風は遠き地に

香月 優希

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第二章 未知なる大地

南へ 4

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 次の日、宗埜ソウヤとダリュスカインは、早朝に出発してから、数回の休憩を挟んで二時間半ほどをかけ、慈源じげんほこらを目指した。星莱せいらいやしろを通るのが一番の近道だが、かつての惨状の地を通るのは避けたいという宗埜の意向を汲み、歩行の練習も兼ねて、やや遠回りだが社跡を避けることにしたのだ。片腕を失った身体は今までと重心が違い、ただ歩くのにも違和感が拭えない。体力は概ね回復しているが、これではまだ、以前ほど動けるようになるには時間がかかるだろう。
 道はすっかり獣道と化し、宗埜が時々、鎌で伸び放題の草を刈りながら、進む道を整えて行く。途中、ダリュスカインも代わろうとしたが、あっさり断られた。
「なあに、こう見えても薪を割り、畑仕事をし、身体はまだ丈夫なのさ。お前さんは今は、無理せんでよろしい」
 鬱蒼とした道の真ん中で、老爺はかっかと笑いながら言った。この辺りは社があった領域に入るそうだが、今は人がいなくなり、結界も保たれてはいない。にもかかわらず、魔物の気配は見当たらない。代わりに不思議な、どこか深々しんしんとした空気がほのかに漂っている。こんな場所に、そんな社や祠が存在したとは聞いたことがなかった。レキは知っていたのだろうか。
「おお、あれだ」
 くさむらが途切れると、少し開けた場所に背丈の半分ほどの高さの石碑と、すぐ横には、神棚のようなものが祀られた、祠とおぼしき小さな屋根付きの造形物があった。その前には、見たことのない魔法陣。長年、風雨にさらされているはずなのに、それは焼き付けたように綺麗に描かれている。辺りは柵が囲んでいたと思われるが、無惨に破壊され、残骸が散らばっているのみ。
「迂闊に寄るでないぞ。あの賊どもも、おそらく柵を破壊して近づいたのだろうが……見ての通りだ。跡形もない」
 どこか嘲笑うかのように、宗埜が言う。欲深い連中は、相応しい罰を受けたのだろう。ダリュスカインは息を飲んだ。何もないのに、それが逆に、長閑のどかな周りの空気と不釣り合いな不穏さを感じさせる。
「神聖というより、不気味な雰囲気だろう。私の記憶では、ここまで訪ねて来ても、挑んだ者は覚えがない」
 宗埜は祠を一瞥し、言った。
「使いたければ、止めはせんよ。もちろん、命の保証はないがな」
 冬の気配を運ぶ風が、ダリュスカインの頬をひんやりと撫でた。空は高く、青く澄んで、刷毛はけではらったような雲が流れている。あたりの木々は紅葉して美しい。その彩りに今さら気づき、彼はふと、息が苦しくなるのを感じた。自分が起こした行動は、これから向かおうとしている先は、本当に正しいのだろうか。
「俺は──」
 レキに詰め寄った時、彼の口から明確な言葉で結論を聞くことは出来なかった。だが、彼が否定の言葉もなく、目を伏せた瞬間──分かってしまったのだ。自分は遂に、啼義ナギの存在に勝てなかったのだと。魔術師として揺るぎない実力を持つ自分を、腹心の部下として認め扱いながらも、常に同じように傍にある啼義に向けられた靂の感情、そして啼義が無自覚に有する力──それに勝るものは、自分には得られないのだと。
「綺麗な顔をして、随分とどす黒い感情を、抱えておるようだの」
 見透かしたような宗埜の口ぶりに、ダリュスカインは我に返り、思わず握り締めていた拳を解いた。心の奥底に這う、拭えぬ嫉妬と憎しみの念に触れるのは、気持ちの良いものではない。苦しい溜息が漏れた。
「まあ、実際に行くとしても、旅の準備を整えてからだの。ひとまず、そこで飯でも食うかね」
 彼の胸の支えなど気にもしていない口調で、宗埜は言った。さっさと踵を返して平らな場所を見つけて座ると、巾着から包みを取り出す。ダリュスカインも後に続き、そばにあった平たい岩に腰掛けた。
「ほれ」
 宗埜が包みから取り出した握り飯をダリュスカインに渡す。結迦ユイカが握ったものだ。なんとなく自然に受け取って口元へ持って行こうとし──
「結迦は、お前さんに気持ちを重ねているようだな」宗埜の言葉に、ダリュスカインの手が止まった。
「重ねる?」
 宗埜はしばし遠くを見るように目を細め、答えた。
「一人孤独な思いを抱えておるお前さんと、自分をな」
 ダリュスカインは押し黙った。それは、彼自身がどこかで感じていたことだ。同情というより、共感めいた感情の波動。
「私が、お前さんにここを教えた理由が、分かるかね?」
 こちらに目を向けた宗埜の声は、いつもより低い。風のざわめきが、耳を掠めて去って行く。ダリュスカインは何とも答えられずに、手元の握り飯を見つめた。
「結迦から、引き離したいからさね」
 指先が、急に冷えたような気がした。宗埜は続ける。
「お前さんの念は危険だ。あの子をあれ以上、壊したくはない」
 ダリュスカインは、宗埜を見返した。彼女に何か感情を抱いている自覚などない。ただ──脳裏に、あの小屋で目を覚ました時に自分を覗きこんでいた結迦の、母と同じ深緋色混じりの紅い瞳が浮かんだ。心配そうに自分を見つめる、懐かしい眼差し。それと同時に、こんな怨念めいた情を持っている人間を、あんな状態の彼女から遠ざけたいと考えるのは真っ当な判断だろうと、ひどく納得する自分がいた。
「大丈夫です」
 一瞬、言葉を探したが、彼はきっぱりと答えた。
「長居するつもりなど、毛頭ありません」

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