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第四部 王都の新たな日々

第415話 欲望の皇子②

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 「ヘリオール殿下は、シュリに何のご用だったのかしら?」

 「さぁ? でも、スリザやレセル兄上からシュリのことを聞いて、会ってみたくなったとかじゃないか?」

 「そう、ね。そうかもしれないわね。シュリって妙に人をひきつける子だし」

 「それにしても、皇太子殿下がお元気そうで良かったな」

 「ええ。顔色も良かったし、思っていたよりずっとお元気そうで安心したわ。危篤と聞いたときはどうなることかと思ったけど」

 「そうだな」


 飛竜の背中で、ファランとアズランはのんびりそんな会話を交わす。
 そんな双子の声を背中で聞きながら、アーズイールはいつも厳しく引き締められた口元を柔らかくゆるめた。


 「アズラン様、ファラン様、間もなく帝都の上空を抜けますので、もう少ししたらスピードをあげますよ。少し揺れると思いますから、よく掴まってて下さい」

 「ルスファの飛び方は上手だから大丈夫だって分かってるけど、一応掴まっておくよ」


 アーズイールの言葉に、アズランが朗らかに返し、そんな言葉を交わす間にも飛竜の巨躯は先へ先へと進む。
 事件は、下に広がる景色が帝都の街並みから、人が行き交う街道へ、さらに人気の少ない森林地帯へ差し掛かった時に起こった。


 「ぎゅるるっ」

 「どうした。ルスファ?」


 最初の異変はルスファの鳴き声。
 彼女の悲鳴のような鳴き声に、アーズイールは即座に反応するが、それに応じる余裕もなく、ルスファは飛行のバランスを大きく崩した。
 なにが起こったのか確かめる為に、愛竜の体に目を走らせたアーズイールは、彼女の右羽に刺さった巨大な矢に気づいて舌打ちをした。

 矢尻が抜けにくいように返しが付いたその矢は、帝国が開発した対竜兵器で、野生の飛竜を捕らえるときによく使われる。
 片羽に矢を打ち込み、それにつけてあるロープを引いて飛竜の体勢を崩して地面に落とすのだ。


 「アズラン様、ファラン様。ルスファの羽に矢が打ち込まれました。対竜用の矢なので強行離脱は難しそうです。なるべく安全な着陸を目指しますが、揺れますからしっかりと掴まっていて下さい」

 「対竜用の矢!? いったい誰が、そんな……」

 「……わかりません。まだ」

 「ルスファを、野生の飛竜と間違えたのかしら?」

 「なら、いいんですが。さあ、衝撃に備えを。口もしっかり閉じて。舌をかみますよ」


 その言葉を最後に、アーズイールも口を閉ざした。
 近づいてくる地面を睨みながら、手綱を通じてルスファに指示を出す。
 引かれる力に抵抗せず、だがなるべく体勢を整えて着地できるように。
 ルスファは即座にアーズイールの指示に従い、無駄に羽を動かすのをやめた。
 そして、引かれるままに地に向かい、土煙を上げて地面に降り立った。
 背中への衝撃を極力殺して。
 周囲には複数の気配。
 取り囲まれているな、とアーズイールは表情を険しくした。


 「……アズラン様、ファラン様。私とルスファで敵の一角を崩します。そこから逃げて下さい。ここから左方向へまっすぐ進めば森を抜けて街道へ行けるはずです。そこまで行けば誰か人がいるでしょう。そこで助けを求めてください」

 「でも、それじゃあアーズイールとルスファが!!」

 「私達は大丈夫。これでも優秀な竜騎士なんですよ? これくらいの囲みは突破できます。お2人が逃げ切れたら、念の為に救助の要請をお願いします。それから、これを」

 「これは?」

 「竜騎士が互いの位置を知らせる時に使う煙玉です。紐を引けば内蔵された火の魔術が発動して煙が吹き出します。もし上空に竜騎士を見つけたら使って下さい。できますね? アズラン様」

 「……分かった」

 「説明すべきことは以上です。では、いつでも走り出せる準備をお願いします」


 アーズイールは不安そうな2人ににこりと笑いかけ、ルスファの背中に設置された鞍から飛び降りつつ剣を抜く。
 そして、近づいてきていた敵を2人、即座に切り倒した。


 「ルスファ、アズラン様とファラン様が降りるまでそのままでいろ。お2人は落ち着いて降りて下さい。敵は近づけさせません」


 弓を射られたらまずい、と思ったが、敵が弓を射る気配はなかった。
 きっと、なにがなんでも生かして捕らえねばならない人物が、この中にいるのだろう。
 それは自分ではなく、恐らくアズランでもない。

 アーズイールは、ルスファの背中の荷台から降ろされた縄ばしごに掴まる少女をちらりと見た。
 狙われているのはきっと彼女だ。
 敵は彼女を死なせるわけにはいかないから、遠距離での攻撃をひかえている。


 「アズラン様、ファラン様から離れず、守って差し上げて下さい!」


 ファランの側にいれば、少なくとも遠距離の攻撃からは身を守れるはずだ。
 そう判断して叫びつつ、アーズイールは街道方面の敵の一角に切り込んだ。


 「ルスファ、俺に続け。敵を蹴散らせ!!」


 己の愛竜と共に。
 そうしてぽっかりあいた敵の穴に、


 「アズラン様、ファラン様を連れてお逃げ下さい!!」


 アズランとファランを送り込む。


 「わかった!! 死ぬなよ、アーズイール。すぐに応援を寄越すから!!」


 ファランの手を引いたアズランが森の木立の中に消えるのを見送って、アーズイールはその後を追う者がいないように敵の方へと向き直った。


 「やれやれ。2人を送る飛竜がお前のものだと気づいたときから、そう簡単に仕事をさせてもらえないと思っていたよ」


 そんな言葉と共に、敵の中から1人の男が姿を現す。
 背が低く、どっしりとした体型の、お世辞にも麗しいとは言い難い体型のその男の容貌に、アーズイールは見覚えがあった。


 「トゥード!?」

 「久しいな。アーズイール。こうやって顔を合わせるのは何年ぶりだろうな」

 「……お前がこの賊どもを率いているのか。ではやはり、こいつらはスヴァル公爵家の息のかかった兵達か」

 「ご明察。さすがだな。やはり、近衛からもお呼びがかかるような優等生は出来が違う」

 「狙いはファラン様か。どさくさに紛れてアズラン様も亡き者にしたかったんだろうが、残念だったな。俺がお2人を傷つけさせるとでも?」


 油断なく剣を構えながら、騎士学校での同期と言葉を交わす。
 トゥード。
 彼こそがかつてのジェスの上司であり、彼女をスヴァル公爵家のジグゼルドに捧げようとした張本人だった。

 ジェスに逃げられた後、損ねたジグゼルドの機嫌を取るために立て続けに騎士団の女性騎士を彼の元に無理矢理送り、結局はその事実が明るみに出て左遷された。
 普段は共謀している隊長の部下から選別し、自分の隊へ組み込んでから貢いでいたのだが、その手順を飛ばして普段つきあいのない隊長の部下にも手を出したのが仇になった。

 地方に飛ばされたトゥードはそれを不服として騎士団を除隊。
 その足でジグゼルドの元へと走り、彼の子飼いの兵士を束ねる隊長として雇用され、今に至る。


 「いいや、アーズイール。お前は己の身を犠牲にしても2人を逃がすって分かっていたさ。お前は優秀だが、先を読む、という点に関しては俺の方が上だったな」

 「どういう、ことだ」

 「お前の竜が獲物2匹を連れて飛び立ったと報告を受けた瞬間、俺はすぐに伝令を送った。誰にだか分かるか?」

 「お前の主、スヴァルのジグゼルドに、だろう?」

 「ジグゼルド様、だよ。未来の宰相閣下を呼び捨てってのはまずいだろう?」

 「スヴァルの小倅が未来の宰相だと? 笑わせるな。ここ数代、宰相はルキーニア公爵家から排出されているし、アズラン様は現宰相であるお父上の後を継ぐべく努力しておられる。スヴァルの入る余地などない!」

 「まあ、順当に行けばそうなんだろうな。今の皇太子とルキーニアの子犬が生きてさえいれば、な」

 「アズラン様もファラン様も、俺が必ずお守りする!!」

 「今、側にいないのに?」


 トゥードの口元が、にぃ、と歪んだ笑みを浮かべる。
 その言葉とその表情に、アーズイールは目を見開いた。


 「どういう、意味だ」

 「俺は連絡したんだよ。お前が奴らの護衛だと分かった瞬間に。街道でお待ちいただければ、なんの苦もなく獲物が飛び込んできますよ、ってな」

 「な、ん、だと?」

 「お前は己を盾に、あの子犬達を守ったつもりなんだろうな。だが、違う。お前は追い込んだんだよ。かわいい子犬達を、獰猛な狼が待つ檻の中へと」


 トゥードが笑う。狂気を宿した瞳を愉悦に細めて。
 その言葉の意味を理解した瞬間、アーズイールは踵を返していた。
 アズランとファランの後を追うために。
 だが。


 「ばぁ~か。逃がすかよ」


 そんな言葉の後に、放て、と命令するトゥードの声が聞こえた。
 次の瞬間、背中に無数の衝撃を受け、アーズイールは地面に倒れ伏した。


 「よし、とどめは刺さなくていいぞ。どうせ助からんからな。飛竜は囲んで槍で突け。こっちは動かなくなるまで手を休めるんじゃねぇぞ」


 地面にうつ伏せに倒れたアーズイールの耳に、そんな命令が届く。
 やめろ、と叫びたかったが声が出ない。
 声の代わりに、ごぼり、と血があふれた。
 背中に刺さった弓矢のどれかが肺を傷つけているのだろう。

 ルスファ、逃げてくれ、と声にならない声で叫ぶ。

 だが、己の竜が主を捨てて逃げないことは分かっていた。
 卵を己で温め、生まれた瞬間から愛情を注いで育てた。
 ルスファもそんなアーズイールに応え、2人の間には決して断ち切れない絆がある。
 故に、ルスファが己だけで逃げることはあり得ない。
 たとえ、それが己の死に繋がると分かっていても。

 ルスファの悲鳴が聞こえる。苦痛にもだえる声が。
 助けなければ、と思う。アズランとファランを、追わなければ、と思う。
 だがどうしても体が動かなかった。
 目だけを動かし、守るべき双子が逃げた先を見つめる。


 (アズラン様、ファラン様……どうかご無事で。頼む、誰か。誰か、お2人を助けてくれ)


 かきむしるように土をつかみ、祈るように思う。
 瞼が徐々に落ちてきて狭くなる視界に、空に立ち上る鮮やかな色の煙が、見えたような気がした。

◆◇◆

 「木が途切れてる! もうすぐ街道よ。アズラン、がんばりましょう!!」

 「ああ。早く誰かを見つけて助けを呼ばないと!!」


 走りながら、アズランは忠実な竜騎士に託された煙玉を握りしめた。
 2人は足をゆるめずに走り、木々が切れて視界が広がる。
 そこに、場違いなほど豪華な馬車を見つけた2人は、思わず顔を輝かせた。
 足を早めて馬車に駆け寄ろうとしたが、


 「アズラン、待って!!」


 ファランの制止で足を止める。


 「ファラン、どうしたんだ? 早く助けを呼ばないと」


 腕を痛いくらいに捕まれたアズランは、双子の妹の顔を見て目を見開いた。
 いつも飄々としていてあまり取り乱さない彼女の表情が、余りに張りつめていたから。
 自分と同じ黄金の輝きの瞳が見つめる先を追いかける。
 彼女の視線の先にいる見知った顔を見て、アズランはびくりと肩を震わせた。


 「やあ。先日は、湖で団らん中に失礼して申し訳なかったね」


 にやにやしながら、全く申し訳ないと思っていない表情で、その男はそんな言葉を言い放つ。
 色を失うルキーニアの双子を前にして、スヴァル公爵家のジグゼルドは、色男然とした顔にイヤらしい笑みを浮かべた。
 ファランをかばうように前に出たアズランは、妹にそっとささやいた。
 僕が追っ手をくい止めるから逃げろ、と。
 そんな双子の兄の手をぎゅっと握ったまま、ファランが首を横に振る。


 「逃げるならアズランが逃げて」

 「ばか。妹を見捨てて逃げる兄貴がどこにいるんだよ」

 「いつもお兄さんっぽくないくせに、急にお兄さんぶらないでよ。私なら大丈夫。あいつは私が必要なんだもの。殺されたりは、しないわ。でも、アズランは……」

 「……それでも一緒にいる。当然だろ?」


 心配そうなファランの瞳を見返し、アズランはきっぱりと言った。


 「正しい判断だな、ルキーニアの後継殿。もとよりどちらも逃がすつもりはないし、君が逃げたら矢で射殺すように命じるところだった。命拾いしたな。さあ、馬車へ。我が主がお待ちかねだ」


 そう言って馬車へと促すジグゼルドを睨み、アズランはちらりと空を見上げる。
 空はどこまでも青く澄んでいて、そこには空を飛翔するモノの影は見あたらない。


 (そう都合良く竜騎士が巡回している訳もないか)


 ほんの少し肩を落とす。
 だが、すぐに気を取り直し、アズランはアーズイールに託された竜玉を手のひらに握りしめた。
 馬車に乗せられてしまえば使う機会はない。ならば、好機はいま。
 そう判断したアズランは、竜玉から伸びた紐を引き抜いた。
 途端に大量の煙が吹きだし、


 「なにをした、貴様!!」


 ジグゼルドが叫ぶ。
 そして、アズランの手の中の得体の知れない煙の発生源を奪おうと手を伸ばしてきた。
 アズランはその手から逃げるように身をよじり、手の中の玉を、空へ向かって力一杯放り投げた。
 それを目で追ったジグゼルドは、


 「急いであの煙玉を回収しろ。誰かの目に触れたら面倒だ!!」


 部下に命令を下す。
 そして己はアズランとファランの手を掴み、馬車の中へと押し込み、己もその後ろから馬車へと乗り込んだ。


 「我が花嫁と未来の義兄上のエスコート、ご苦労だった」


 広々とした造りの馬車の中に響いたその声に体を固くした双子の背を押し座席に座らせ、己もまた座席に腰を落ち着ける。


 「ジグゼルド殿、義兄上の拘束を。よからぬことを考えられても困るからな」

 「はっ。ただいま」


 従順に答えたジグゼルドが、アズランの手を後ろで縛る。
 アズランは抵抗することなく大人しく拘束を受け、それを見ていたオリアルドは満足そうに頷いた。
 そして、その視線の先を青ざめた顔でこちらを睨む未来の花嫁へと据えた。


 「2人の寝室はもう整えてある。あなたを迎える準備は万端だぞ、我が姫」

 「そのお言葉を、私が喜ぶとでも?」

 「喜ぶさ。俺の言葉を素直に聞いて、俺を楽しませさえすれば、血を分けた兄の悲鳴をあまり聞かずにすむ、とあなたがしっかり学びさえすれば、な」


 きっと睨む少女の視線を受け止めて、オリアルドがにぃ、と笑う。


 「なら、アズランは逃がしてあげて。その代わり、私はあなたの言うことを聞いて大人しくするって誓うわ」

 「まあ、逃がしてやってもいいぞ」


 思ったよりも簡単にその言葉を引き出すことが出来て、ファランはぱっと顔を輝かせる。
 しかし、


 「だが、逃がしたら命を狙う。俺の手元以外に龍の瞳を置くつもりはないからな」


 続く言葉がファランの顔から表情を奪った。


 「だが、安心してくれ。義兄上は大事に飼ってやるつもりだ。食事もやるし、運動もさせてやろう。あなたの枷として、機能する間はな」


 甘やかに微笑む、どこかゆがみを抱えたオリアルドの顔を、嫌悪感とともに見上げる。
 唇を噛みしめ、寄り添うアズランの温もりだけを頼りに、背筋を伸ばす。
 大丈夫、まだ終わりじゃない、救いの手はきっと来る。
 そう己に言い聞かせながら。
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