不器用なカノジョ

高嶺 蒼

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軽音部の見学~立樹涼香の場合~

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 その日も軽音部の部室は、冷やかし混じりの男子生徒でごった返していた。
 彼らの目的は分かっているのだ。
 それはもちろん、楽器が好きとか、ミュージシャンを目指しているとか、そんな高尚なものではない。
 ずばり、美人な先輩とお近づきになりたい、それにつきるだろう。

 涼香はそんな彼らから距離を置いて、だが、ドアの開く音がする度にそちらへ目を向けずには居られなかった。
 今も、ドアの開いた音につられて目を向けるも、入ってきたのは彼女が待ちわびる人物ではなく、軽薄な雰囲気を漂わせる男子生徒。
 涼香は小さな吐息を漏らし、つまらなそうに窓の外へと視線を逸らす。
 再びドアの開く音が聞こえるのを待ちながら。

 昨日の放課後、明日は見学に来るかと問うた彼女に、あの子は確かに頷いたのだ。
 今日はきっと来る。


 (来る、わよね?ソラ)


 最初に会ったときも、二度目の時も、そして昨日も。
 ソラはいつだって純粋にまっすぐに涼香を見つめてくれる。
 きらきら輝くあこがれをいっぱいに詰め込んだようなきれいな瞳で。

 涼香は、ソラのそんな瞳に惹かれた。
 その顔立ちが思いの外整っている事に気づいたのはその後だ。
 その事に気づいたときの自分の心の動きを、涼香は今でも覚えている。

 ソラの顔立ちは、涼香の好みから照らし合わせても大変好ましい。普段の涼香は結構面食いなのだ。
 だが、ソラに限っては違った。
 ソラの顔立ちが、美少女と言っても過言ではないくらいに整っていることに気づいたとき、涼香は思ったのだ。
 こんなに可愛いと、ライバルが増えて困る、と。
 ソラがそんなに可愛くなければ、ソラを好きなのは自分だけだったのかもしれないのに、そんな風に。

 今まで生きてきて、見た目以外の部分に惹かれたのは初めてだったかもしれない。
 一目惚れのように、誰かに夢中になることも。
 もちろん、女の子に恋することも、だ。

 だが正直、自分の中の想いが恋なのかどうかはまだ半信半疑だ。
 ソラのことをすごく好きだと思うが、それが恋愛感情なのか、お気に入りの後輩に感じる友情の様な感情なのか、そこのところがなんとも曖昧だ。

 目を閉じ、ソラの顔を思い浮かべる。
 まだ数えるほどしか会っていない。
 だが気がついてみれば、その顔立ちの細かな部分まで思い描けるほどに、彼女の顔が脳裏に刻み込まれていた。

 そして、ソラの顔を思い浮かべる傍らで、今まで求められるままに付き合った相手の事を思い起こす。
 恋愛感情とはどう言うものかと言うことを、検証するために。

 思えば、涼香は今まで求められるままに彼氏を作りはしたものの、自分から好きになった事は無かった。
 付き合った相手と一緒に居てもいつもどこか冷めていて、気がつけば相手の方が離れていってしまうパターンがほとんどだったと思う。

 そんなわけで自分の感情は参考にならない。
 自分からこんなにも強く好きだと思ったのはソラが初めてなのだから。
 だが、自分と付き合っていた相手のことを考えてみれば、少しは恋愛感情というものがどんな感じなのかはつかめるかもしれない。
 そう思って、涼香はおつき合いしていた頃の、相手の事をちょっとずつ思い出してみた。
 といっても、思い出すのは結構大変で、断片的な情報がふわりふわりと記憶の海に浮かび上がるのを何とかつかみ取りつつ組み立ててみる。

 それで浮かび上がった情報、それは、恋愛感情をもつ相手には、とにかく触りたくなる、というものだった。

 いつだって彼女は相手から求められたものだ。
 手をつなぎたい、キスをしたい、胸を触らせて欲しい、場合によってはそれ以上の事も。
 受け入れるより、冷たく突っぱねる事のほうが多かったが。
 そうしたとき、相手がもの凄くしょんぼりしていた事は覚えていた。
 人に恋をすると、相手に触りたくなるものなのだ。そして断られると傷つく。

 その仮説を元に考えてみる。
 果たして自分はソラに触りたいと思っているのか?

 手は、つないでみても良いとは思う。
 頭も、撫でてみたい。
 だが、キスはどうか?
 取り立ててしたいとは思わない。今のところは。

 胸も別に、そんなに触りたいとは思ってない。
 だって、自分にも同じものがついているのだから、柔らかなものに触りたいなら自分のを触ればいいと思うし。
 それ以上の事は、さらに分からない。
 第一、女同士がどんな風にいたせばいいのか、現段階では想像がつかない。

 結論から言えば、今の自分のソラへの想いは、恋愛感情のレベルに至ってはいないような気がする。
 かといって、ただの友情と言い切ってしまうには強すぎる想いだとも感じる。
 だから、現段階でのソラへの想いを言葉に現すとすれば、友達以上恋人未満、こんな感じだろうか?
 ちょっと違うようなきもするが。

 そんな事をつらつらと考えていると、再び入り口の扉が開く音がした。
 目を開けて、ドアの方へと顔を向ける。
 だが、今度は扉が開いてるのは見えたが、そこから入ってくる人物を確認できなかった。
 部屋の中に人が居すぎて、遮られてしまったのだ。
 と、いうことは、だ。
 入ってきた人物は小柄な体格の可能性が高い。

 涼香はソラのミニマムな身長を思い浮かべ、イスからゆっくりと立ち上がった。
 そして、周りがざわざわするのも気にせずに、入り口の方へと向かう。
 無駄に集まって邪魔でしかない、部活見学の一年生を無理矢理押しのけるようにしながら。
 そして、どうにかこうにか入り口の所にたどり着いたとき、彼女の目に飛び込んできたのは、軽薄そうな男子生徒に絡まれ、手首を捕まれて困った顔をしているソラの姿だった。

 一瞬で頭に血が上る。

 そして、私のものに勝手に触るな、そんな感情が頭をもちあげた事に気づき、少しだけ戸惑う。
 自分以外の誰にも、ソラに触れて欲しくないという、強い感情がわきあがったことに。

 その戸惑いが、少しだけ冷静さを呼び戻し、涼香は感情のままに男子生徒に殴りかかりたい衝動だけは何とか押し殺すことができた。
 だが、ソラをこのまま連れ去らせるわけには行かない。
 ソラは、自分との約束を守ってここへ来てくれたのだから。
 だから、涼香は行動を起こした。


 「ソラ、待ってたわよ?」


 言いながら、自分より小さな体を腕の中に閉じこめた。


 「ふえっ??」


 そんな声を上げてソラが固まる。
 その声も、反応も可愛くて、涼香は胸が暖かくなるのを感じた。
 ソラの柔らかな髪の毛に、こっそり頬をこすりつけながら、涼香はまだソラの手をつかんだまま惚けている男子生徒をきつい眼差しで睨みつけた。


 「この子は私のお客様なんだけど、君はこの子をどうするつもりなのかしら?」


 そんな言葉とともに。
 我ながら、よくこんなに冷たい声が出たものだと思う。
 涼香の怒りにさらされて、目の前の男子生徒の顔がみるみる青くなるのが分かった。
 こんな事くらいで心が折れるくらいなら、最初からこの子に手を出すな、そんな風に思いながら睨み続け、徹を呼び寄せてその男子生徒の対処は任せる。

 妙に目立ってしまったせいで、周囲がざわざわし始めていた。
 ソラのことを、可愛いと言っている声も結構ある。
 そんな連中の前に、いつまでもソラをさらし者にしておきたくなかった。

 だから、ソラの手当をしてくるから、出てくるまでに余計な連中を何とかしておいてと徹に言いおいて、ソラを連れて準備室へと向かう。
 抱きしめたままじゃ歩けないから、代わりにそっと手をつないで。
 ソラは私のものだと、主張するように。


 「センパイ?」


 ソラがそんな風に呼びかけてくる。
 だが、そんな誰にでも使う呼び方なんて許さない。


 「ダメ。涼香って、名前で呼んで?」


 すかさず己の主張をソラに告げた。
 ソラが困っているのが気配で分かる。だが、主張を取り下げるつもりは無かった。
 しばらくして。


 「えと、涼香、センパイ」


 おずおずと、不安そうに。
 ソラの声が帰ってきた。
 本当は名前だけで呼んで欲しい。
 だが、それがまだ難しいこと位はわかっていた。
 だから。


 「ま、今はそれでいいわ」


 今はそれでも仕方ないと妥協して、微笑む。
 そして、ソラを促して準備室の中に入った。
 とたんに、人の気配が遠くなり、ソラと二人きりになったのだと実感できて、なぜか胸が高鳴った。

 二人きりになったところで、そういえばと思い出す。
 さっきはどさくさに紛れてソラを抱きしめてしまった。
 小さくて、腕の中にすっぽりおさまったソラが愛おしく、もっとずっと抱きしめていたいと思った。無意識に、だがとても強く。
 これは、恋なのだろうか?自分にそっと問いかける。
 結論は、まだ出ない・・・・・・まだ、分からない。

 自分自身の感情が掴みきれず、内心思い悩みつつも、涼香は薬箱を取り出しながらソラを呼び寄せる。
 きょとんとするソラの手を取り、男子生徒に捕まれていた部分を見たとき、血が凍るような思いをした。
 その部分の内出血は思っていたよりもひどくて、男子生徒の大きな手の形が分かるほどに、くっきりと青黒くなっていた。
 ソラも、そこまでになっていると思っていなかったのか、驚いたように目を丸くしている。
 痛くないかと聞くと、痛くないと答える。
 だが、本当に痛くないのだろうかと疑ってしまうくらい、その手は痛々しく見えた。

 その手を取り、最初は普通に湿布を貼ろうと思った。
 だが、ふと思い直す。
 自分以外の誰かがソラにつけた痕跡を、上書きしたいと思ってしまったのだ。

 だから消毒と称し、その手首に唇を押し当てた。
 己の舌先で、他の人間の痕跡を全てなぞり、上書きし、それから仕上げのように手首の内側の中心の薄い皮膚を強く吸い上げる。
 顔を上げ、そこに残ったひときわ濃い小さな痕を見て、涼香は満足そうに微笑んだ。

 それから後は、真面目に治療した。湿布を貼り、包帯を巻く。
 私の印を上書きしておいたわよ?そう伝えると、ソラは見る見るうちにその顔を色づかせ、少し潤んだ眼差しでこちらを見上げてきた。
 ふっくらと柔らかそうな唇がうっすらと開いて、涼香を誘う。
 そんなわけないと分かっているのに、思わず引き寄せられそうになった涼香は慌てて、


 「こら。そんな顔をしてると、もっと他の場所にも印、つけちゃうわよ?」


 そんなからかいの言葉を投げかけて、その場の空気を混ぜ返した。
 だが、そんなからかいの言葉ですら、妙にすとんと胸に落ちてきて。
 ソラの体の隅々にまで、自分のものであるという印をつけてみたいーそんな想いに、涼香はこっそり頬を赤らめる。

 今まで、そういう印は付けられる専門だった。
 相手にそう言う印を付けて所有したいなどと、思ったことも無かったから。
 印を残される度に迷惑だと思ったものだが、自分がつける立場に回ってみれば、これほど甘美な事は無いようにも思える。

 そんな心の声がついつい口をついて出て、それを漏れ聞いたソラが訳も分からずきょとんとした顔をしていた。
 その様子が可愛くて、思わず手を伸ばしソラの頬を優しく撫でる。
 もっと触れていたい。このまま二人きりでいたい。
 そんな欲求を押し殺して、涼香はソラを連れて準備室を出て行く。
 ソラの手を握り、扉をくぐる瞬間、ふと、


 (やっぱり、これは恋なのかもしれない……)


 そう、思った。
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