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第四部 王都の新たな日々
第434話 ただいまの翌日⑦
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「……アビス?」
「なんでしょう?」
「これはどうしても今日やらなきゃならないことだったのかな?」
「ええ。もう紅茶が切れる寸前ですので」
「誰かにお願いして買いに行って貰うなんてことは……」
「私のお気に入りの紅茶なので、やはり私自身で行きませんと。新商品も入っているかもしれませんし」
努力はしてみたが、アビスを論破できなかったシュリは、静かに彼女の胸に顔を隠した。
現在、アビスにだっこ袋(仮)でくくりつけられたシュリは、彼女と共に屋敷を出たばかり。
今日はアビスのお気に入りの紅茶屋さんに行くらしい。
絶対絶対シュリを連れて歩きたかっただけに違いないと思うのだが、論破出来なかったのだから諦める他ないのだろう。
もちろん、シュリとしては出来るだけ身体を小さくして周囲の視線から己を守ろうと試みてはいた。
が、抱っこ袋(仮)という新たなアイテムも、小さいとはいえ抱っこされるには少々育ってる感のあるシュリの姿も、誇らしそうに頬を紅潮させて歩くアビスの美貌も、必要以上に周囲の視線を集めてしまう。
突き刺さる人々の視線を痛いくらいに感じながら、
(赤ちゃんに戻りたい……せめて身体の大きさだけでも)
シュリは心の中で思った。
いつも、早く男らしく成長したいとは思っていたが、こんな風にもっと小さくなりたいと願うのは初めてかもしれない。
願ったところで小さくなれるはずもないのだが。
ふう、とため息をつき、シュリは思う。
せめて知り合いにだけは会いませんように、と。
しかし、アビス御用達の紅茶専門店に到着したと同時に、その期待は裏切られた。
からんころーん、と扉についたベルが鳴り、アビスが店に足を踏み入れた瞬間、
「あら? アビスじゃない」
「アビスも紅茶を買いにきたの?」
そう声をかけられる。
聞き覚えのある声にシュリが身体を固くしたが、アビスはいたってご機嫌な様子で、
「そういうお2人も揃ってお買い物ですか?」
朗らかにそう返した。
見せびらかす相手が早速現れて、アビスは非常に満足そうだ。
シュリは気づかれないように極力気配を殺したが、そんなことで誤魔化せるはずもなく。
「ふぅん。これがヴィオラが言ってたやつね。確かに、これはいいわね」
そう言いながらアガサがシュリのお尻の辺りをなで回し、
「学園長、シュリのお尻をなで回すのはやめなさい。シュリのお尻が汚れるわ」
リリシュエーラがそんなアガサの手をぺしょんと叩く。
「こら。こっちの姿の時はアガサさん、でしょ?」
「あ。そうだったわね、ごめんなさい。うっかりしてたわ、アガサ」
「さんをつけなさいよ。さんを」
「そっちもシュリのお尻から手を離しなさい。ちょっと! なに揉んでるのよ!?」
アガサの手によってシュリのお尻が揉みしだかれる中、2人は仲良くそんな言葉を交わし。
2人の会話を聞きながら、シュリは無駄な努力を手放して、
「アガサにリリ、久しぶりだね。2人が仲良さそうで良かったよ」
へんにょり微笑み、そう話しかけた。
そこでようやくアガサの手がシュリの尻から離れ、油断も隙もありません、と言わんばかりのアビスの手がシュリのお尻をしっかりと包み込んだ。
(結局僕のお尻は誰かに触られてる運命なのか)
と思いつつも、揉まれるよりはまし、と気分を切り替えたシュリの頬にアガサの手が伸びる。
そして、
「ほんと、久しぶりね。会えなくて寂しかったわ」
そんな言葉と共に、アガサに唇を奪われた。
ライトなキスからはじまり、そのままディープなキスに移行するかと思われたが、
「油断も隙もない女ね!! 人前で恥ずかしくないの!?」
赤い顔をしたリリシュエーラに引きはがされ、アガサは不満そうに唇を尖らせた。
「別に恥ずかしくないわよ。リリシュエーラだってしたいくせに」
「した……くない訳じゃないけど、しないわよ。するなら誰も来ない部屋でしてもらうわ」
「ふ~んだ。優等生ぶっちゃって」
2人は言い合いをしているが、そんな姿からも仲の良さが透けて見えていた。
シュリがしばらく会わない間に、教育者と生徒という枠を越えた友情が育まれていたらしい。
にこにこしながら2人を見ていたら、
「なぁに? にこにこして」
とアガサに問われたので、
「2人が仲良さそうで良かったなぁ、と思ってさ」
そう返すと、
「仲がいい? そうかしら?」
「仲良くなんか無いわよ、別に」
2人からそれぞれにそう返された。
そんな様子もまた微笑ましく、頬が緩むのを止められないでいると、
「あ、仲がいいといえば、あれね。ヴィオラとエルジャ。すっかりよりが戻っちゃって、まあ」
「本当にそうね。でも、まあ、おめでたい事だからいいじゃない?」
話題はヴィオラの妊娠話へと移っていった。
「あ、おばー様とおじー様、もうアガサ達のところへ行ったんだ?」
「リリシュエーラを呼んで部屋でお茶をしてたら乱入してきたのよ。なぁにぃ? あの幸せオーラ。まったく、見せつけてくれちゃって。ま、ヴィオラはあのくらい脳天気に笑ってる方が似合ってるけどね」
「ヴィオラさん達は他の友達にも報告に行くってそんなに長居せずに帰ったんだけど、アガサがそのままお酒を飲み出しそうな精神状態だったから、気晴らしに紅茶を買いに連れ出したのよ」
「そうだったんだね。リリ、お疲れさま」
「べ、べつに? 昼間からお酒につき合わされるのも面倒だったし」
シュリのねぎらいに、ちょっと照れたように頬を赤らめるリリシュエーラの頭を撫で、もう買い物は終えているらしい2人と別れて送り出す。
まだシュリとスキンシップをしたりないアガサは不満そうだったが、人前でこれ以上の恥ずかしい行為はダメだと言うリリシュエーラに連れられて店の外へと消えていった。
リリには、今度屋敷でお茶をしよう、と約束をしたから、そのときはきっとアガサもくっついて来ることだろう。
にぎやかなお茶会になりそうだが、それでも今の状態よりはましなはずだ。
少なくとも、シュリの身だけは自由だろうから。
(ようやくやっかいな2人を撃退できた)
とほっとしたのもつかの間。
やけに熱い視線を感じたシュリは、何気なくその熱源に目を向けた。
だが、すぐに自分のその行為を後悔する。
熱い視線の発生源にいたのは、これまたシュリが良く知る人だった。
「シュリ君? シュリ君、ですか?」
「チガイマス。ヒトチガイデスヨ?」
シュリは反射的に顔を逸らし、他人のふりをする。
しかし、時折学校へ同行するアビスは彼女の顔をもちろん知っており、
「サシャ先生、ですか? 奇遇ですね。先生もここの紅茶がお好きなんですか?」
にこやかにサシャ先生に話しかけ、シュリの全力の他人のふりを台無しにしてくれた。
「え、ええ。ここの紅茶は美味しいですから。あなたは確か、シュリ君のお屋敷の方でしたね。ということは、やはりその子はシュリ君?」
「はい。シュリ様には、今度発売予定の新商品の確認におつき合い頂いております」
「新商品、ですか?」
「はい。子供を持つ母親あるいは父親向けの、子供を楽に抱っこできるアイテムです。名称はまだ仮ですが、抱っこ袋、と」
「抱っこ袋……なるほど。そういえばシュリ君はお店を持っていたんでしたね。業種は確か下着屋だったと思いますが、その商品も下着屋で?」
「ええ。あのお店は下着屋といいつつも、何でも屋的なところもありますから」
「なるほど。発売はいつなんでしょう?」
「さあ? その辺りはまだこれから検討していくことになると思います。購入されるようでしたら、発売が決まったときにご連絡しま……」
「買いますので予約をお願いします」
アビスの言葉を食い気味に、サシャ先生は言った。
その目がシュリをロックオンしており、先生が購入した抱っこ袋(仮)で誰を抱っこするつもりなのかは一目瞭然だった。
(抱っこ袋(仮)の購入特典に、僕がついてる訳じゃないんだけどなぁ)
「サイズはどうしま……」
「シュリ君のサイズでお願いします!!」
日頃のクールさはどこへやら、サシャ先生は完全に前のめりでアビスに詰め寄っている。
アビスはその気迫に押され、やや引き気味だ。
「あ、あの先生? 僕を抱っこ袋(仮)に入れて装備となるとそれなりに重いですよ? なのでやめておいた方が……」
サシャ先生に抱っこ袋(仮)の購入を思いとどまらせようと、シュリがそっと口を挟むと、彼女ははっとしたような顔でシュリを見た。
「そう、ですね。シュリ君を装備となると、それなりに体力も必要になるでしょう。体力不足でリタイアなんてことにはなりたくないですが、私はどちらかと言えば頭脳労働はですから体力的にはちょっと不安が……。こうなったらお兄さま方にトレーニングをお願いしましょうか。少々ウザいですが、背に腹はかえられません。シュリ君を装備する為です。多少の精神的犠牲には目をつぶりましょう」
ぶつぶつ呟くサシャ先生を見ながら思う。
(サシャ先生は僕を装備する気満々だけど、僕、装備品になった覚えはないんだけどなぁ)
と。
とはいえ、今のシュリはアビスにばっちり装備されている状態なので、その心の声に全く説得力はないのだが。
愛しい少年の心の声に気づくことなく、サシャ先生はじぃっとシュリを見つめ、そして。
「シュリ君」
「は、はい」
「先生、頑張りますね。頑張って、シュリ君を軽々装備できる女になってみせます」
そう宣言すると、
「お兄さま達、家にいらっしゃるでしょうか。まあ、居なければ呼び出せばいいですね」
独り言のようにそう言いながら、お店から出ていった。
シュリはそんな彼女の背中を呆然と見送り、
「いつもの事ながら熱い先生ですね」
「熱い? 学校ではクールな先生って言われてるんだよ?」
「クール、ですか。では熱いのはシュリ様に関してだけ、ということでしょうか。なるほど」
アビスとそんな言葉を交わしつつ、何気なく店内を見回したその時。
シュリは見つけてしまった。非常に特徴的なピンクブロンドの髪を。
そんな髪の色をした女の子は、シュリの知る中に1人しか居なかった。
「やばい!! アビス、隠れて!!」
「隠れるんですか?」
「隠れるのがダメなら店を出て!!」
「ですが、まだお目当ての紅茶を購入していませんが」
「じゃあさっさと隠れて!! じゃないと……」
シュリはどうにか惨事を避けようとした。避けようとしたのだが。
「じゃないと、なんなのかしら?」
「シュリ君!! なんて可愛いことになってるんですかっ!!」
「うわぁ。やばいっす。シュリ様、変態に拉致られてるっす。これって助けるべきっすかね? それとも見ないふりすべきっす? 悩むっすね」
絶対に見つかってはいけない人に、ばっちり見つかってしまった。
(だ、大丈夫だ。顔は見られてない。ま、まだ誤魔化せる。誤魔化して、みせる!!)
「シュリ? ダレソレ? ボク、シラナイ。ヒトチガイ」
「なにそれ。バカじゃない? バレバレなんだけど?」
(だ、だめだったぁぁ)
突き刺さるような冷めた声に、シュリは唇をかんだ。
『シュリ様にバカ、とは。たとえ一国の姫であろうとも、無礼すぎますね。殺っておきますか?』
『ダメ!! 殺るのダメ!! ってか、口にチャックで大人しくしてて!! アビスは時々、妙に過激なんだから』
『過激とは心外です。先輩方やお姉様と比べれば、私は穏やかな方かと。そんな穏やかな私ですが、シュリ様をバカにされては黙っていられません』
『大人しくしてたら後でご褒美あげるから!!』
『ご褒美……私は貝になります』
過激なアビスをなんとか言いくるめ、シュリは放置して逃げたいけどそうするわけにはいかない人達の方へ、いやいやながら顔を向けた。
「や、やあ。フィフィにアンジェにアズサ。みんなも紅茶のお買い物? ぐ、偶然だね?」
ひきつった笑顔で話しかける。
フィフィアーナ姫の汚物を見るような眼差しや、アンジェの物欲しそうな眼差しもいたたまれないが、アズサの痛ましいものを見るような視線が地味に1番痛い。
「ほんと、偶然ですねぇ。ここの紅茶はフィフィ様のお気に入りでよく買いにくるんですよ」
「そ、そっすね。つ、月に1回くらいは買いにくるっすね。姫様……じゃなかった。フィフィ様の気晴らしもかねて」
「そ、そうなんだぁ。ハハハ……」
「そうなんですよぉ」
「そ、そうなん、すよ。へへ……」
平常運転なのはアンジェだけの、不自然な世間話が、シュリとアズサの心をガリガリと削る。
そんな3人の会話を、
「世間話する状況? なんなの? それ。なんの冗談なのよ?」
フィフィアーナがばっさり斬り、アズサがあえて聞かなかった部分にさっくり切り込んだ。
「コ、コレ? コレは今度売り出す世のお母さんの為の新商品ナンダヨ? 僕は商品のチェックのお手伝いナンダ。だから変態じゃナイヨ。お仕事ナンダヨ……」
「お仕事なんですねぇ。シュリ君は偉いですねぇ。売り出したら買いに行きますね!!」
「はぁ? 母親が子供を抱っこする為のアイテムでしょう? 何でアンジェが買うのよ? はっ!? まっ、まさか!? い、いつの間にか見知らぬ男の子供を妊娠!? ……アズサ。暗殺部隊はすぐに動かせるかしら?」
「ふぃ、ふぃふぃ様!! 落ち着いて下さいっす。アンジェ様は妊娠なんかしてないっすし、間男の存在もないっす。大丈夫っす。アンジェ様はまだ清らかな乙女っす」
「じゃあ、何でアレが欲しいのよ?」
「それは、アレっすよ。アンジェ様はあのアイテムを手に入れて、シュリ様を装備するつもりっす。たぶん」
「シュリを、装備」
「シュリ君を、装備。素敵な響きですね。ちょ、ちょっと照れますが」
フィフィアーナの目が語っていた。
シュリを装備するくらいなら、私を装備しなさいよ、と。
シュリもアズサも震え上がる程にお姫様の気持ちを察していたが、肝心のアンジェだけは気づかない。
(アンジェ! 気づいてあげなよ!?)
とシュリは心の中で叫ぶが、そんなシュリも自分に対して向けられる感情に関しては非常に鈍感なので、人のことは言えない。
まあ、本人はその事実に全く気づいていないわけだが。
「アンジェ。ボクハ装備品ジャナイヨ」
フィフィアーナの気持ちをくんで、アンジェに抗議しておくが、アンジェの耳には届いていないようだ。
非常に幸せそうにうふうふしてるから。
フィフィアーナの視線が痛くて、変な汗がにじみ出る。
そんなシュリに、フィフィアーナが話しかけた。
「ねえ?」
「な、なにかな?」
「手柄続きでいい気になってるのは結構だけど」
「て、てがら? 手柄ってなんのこと??」
「シュリ君は奥ゆかしいですねぇ。この間の商都の件と今回の帝国の件ですよ。つい先頃、先日の商都に引き続き帝国から感謝のお言葉が届けられたんです。国王陛下は流石はヴィオラの孫だって大喜びでしたよ?」
「そ、う、なの?」
「ええ。姫様のお相手にふさわしいって……」
「え? 姫様のお相手??」
「シュリ?」
「ひゃいっ!?」
アンジェの言葉からシュリの気を反らすように、フィフィアーナがシュリの耳を引っ張る。
アンジェの腕に抱かれたフィフィアーナが、至近距離からシュリを睨んでいた。
「もう余計なことをするのはやめなさい。これ以上手柄を立てたりしたら許さないんだから」
むにぃっと両手で左右にほっぺたを引っ張られ、シュリは困った顔でフィフィアーナを見る。
(別に手柄を立てようと思って何かをした訳じゃないんだけどなぁ)
そう思いつつも、逆らうのも怖いのでシュリは神妙な顔で頷いた。
こんなに好き勝手にされても、なぜかフィフィアーナを嫌いになれないし、その言葉に逆らえない。
もしかしたらお姫様らしくもの凄いスキルをもってたりするのかなぁ、なぁんて思いながら解放されたほっぺたを撫でていると、
「アズサ。いつもの紅茶を買ってきて。もう帰るわよ。アンジェと先に外へ出てるわ」
フィフィアーナはそう言ってアズサとアンジェを促した。
「もうですか? 私としてはもう少しこの可愛らしい状態のシュリ君を見ていたいのですが……」
「か・え・る・わ・よ!? 早くしないと個人授業の先生をお待たせする事になるでしょう?」
「ああ、そうでしたね。では仕方ありません。急いで帰りましょう。ではシュリ君、いずれまた」
アンジェはそう言ってシュリに微笑みかけると、フィフィアーナを抱っこしたまま店の戸口へと向かった。
フィフィアーナはそんなアンジェの首にぎゅっとしがみついたまま、己の騎士の肩越しにシュリをきっと睨み、そして、
「……私、絶対にあなたのお嫁さんになんかならないんだからね」
そんな謎の言葉を残し、店を出ていった。
「フィフィが僕のお嫁さん? お姫様が僕のお嫁さんになるなんてこと、あるはずないのに。変なフィフィだなぁ」
そんな彼女の言葉を聞いたシュリは、1人呟き、大きく息をついて身体の力を抜いた。
そのままアビスの胸にもたれて目を閉じる。
「なんだかすごく疲れた。アビス、早く紅茶を買って帰ろう?」
「こくこく」
アビスが頷く気配にシュリは顔を上げ、間近に見えるアビスの生真面目な美貌を苦笑とともに見つめた。
「もう貝は終わりでいいよ?」
「では、急いで紅茶を買って帰りましょう。残りの持ち時間を、シュリ様のご褒美を頂く時間にするために」
アビスは婉然と笑い、有言実行であっという間に屋敷に舞い戻った。
彼女が望んだのは、抱っこ袋(仮)を有効活用した授乳行為。
ルビスがシュリにおっぱいを飲ませた事が、実はとってもうらやましかったらしい。
そんなこんなで、残りの時間はアビスと2人きり。
狭い部屋にこもってあっという間に過ぎたのだった。
「なんでしょう?」
「これはどうしても今日やらなきゃならないことだったのかな?」
「ええ。もう紅茶が切れる寸前ですので」
「誰かにお願いして買いに行って貰うなんてことは……」
「私のお気に入りの紅茶なので、やはり私自身で行きませんと。新商品も入っているかもしれませんし」
努力はしてみたが、アビスを論破できなかったシュリは、静かに彼女の胸に顔を隠した。
現在、アビスにだっこ袋(仮)でくくりつけられたシュリは、彼女と共に屋敷を出たばかり。
今日はアビスのお気に入りの紅茶屋さんに行くらしい。
絶対絶対シュリを連れて歩きたかっただけに違いないと思うのだが、論破出来なかったのだから諦める他ないのだろう。
もちろん、シュリとしては出来るだけ身体を小さくして周囲の視線から己を守ろうと試みてはいた。
が、抱っこ袋(仮)という新たなアイテムも、小さいとはいえ抱っこされるには少々育ってる感のあるシュリの姿も、誇らしそうに頬を紅潮させて歩くアビスの美貌も、必要以上に周囲の視線を集めてしまう。
突き刺さる人々の視線を痛いくらいに感じながら、
(赤ちゃんに戻りたい……せめて身体の大きさだけでも)
シュリは心の中で思った。
いつも、早く男らしく成長したいとは思っていたが、こんな風にもっと小さくなりたいと願うのは初めてかもしれない。
願ったところで小さくなれるはずもないのだが。
ふう、とため息をつき、シュリは思う。
せめて知り合いにだけは会いませんように、と。
しかし、アビス御用達の紅茶専門店に到着したと同時に、その期待は裏切られた。
からんころーん、と扉についたベルが鳴り、アビスが店に足を踏み入れた瞬間、
「あら? アビスじゃない」
「アビスも紅茶を買いにきたの?」
そう声をかけられる。
聞き覚えのある声にシュリが身体を固くしたが、アビスはいたってご機嫌な様子で、
「そういうお2人も揃ってお買い物ですか?」
朗らかにそう返した。
見せびらかす相手が早速現れて、アビスは非常に満足そうだ。
シュリは気づかれないように極力気配を殺したが、そんなことで誤魔化せるはずもなく。
「ふぅん。これがヴィオラが言ってたやつね。確かに、これはいいわね」
そう言いながらアガサがシュリのお尻の辺りをなで回し、
「学園長、シュリのお尻をなで回すのはやめなさい。シュリのお尻が汚れるわ」
リリシュエーラがそんなアガサの手をぺしょんと叩く。
「こら。こっちの姿の時はアガサさん、でしょ?」
「あ。そうだったわね、ごめんなさい。うっかりしてたわ、アガサ」
「さんをつけなさいよ。さんを」
「そっちもシュリのお尻から手を離しなさい。ちょっと! なに揉んでるのよ!?」
アガサの手によってシュリのお尻が揉みしだかれる中、2人は仲良くそんな言葉を交わし。
2人の会話を聞きながら、シュリは無駄な努力を手放して、
「アガサにリリ、久しぶりだね。2人が仲良さそうで良かったよ」
へんにょり微笑み、そう話しかけた。
そこでようやくアガサの手がシュリの尻から離れ、油断も隙もありません、と言わんばかりのアビスの手がシュリのお尻をしっかりと包み込んだ。
(結局僕のお尻は誰かに触られてる運命なのか)
と思いつつも、揉まれるよりはまし、と気分を切り替えたシュリの頬にアガサの手が伸びる。
そして、
「ほんと、久しぶりね。会えなくて寂しかったわ」
そんな言葉と共に、アガサに唇を奪われた。
ライトなキスからはじまり、そのままディープなキスに移行するかと思われたが、
「油断も隙もない女ね!! 人前で恥ずかしくないの!?」
赤い顔をしたリリシュエーラに引きはがされ、アガサは不満そうに唇を尖らせた。
「別に恥ずかしくないわよ。リリシュエーラだってしたいくせに」
「した……くない訳じゃないけど、しないわよ。するなら誰も来ない部屋でしてもらうわ」
「ふ~んだ。優等生ぶっちゃって」
2人は言い合いをしているが、そんな姿からも仲の良さが透けて見えていた。
シュリがしばらく会わない間に、教育者と生徒という枠を越えた友情が育まれていたらしい。
にこにこしながら2人を見ていたら、
「なぁに? にこにこして」
とアガサに問われたので、
「2人が仲良さそうで良かったなぁ、と思ってさ」
そう返すと、
「仲がいい? そうかしら?」
「仲良くなんか無いわよ、別に」
2人からそれぞれにそう返された。
そんな様子もまた微笑ましく、頬が緩むのを止められないでいると、
「あ、仲がいいといえば、あれね。ヴィオラとエルジャ。すっかりよりが戻っちゃって、まあ」
「本当にそうね。でも、まあ、おめでたい事だからいいじゃない?」
話題はヴィオラの妊娠話へと移っていった。
「あ、おばー様とおじー様、もうアガサ達のところへ行ったんだ?」
「リリシュエーラを呼んで部屋でお茶をしてたら乱入してきたのよ。なぁにぃ? あの幸せオーラ。まったく、見せつけてくれちゃって。ま、ヴィオラはあのくらい脳天気に笑ってる方が似合ってるけどね」
「ヴィオラさん達は他の友達にも報告に行くってそんなに長居せずに帰ったんだけど、アガサがそのままお酒を飲み出しそうな精神状態だったから、気晴らしに紅茶を買いに連れ出したのよ」
「そうだったんだね。リリ、お疲れさま」
「べ、べつに? 昼間からお酒につき合わされるのも面倒だったし」
シュリのねぎらいに、ちょっと照れたように頬を赤らめるリリシュエーラの頭を撫で、もう買い物は終えているらしい2人と別れて送り出す。
まだシュリとスキンシップをしたりないアガサは不満そうだったが、人前でこれ以上の恥ずかしい行為はダメだと言うリリシュエーラに連れられて店の外へと消えていった。
リリには、今度屋敷でお茶をしよう、と約束をしたから、そのときはきっとアガサもくっついて来ることだろう。
にぎやかなお茶会になりそうだが、それでも今の状態よりはましなはずだ。
少なくとも、シュリの身だけは自由だろうから。
(ようやくやっかいな2人を撃退できた)
とほっとしたのもつかの間。
やけに熱い視線を感じたシュリは、何気なくその熱源に目を向けた。
だが、すぐに自分のその行為を後悔する。
熱い視線の発生源にいたのは、これまたシュリが良く知る人だった。
「シュリ君? シュリ君、ですか?」
「チガイマス。ヒトチガイデスヨ?」
シュリは反射的に顔を逸らし、他人のふりをする。
しかし、時折学校へ同行するアビスは彼女の顔をもちろん知っており、
「サシャ先生、ですか? 奇遇ですね。先生もここの紅茶がお好きなんですか?」
にこやかにサシャ先生に話しかけ、シュリの全力の他人のふりを台無しにしてくれた。
「え、ええ。ここの紅茶は美味しいですから。あなたは確か、シュリ君のお屋敷の方でしたね。ということは、やはりその子はシュリ君?」
「はい。シュリ様には、今度発売予定の新商品の確認におつき合い頂いております」
「新商品、ですか?」
「はい。子供を持つ母親あるいは父親向けの、子供を楽に抱っこできるアイテムです。名称はまだ仮ですが、抱っこ袋、と」
「抱っこ袋……なるほど。そういえばシュリ君はお店を持っていたんでしたね。業種は確か下着屋だったと思いますが、その商品も下着屋で?」
「ええ。あのお店は下着屋といいつつも、何でも屋的なところもありますから」
「なるほど。発売はいつなんでしょう?」
「さあ? その辺りはまだこれから検討していくことになると思います。購入されるようでしたら、発売が決まったときにご連絡しま……」
「買いますので予約をお願いします」
アビスの言葉を食い気味に、サシャ先生は言った。
その目がシュリをロックオンしており、先生が購入した抱っこ袋(仮)で誰を抱っこするつもりなのかは一目瞭然だった。
(抱っこ袋(仮)の購入特典に、僕がついてる訳じゃないんだけどなぁ)
「サイズはどうしま……」
「シュリ君のサイズでお願いします!!」
日頃のクールさはどこへやら、サシャ先生は完全に前のめりでアビスに詰め寄っている。
アビスはその気迫に押され、やや引き気味だ。
「あ、あの先生? 僕を抱っこ袋(仮)に入れて装備となるとそれなりに重いですよ? なのでやめておいた方が……」
サシャ先生に抱っこ袋(仮)の購入を思いとどまらせようと、シュリがそっと口を挟むと、彼女ははっとしたような顔でシュリを見た。
「そう、ですね。シュリ君を装備となると、それなりに体力も必要になるでしょう。体力不足でリタイアなんてことにはなりたくないですが、私はどちらかと言えば頭脳労働はですから体力的にはちょっと不安が……。こうなったらお兄さま方にトレーニングをお願いしましょうか。少々ウザいですが、背に腹はかえられません。シュリ君を装備する為です。多少の精神的犠牲には目をつぶりましょう」
ぶつぶつ呟くサシャ先生を見ながら思う。
(サシャ先生は僕を装備する気満々だけど、僕、装備品になった覚えはないんだけどなぁ)
と。
とはいえ、今のシュリはアビスにばっちり装備されている状態なので、その心の声に全く説得力はないのだが。
愛しい少年の心の声に気づくことなく、サシャ先生はじぃっとシュリを見つめ、そして。
「シュリ君」
「は、はい」
「先生、頑張りますね。頑張って、シュリ君を軽々装備できる女になってみせます」
そう宣言すると、
「お兄さま達、家にいらっしゃるでしょうか。まあ、居なければ呼び出せばいいですね」
独り言のようにそう言いながら、お店から出ていった。
シュリはそんな彼女の背中を呆然と見送り、
「いつもの事ながら熱い先生ですね」
「熱い? 学校ではクールな先生って言われてるんだよ?」
「クール、ですか。では熱いのはシュリ様に関してだけ、ということでしょうか。なるほど」
アビスとそんな言葉を交わしつつ、何気なく店内を見回したその時。
シュリは見つけてしまった。非常に特徴的なピンクブロンドの髪を。
そんな髪の色をした女の子は、シュリの知る中に1人しか居なかった。
「やばい!! アビス、隠れて!!」
「隠れるんですか?」
「隠れるのがダメなら店を出て!!」
「ですが、まだお目当ての紅茶を購入していませんが」
「じゃあさっさと隠れて!! じゃないと……」
シュリはどうにか惨事を避けようとした。避けようとしたのだが。
「じゃないと、なんなのかしら?」
「シュリ君!! なんて可愛いことになってるんですかっ!!」
「うわぁ。やばいっす。シュリ様、変態に拉致られてるっす。これって助けるべきっすかね? それとも見ないふりすべきっす? 悩むっすね」
絶対に見つかってはいけない人に、ばっちり見つかってしまった。
(だ、大丈夫だ。顔は見られてない。ま、まだ誤魔化せる。誤魔化して、みせる!!)
「シュリ? ダレソレ? ボク、シラナイ。ヒトチガイ」
「なにそれ。バカじゃない? バレバレなんだけど?」
(だ、だめだったぁぁ)
突き刺さるような冷めた声に、シュリは唇をかんだ。
『シュリ様にバカ、とは。たとえ一国の姫であろうとも、無礼すぎますね。殺っておきますか?』
『ダメ!! 殺るのダメ!! ってか、口にチャックで大人しくしてて!! アビスは時々、妙に過激なんだから』
『過激とは心外です。先輩方やお姉様と比べれば、私は穏やかな方かと。そんな穏やかな私ですが、シュリ様をバカにされては黙っていられません』
『大人しくしてたら後でご褒美あげるから!!』
『ご褒美……私は貝になります』
過激なアビスをなんとか言いくるめ、シュリは放置して逃げたいけどそうするわけにはいかない人達の方へ、いやいやながら顔を向けた。
「や、やあ。フィフィにアンジェにアズサ。みんなも紅茶のお買い物? ぐ、偶然だね?」
ひきつった笑顔で話しかける。
フィフィアーナ姫の汚物を見るような眼差しや、アンジェの物欲しそうな眼差しもいたたまれないが、アズサの痛ましいものを見るような視線が地味に1番痛い。
「ほんと、偶然ですねぇ。ここの紅茶はフィフィ様のお気に入りでよく買いにくるんですよ」
「そ、そっすね。つ、月に1回くらいは買いにくるっすね。姫様……じゃなかった。フィフィ様の気晴らしもかねて」
「そ、そうなんだぁ。ハハハ……」
「そうなんですよぉ」
「そ、そうなん、すよ。へへ……」
平常運転なのはアンジェだけの、不自然な世間話が、シュリとアズサの心をガリガリと削る。
そんな3人の会話を、
「世間話する状況? なんなの? それ。なんの冗談なのよ?」
フィフィアーナがばっさり斬り、アズサがあえて聞かなかった部分にさっくり切り込んだ。
「コ、コレ? コレは今度売り出す世のお母さんの為の新商品ナンダヨ? 僕は商品のチェックのお手伝いナンダ。だから変態じゃナイヨ。お仕事ナンダヨ……」
「お仕事なんですねぇ。シュリ君は偉いですねぇ。売り出したら買いに行きますね!!」
「はぁ? 母親が子供を抱っこする為のアイテムでしょう? 何でアンジェが買うのよ? はっ!? まっ、まさか!? い、いつの間にか見知らぬ男の子供を妊娠!? ……アズサ。暗殺部隊はすぐに動かせるかしら?」
「ふぃ、ふぃふぃ様!! 落ち着いて下さいっす。アンジェ様は妊娠なんかしてないっすし、間男の存在もないっす。大丈夫っす。アンジェ様はまだ清らかな乙女っす」
「じゃあ、何でアレが欲しいのよ?」
「それは、アレっすよ。アンジェ様はあのアイテムを手に入れて、シュリ様を装備するつもりっす。たぶん」
「シュリを、装備」
「シュリ君を、装備。素敵な響きですね。ちょ、ちょっと照れますが」
フィフィアーナの目が語っていた。
シュリを装備するくらいなら、私を装備しなさいよ、と。
シュリもアズサも震え上がる程にお姫様の気持ちを察していたが、肝心のアンジェだけは気づかない。
(アンジェ! 気づいてあげなよ!?)
とシュリは心の中で叫ぶが、そんなシュリも自分に対して向けられる感情に関しては非常に鈍感なので、人のことは言えない。
まあ、本人はその事実に全く気づいていないわけだが。
「アンジェ。ボクハ装備品ジャナイヨ」
フィフィアーナの気持ちをくんで、アンジェに抗議しておくが、アンジェの耳には届いていないようだ。
非常に幸せそうにうふうふしてるから。
フィフィアーナの視線が痛くて、変な汗がにじみ出る。
そんなシュリに、フィフィアーナが話しかけた。
「ねえ?」
「な、なにかな?」
「手柄続きでいい気になってるのは結構だけど」
「て、てがら? 手柄ってなんのこと??」
「シュリ君は奥ゆかしいですねぇ。この間の商都の件と今回の帝国の件ですよ。つい先頃、先日の商都に引き続き帝国から感謝のお言葉が届けられたんです。国王陛下は流石はヴィオラの孫だって大喜びでしたよ?」
「そ、う、なの?」
「ええ。姫様のお相手にふさわしいって……」
「え? 姫様のお相手??」
「シュリ?」
「ひゃいっ!?」
アンジェの言葉からシュリの気を反らすように、フィフィアーナがシュリの耳を引っ張る。
アンジェの腕に抱かれたフィフィアーナが、至近距離からシュリを睨んでいた。
「もう余計なことをするのはやめなさい。これ以上手柄を立てたりしたら許さないんだから」
むにぃっと両手で左右にほっぺたを引っ張られ、シュリは困った顔でフィフィアーナを見る。
(別に手柄を立てようと思って何かをした訳じゃないんだけどなぁ)
そう思いつつも、逆らうのも怖いのでシュリは神妙な顔で頷いた。
こんなに好き勝手にされても、なぜかフィフィアーナを嫌いになれないし、その言葉に逆らえない。
もしかしたらお姫様らしくもの凄いスキルをもってたりするのかなぁ、なぁんて思いながら解放されたほっぺたを撫でていると、
「アズサ。いつもの紅茶を買ってきて。もう帰るわよ。アンジェと先に外へ出てるわ」
フィフィアーナはそう言ってアズサとアンジェを促した。
「もうですか? 私としてはもう少しこの可愛らしい状態のシュリ君を見ていたいのですが……」
「か・え・る・わ・よ!? 早くしないと個人授業の先生をお待たせする事になるでしょう?」
「ああ、そうでしたね。では仕方ありません。急いで帰りましょう。ではシュリ君、いずれまた」
アンジェはそう言ってシュリに微笑みかけると、フィフィアーナを抱っこしたまま店の戸口へと向かった。
フィフィアーナはそんなアンジェの首にぎゅっとしがみついたまま、己の騎士の肩越しにシュリをきっと睨み、そして、
「……私、絶対にあなたのお嫁さんになんかならないんだからね」
そんな謎の言葉を残し、店を出ていった。
「フィフィが僕のお嫁さん? お姫様が僕のお嫁さんになるなんてこと、あるはずないのに。変なフィフィだなぁ」
そんな彼女の言葉を聞いたシュリは、1人呟き、大きく息をついて身体の力を抜いた。
そのままアビスの胸にもたれて目を閉じる。
「なんだかすごく疲れた。アビス、早く紅茶を買って帰ろう?」
「こくこく」
アビスが頷く気配にシュリは顔を上げ、間近に見えるアビスの生真面目な美貌を苦笑とともに見つめた。
「もう貝は終わりでいいよ?」
「では、急いで紅茶を買って帰りましょう。残りの持ち時間を、シュリ様のご褒美を頂く時間にするために」
アビスは婉然と笑い、有言実行であっという間に屋敷に舞い戻った。
彼女が望んだのは、抱っこ袋(仮)を有効活用した授乳行為。
ルビスがシュリにおっぱいを飲ませた事が、実はとってもうらやましかったらしい。
そんなこんなで、残りの時間はアビスと2人きり。
狭い部屋にこもってあっという間に過ぎたのだった。
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