風は遠き地に

香月 優希

文字の大きさ
上 下
31 / 96
第三章 邂逅の街

港町ミルファ 3

しおりを挟む
 啼義ナギは、ふかふかした布団の上で目覚めた。とても気持ちよく寝ていた気がする。よく眠りすぎて、自分がどういう状況なのか、すぐに思い出せなかった。
<そうだ──アディーヌ様の家、とか言ってたっけ>
 イルギネスたちが様付けで呼んでいたアディーヌという魔術師は、どういう人物なのだろう。昨晩は本人に会わないまま、玄関に出てきたリナという少女に導かれて、二階のこの部屋に通された。装備はきちんと外してベッドの脇にまとめてあり、服も軽装に着替えている。うっすらと、そこまでは何とかやった記憶があったが──おそらくそのまま、倒れ込むよう眠ったに違いない。
 身を起こして隣のベッドに目をやると、そこにイルギネスの姿はなかった。出会ってからいつも、目覚める自分のそばにいた銀髪の青年の姿を、啼義は無意識に探した。部屋を見渡してみるが、気配はない。下の階に降りたのだろうか。思わずベッドから立ち上がる。そこでふと自分の行動に気付き、彼は眉間に皺を寄せた。子供でもあるまいに、何を必死に探しているのだろう。
 ベッドに腰掛けて、部屋の質素な砂壁と、そこにある窓から見える空をぼんやりと見つめて、ため息をつく。今日は少し曇っているようだ。
<また、知らねえ場所か>
 故郷を追われてから、最初の数日をダムスで過ごした以外は、目覚めるたびに違う場所にいる。それに、突然聞かされた自分の本当の両親や、立場……情報の波に飲まれて、いまいち実感が湧かない。
<イリユスの神殿ってところが、俺の居るべき場所なのかな>
 しかし、辿り着いたとて、全く知らない場所だ。すんなり自分の居場所になどなり得るはずがない。今のところイルギネスだけが、唯一頼れると言える存在であり、馴染んだ場所も人も、遥か遠くへ切り離されて、この身ひとつで、自分の使命すら定かではない。
 だが──脳裏に、ダリュスカインの秀麗な顔が浮かんだ。彼は?
<生きてる……だろうな>
 自分が放った謎の光が、どんなダメージを与えたのかは分からない。それでも、あれで命を落とすほど、簡単な相手ではないことぐらい想像できる。彼は必ず自分を追ってくるだろう。だとしたら、このまま神殿へ向かってはならない。
<やっぱり、戻らないと>
 突然、そんな思いが湧き上がってきた。恐ろしい現実に胸が押し潰しそうになっても、レキの思いを受けてどうにか進むしかないが、ダリュスカインとの決着をつけてからでないと、この先はない。でも、どうやって?
 困難極まりない状況を思い出し、闇の中に突然放り込まれたような、冷たい感覚が身を包んだ。昨晩、酒場で楽しく盛り上がっていた、イルギネスやしらかげの顔がよぎる。あんなに賑やかな世界があるなんて、啼義は知らなかった。世の中はとても広くて、騒がしい場所なのかも知れない。ダリュスカインとの決着がつき、次に踏み出すことができたなら、その先にあるもっと沢山の知らない景色を、見ることが出来るのだろうか。だけど──
<ダリュスカインとの、決着?>
 それは、何をもってついたと言えるのだろう。
 暗澹たる気持ちに囚われそうになり、頭を振って思考を追い出した。軽く身支度を整え、部屋を出て階段を降りる。そこはちょうど居間になっていて、椅子やテーブルが置かれた奥の台所で背を向けて立っているのは──リナだ。穏やかな深みのある黄金色の髪を、昨晩と同じように高く結い上げている。
 彼女は何か歌を口ずさみながら、食器を拭いていた。知らない歌だが、その柔らかい響きは耳心地が良く、なんとなく遮りたくなくて、啼義はしばし、声をかけずに耳を傾けていた。そうしているうちに、先ほど自分を包んだ孤独な心の痛みは薄らぎ、暖かな気持ちが胸の奥に広がってくる。こうしてれば、なんてことはない──と、少し夢現ゆめうつつでぼんやりしていたところで、リナが振り向いた。

「あ」
 互いに顔を見合わせ、一瞬、変な間が空いた。

「おはよう」
 どこか慌てた様子でリナが挨拶を口にし、啼義も狼狽うろたえて、かろうじて「ああ」とだけ返した。
「……聞いてた?」
 テーブルを挟んでやや離れた位置に立つ彼に、気まずそうにリナが聞いた。歌のことだろう。
「うん」
 啼義が素直に頷くと、彼女は僅かに頬を赤らめた。
「やだ、恥ずかしい」口元に両手を当てて俯く。困っている様子に、彼は戸惑った。
「別に、そんなことねえよ」
 咄嗟に答えると、彼女の顔に安堵の色が浮かんだ。紫の瞳が明るい光を湛えて、自分を捉えている。好奇心が混じったその眼差しに、啼義の心も知らず和んだ。そして、自分がまだ挨拶をしていないことを思い出した。
「おはよう」
 だが次の瞬間、はたと気づいた。自分は昨晩、旅の汚れた身体のまま酒場に連れて行かれ、水浴びすらしていない。前に身体を洗ったのは──
「朝ご飯、あるけど食べる?」リナがこちらに向かってきたので、啼義は後退った。
「どうしたの?」
 彼女が、テーブルの横で足を止める。
「いや──なんていうか、その……汚ねえから」
「汚い?」彼女の怪訝な顔を見て、啼義は慌てて修正した。
「いや、あんたじゃなくて俺が。昨日、酒場から来たまま寝ちまったし」
 さらに一歩下がって言うと、彼女はくすくすと笑った。
「そんなこと、気にしないのに。じゃあ先に、お風呂場にご案内しましょうか?」
 テーブルの上の皿に乗っている目玉焼きに目を奪われながらも、啼義は「うん」と頷いた。食事よりも、が気になる自分に、少しばかり驚きながら。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐@書籍発売中
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった

ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」  15歳の春。  念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。 「隊長とか面倒くさいんですけど」  S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは…… 「部下は美女揃いだぞ?」 「やらせていただきます!」  こうして俺は仕方なく隊長となった。  渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。  女騎士二人は17歳。  もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。   「あの……みんな年上なんですが」 「だが美人揃いだぞ?」 「がんばります!」  とは言ったものの。  俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?  と思っていた翌日の朝。  実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた! ★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。 ※2023年11月25日に書籍が発売しています!  イラストレーターはiltusa先生です! ※コミカライズも進行中!

処理中です...