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第0章 神話に残る能力で

嫌悪

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 記憶の『俺』によく似た彼は、片の口角だけを上げた。

「いい反応だな」

 彼は中腰になり、俺に目線の高さを合わせた。

「俺の名前を知りたいか?」

 瞳をじっと見られると、そらせない圧力を感じる。

「……俺は……ザイフェルトだよ、イツキ君」

 ザイフェルト――遠く、いつかで聞き覚えのある名前。
 少なくとも、コイツは俺の味方ではない事は覚えている。確か、何度か相対していたはずだ。
 だが、それ以上思い出せない。畜生……もう少し、もう少しで何か思い出せそうなのに……!

「その様子じゃあ、まだ現状を把握しきれていないようだ……まあ、そのほうがいい。知らなきゃ、知らないほうがいいこともある」

 ぐいっと顔を覗き込まれる。息が詰まる。

「しかし……見れば見るほどみすぼらしい……なあ?」

 肩を掴まれた。力の強さが伝わってくる。
 絶対逃げられない。
 今動き出したら、肩を握りつぶされてしまうかもしれない……それほどに、彼の握力を感じる。

「お前の姿は『昔の俺』そのもの……貧しくて、汚くて、誰からも愛されない……必要とされていない」

 耳元で、優しく囁かれる。

「生きていたいだけなのに、毎日が地獄だった。疎まれ、蔑まれ、殴られ、蹴られ……。友達だと思っていたヤツは次から次へと死んでいった。病気や飢えならまだいい。貴族の奴隷として買われて行った奴……アイツは悲惨だった」

 体が震える。言葉が出ない。

「だが、俺を買う貴族なんていなかった。どうやら、死神ですら俺を必要としなかったらしい。その孤独、分かるぞ……と、言いたいところだが」

 彼は俺をぽんと突き放した。

「この時代の『俺』……お前には、仲間思いの女がいるらしい……兄妹か?」

 その視線は、ミアに向いている。

「こ、こいつは関係ない!」
「いいなァ……とてもうらやましいぞ、イツキ」

 くくっ、と彼は小さく肩を揺らした。

「……しかし……少し前の俺なら、こんな感想は抱けなかっただろう。この女は必要ない存在だ……さっさと消して、お前をさらに孤独に追い込み……そして、『殺してくれ』と懇願するまで追い詰めたはずだ。だが」

 ザイフェルトの表情が、曇る。

「お前の姿を奪った影響だろうな。どうやら、俺は貴様の軟弱な精神に毒されて、口調すらも『変わっちまった』。だから今は、そこまでのことは思わない」
「……何のために、俺の前に現れた……?」

 不気味な彼の行動に、俺は不安と、微かな怒りを感じていた。

「どうって……まあ、色々あるんだが」

 彼は腕組みをし、俺を見下している。

「……結論から言えば、『イツキ』という存在を殺したい」
「!!」
「ハハ、そんなに驚いた顔をしなくてもいいだろ」

 ザイフェルトのヘラヘラとした笑みが、俺の感情を激しく揺さぶる。

 この笑みには見覚えがある。

 これは『イツキ』の感情なのか。それとも、『ザイフェルト』の感情か。

「俺は今、お前が元々使っていた体を使っている。そのことを知っているのは……お前と賢者……そして、そこの小娘だけだ。分かるか? 俺はこの体で、自由を手に入れる」

 その笑みが一瞬歪んで、視線が俺の全身を舐めまわすように見る。

 瞬間、頭に雷が落ちたような衝撃が走った。

 『ザイフェルト』。こいつは、俺を殺した男……!

「薄汚れた過去と決別して……皇帝として世界に君臨する……お前の『能力』のおかげでな」
「能力……」
「……そんな事すらも記憶から抜けたか……だが、もう知る必要のないことだ」

 ザイフェルトは腰から銃を抜く。

 鼓動が高鳴る。

「お前が、俺の『怒り』を覚えてくれて良かったよ……ほら」

 彼は、どこからともなく、レーダーのようなものを取り出した。

「それ……どこから……」
「どこからだろうな? ははッ! 何もかも忘れて……哀れだな……実に哀れ……! あははははッ!!」

 レーダーは中心部が明滅している。

「『これはな……敵がどこにいるか分かるアイテムだ』……うん、これはお前の発言だったな。そして、今は俺のモノだ」

 彼はまた、それをどこかの空間へと仕舞い込んだ。

「さて、楽しいおしゃべりの時間はここまで。哀れで醜いスラムのガキは、ここで死ぬ」

 カチリ、と音がする。

「『俺』のような薄汚い人間にリスポーンしたのが運の尽きだな……まさか、帝都直下に生れ落ちるとは、俺らしく運が悪い……それもここで終わりだ。良かったな」
「何が良いんだ、クソ野郎」

 銃口が俺の額を狙う。

「良いに決まってるだろ。お前がこの後、どんな人生を辿るか……俺はよく知っているんだから」

 沈黙が場を支配する。

 俺は思い出しつつある。
 静寂が、緊張が、俺に記憶を取り戻させる。

 もう少し。もう少しで、全部思い出せそうなんだ。

「ここで一思いに死んでおいたほうがいい。『俺』にはそのチャンスがなかった……が、お前のおかげで、今はこうして自由を謳歌している。残りカスは不要だ」

 手が震える。
 彼が引き金を引けば、また「何か」に生まれ変わらされる。
 人間か、そうでないかも分からない。
 リスポーンを繰り返せば、記憶は薄れる。
 せめて、今ここで出来るだけ思い出してから死にたい。
 でないと、また記憶が消えていく。

「……もう、人間に生まれ変わってこないでくれよ。お前を探し出すだけで、こっちは一苦労なんだ」
「探さなきゃいいだろ」
「そうはいかない。お前は徹底的に消す。それが俺のやり方だ。なあ、スラムのガキよ」
「俺の名前は『イツキ』だ」
「……その名を覚えている限り、俺は何百年、何千年後であっても、貴様を殺す」

 パァン!
 乾いた音が響いて――。

 ザイフェルトがはるか右へと吹き飛んだ。

 ……え?

「お兄ちゃん、なんで逃げないの!!」

 ミアが立っていた。いつの間にか近くまで来ていた動物の群れが、ザイフェルトに突撃していく。
 同時に、ミアが俺の手を引いて走り出す。

「くそッ……! なんだコイツらはっ!!」

 大群で襲い掛かった動物たちだが、相手はプレイヤーの能力を持っている。
 1匹、また1匹と倒されていくのが遠目に分かった。

「誰か! 誰か衛兵! あのガキを追え! 絶対に逃がすな!! このッ……邪魔だ! どけ!!」

 遥か後方で、ザイフェルトの叫び声が聞こえる……が、その声は昔の俺そっくりだ。
 自分の体を使われているのだから、当然だが。

「ちょっと……あんまり早く走らないでくれよ……肺が痛い……」
「そんなこと言っても、走らないと捕まっちゃうでしょ! いいからこっち!」

 ミアは、俺の手を引いて、ぐんぐんとスラム街のはずれ、入り組んだゴミ溜めのほうへと走っていった。



 ◇◇◇



 ザイフェルトの意識がイツキの体に乗り移ったのは、賢者の丘でイツキを殺した時だった。
 エルフのガキ――賢者プラムが放ったものが回復薬か何かだと誤解し、イツキの前に飛び出したのが原因だ。
 細かい機構は理解できないが、どのようなものかは『イツキの体』が覚えていた。

 ザイフェルトの精神は、自らが殺したイツキの肉体に瞬時に取り込まれ、そしてこの世界の真理の一端を知った。
 この世界が、元々は異世界の人間が作り上げた『ゲーム』であったこと。
 ありとあらゆるものはプレイヤーが作り、整備してきたものであるということ。
 神の残滓と呼ばれる遺構は、『プレイヤー』以外の生物には理解できない存在だということ。

 それらの情報が一度に頭の中になだれ込んできたとき、ザイフェルトは、気がおかしくなりそうだった。
 子供のころに聞いた『プレイヤー神話』が、まさか現実のものだったとは。
 そして、この『イツキ』という肉体が、本当にプレイヤーだったとは。

 疑ってはいたが、本当ならば全てに合点がいく。
 一瞬で作り上げられる壁。見たことのないマシンと、それを起動する能力。
 無茶苦茶な力を持つ、『ポジトロンスーツ』。

 神を相手にしていたのだ。

 何度も死の淵を舐めて力を手に入れた『ザイフェルト』であっても、勝てなくて当然だ。

 ……だが、今やそれは過去の話。
 今はザイフェルトの中身こそが、プレイヤーの能力を手に入れたのだから。

「誰か! 誰か衛兵! あのガキを追え! 絶対に逃がすな!! このッ……邪魔だ! どけ!!」

 バァンッ、と乾いた音を響かせ、豚が倒れる。犬が倒れる。鶏が、山羊が……。

「どいつもこいつもッ……俺の邪魔をするなッ!!」

 ザイフェルトの視界の端を、とぼとぼと、走るとも歩くともなく、2つのみすぼらしい影が逃げていく。
 忌々しい存在。
 ただでさえ消してしまいたい肉体なのに、そこに消してしまいたい精神が乗るなんて。

 大量に返り血を浴びながら、ザイフェルトは肩で大きく呼吸している。
 ようやく、全滅させた。
 自らが作った屍を、わざと踏みにじるように歩いていく。

「クソが、手間取らせやがって!」

 強烈な憎悪が、ザイフェルトを支配していた。

 なぜだ。

 なぜ奴には、こんな時にすら家族がいるんだ。命を懸けて奴を守ろうとする動物がいるんだ。
 どうしてだ。なぜ天は、俺にばかり孤独を強いる?

「衛兵!」

 大声を挙げた。
 1人の顔も覚えていない衛兵どもが、俺のそばへと駆け寄った。

「はッ」
「あのガキ2人は」
「現在5名の衛兵が追跡中です」
「どうなった、と聞いている」
「それは……」

 衛兵の顔を掴んで、壁に押し付ける。
 懐からレーダーを取り出し、光点の位置を確認した。

「いいか、奴らは2番街の方に向かっている。決して逃がすな。殺してもいけない。アレを殺していいのは俺だけだ」

 風が吹く。

「返事は!!」
「か、かしこまりましたァ! すぐに向かいますっ!」

 わたわたと立ち上がり、情けない足音で衛兵が走り去っていく。

 なぜだ、イツキ。
 お前の体を手に入れられたのに。
 俺とお前で、何が違う。

 俺は前を向き、「衛兵、替えのコートを!」と声を張り上げた。
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