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第四部 王都の新たな日々
第396話 秘密の薔薇会①
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[悪魔の下着屋さん]のオープニングセールも無事に終わり。
ようやく日常が戻ってきたある日、1日の仕事を終えたジュディスとシャイナが連れだって屋敷を出ていくのを感じた。
別に監視していたとか、そういうのじゃない。
ただ分かってしまうのだ。
愛の奴隷とその主人という関係になった瞬間から、彼女達がある程度シュリから離れると、それを感じることが出来るようになった。
そんな訳で。
ジュディスとシャイナが屋敷を離れたのを感じたシュリは行動を開始した。
まずはレーダーを起動して2人を示す光点にチェックを入れ、その居場所を見失わないようにして。
そうしてから他の3人に聞き込み調査を試みる。
彼女達が何かを知っているかは分からないので、まあ、聞き出せれば儲けもの、くらいの感覚で呼び出した3人に聞いてみた。
「ジュディスとシャイナがなにをしに出かけた、ですかぁ? 引き継ぎ以外は特に何もいわすに出かけましたよぉ?」
「ええ。お姉さまの言うとおり、今日どこに行くかの情報はありませんでした。遅くなる、とは言っていましたが。あ、でも、何かこそこそ話していたのを見かけましたね」
「こそこそ? なにを話していたか聞こえた?」
「いえ。ほとんど聞き取れませんでした。ただ、薔薇がどうとか、話していましたね」
「薔薇……」
「薔薇ぁ? お花屋さんにでもいったんですかねぇ??」
ルビスとアビスはなにも知らないようで、薔薇、という単語以外の情報を得る事は出来なかった。
ただ、薔薇、という単語にびくりと肩をふるわせた者がこの場に1人だけいた。
「……カレン? 薔薇って、何のことだろうね?」
「さ、さあ?? わ、私にもさっぱりで」
挙動不審なカレンの顔を見上げて問いかけると、彼女はシュリの視線から逃れるように、ぎぎぎ、と顔を逸らして知らないふりをしようとした。
仲間の秘密を守ろう、という姿勢は尊いが、貴重な情報源であるカレンを逃がすつもりは無かった。
「僕に秘密なんて悲しいなぁ。悲しくて、しばらくカレンとちゅーできないかも……」
「ジュディスとカレンは、薔薇会の集会に出かけたみたいです!!」
シュリのそんな言葉に、カレンは一瞬で陥落した。
「薔薇会? なにそれ??」
「私も詳しくは知りませんが、志を同じくする同志が集まった、趣味の会だって言ってましたよ? 推しのカップリングはなにかって聞かれて首を傾げたら、カレンにはまだ早いみたいねって誘ってくれなかったんです。ひどいと思いませんか? シュリ君!!」
「推しの、カップリング……」
「あ、あと、みんなで創作した話を持ち寄って、ドージンシとか言うのを作るとか言ってましたね。出来上がったら読ませてあげるから、それで勉強するといいわ、って。なんでしょうね、ドージンシ、って」
「同人誌……」
なんだか聞き覚えのある単語が出てきて、シュリは何ともいえず微妙な顔をする。
自分が転生してきたくらいだから、他にもそういう人はいるだろう、とは思っていた。
前世を思い起こさせる料理やお菓子とか、ちょっとマニアなアイテムとか、ちょいちょい見かけてはいたから。
「ドージンシを作るグループの中でも、薔薇会はかなり大手らしいです。2人が好きなビーエル作家さんも参加してるらしくて、そのことは自慢されました。ちゃんとプロとして活動している作家さんらしいですよ? なんでも、ビーエル界の第一人者だとかで、有名な人らしいです。若いお嬢さんらしいですけど。ただ、いまいち分からないんですけど、ビーエルってなんなんでしょうね??」
「BL……」
なんてことだ。その文化もすでにこちらに持ち込まれていたか。薔薇会が大手、ということは他にもグループがあるということ。
BL文化のみならず、同人文化もかなり広がっているのかもしれない。
(……こっちの世界でコミケが開催される日も、そう遠くはないのかもなぁ)
ちょっと遠い目をしてシュリは思う。
別にそういう文化を否定するつもりはない。
前世では、読者として楽しんでいたし。
ただ、前世と違うのは、男に生まれた以上、自分がその題材に組み込まれる可能性もあり得る、ということ。
何となく嫌な予感を感じつつ、シュリはとりあえずジュディスとシャイナのいる場所へ乗り込んでみることにするのだった。
◆◇◆
薔薇会の集会は月に1度、王都の商業地区にある小さなカフェを貸し切って行われる。
この会の発起人は、デビューしてからわずかな間にBL文化なるものを作り上げたカリスマ、BL作家ユズコ・アンノだったが、実際に采配をふるっているのはジュディスとシャイナの2人だった。
集会、といっても、いつもは他愛のないもの。
ユズコの新刊についての意見交換をしたり、街中で見つけたカップリングの話をしたり。お茶を飲みながらみんなで仲良くおしゃべりをして解散する、そういう類の集まりだった。
だが、今日は違う。
先日、ジュディスとシャイナの呼びかけで集まったとあるお店のオープニングイベントにて、とても素晴らしいBL成分を鼻からこぼれるほど補給してしまった淑女達は燃えに燃えていた。
そこへ、ユズコが更なる火種をぶち込んだのである。
薔薇会のみんなで同人誌を作りましょう、と。
題材はもちろん、[悪魔の下着屋さん]の麗しき男子4人。
ユズコは感動していた。
彼女の著書の読者であり、BL文化の良き理解者でもあるジュディスとシャイナからあるイベントに誘われ、資料を手渡されたのが今から数週間前。
その資料にはそのイベントにいる男子4人の情報が事細かに記されていた。
それを読んだユズコは思ったものだ。
こんな人間、いるはずない、と。
これはきっとジュディスとシャイナの妄想か、過大評価であるに違いない。
そう、思った。
かつての世界からこの異世界へ転移した当初は、マンガやアニメの世界に迷い込んだような気持ちになったものだが、日々生活するうちにそんな気持ちも薄れた。
確かにかつての世界より美しい男性は多いし、そこからインスピレーションを得ることは大いにあったが、ジュディスとシャイナの資料の男子達の描写は夢々しすぎた。
それこそ、神絵師に描かれた至高のBLマンガの登場人物のように。
ジュディス達に与えられた資料を読んでいると、架空の人物の設定資料を読んでいるような気持ちにさせられた。
最初は2人を疑った。
彼女達は、この資料を元に自分達好みのBLをユズコに書かせたいだけなのじゃないか、と。
そう問いかけたユズコに、2人は真剣な表情で返した。
書くかどうかは、実際にイベントで彼らを見てから決めてほしい、と。
彼女達の真剣さに突き動かされ、半信半疑で向かったそのイベントで、ユズコは神が与えた至高の光景を目の当たりにした。
ジュディスとシャイナが用意した資料通り……いや、資料以上に麗しい男子が4人、目の前でナチュラルでリアルなBLシチュエーションを再現してくれている。
その素晴らしき光景を前に、何度卒倒しそうになったことか。
でも、一瞬たりとも見逃すわけにはいかない、という執念で何とか最後まで立っている事が出来た。
鼻の奥がつんとして、赤い情熱がこぼれ落ちそうになったが、シャイナが念の為と同志全員に配っておいてくれた鼻の詰め物のおかげで、その事態もどうにか乗り切り。
イベントの終わりを告げるアナウンスに促され、よろよろと向かった出口では4人の奇跡がお見送りをしてくれるというファン(?)感涙の大サービス。
ユズコは滂沱の如く流れ落ちそうになる涙をどうにかこらえ、最推しの男子の手を握った。
「最高の時間をありがとうございます!! 私は断然シュリ君推しです!!」
ユズコの手を優しく握り返した美少年(……いや、美幼児と呼ぶべきか!?)は目をまあるくして、
「え、えっと、ありがとう、ございます?」
そう言って小首を傾げた。
その可愛らしかった事といったら。
今まで、ショタジャンルには手を出してこなかったユズコだが、あの日、至高のショタと出会い、おにショタ、あるいはショタおにの扉を大きく開かされた。
その後、流れで握手したイケメン3人からは、
「シュリ推しか。いい趣味だ」
「……こく!」
「シュリに目を付けるなんて、見る目あるね、おねーさん」
なぜか熱を込めて褒められた。
だが、シュリに完落ちしているユズコはそれを半ば聞き流し、ぼーっとしたまま外へ出た。
そして思ったのだ。
彼らをモデルに薔薇会のみんなで同人誌を発行しよう、と。
これほどの題材を与えられて書かないなど、同人作家の名がすたる。
幸い、薔薇会の次の集会は数日後。
その数日が、今日得たインスピレーションをもとに好みのカップリングを考えるにはちょうどいい時間になる。
そんなことを考えながら、自分と同じく息も絶え絶えな数人の薔薇会の会員と目が合い、互いに頷きあってから帰途につく。
気持ちは恐らく同じだろう。
ただ1点気になるのは、資料のシュリ君のところにのみあった、[プラトニック限定]の注釈のみ。
(今日はそこのところをジュディスさんとシャイナさんにしっかり確かめよう!)
ユズコは己にそう言い聞かせ、あの日の回想を終わらせた。
◆◇◆
「同人誌作成、大いに結構。みんなのそのやる気を引き出すためにあのイベントに招待したようなものだから、役に立ったようで嬉しいわ。ねえ、シャイナ?」
「はい。シュリ様をのぞく3人はあの店に関わっていますから、時々は顔を出すと思います。なので、ぜひお買い物にもいらして下さい。いずれはシュリ様にご相談の上、薔薇会割引も出来るようにしますので」
みんなで同人誌を作ろう、ユズコのその発案に、ジュディスとシャイナはそう返した。
2人はやる気に満ちあふれた同志達の顔を見回して更に言葉を継ぐ。
「基本的な情報はイベント前に渡した資料の通り。他に知りたいことがあるなら、答えられる範囲で答えるわ」
「質問がある人は挙手をお願いします」
2人の言葉を受けて、みんなの手が一斉に上がった。
ユズコはそれを見回して、とりあえず静観する事を選ぶ。
焦ったところで答えは逃げない。
彼女達の質問が一通り終わっても求める答えが出なかったら、その時手を挙げればいい。
ジュディスはそんなユズコに意味ありげな視線を一瞬投げかけた後、手を挙げる会員の1人を指名した。
「カップリングは自由ですか? ダメな組み合わせがあるなら事前に知っておきたいです」
「そういったことは特にありません。その辺りは当人達にも許可を得ておりますのでご安心ください。ノワール、ブラン、レッドの3人に関しては、これが売り上げにつながるなら構わないと申しておりますので、ご自由にこねくり回していただいて結構です。我らの主、シュリ様に関しては以前にお渡しした資料の通り、プラトニック限定であれば可能とさせていただきます」
「プラトニックの定義は? どこまでなら大丈夫なんですか? キスはプラトニックに入りますか!?」
「シュリ様は男性との唇同士のキスはいたしません。なので、創作物の中であってもそこは厳守してください。頬やおでこ、あるいは手など、常識の範囲内であれば、そういった部分へのキスはプラトニックの定義に入れていただいて結構です」
「ですが、相手に恋していれば自然と肉体同士の触れ合いを求めるものだと思いますが……」
「シュリ様が想う相手は女性です。男性に友情や親愛の気持ちを抱く事はあるでしょうが、それ以上の気持ちになることはない。そう理解していただければ」
「でも、私達が書くのはあくまでファンタジーですし……」
「シュリ様は異性愛者です。そこを厳守していただけないのであれば、シュリ様を絡めた話は一切禁止、とさせていただきます」
ユズコと同じく、シュリ君推しなのだろう。
かなり頑張って食い下がっていたが、最後はシャイナの冷たい眼差しと言葉に沈黙した。
肉体的なアレコレを書けないのは痛いが、シュリ君を一切書けなくなるのは困る。ユズコを含めた、会の中のシュリ派の必死の目配せに、粘り強く切り込んでいた女性は不承不承口をつぐんだ。
彼女も、書けなくなるくらいなら、厳しい制約も我慢しよう、と考えたのだろう。
そんな彼女の不満顔を横目で見ながら、ユズコは最後の抵抗を試みる為、おずおずと手を挙げた。
「ユズコ様、どうぞ」
「シュリ君はあくまで異性愛者であり、彼との接触がプラトニックに限定される、ということは理解しました。そこで私が聞きたいのは、シュリ君に似た別人であればどうか、ということです」
「シュリ様に似た別人。どういう事かしら?」
「えっとですね。たとえば、ノワ×シュリの構図があったとして、ノワールはシュリ様を真剣に愛しているけれど、シュリ様本人への接触はプラトニックなものしか許されない。でも、ノワールは健全で大人な男性です。プラトニックな関係だけで満足しちゃうなんて不健全ですよね? 我慢に我慢を重ね、シュリ様を諦めるか、己の分身を亡きモノにしてでもプラトニックを貫くかの選択に迫られた時、ノワールの目の前に、ちょっとシュリ様に似た男の子が現れるんです。そして、ノワールはシュリ様を想いながらその男の子といたしてしまう、というような」
ユズコは一息に、己の妄想を語りきった。今回書こうと思っている創作物のプロットそのままなので、コレをダメと言われたら、また一から考え直さないといけなくなるだろう。
ドキドキしながら、ジュディスとシャイナの判定を待つ。
そんなユズコの視線の先で、ジュディスとシャイナは目を見交わし、
「そういう切り口でくるとは。素晴らしいわ、ユズコさん」
「流石です、ユズコ様」
そう言いながら感心したようにユズコを見た。
否定的な感情の含まれないその眼差しにユズコはほっと息をつき、
「じゃあ、シュリ君に似た別の誰かとの濃密な行為は大丈夫なんですね?」
確認のため、そう問いかける。
そんなユズコの質問に、ジュディスとシャイナが頷き、代表してシャイナが口を開く。
「はい。ただし、シュリ様と全く同じ美しさと可愛らしさを持った方が他にいるとは思えません。ですから、シュリ様とそのシュリ様に似た者の区別は明確にお願いします」
「その辺りは理解してます。シュリ君に似ていると言っても、髪の色が同じだけど瞳の色は違うとか、そういう明確な違いを作るつもりです」
「なるほど。それならいいでしょう。ただし、書き上がった作品は、まず私達がチェックさせてもらうけど」
「かまいません。シュリ君を書くためです」
「他の方の作品も、シュリ様が描かれている場合は、ジュディスと私で確認させていただきます。それが面倒な方は、他のお三方のお話を書いていただければ、と」
ジュディスとシャイナの言葉に、薔薇会の面々はしばらくざわざわしていたが、それ以上つっこんだ質問が上がることはなく、みんなそれなりに納得したようだった。
そんな彼女達の顔を見回し、ジュディスとシャイナは満足そうに頷いて。
「質問も無いようだし、今日の集会はこの辺りで終わりにしましょうか」
「次の集会はまた1月後。各自、構想を練って創作に励んで下さい」
「来月の集会は、それぞれが書いたものを持ちよること。特に、シュリ様が出てくる作品は、私とシャイナでチェックするから必ず持ってきてちょうだいね?」
「互いの作品を読みあって、互いを高めあいましょう」
「もし疑問点や聞きたいこと、相談したいことがあったら、遠慮なく訪ねてちょうだい。私もシャイナも、ルバーノの屋敷にいるから」
「では、本日はこれで集会を終わりましょう。ユズコ様、お願いします」
「え? あ、ハイ。えっと、みんな、今日もお疲れさまでした。また来月もよろしくお願いします。じゃ、じゃあ、今日はこれで解散で……」
何とも尻切れトンボな締めの挨拶だったが、それになれている薔薇会の面々は、思い思いのタイミングで席を立ち、1人また1人と会場から出ていった。
それを見送り、あとの始末をジュディスとシャイナに任せて、ユズコもまた帰途についたのだった。
ようやく日常が戻ってきたある日、1日の仕事を終えたジュディスとシャイナが連れだって屋敷を出ていくのを感じた。
別に監視していたとか、そういうのじゃない。
ただ分かってしまうのだ。
愛の奴隷とその主人という関係になった瞬間から、彼女達がある程度シュリから離れると、それを感じることが出来るようになった。
そんな訳で。
ジュディスとシャイナが屋敷を離れたのを感じたシュリは行動を開始した。
まずはレーダーを起動して2人を示す光点にチェックを入れ、その居場所を見失わないようにして。
そうしてから他の3人に聞き込み調査を試みる。
彼女達が何かを知っているかは分からないので、まあ、聞き出せれば儲けもの、くらいの感覚で呼び出した3人に聞いてみた。
「ジュディスとシャイナがなにをしに出かけた、ですかぁ? 引き継ぎ以外は特に何もいわすに出かけましたよぉ?」
「ええ。お姉さまの言うとおり、今日どこに行くかの情報はありませんでした。遅くなる、とは言っていましたが。あ、でも、何かこそこそ話していたのを見かけましたね」
「こそこそ? なにを話していたか聞こえた?」
「いえ。ほとんど聞き取れませんでした。ただ、薔薇がどうとか、話していましたね」
「薔薇……」
「薔薇ぁ? お花屋さんにでもいったんですかねぇ??」
ルビスとアビスはなにも知らないようで、薔薇、という単語以外の情報を得る事は出来なかった。
ただ、薔薇、という単語にびくりと肩をふるわせた者がこの場に1人だけいた。
「……カレン? 薔薇って、何のことだろうね?」
「さ、さあ?? わ、私にもさっぱりで」
挙動不審なカレンの顔を見上げて問いかけると、彼女はシュリの視線から逃れるように、ぎぎぎ、と顔を逸らして知らないふりをしようとした。
仲間の秘密を守ろう、という姿勢は尊いが、貴重な情報源であるカレンを逃がすつもりは無かった。
「僕に秘密なんて悲しいなぁ。悲しくて、しばらくカレンとちゅーできないかも……」
「ジュディスとカレンは、薔薇会の集会に出かけたみたいです!!」
シュリのそんな言葉に、カレンは一瞬で陥落した。
「薔薇会? なにそれ??」
「私も詳しくは知りませんが、志を同じくする同志が集まった、趣味の会だって言ってましたよ? 推しのカップリングはなにかって聞かれて首を傾げたら、カレンにはまだ早いみたいねって誘ってくれなかったんです。ひどいと思いませんか? シュリ君!!」
「推しの、カップリング……」
「あ、あと、みんなで創作した話を持ち寄って、ドージンシとか言うのを作るとか言ってましたね。出来上がったら読ませてあげるから、それで勉強するといいわ、って。なんでしょうね、ドージンシ、って」
「同人誌……」
なんだか聞き覚えのある単語が出てきて、シュリは何ともいえず微妙な顔をする。
自分が転生してきたくらいだから、他にもそういう人はいるだろう、とは思っていた。
前世を思い起こさせる料理やお菓子とか、ちょっとマニアなアイテムとか、ちょいちょい見かけてはいたから。
「ドージンシを作るグループの中でも、薔薇会はかなり大手らしいです。2人が好きなビーエル作家さんも参加してるらしくて、そのことは自慢されました。ちゃんとプロとして活動している作家さんらしいですよ? なんでも、ビーエル界の第一人者だとかで、有名な人らしいです。若いお嬢さんらしいですけど。ただ、いまいち分からないんですけど、ビーエルってなんなんでしょうね??」
「BL……」
なんてことだ。その文化もすでにこちらに持ち込まれていたか。薔薇会が大手、ということは他にもグループがあるということ。
BL文化のみならず、同人文化もかなり広がっているのかもしれない。
(……こっちの世界でコミケが開催される日も、そう遠くはないのかもなぁ)
ちょっと遠い目をしてシュリは思う。
別にそういう文化を否定するつもりはない。
前世では、読者として楽しんでいたし。
ただ、前世と違うのは、男に生まれた以上、自分がその題材に組み込まれる可能性もあり得る、ということ。
何となく嫌な予感を感じつつ、シュリはとりあえずジュディスとシャイナのいる場所へ乗り込んでみることにするのだった。
◆◇◆
薔薇会の集会は月に1度、王都の商業地区にある小さなカフェを貸し切って行われる。
この会の発起人は、デビューしてからわずかな間にBL文化なるものを作り上げたカリスマ、BL作家ユズコ・アンノだったが、実際に采配をふるっているのはジュディスとシャイナの2人だった。
集会、といっても、いつもは他愛のないもの。
ユズコの新刊についての意見交換をしたり、街中で見つけたカップリングの話をしたり。お茶を飲みながらみんなで仲良くおしゃべりをして解散する、そういう類の集まりだった。
だが、今日は違う。
先日、ジュディスとシャイナの呼びかけで集まったとあるお店のオープニングイベントにて、とても素晴らしいBL成分を鼻からこぼれるほど補給してしまった淑女達は燃えに燃えていた。
そこへ、ユズコが更なる火種をぶち込んだのである。
薔薇会のみんなで同人誌を作りましょう、と。
題材はもちろん、[悪魔の下着屋さん]の麗しき男子4人。
ユズコは感動していた。
彼女の著書の読者であり、BL文化の良き理解者でもあるジュディスとシャイナからあるイベントに誘われ、資料を手渡されたのが今から数週間前。
その資料にはそのイベントにいる男子4人の情報が事細かに記されていた。
それを読んだユズコは思ったものだ。
こんな人間、いるはずない、と。
これはきっとジュディスとシャイナの妄想か、過大評価であるに違いない。
そう、思った。
かつての世界からこの異世界へ転移した当初は、マンガやアニメの世界に迷い込んだような気持ちになったものだが、日々生活するうちにそんな気持ちも薄れた。
確かにかつての世界より美しい男性は多いし、そこからインスピレーションを得ることは大いにあったが、ジュディスとシャイナの資料の男子達の描写は夢々しすぎた。
それこそ、神絵師に描かれた至高のBLマンガの登場人物のように。
ジュディス達に与えられた資料を読んでいると、架空の人物の設定資料を読んでいるような気持ちにさせられた。
最初は2人を疑った。
彼女達は、この資料を元に自分達好みのBLをユズコに書かせたいだけなのじゃないか、と。
そう問いかけたユズコに、2人は真剣な表情で返した。
書くかどうかは、実際にイベントで彼らを見てから決めてほしい、と。
彼女達の真剣さに突き動かされ、半信半疑で向かったそのイベントで、ユズコは神が与えた至高の光景を目の当たりにした。
ジュディスとシャイナが用意した資料通り……いや、資料以上に麗しい男子が4人、目の前でナチュラルでリアルなBLシチュエーションを再現してくれている。
その素晴らしき光景を前に、何度卒倒しそうになったことか。
でも、一瞬たりとも見逃すわけにはいかない、という執念で何とか最後まで立っている事が出来た。
鼻の奥がつんとして、赤い情熱がこぼれ落ちそうになったが、シャイナが念の為と同志全員に配っておいてくれた鼻の詰め物のおかげで、その事態もどうにか乗り切り。
イベントの終わりを告げるアナウンスに促され、よろよろと向かった出口では4人の奇跡がお見送りをしてくれるというファン(?)感涙の大サービス。
ユズコは滂沱の如く流れ落ちそうになる涙をどうにかこらえ、最推しの男子の手を握った。
「最高の時間をありがとうございます!! 私は断然シュリ君推しです!!」
ユズコの手を優しく握り返した美少年(……いや、美幼児と呼ぶべきか!?)は目をまあるくして、
「え、えっと、ありがとう、ございます?」
そう言って小首を傾げた。
その可愛らしかった事といったら。
今まで、ショタジャンルには手を出してこなかったユズコだが、あの日、至高のショタと出会い、おにショタ、あるいはショタおにの扉を大きく開かされた。
その後、流れで握手したイケメン3人からは、
「シュリ推しか。いい趣味だ」
「……こく!」
「シュリに目を付けるなんて、見る目あるね、おねーさん」
なぜか熱を込めて褒められた。
だが、シュリに完落ちしているユズコはそれを半ば聞き流し、ぼーっとしたまま外へ出た。
そして思ったのだ。
彼らをモデルに薔薇会のみんなで同人誌を発行しよう、と。
これほどの題材を与えられて書かないなど、同人作家の名がすたる。
幸い、薔薇会の次の集会は数日後。
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そんなことを考えながら、自分と同じく息も絶え絶えな数人の薔薇会の会員と目が合い、互いに頷きあってから帰途につく。
気持ちは恐らく同じだろう。
ただ1点気になるのは、資料のシュリ君のところにのみあった、[プラトニック限定]の注釈のみ。
(今日はそこのところをジュディスさんとシャイナさんにしっかり確かめよう!)
ユズコは己にそう言い聞かせ、あの日の回想を終わらせた。
◆◇◆
「同人誌作成、大いに結構。みんなのそのやる気を引き出すためにあのイベントに招待したようなものだから、役に立ったようで嬉しいわ。ねえ、シャイナ?」
「はい。シュリ様をのぞく3人はあの店に関わっていますから、時々は顔を出すと思います。なので、ぜひお買い物にもいらして下さい。いずれはシュリ様にご相談の上、薔薇会割引も出来るようにしますので」
みんなで同人誌を作ろう、ユズコのその発案に、ジュディスとシャイナはそう返した。
2人はやる気に満ちあふれた同志達の顔を見回して更に言葉を継ぐ。
「基本的な情報はイベント前に渡した資料の通り。他に知りたいことがあるなら、答えられる範囲で答えるわ」
「質問がある人は挙手をお願いします」
2人の言葉を受けて、みんなの手が一斉に上がった。
ユズコはそれを見回して、とりあえず静観する事を選ぶ。
焦ったところで答えは逃げない。
彼女達の質問が一通り終わっても求める答えが出なかったら、その時手を挙げればいい。
ジュディスはそんなユズコに意味ありげな視線を一瞬投げかけた後、手を挙げる会員の1人を指名した。
「カップリングは自由ですか? ダメな組み合わせがあるなら事前に知っておきたいです」
「そういったことは特にありません。その辺りは当人達にも許可を得ておりますのでご安心ください。ノワール、ブラン、レッドの3人に関しては、これが売り上げにつながるなら構わないと申しておりますので、ご自由にこねくり回していただいて結構です。我らの主、シュリ様に関しては以前にお渡しした資料の通り、プラトニック限定であれば可能とさせていただきます」
「プラトニックの定義は? どこまでなら大丈夫なんですか? キスはプラトニックに入りますか!?」
「シュリ様は男性との唇同士のキスはいたしません。なので、創作物の中であってもそこは厳守してください。頬やおでこ、あるいは手など、常識の範囲内であれば、そういった部分へのキスはプラトニックの定義に入れていただいて結構です」
「ですが、相手に恋していれば自然と肉体同士の触れ合いを求めるものだと思いますが……」
「シュリ様が想う相手は女性です。男性に友情や親愛の気持ちを抱く事はあるでしょうが、それ以上の気持ちになることはない。そう理解していただければ」
「でも、私達が書くのはあくまでファンタジーですし……」
「シュリ様は異性愛者です。そこを厳守していただけないのであれば、シュリ様を絡めた話は一切禁止、とさせていただきます」
ユズコと同じく、シュリ君推しなのだろう。
かなり頑張って食い下がっていたが、最後はシャイナの冷たい眼差しと言葉に沈黙した。
肉体的なアレコレを書けないのは痛いが、シュリ君を一切書けなくなるのは困る。ユズコを含めた、会の中のシュリ派の必死の目配せに、粘り強く切り込んでいた女性は不承不承口をつぐんだ。
彼女も、書けなくなるくらいなら、厳しい制約も我慢しよう、と考えたのだろう。
そんな彼女の不満顔を横目で見ながら、ユズコは最後の抵抗を試みる為、おずおずと手を挙げた。
「ユズコ様、どうぞ」
「シュリ君はあくまで異性愛者であり、彼との接触がプラトニックに限定される、ということは理解しました。そこで私が聞きたいのは、シュリ君に似た別人であればどうか、ということです」
「シュリ様に似た別人。どういう事かしら?」
「えっとですね。たとえば、ノワ×シュリの構図があったとして、ノワールはシュリ様を真剣に愛しているけれど、シュリ様本人への接触はプラトニックなものしか許されない。でも、ノワールは健全で大人な男性です。プラトニックな関係だけで満足しちゃうなんて不健全ですよね? 我慢に我慢を重ね、シュリ様を諦めるか、己の分身を亡きモノにしてでもプラトニックを貫くかの選択に迫られた時、ノワールの目の前に、ちょっとシュリ様に似た男の子が現れるんです。そして、ノワールはシュリ様を想いながらその男の子といたしてしまう、というような」
ユズコは一息に、己の妄想を語りきった。今回書こうと思っている創作物のプロットそのままなので、コレをダメと言われたら、また一から考え直さないといけなくなるだろう。
ドキドキしながら、ジュディスとシャイナの判定を待つ。
そんなユズコの視線の先で、ジュディスとシャイナは目を見交わし、
「そういう切り口でくるとは。素晴らしいわ、ユズコさん」
「流石です、ユズコ様」
そう言いながら感心したようにユズコを見た。
否定的な感情の含まれないその眼差しにユズコはほっと息をつき、
「じゃあ、シュリ君に似た別の誰かとの濃密な行為は大丈夫なんですね?」
確認のため、そう問いかける。
そんなユズコの質問に、ジュディスとシャイナが頷き、代表してシャイナが口を開く。
「はい。ただし、シュリ様と全く同じ美しさと可愛らしさを持った方が他にいるとは思えません。ですから、シュリ様とそのシュリ様に似た者の区別は明確にお願いします」
「その辺りは理解してます。シュリ君に似ていると言っても、髪の色が同じだけど瞳の色は違うとか、そういう明確な違いを作るつもりです」
「なるほど。それならいいでしょう。ただし、書き上がった作品は、まず私達がチェックさせてもらうけど」
「かまいません。シュリ君を書くためです」
「他の方の作品も、シュリ様が描かれている場合は、ジュディスと私で確認させていただきます。それが面倒な方は、他のお三方のお話を書いていただければ、と」
ジュディスとシャイナの言葉に、薔薇会の面々はしばらくざわざわしていたが、それ以上つっこんだ質問が上がることはなく、みんなそれなりに納得したようだった。
そんな彼女達の顔を見回し、ジュディスとシャイナは満足そうに頷いて。
「質問も無いようだし、今日の集会はこの辺りで終わりにしましょうか」
「次の集会はまた1月後。各自、構想を練って創作に励んで下さい」
「来月の集会は、それぞれが書いたものを持ちよること。特に、シュリ様が出てくる作品は、私とシャイナでチェックするから必ず持ってきてちょうだいね?」
「互いの作品を読みあって、互いを高めあいましょう」
「もし疑問点や聞きたいこと、相談したいことがあったら、遠慮なく訪ねてちょうだい。私もシャイナも、ルバーノの屋敷にいるから」
「では、本日はこれで集会を終わりましょう。ユズコ様、お願いします」
「え? あ、ハイ。えっと、みんな、今日もお疲れさまでした。また来月もよろしくお願いします。じゃ、じゃあ、今日はこれで解散で……」
何とも尻切れトンボな締めの挨拶だったが、それになれている薔薇会の面々は、思い思いのタイミングで席を立ち、1人また1人と会場から出ていった。
それを見送り、あとの始末をジュディスとシャイナに任せて、ユズコもまた帰途についたのだった。
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