風は遠き地に

香月 優希

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第二章 未知なる大地

旅の始まり 1

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 翌日、難なく歩けるようになった啼義ナギを連れ、イルギネスは街へ繰り出した。啼義が初めて見る南部の街は、陽気な空気で満ちていて、和やかな雰囲気だ。道ゆく人の数は、自分が知っている街より多い。軒を連ねる店の種類も様々で、見たことのないような品物を並べている店もあり、自然と少し気持ちが浮き足立った。
「なんか、賑やかなとこなんだな」
 目に映る全てに慣れず、落ち着きなく視線を漂わせている啼義に、イルギネスが言った。
「ダムスは、ドラガーナ山脈竜の背の入り口でもあるからな。山越えの準備や、越えてきた者への体制も充実している。山の方にある集落から、珍しい工芸品も多く入ってくるから、見てて面白いだろ」
 経費で落とせるのがどの範囲なのかさっぱり分からないが、イルギネスは啼義に当面必要そうな物を躊躇なく買い揃え、宿屋の隣のパン屋で昼飯用のパンをたんまり買い込んだ。
「さあ、これからの流れを確認しよう」部屋に戻ると、イルギネスが地図を広げた。その地図は、上はドラガーナ山脈までしか入っておらず、そこから北は描かれていない。啼義は少し胸が痛むのを感じたが、感情を飲み込んだ。
「ここからミルファの港町まで、だいたい四、五日といったところだ。途中、二つほど集落もある。少し山道を沿うから、魔物に遭遇する可能性もあるだろう」
 イルギネスが地図上で、指を南に滑らせる。
「ここら辺も、やっぱり出るのか……」
 啼義が呟くと、イルギネスは珍しく渋い顔をした。「まあな。増えてるのは否めん」
「なあ……その、あんたの所属してる神殿って、何をしているとこなんだ?」それとない口調を装い、啼義は尋ねた。
「ん? ああ。一応、大陸の平和を護るべく、蒼空そうくうの竜の力を受け継ぐ神殿…ってことになってるんだがな」
 イルギネスは顎をなでながら、言いにくそうに続ける。
「神殿には、魔物の気を抑える"蒼き石シエド・アズール"が祀られてるんだが……その守り人ともいうべき役割の人間が不在で、魔物の制御が難しくなってきているわけだ。俺が探しているのは、その人物さ」
 啼義は心拍数が上がるのを感じた。やはり、この男が探しているのは──自分ということになるのではないか。
「竜の加護の……継承者とかいうやつ?」
 精一杯何気ない雰囲気で聞くと、イルギネスが少し意外そうな顔をした。
「よく知ってるな。北部ではあまり知られていないと聞いたが」
「いや……まぁ、なんとなく」
 啼義は余計な詮索をされないよう、とりあえずそう答え、手にしていた野菜と鶏肉がたっぷり挟まったパンを齧った。羅沙ラージャにいた頃は数えるほどしか食べたことのなかったパンに、今ではすっかり夢中だ。いくらでも食べられそうな気がする。
「お前、戦う時はやっぱり剣か?」ふと、イルギネスが聞いた。
「うん。剣と、ナイフが投げられる」
「なるほど。ナイフは得意か。どうりであの怪我でも、あれだけ正確に投げてきたわけだ」
「……」
 最初に会った時、イルギネスの顔すれすれに投げつけたナイフのことを思い出し、啼義は居心地が悪くなって俯いた。
「あれは……すまなかった」さすがに申し訳なくなり謝ると、イルギネスは笑った。
「いや、感心したよ。普通じゃねえと思った」
 褒めてるのかけなしてるのか、分からない言い草だ。
「いい戦力になりそうだな。心強い」
 そう微笑むこの男こそ、かなりの強者つわものではないのだろうかと、啼義は思った。でなければ、自分のような身も知らぬ人間を拾ったり、同じ空間で丸腰で熟睡したりできるはずがない。
「調子も良さそうだし、明日、発つぞ」いきなりイルギネスが言った。啼義が食べていたパンから顔を上げると、彼は右手を差し出してきた。
「よろしくな、啼義」
 大きな手を見つめ、啼義は一瞬考えた。
<行くしか、ないよな>
 他に行く当てもない上に、自分には全く土地勘も、旅の経験もないのだ。こんな自分を助けてくれる人間も、おそらくこの男以外に、そうそういないだろう。完全に信用していいのか、迷うところではあるが。
<とりあえず、着いて行ってみるか>
 啼義は心を決め、その手を握った。温かな手だった。
「よろしく、イルギネス」その温もりに気持ちを後押しされた気がして、知らず微笑んでいた。その時──
<──あれ?>
 イルギネスは目を瞬いた。青年の、初めて見た逞しい笑顔に、かつて自分が兄のように慕い、今まさに探している竜の加護の継承者──ディアードが見えた気がしたのだ。
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