風は遠き地に

香月 優希

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第三章 邂逅の街

再会 1

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 その昔、最上位の魔術師が開いたとされるドラガーナ山脈竜の背を挟んだ南の慈禊じけいほこらと、北の慈源じげんの祠の間に横たわる磁場の歪みは、一部では地底に眠る淵黒えんこくの竜と繋がっているとも言われている。
 人の魂を欲し、喰らい、それが故に蒼空そうくうの竜に封じられたとされる、淵黒の竜。
 祠を渡ろうした多くの者が戻らないため、祠は恐れられ、やがて禁断の場所として立ち入りが制限された。
 永い年月が流れ、今では竜の存在すら、どこか遠くの伝説のように語り継がれている。
 だが一方で、淵黒の竜は、死した者の魂を呼び戻すことができるのだと囁かれ、死者を蘇らせたいと願う者たちが集まり、二十年ほど前に信仰がおこった。
 それは小さな信仰だったが、死に関わる信仰は、生命の禁忌に触れるものであり、淵黒の竜に本当にそのような力があるのか確固たる証拠もない。存在を知る者たちの間では、そのような不確かで不穏なものに人が集まるのは、後々何かの火種になりはしないかと、危惧する声もあった。
 だが、半月近く前にその信仰の要のやしろが姿を消したという噂が、大陸の北から南へと伝わり始めた。
 そしてその少し後、また別の新たな噂が、ドラガーナ山脈の南に流布しだす。
 曰く、魔物ではなく、人の形をした化け物が、慈禊の祠の麓の村に出たのだと──


 雨がしとしとと、窓の向こうの世界を濡らしている。
 朝食を食べ終わった啼義ナギは、リナに尋ねた。
「イルギネスと……しらかげは、どこに行ったんだ?」
 彼女は食器を下げ、振り返った。高く結った金の髪が揺れる。
「裏庭で朝稽古をしてるわ。雨が降ってきたし、そろそろ戻ってくるんじゃないかしら」
「朝稽古?」
 啼義は驚いた。昨晩、遅くまであれだけ飲んでいて、どうしてそんな気になるのか。しかも、驃はともかく、イルギネスも一緒とは。二人で旅をしている時は、そんなことをやるようには見えなかったが。
「二人揃うと、いつもそうなの。しょっ中打ち合ってるのよ」
 リナは微笑ましげな口調で言った。
「ふうん」
 啼義は、酒場での二人の様子を思い出していた。自分の前では兄のようなイルギネスが、昨日は 驃と軽口を叩き合い、悪戯好きな少年のようでもあった。それに──
<恋人がいるって、言ってたな>
 店の若い女性陣にチヤホヤされて調子に乗っている彼に、驃が横槍を入れたのだ。「ディアがいたら怖いぞ」と。ところが、彼が返した言葉ときたら、「大丈夫だ、ここにはいない」である。啼義は呆れた。イルギネスは、黙っていれば端正な顔立ちだが、どうやら、中身はかなり端正からかけ離れている。見た目に騙されてはいけない。
<あいつのこと、けっこう分かったような気がしてたけど、まだ知らない部分もあるんだろうな>
 またイルギネスのことを考えている自分に気づき、啼義は再び眉間に皺を寄せた。出会ってからずっと行動を共にしているせいで、心細さもあって頼り癖がついているのかも知れない。彼は立ち上がった。
「いろいろありがとう。そうだ、アディーヌ様っていう方は?」
「もうお出かけになっているわ。夕方戻っていらっしゃるから、そしたら会えるわよ。……まだ、いるのよね?」
 聞かれて、啼義は首を傾げた。そうだ、イルギネスたちは一体いつまで、ここにいるつもりなんだろう。
「うん。多分」とりあえず答えた。
「よかった」
 するとリナは、啼義の前に歩を進めた。目の前に立つと、頭ひとつ分とまではいかないが、ほどほど身長差がある。彼を見上げる紫水晶のような綺麗な瞳に、爛々とした好奇心を浮かべ、「ねえ」と彼女が口を開いた。
「イルギネスが教えてくれたの。十七歳なんでしょ? 私は十六よ。同じくらいの年頃の人が周りにいないから、嬉しいな」
 朗らかな笑顔を向けられて、啼義は戸惑った。自分こそ同じ年頃の、しかも女性には縁がなかったことを突然思い出す。こういう時は、どう答えるべきなんだろうか。
「うん。ああ、俺も……その」
 言葉に詰まったところで、今しがた自分が入ってきたところから、見慣れた顔が覗いた。イルギネスだ。驃も続いている。
「お、起きてたか。おはよう」
 イルギネスは啼義の様子など気にも留めず、爽やかな口調だ。しかし、見た目は二人とも汗だくで、爽やかからはほど遠い。頭に手拭いを被った驃が言った。
「水浴びがしたい。風呂場を借りてもいいか?」
 リナは二人を交互に見つめ、小さく息をついた。嫌悪しているふうではなく、泥遊びから帰ってきた子供たちを見るような、どこか温かな眼差しだ。彼女は腰に手を当てて答えた。
「もちろんです。そのままでいられちゃ困るわ」
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