃねえか。大丈夫だなんて、ハッタリかましてんじゃねえよ」
抗議する彼に、イルギネスは「いや、すまん」と軽く笑ったが、反省は全く伝わってこない。啼義は眉間に皺を寄せた。心配をかけまいとしてだろうが、何となく騙されたような気がして、納得がいかない。これからは言葉を鵜呑みにせず、慎重に様子を見るようにしなければ。
黙っている啼義に、イルギネスが言った。
「そんな顔ばっかりしてると、気難しい顔のジジィになるぞ」
「うるせぇ」啼義の眉間に、また皺が寄る。「だとしたら、あんたのせいだ」
二人のやり取りに、驃が吹き出した。「お前ら、仲良しだな」
リナは、そんな会話も耳に入っていないかのように黙々と傷口をガーゼで拭っていたが、やがてほっと息をついた。
「とりあえず──何か刺さったままとかじゃなさそうね。良かった」
彼女はガーゼを机に置き、自分の右の掌に、イルギネスの大きな足をそっと乗せた。その甲に左手を重ねて瞼を閉じ、何かを念じる。すると、彼女の右手が光を灯したように見え──次の瞬間には、イルギネスの足下に吸い込まれるように消え去った。
「はい」
リナが目を開け、手を離す。訝しげな啼義の前で、イルギネスが足裏を見た。傷があったはずの場所には、出血の汚れと、うっすらとした痕が残っているのみ。
「凄え」
啼義は、その鮮やかな仕草と速さに思わず感嘆の声を上げた。似たような裂傷にダリュスカインが治癒を使っているのを見たことがあるが、もう少し時間をかけていた記憶がある。
「リナは、治癒に関してはアディーヌ様のお墨付きだからな」驃が言う。
「治癒だけよ」
少し目を伏せ、リナが答えた。それとなく──彼女の表情が曇ったのに、啼義は気づいた。
「いいさ。充分助かる」
イルギネスの言葉にも、リナはそっと微笑んだだけで、言葉を返さずに立ち上がる。
<なんだ? 何がいけないんだ?>
気に掛かった啼義が、無意識に目で追っているとも知らず、彼女は籠を棚に戻して振り返った。彼は自分の視線を急に意識し、慌てて目を逸らす。
「とりあえず、お昼にしましょう。それに、何があったのか、ちゃんと聞きたいわ」
困ったように自分たちを見つめるリナの眼差しを、啼義は気まずい気分で受けた。話さないわけにもいかないが、自分の愚行が明らかになると思うと──腹は減っていたが、あまり美味しく食べられる気がしない。
結局、食事中は、啼義が海に落ちたのを助けて、停泊していた船に世話になったということくらいしか、イルギネスは話さなかった。
「けっこう端折って、こんな感じだが……今ここで全部話すには、少しばかり込み入った事情があってな。それに、細かい話はアディーヌ様にも伝えたい」
「アディーヌ様?」
リナが意外そうに尋ねる。
「ああ。アディーヌ様にも関係がある。だから、会ってから一緒に話したい」
イルギネスは柔らかい口調で、しかしそれ以上の追求を明確に締め切った。啼義はホッとした反面、やはり自分が情けなく溺れたことを知られて、肩身が狭いばかりだ。また額の奥が疼くのを感じながら、せめて食器を片付けるのでも手伝おうと席を立った時、身体がよろめいた。
「おい、大丈夫か?」
隣にいたイルギネスが見上げ、それからふと何かに気づいたように眉を上げる。
「啼義、お前──」
彼は素早く立ち上がると、啼義の額に掌を当てた。
「熱があるな」
言われてみれば、さっきから身体が火照っているような気がする。意に反して、匂いにそそられ、肉料理をたらふく頬張ったせいかとも思ったが──意識した途端、啼義はもう一度椅子に座り込んだ。やはりクラクラする。
「少し横になった方がいい。一緒に上ろう」
「……うん」
額の奥が、ガンガンと割れるように鳴っている。不調を感じたと思ったら、もうまともに立つことも出来ない不甲斐なさに、啼義は自分で辟易した。だがこの状態では、従うしかない。
<畜生>
心の中で毒づいた。全く、今の自分の駄目さ加減は酷い。一体いつになったら、自分はしっかり立てるのだろう。
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