27 / 96
第二章 未知なる大地
南へ 5
しおりを挟む
結迦は、ダリュスカインが急に自分の助けを避けるようになったことに気付き、戸惑った。
宗埜と慈源の祠へ赴いてからの彼は頑なになり、あの怖いような波動が強まって、それを感知するたびに不安が増す。恐らく彼は、あの祠を使うつもりなのだ。このままではいけないということだけは痛いほど感じるのに、どうしたらいいのかも分からず、近寄ることもできずに数日が過ぎた。
一方──
ダリュスカインは祠を訪れた日の夜、不思議な夢を見た。
啼義の姿が、街中にあったのだ。銀髪の見知らぬ男と一緒にいる、その景色には見覚えがあった。
<どこだ?>
必死に記憶を辿り、やがて思い出した。そうだ、あれは自分が北へ山を越えて渡ってきた時に滞在した、ダムスの街だ。
<やはり、南へ渡ったのか?>
それは、記憶と執着が見せたものなのか、現実のことなのかは分からない。そのはずだが、彼の勘は、単なる夢ではないと訴えていた。そしてその朝もまた、存在し得ない右腕の先に、冷ややかな違和感を覚えたが、それはまたすぐに消えて行った。
あれが現実なら、やはり一刻も早く山を越えなければならない。何かに憑かれたように、その思いは強まった。
それから数日の間に、彼は片腕での生活を、驚くほど器用にこなすようになっていった。魔術は幾らかの助けにはなるが、各属性の気を集めて術を施すには、己の生命力から導かれる魔力も消耗する。ゆえに普段の動作は、やはり自力でできるようにしておいた方が無難だ。とは言え、それを短期間である程度こなせるようになったのは、ダリュスカインが魔術のみならず、相当の精神力の持ち主であったからに他ならない。いや、魔術とて、その精神力でここまで鍛え上げてきたのだ。
その日、宗埜は早朝から麓の集落に物資の調達へ出かけていた。食事の支度をしていた結迦が、それとなく振り返ると、奥の間ではダリュスカインが腰を下ろし、左手で解きっぱなしの金の髪に触れ、まとめるように集めて握っている。しかし、それ以上どうすることも出来ずにまた解き、しばらく考えて、頭を振った──片腕では結わけない。そこで、結迦と目が合った。
互いにすぐに目を逸らしたが、ダリュスカインが伏せた目線を再び上げると、結迦もこちらを見ていた。
少しの間、二人は黙ったままで視線を重ねた。
ふと──
「明日にでも、行こうと思う」
ダリュスカインは、落ち着いた口調で告げた。静かだが、その声に死への覚悟が乗っているのを、結迦は感じ取った。彼女は言葉もなく目を伏せると、小さく頷いた。
「母の、瞳と似ていてな」
まるで独り言のように、ダリュスカインが沈黙を破った。結迦は顔を上げる。その横顔は、見たことがないほど儚げで、何か言葉をかけたい気持ちがこみ上げて思わず口を開いたが、声は出なかった。もう、自分の声は、存在すらしていないのかも知れない。
「世話になったな」
また沈黙が降りた。
何も、できるはずがない。結迦は彼の横顔を見つめた。彼は心を決めているのだ。そして恐らく──祠を通り抜けられずに死んでもいいとすら思っているのだろう。生きていても苦しいだけならば、いつ終わらせてもいいのだと。自分がどこかで、そう思っているように。
けれど──
結迦はたまらず、ダリュスカインのそばへ駆け寄ると、彼が身を引くより早くその手をとり、両手で包んだ。その途端、波動が手のひらから伝わってくる。だがそれは、彼女が怖れる憎しみや哀しみの情念ではなく、初めて感じる──
「──!」
次の瞬間、ダリュスカインが振り払うように手を引いた。
「よせ」彼は目を逸らした。
結迦はしばし何かを訴えるようにそこに佇んでいたが、やがて深々と頭を下げると立ち上がり、さっと踵を返して部屋を出ていくと、また支度に戻った。
その姿を視界から追い出すように、ダリュスカインは背を向け、今しがた結迦が包んだ左手を見つめる。
<俺は、ここにいるわけにはいかないのだ>
自らに言い聞かせ、その温もりを砕き消すように、拳をきつく握り締めた。
宗埜と慈源の祠へ赴いてからの彼は頑なになり、あの怖いような波動が強まって、それを感知するたびに不安が増す。恐らく彼は、あの祠を使うつもりなのだ。このままではいけないということだけは痛いほど感じるのに、どうしたらいいのかも分からず、近寄ることもできずに数日が過ぎた。
一方──
ダリュスカインは祠を訪れた日の夜、不思議な夢を見た。
啼義の姿が、街中にあったのだ。銀髪の見知らぬ男と一緒にいる、その景色には見覚えがあった。
<どこだ?>
必死に記憶を辿り、やがて思い出した。そうだ、あれは自分が北へ山を越えて渡ってきた時に滞在した、ダムスの街だ。
<やはり、南へ渡ったのか?>
それは、記憶と執着が見せたものなのか、現実のことなのかは分からない。そのはずだが、彼の勘は、単なる夢ではないと訴えていた。そしてその朝もまた、存在し得ない右腕の先に、冷ややかな違和感を覚えたが、それはまたすぐに消えて行った。
あれが現実なら、やはり一刻も早く山を越えなければならない。何かに憑かれたように、その思いは強まった。
それから数日の間に、彼は片腕での生活を、驚くほど器用にこなすようになっていった。魔術は幾らかの助けにはなるが、各属性の気を集めて術を施すには、己の生命力から導かれる魔力も消耗する。ゆえに普段の動作は、やはり自力でできるようにしておいた方が無難だ。とは言え、それを短期間である程度こなせるようになったのは、ダリュスカインが魔術のみならず、相当の精神力の持ち主であったからに他ならない。いや、魔術とて、その精神力でここまで鍛え上げてきたのだ。
その日、宗埜は早朝から麓の集落に物資の調達へ出かけていた。食事の支度をしていた結迦が、それとなく振り返ると、奥の間ではダリュスカインが腰を下ろし、左手で解きっぱなしの金の髪に触れ、まとめるように集めて握っている。しかし、それ以上どうすることも出来ずにまた解き、しばらく考えて、頭を振った──片腕では結わけない。そこで、結迦と目が合った。
互いにすぐに目を逸らしたが、ダリュスカインが伏せた目線を再び上げると、結迦もこちらを見ていた。
少しの間、二人は黙ったままで視線を重ねた。
ふと──
「明日にでも、行こうと思う」
ダリュスカインは、落ち着いた口調で告げた。静かだが、その声に死への覚悟が乗っているのを、結迦は感じ取った。彼女は言葉もなく目を伏せると、小さく頷いた。
「母の、瞳と似ていてな」
まるで独り言のように、ダリュスカインが沈黙を破った。結迦は顔を上げる。その横顔は、見たことがないほど儚げで、何か言葉をかけたい気持ちがこみ上げて思わず口を開いたが、声は出なかった。もう、自分の声は、存在すらしていないのかも知れない。
「世話になったな」
また沈黙が降りた。
何も、できるはずがない。結迦は彼の横顔を見つめた。彼は心を決めているのだ。そして恐らく──祠を通り抜けられずに死んでもいいとすら思っているのだろう。生きていても苦しいだけならば、いつ終わらせてもいいのだと。自分がどこかで、そう思っているように。
けれど──
結迦はたまらず、ダリュスカインのそばへ駆け寄ると、彼が身を引くより早くその手をとり、両手で包んだ。その途端、波動が手のひらから伝わってくる。だがそれは、彼女が怖れる憎しみや哀しみの情念ではなく、初めて感じる──
「──!」
次の瞬間、ダリュスカインが振り払うように手を引いた。
「よせ」彼は目を逸らした。
結迦はしばし何かを訴えるようにそこに佇んでいたが、やがて深々と頭を下げると立ち上がり、さっと踵を返して部屋を出ていくと、また支度に戻った。
その姿を視界から追い出すように、ダリュスカインは背を向け、今しがた結迦が包んだ左手を見つめる。
<俺は、ここにいるわけにはいかないのだ>
自らに言い聞かせ、その温もりを砕き消すように、拳をきつく握り締めた。
1
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。

なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
虚弱生産士は今日も死ぬ ―遊戯の世界で満喫中―
山田 武
ファンタジー
今よりも科学が発達した世界、そんな世界にVRMMOが登場した。
Every Holiday Online 休みを謳歌できるこのゲームを、俺たち家族全員が始めることになった。
最初のチュートリアルの時、俺は一つの願いを言った――そしたらステータスは最弱、スキルの大半はエラー状態!?
ゲーム開始地点は誰もいない無人の星、あるのは求めて手に入れた生産特化のスキル――:DIY:。
はたして、俺はこのゲームで大車輪ができるのか!? (大切)
1話約1000文字です
01章――バトル無し・下準備回
02章――冒険の始まり・死に続ける
03章――『超越者』・騎士の国へ
04章――森の守護獣・イベント参加
05章――ダンジョン・未知との遭遇
06章──仙人の街・帝国の進撃
07章──強さを求めて・錬金の王
08章──魔族の侵略・魔王との邂逅
09章──匠天の証明・眠る機械龍
10章──東の果てへ・物ノ怪の巫女
11章──アンヤク・封じられし人形
12章──獣人の都・蔓延る闘争
13章──当千の試練・機械仕掛けの不死者
14章──天の集い・北の果て
15章──刀の王様・眠れる妖精
16章──腕輪祭り・悪鬼騒動
17章──幽源の世界・侵略者の侵蝕
18章──タコヤキ作り・幽魔と霊王
19章──剋服の試練・ギルド問題
20章──五州騒動・迷宮イベント
21章──VS戦乙女・就職活動
22章──休日開放・家族冒険
23章──千■万■・■■の主(予定)
タイトル通りになるのは二章以降となります、予めご了承を。

転生調理令嬢は諦めることを知らない!
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。
子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。
八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。
また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。
オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。
同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。
それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。
弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。

異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~
小狸日
ファンタジー
交通事故に巻き込まれて、異世界に転移した拓(タク)と浩司(コウジ)
そこは、剣と魔法の世界だった。
2千年以上昔の勇者の物語、そこに出てくる勇者の遺産。
新しい世界で遺跡探検と異世界料理を楽しもうと思っていたのだが・・・
気に入らない異世界の常識に小さな喧嘩を売ることにした。
最弱職の初級魔術師 初級魔法を極めたらいつの間にか「千の魔術師」と呼ばれていました。
カタナヅキ
ファンタジー
現実世界から異世界に召喚された「霧崎ルノ」彼を召還したのはバルトロス帝国の33代目の皇帝だった。現在こちらの世界では魔王軍と呼ばれる組織が帝国領土に出現し、数多くの人々に被害を与えていた。そのために皇帝は魔王軍に対抗するため、帝国に古から伝わる召喚魔法を利用して異世界から「勇者」の素質を持つ人間を呼び出す。しかし、どういう事なのか召喚されたルノはこの帝国では「最弱職」として扱われる職業の人間だと発覚する。
彼の「初級魔術師」の職業とは普通の魔術師が覚えられる砲撃魔法と呼ばれる魔法を覚えられない職業であり、彼の職業は帝国では「最弱職」と呼ばれている職業だった。王国の人間は自分達が召喚したにも関わらずに身勝手にも彼を城外に追い出す。
だが、追い出されたルノには「成長」と呼ばれる能力が存在し、この能力は常人の数十倍の速度でレベルが上昇するスキルであり、彼は瞬く間にレベルを上げて最弱の魔法と言われた「初級魔法」を現実世界の知恵で工夫を重ねて威力を上昇させ、他の職業の魔術師にも真似できない「形態魔法」を生み出す――
※リメイク版です。付与魔術師や支援魔術師とは違う職業です。前半は「最強の職業は付与魔術師かもしれない」と「最弱職と追い出されたけど、スキル無双で生き残ります」に投稿していた話が多いですが、後半からは大きく変わります。
(旧題:最弱職の初級魔術師ですが、初級魔法を極めたら何時の間にか「千の魔術師」と呼ばれていました。)

レジェンドオーブ・ロード~物語に憧れて最強への道を歩み始めるオレは、魔王達の根源たる最魔の元凶を滅ぼし全ての異世界を平和へと導きます~
丹波 新
ファンタジー
ロードという名を持った逆立つ金髪の目立つエメラルド色の瞳を持つ主人公がいた。
10才の頃からストンヒュー王国の宮廷使用人見習いだった。
ストンヒュー王国とは動物と人が言葉を交えて共存する異世界である。
お目付け役として3匹のネズミにロードは見守られた。
記憶を無くしていたので王様の意向で宮殿に住まわせてもらっている。
12才の頃、レジェンドオーブ・スライムという絵本と出会い竜に乗って異世界に旅立つことを夢見る。
それからは仕事に勉強に体を鍛えることで忙しかった。
その頑張りの分、顔が広くなり、国中の人と動物たちと友達になった。
そして彼は19才にまで育ち、目標だった衛兵になる道を諦め使用人になる。
しかしスライム勇者に憧れた青年ロードの冒険は、悪い竜が現れたことによりここから始まる。
飯屋の娘は魔法を使いたくない?
秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。
魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。
それを見ていた貴族の青年が…。
異世界転生の話です。
のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。
※ 表紙は星影さんの作品です。
※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる