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第五部 大人の階段

第490話 久々の逢瀬

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 その影は、突然この世界に現れた。
 憎しみにまみれ、欲にまみれ、罪にまみれたその魂は、死による浄化を受け入れることなく、胸を焦がす変わらぬ憎しみにその身を震わせる。
 影は知っていた。
 憎むべき対象は、己と同じ世界にいる事を。
 この世界に現れた瞬間に与えられた己の能力によって。
 その口元に歪んだ愉悦の笑みを張り付けて、影は動き出す。
 まずは憎むべき者を完膚なきまでに追いつめる為の策を考え、実行に移すために。

◆◇◆

 その日のフィフィアーナの目覚めは、決して良いものではなかった。
 この世界に生まれ落ちて16年もたつというのに、悲しみは未だ色あせない。
 今朝の夢は、瑞希を殺した男の裁判の夢だった。
 聞くに耐えない暴言を吐き、大切な親友を殺したその罪を悔いる気配すらないその男に、前世の彼女は焼け付くような憎しみを覚えたものだ。
 その男が金に任せて雇った弁護士の手腕により、死刑にすらならないと知ったとき、いつかこの手で殺してやる、と思った。
 まあ、そうなるまえに、愛する人のいない世界に耐えきれずに命を落としたのは自分の方だったが。

 目を覚ましたベッドの上で。
 胸を焦がす憎しみを吐き出すように、長く深いため息を吐き出す。
 憎い男はこの世界におらず、尽きせぬ憎しみをぶつける相手はどこにもいない。


 「……落ち着きなさい。こんな顔を、アンジェに見せるわけにはいかないでしょう?」


 寝起きの少しかすれた声で己に言い聞かせる。


 「それに今日はシュリが来るのよ? あいつの前で、隙を見せるわけにはいかない。そうでしょ?」


 己に語りかけながら、ゆっくり体を起こす。
 そして枕元のベルに目を移した。
 それを鳴らせば、フィフィアーナ付きの優秀な侍女達がすぐにでもやってくるだろう。
 彼女達を呼んで、一応は婚約者であるシュリと会う為に、抜かりなく身支度を整えねばならない。
 だが、その前にもう少し。
 フィフィアーナは夢見の悪さに乱れた呼吸を整え、乱れた心を整えるために、しばし時を費やすのだった。

◆◇◆

 「やあ、シュリ君。相変わらず可愛らしいね」


 フィフィアーナ姫の前に、将来の義父に謁見したら、開口一番そんな暴言を吐かれた。
 まあ、本人は全く暴言のつもりはないんだろうけど。


 「陛下。男に可愛いは褒め言葉じゃないですからね?」


 ちくりと言い返すが、敬愛なる国王陛下は全く堪えた風もなく、にこにこしながら、


 「さすがに、君以外のむさ苦しい男達に可愛いと告げる気はないけど、シュリ君の愛らしさは天性のものだからねぇ。君以外の男性に可愛いと告げる気はないから安心していいよ。それにしても、陛下だなんて他人行儀だなぁ。私のことは、パパって呼んでくれていいんだよ?」


 茶目っ気たっぷりに返してくる。
 国王の返答に、シュリは遠慮なく思いっきり不満そうな表情を浮かべ、


 「いえ、国王陛下をそんな風に呼ぶなんて、とても」


 さらっとするっとそう返した。


 「またまたぁ。パパが呼びにくいならお父様でもいいよ?」

 「いえ、陛下で」

 「お父様もハードル高い? なら父上でどうだ」

 「いずれはそうお呼びすることもあるでしょうが、僕はまだフィフィアーナ姫の婚約者に過ぎませんから」

 「じゃあ、フィフィと結婚したら私をパパと……」

 「呼びませんよ!?」

 「ダメかい? けちだなぁ」

 「……陛下?」


 それまで黙ってじゃれあいを見守ってくれていた宰相様が、低い声で一声。


 「と、まあ。おふざけはこれくらいにして。今日はフィフィとお茶をした後に、王国騎士団と宮廷魔術師団へ行ってくれるんだったね?」

 「はい、陛下」

 「王国騎士団には話を通してあるから、緊張しなくて大丈夫だよ。まあ、抜擢の代償として同僚達からのやっかみはあるかもしれないけれど、その辺は上手くやってくれると嬉しい。とはいえ、君の身内も内部に居ることだし、それほど酷いことにはならないだろうけどね」

 「はい。しっかり挨拶してまいります」

 「それから宮廷魔術師団だけど……」

 「あ~。うちの従姉あねがすみません。ちゃんと言ってきかせておきますので」

 「まあ、その辺りは適当に。彼女に機嫌を損ねられるのも怖いんだ」

 「……それは確かに。差し支えがなければ、宮廷魔術師団の方へも籍をいただけますか? 顔を出す口実さえあればいいので、末席でかまいませんから」

 「そうしてもらえると助かるかな。手配しておくよ。宰相?」

 「は。すぐに。手配でき次第、宮廷魔術師団へも通達しておきましょう」

 「うん。そうしてくれ」

 「ありがとうございます」


 諸々の手配のため、一時席を外す宰相の忙しそうな背中を見送って、シュリは再びいずれ義父と呼ぶことになる人を見上げた。
 彼は、身内にしか見せない親しげな笑みを浮かべ、


 「私から伝える事は以上、かな。もし困ったことがあればいつでも頼りなさい。もうすぐ君の義父となる身として、義父として出来るだけの事はしてあげたいと思ってるんだから」


 そんな発言をしてくる。
 国王にあるまじき甘い発言に、


 「あまり甘やかさないで下さい。ダメ人間になってしまいます」


 シュリは苦笑と共にそう返す。


 「大丈夫。そのくらいでダメになるような人間を、大切なフィフィの婚約者にするはずがないだろう。さ、そろそろ行きなさい。ずいぶん時間をとらせてしまったね。フィフィも待ちわびている事だろう」


 国王の言葉に、フィフィが僕を待ちわびてるなんて事はないと思うけどなぁ、と思いつつ神妙に頭を下げ、


 「ありがとうございます。では、いってきます」


 そう告げて、王の御前を辞す。
 フィフィは中庭でお茶の準備をして君を待ってるよ、王の言葉に最敬礼し、シュリは少し急ぎ足で中庭へと向かう。
 フィフィアーナはシュリを待ちわびてはいないかもしれない。
 でもシュリは、早くフィフィアーナの顔を見たいと思っていた。

◆◇◆

 今年で16歳になるシュリの婚約者は、花が咲き誇るように美しかった。
 幼い頃はとにかく愛らしい女の子だったけれど、年頃になり、背も手足もしなやかに伸びて、可愛らしいというより綺麗という表現の方が似合うようになった。
 中庭に出て、少し離れた場所から、優雅にイスに腰掛けた彼女がアンジェと楽しそうに話をする様子を見ながらそんなことを思う。

 まめに手紙のやりとりはしているが、前に会ったのは獣王国へ留学する前のこと。それからもう1年ほどたっているだろうか。
 以前会ったときよりも、女性らしい丸みを帯びた体は、清楚な色香さえ感じさせる。

 それに引き替え。

 シュリはなかなか成長しない自分の体を見下ろしてひっそりため息をもらす。
 最後に会った時にはすでに身長を抜かれていた。
 今日はその身長差をどれだけあけられていることだろうか。
 彼女の15歳の誕生日の祝いの宴では、彼女を無難にリードしてダンスを踊ることが出来たが、今はどうだろう。

 今後も彼女と舞踏会に出席する際、婚約者として彼女をきちんとリード出来るか、少々不安だった。
 とはいえ、シュリのダンスの練習のパートナーは常にシュリより背の高い相手だから、どうにかなるとは思うけれど。


 (まあ、どうせお飾りの婚約者なんだし、どうにか格好になればいいんだろうけどね)


 そんなことを思いながら、よし、と気合いを入れてフィフィアーナの方へ歩き出す。
 何歩も歩かないうちに、近づいてくるシュリに気づいた水色の瞳がシュリをとらえる。
 そして可愛らしい……というよりは、若干不敵な笑みを浮かべてシュリを出迎えた。


 「お父様とのお話はもう終わり? もう少しゆっくり話してきても良かったのに」

 「十分話したよ。久しぶりだね、フィフィ」

 「お久しぶりです、シュリ君!! しばらく見ない間に、また精悍さを増しましたね。素敵です」

 「ありがとう、アンジェ。久しぶりだね。今日はアズサはいないの?」


 フィフィアーナの忠実なもう1人の配下の姿を探して視線を巡らせると、


 「いるっす。お久しぶりっす。ただ、自分は忍びなので、一緒に仲良くティータイムって言うのはちょっと」


 テーブルのすぐ近くの大木の上からそんな声が聞こえた。
 どうやら彼女は木の上で護衛&待機中らしい。


 「気にしないで一緒にお茶をしなさい、って言ってもきかないのよ? 全く、頑固なんだから」


 木の上を見上げながら、呆れたようにフィフィアーナがこぼす。


 「お茶もお菓子もこっちで頂いてるっすからお気になさらずっす。フィフィ様はシュリ様との久々の逢瀬を楽しんでほしいっすよ」

 「久々の逢瀬、ねぇ」


 アズサの言葉に、フィフィアーナがなんとも言えない顔で肩をすくめる。
 そんな彼女の横顔を、シュリはじいっと見つめた。
 シュリの視線に気づいたフィフィは、木の上に向けていた視線をようやくシュリの上へと戻す。


 「なによ? 私の顔に何かついてる?」

 「何もついてないよ? ただ、フィフィはまた綺麗になったなぁ、って思ってただけ」

 「……褒めても何も出ないわよ?」

 「別に何かが欲しくて褒めた訳じゃないよ。あ、でも、フィフィ」

 「なに? やっぱり何か欲しいの?」

 「違うよ。ただ、ちょっと、立ってみてくれる?」

 「立つの? 別にいいけど。アンジェ?」

 「はい、フィフィ様」


 フィフィアーナに呼ばれて素早く立ち上がったアンジェがイスを引き、フィフィアーナは優美な仕草で立ち上がった。
 立ち上がった彼女のその横に、シュリはすかさず並び立つ。
 そして、己の婚約者の顔を見上げ、


 「……フィフィ。また背、伸びたでしょ?」


 確信を込めてそう問いかけ、


 「……気のせいじゃないかしら? ほら、ヒールも履いてるし」


 フィフィアーナは往生際悪く顔を反らす。
 シュリはそんな彼女を半眼で見つめ、彼女のスカートの裾を素早くめくった。


 「ちょっと!!」

 「ほら、ヒールなんて履いてない。ぺったんこの靴だ。僕ががっかりしないように考えてくれたんでしょ? フィフィは優しいね」

 「ち、違うわよ。これはただ、その……そう!! ヒールのない靴の方が歩きやすいから。ただそれだけよ」


 つん、と顔を反らすフィフィを、微笑ましく見上げながら、シュリは己が乱してしまった彼女のドレスの裾を、綺麗に整えた。


 「背、伸びたんだね」

 「まあ、ちょっとだけ、ね」

 「僕もきっと少しは伸びたよ。きっと、数ミリくらいは」

 「そ、そうね? 大きくなった、ような気も、しないでは、ないわ、ね?」

 「でしょ?」


 ははは、ふふふ、と空しく笑いあう。 


 「……そろそろ座らない?」
 「……そうだね」


 フィフィアーナの言葉に、これ以上傷をえぐっていても仕方がない、と同意の言葉を返したシュリは、お茶とお菓子が用意されたテーブルの席に、静かに腰を下ろした。
 そしてどこからともなく現れた侍女が注いでくれたお茶を一口飲んで、ほっと息をつく。
 そして改めて、正面に座るフィフィアーナを見つめてやっと気づく。
 お化粧で巧みに隠しているが、両目の下に、うっすらクマが透けて見える事に。
 シュリは軽く目を見張り、それから心配そうに眉を寄せた。


 「フィフィ?」

 「なに?」

 「最近、忙しいの?」

 「忙しいってほどじゃないけど、お父様の公務のお手伝いを少しずつ覚えているところよ」

 「何か、悩んでる事とか、あったりするの?」

 「悩み? 悩み、ね。あえて言うなら、アンジェがちっとも私になびかない事くらいかしら」

 「フィフィ様ってばまたぁ。そんな冗談、おもしろくないですよ? ねっ? シュリ君」

 「ほら、ね?」

 「ああ、うん。そうだね。そこまで深刻な悩みじゃなさそうでちょっと安心した」


 シュリは小さく苦笑し、でもすぐに真面目な顔をしてフィフィアーナの瞳をのぞき込んだ。


 「でも、本当に困ったこととか悩みがあるなら相談してよ? これでも一応フィフィの婚約者なんだし、さ」

 「そうね。まあ、何かあったら頼るわよ」

 「ほんとに? ちゃんと頼ってくれなかったら怒るからね? こう見えて、結構頼りになる奴なんだよ? 君の婚約者は」


 ほんとかなぁ、と唇を尖らせる婚約者の、まるで少女のような愛らしさに、フィフィアーナは目を細める。
 そしてその口元にかすかな笑みを刻んだ。


 「大丈夫よ。本当に困ったらちゃんと相談するわ。まあ、私が相談を持ち込まなくても、アンジェやアズサがあなたのところへ駆け込みそうな気もするけれど」

 「え~? まあ、確かに。私の手に負えない事態となれば、頼れるのはヴィオラかシュリ君くらいでしょうね。その両者を比べるなら、頼るべきはシュリ君でしょうし。ヴィオラは少々気まぐれで抜けてるところがありますからね。それに彼女は頭脳労働は苦手ですし。荒事以外の相談は向いてませんよね、基本」

 
 ヴィオラが聞いてたら確実に怒り出しそうな事を言いながら、アンジェが笑う。


 「お、おばー様もああ見えて頑張り屋だし、姉御肌だから頼られると張り切っちゃうタイプだし、頼りになる、はずだよ? まあ、張り切りすぎて空回りする可能性はないとは言えないけど。でも、王都に住んでる訳じゃないしね。少しでも困ったと思うことがあったら、遠慮せずに僕を頼ってね?」


 一応ヴィオラのフォローを入れつつ、シュリはフィフィアーナとアンジェの顔を交互に見つつ、そう告げた。
 そんな彼の顔をいたずらっぽく見返すと、


 「そこまで言うなら遠慮なく頼らせて貰おうかしら? 近々、各国の大使を招いての舞踏会があるんだけど、もちろんエスコートは頼めるのよね? 頼れる婚約者さん?」


 にっこり微笑んでフィフィアーナが告げる。


 「あ~……。そう言えばそんな連絡来てたような。建国記念の大祭の締めくくりとして国王陛下主催で開かれるんだよね?」

 「ええ。シュリが国外にいる間はアンジェにエスコートさせていたけど、婚約者が帰ってきているのにそういう訳にもいかないものね」

 「だよね。それじゃあ世間体が悪すぎる。フィフィに恥をかかせないように、エスコートとダンスの復習をしておくよ」

 「よろしくお願いするわね、シュリ。あなたの衣装はこちらで用意するから、前日から王城にとまって貰う事になるけど」

 「え? そうなの??」

 「ええ。しっかり飾りたててあげるから覚悟して」

 「え~? 僕は所詮添え物だし、フィフィさえ綺麗だったらそれでいいんじゃない?」

 「それがそうもいかないのよ。最近、私に対する結婚の申し出がまた増えてて」

 「えっと、婚約者がいるのに?」

 「あなたの身分が低いことや色々でナメられてるのよ。当日は、せいぜい見せつけてやらないとね?」

 「ああ、うん。ガンバリマス……」


 婚約者の決まっているお姫様に求婚をするなんて、よほど自分に自信がなければできないだろう。
 顔にもスタイルにも身分にも自信しかないであろうまだ見ぬフィフィアーナの求婚者に、僕こそが彼女の婚約者だ、と見せつける……なんて絶対胃が痛くなるに決まっている。

 とはいえ、フィフィアーナがシュリを婚約者に、と望んでくれる限りは頑張るつもりだけど。
 姫という身分故に世間に明かせない、彼女の大切な価値観を守るためにも。


 (フィフィの幸せの為に頑張ろう……)


 自分の中の不安を吐き出すように、長く、長く息を吐き出し。
 シュリはこっそり密かに、己に気合いを入れ直すのだった。 
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