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第四部 王都の新たな日々

第407話 皇子達の夕べ

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 年下のいとこ達と、2人の友人である少年に会うために湖畔の別荘地を訪れた後、レセルファンは皇太子である兄の執務室に戻ってきていた。
 最近、あまり体調のよくない兄の執務を手伝う為である。

 自分でも決済可能な書類に目を通しながら、レセルは年下のいとこ達を思う。
 アズランもファランも、とても元気で幸せそうだった。
 きっと隣国の王都での留学生活が楽しく充実しているおかげだろう。


 (2人を留学させると決めたおば上達の決断は正しかったな)


 皇帝である父親の姉であり、双子のいとこの母親であるおばの、優美な顔を思い出す。
 たおやかな淑女の仮面の裏側に頼れる女傑の表情を隠している彼女こそが、愛しい子供達の心と体の安寧を守るための策として隣国への留学を打ち出した。
 時間稼ぎにしかならないが、その時間稼ぎこそが必要な時もある。
 後数年の間ではあるが、アズランとファランは安全に年を重ねることが出来、レセル達は次の一手を考える時間を得ることが出来た。

 問題は、次の一手だ。
 双子を狙う相手は、第二皇子。
 そう簡単に手を出せる相手ではない。
 罪を問うには言い逃れできないレベルの証拠を手に入れなければならないだろう。

 だが、その証拠を得るための調査をしたくとも、それをするだけの大義名分がなければそれも難しい。
 結局は、第二皇子の陣営がうっかりしっぽを出すのを待つしかない、というのが現状だ。
 さて、どうしたものか。
 そんなことを考えていたら、書類を処理する作業が知らず知らずの間に鈍くなり、


 「どうしたんだい? レセル。眉間に気むずかしそうなしわが寄っているよ? 何か難しいことを考えているんだろうけど、そんな怖い表情をしていたら女の子にモテないぞ?」


 からかうようなその言葉にはっとして顔をあげたレセルは、兄の顔色の悪さに顔をしかめた。
 兄の体が弱いのは昔からのことだが、ここ1ヶ月ほどの体調の悪さはひどかった。


 「兄上。今日はもう休んで下さい。俺で判断できるものは、俺が処理しておきますから。さ、部屋へ戻りましょう」


 言いながら、兄の体を支えて立ち上がらせる。
 その体がまた軽くなっていることに、眉をひそめながら。


 「そう、だな。今日はもう休もうか」

 「今日と言わず、明日も休んで下さい。このところ、少し働きすぎですよ」

 「といってもな。私が決めなければ進まぬ内容のものもあることだし……」

 「緊急の内容は、俺から事情を話して父上に対応してもらいます。無理をして倒れたら大変ですよ」

 「そう、か。なら、明日1日、休むことにしようか」


 肩を貸して、ゆっくり歩を進める。
 だが、それだけのことで息を切らせている兄の体の状況が、レセルを不安にさせた。


 「明日は、俺が兄上の代理をつとめます。だから安心してゆっくり休んで下さい」


 そう伝えると、ヘリオールはゆるゆると首を横に振って淡く微笑んだ。


 「だめだよ、レセル。明日はお前も休みなさい。スリザを連れて、あの子達のところへ行くんだろう? ゆっくりと、気晴らしをしてくるといい」

 「でも、兄上の調子が良くないのに……」

 「私は大丈夫だ。ゆっくりベッドで休んでいるから心配はいらないよ。あの子達がこちらにいる間は、出来るだけあの子達の為に時間を使ってあげなさい」

 「ですが……」

 「これは父上の意向でもあるんだよ。私も父上も、表だって動くことは出来ないが、あの子達の状況を、ずっと気にかけているんだからね。父上には後で私が伝令を出してお伝えしておくよ。明日は私もレセルも、休養日にします、ってね。だから、ゆっくり行っておいで」

 「……わかりました。でも、もし俺が必要になったらすぐに呼んで下さい。なにをおいても戻ってきますから」

 「わかったよ。そうする」

 「あと、食欲がなくても食事はきちんととって下さい。また、体重が落ちてますよ?」

 「う……。わ、わかった。善処、する」

 「約束ですよ?」

 「約束、するよ」

 「なら、いいです。さ、まずは上着を脱いで横になって。少し休んでから、着替えればいいでしょう。側仕えにはそう伝えておきますから」


 ヘリオールをベッドに座らせ、上着とブーツを脱がせ、ベッドに入らせる。
 素直に横になった兄の体を上掛けでしっかりとくるみ、目を閉じた彼の寝息を確かめてから部屋を出た。
 続き部屋で控えている側仕えの者に指示を出してから、兄の執務室へと戻る。
 明日、心おきなく休むために、やれることを出来る限り終わらせておこう、そんな風に考えながら。

◆◇◆

 「そうか。帰ってきたか。我が花嫁が」


 そう言ってにぃ、と笑う第二皇子オリアルドの顔は、他の兄弟たち同様、端正で美しい。
 だがその口元に浮かぶ、暗くゆがんだ笑みがその印象を悪い方へと傾けていた。
 しかし、それはその場にいるもう1人の人物も同様。
 オリアルドの求める情報を持参したその男も、造作だけを見るならば整った顔立ちをしていた。
 しかし、その面にうかぶ卑屈な追従の表情が、それを台無しにしていた。


 「ご苦労だったな、ジグゼルド殿。さすがは我がいとこ殿だ。その辺りの雑草どもと違い、頼りになる」

 「もったいないお言葉を。我らスヴァル公爵家は二妃様とオリアルド様の揺るぎなき支持者。オリアルド様を次代の皇帝とする為ならば、どんな苦労もいといませぬ」


 芝居がかった仕草で頭を下げるジグゼルドは、帝国の2大公爵家の1つであるスヴァル公爵家の跡継ぎ息子だった。
 オリアルドの母である二妃は、スヴァル公爵家現当主の年の離れた妹。
 ジグゼルドは、オリアルドの母方のいとこという事になる。


 「しかし、レセルファンとスリザールも厚かましい奴らだ。未来の花婿を差し置いて、我が花嫁に挨拶するなど」

 「まったくその通りですな。レセルファン殿下などはもしかしたらファラン様を狙っているのかもしれませんぞ? 龍の瞳の花嫁は、強力な力となる宝ですからな」

 「可能性はあるな。兄上の従順な犬のふりをしておいて、奴も本当は次代の皇帝の座を狙っているのかもしれん。雑種のくせに、身の程知らずな犬だ。まあ、我が花嫁を、あんな雑種に渡すつもりなどないが」

 「その意気です。さすがは我らが皇太子殿下」

 「その呼び方はまだ早いぞ、ジグゼルド殿。まあ、いずれは我がものとなる称号ではあるがな」


 一応ジグゼルドをいさめつつも、まんざらでもない様子でオリアルドが笑う。
 彼に媚びるように追笑した後、ジグゼルドはその口元を更にゆがめた。


 「以前お贈りした我らからの贈り物は、二妃様のおめがねにかないましたでしょうか?」

 「役に立っていると聞いている。ここ1月ほど、母上は新たな犬を2匹調教して使っているようだ。他の主を持つ犬どもだが、奴らは母上に夢中だ。よくなつき、献身的に働いてくれているようだぞ? それこそ、本来の主の命を捧げることも辞さないくらいには、な」

 「それは重畳。さすがは二妃様です。犬の扱いがお上手ですな」


 母親を持ち上げられたオリアルドは、満更でもない様子で口元に笑みを刻む。
 母親の狂気的なまでの愛情に囲い込まれ守られて育ってきたオリアルドにとって、母は特別な存在だった。
 彼の愛は常に母の元にあり、これから手に入れようとしているファランなど、彼にとっては所詮道具でしかなかった。
 己の価値を高め、至高の地位まで押し上げてくれる道具。

 手に入れた道具を、オリアルドは大切にしてはくれるだろう。
 龍の目の花嫁という最高級の品は、その辺りで手に入るモノとは訳が違う。
 簡単に使いつぶせるモノではない。

 さすがのオリアルドもその辺りは理解しており、きちんと大切に扱うつもりではいた。
 抵抗できぬよう、でも決して心を壊しきってしまわぬように、慎重にしつける必要はあるだろうけれど。
 彼は嘲笑う。
 狂った輝きを宿す瞳を細めて。


 「明日は俺も湖に出かけてみるか。我が花嫁の発育状態も、確認しておく必要があるだろうしな。十分に育っているなら、これ以上待つ必要もないだろう。母上の計画も順調に進んでいる事だし、俺が出遅れては母上に申し訳ない」

 「では、我が家の別荘をお使い下さい。金目の双子がいる別荘からも近いですし」

 「ありがたく使わせてもらうぞ、いとこ殿。明日はそなたも共に来るがいい。邪魔をする者がいたら、そのつゆ払いは任せよう」

 「は。ならば、子飼いの者を数人連れて行きましょう。元騎士や傭兵くずれの荒くれ者共で、有事の際は役にたつでしょう」

 「ちゃんとしつけてあるんだろうな?」

 「その辺りは抜かりなく。勝手な悪さをしない程度にはしつけてありますよ」

 「ならばいいだろう。荒事が必要な時は、そなたに一任する」

 「ありがたき幸せ」


 平伏する男の頭頂部を無感動な瞳で眺める。
 オリアルドにとって、彼はそこそこ使える犬だった。
 権力欲にまみれ、女に汚い。
 欲にまみれた犬は扱いやすい。与えるべきエサがわかりやすい犬はいい犬だ。
 少なくとも、オリアルドにとっては。
 顔を上げた犬……いや、ジグゼルドに笑みを与えてから、


 「……明日が、楽しみだな」
 オリアルドは翌日の楽しみに思いを馳せるのだった。
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