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第四部 王都の新たな日々
第380話 アガサのお騒がせ1人旅②
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「手伝おうと思ったのに、逆に邪魔しちゃってごめんね」
「気にするな、シュリ。その気持ちだけで十分嬉しいぞ?」
「そうだよ、シュリ。それに、邪魔なんかじゃなかったよ? シュリがそこにいるだけで、なんて言うか力がわいてきて、いつもよりずっと早くお客様対応出来たし!!」
「シュリ君は、そこにいてくれるだけでいいのよ。心の栄養剤なんだから!!」
お客さんのいなくなった食堂でしょぼんと肩を落とすと、3人は口々に慰めてくれた。
予想外な場所、予想外なタイミングで予想外な姿のバッシュ先生と再会した結果、シュリの頭はフリーズしてしまい。結構な時間使い物にならなかった。
そんなシュリをナーザが抱き上げ回収し、シュリがとっておいたメモをジャズがサギリに渡してくれた為、同じお客さんに再度注文聞きするという失態は免れたが。
営業終了時に、あの可愛い少年の名前を教えてほしい、というおじさん数人との攻防があったらしいが、ナーザは断固として口を割らず、彼らを叩き出すという一幕もあったが、Sランク冒険者のナーザにとっては虫を追い払う程度の労力ということなので、シュリは気にしないことにした。
気にするな、とナーザも言ってたし。
サギリの入れてくれたお茶を飲んで、一息入れて。シュリはそもそもの目的だった帰還の報告をすることにした。
蒼い髪の受付のおねーさんはこの場にいないが、別に仲間はずれにしている訳ではない。
一応、一緒にお茶を飲まないかと誘ったのだが、受付を離れる訳にはいかないと断られたのだ。
なので、サギリが入れてくれたお茶だけを渡して素直に引き下がってきた。
まあ、今回のただいま報告には関係ないし、それでいいかと思いながら。
目の前に座る3人に、一通り簡単に話して、
「そんなわけで、アガサも[月の乙女]のジェスとフェンリーも、みんな無事だし元気だよ」
そう締めくくる。
「そっかぁ。みんな無事なら良かった。わざわざ隣国からアガサさんに持ち込まれたくらいだから、きっと危険な仕事に違いないって心配してたけど、そこまで危なくなかったんだね」
「まぁね」
危険な場面もないことはなかったが、済んだことで心配させるものどうかと思うので、シュリは曖昧に頷いておく。
「ジェスさんとフェンリーさん以外のメンバーも元気なの?」
「ん~、僕は他のメンバーが帰ってくる前に向こうを出てきちゃったから分からないけど、道中問題なければみんな元気なんじゃないかなぁ」
サギリからの質問に首を傾げながら返事を返す。
正直、ジェスとフェンリー以外の[月の乙女]のメンバーとはほぼ交流がないから、彼女達の実力は未知数だ。
なので、ドリスティアの王都から商都への旅程が彼女達にとって危険なのかどうなのかも判断がつかない。
ただ、ジェスもフェンリーも全く彼女達の心配をしていなかったから、問題ないだろうとは思うけれど。
「で? アガサはどうしたんだ?」
「アガサ? アガサはもうちょっと休みを満喫したいからって、商都に残ったよ? 商都の観光をして、のんびり1人旅をしながら戻ってくる、って」
「ほう? アガサを1人で放置してきたのか。それは思い切った事をしたな」
「……えっと、なにかまずかったかな?」
「ん? シュリはなにも悪くないから気にするな。ただ、アガサは1人で行動するとむやみやたらとトラブルを引き起こす、とにかく面倒な奴なんだ」
「と、とらぶる……。どんな?」
「まあ、色々だが、主に男関係だな。アレはもはや体質だから仕方ないが、かといって周囲に迷惑な事はかわりないからな。困ったもんだ」
「そ、そっか。急いで回収してきた方がいいかな?」
「ま、大丈夫だろ? アレでも一応はSランクの冒険者だ。自分の面倒くらい自分でみれるさ。ほっとけ、ほっとけ」
「でもさ、周りの人が迷惑なんじゃあ」
「あいつの色香に迷うような男はろくな男じゃないさ。自業自得だからそっちも放っておけ。アガサもバカじゃないから、無駄な血を流すような事態は避けるだろうさ」
「え~……? それでいいのかなぁ?」
「いいんだ。あいつのことより自分の心配をしたらどうだ? 今日は帰さんぞ?」
「帰さない、って言われても。まだなんにも出来ないってば」
「なんにも、ってことはないだろう? キスをして私に触れてくれるだけでいいさ。ほら、まずはキスからだ」
有無を言わせない口づけに、シュリは目を白黒させたが、すぐに抵抗は諦めた。
抵抗しても許してくれるほどナーザは甘くないと、よく分かっていたから。
ナーザのキスに、適度にお応えしつつ、
(う~ん。アガサ、大丈夫かなぁ。周囲の人に迷惑をかけてないといいけど)
シュリは遠い旅の空の下にいるであろうアガサに思いを馳せるのだった。
◆◇◆
「このレディは今夜は僕とめくるめく夜を過ごすんだ!」
「いや、このねーちゃんは俺みたいなワイルドなタイプが好きに決まってる」
「彼女はきっと、私と知的な会話を楽しみたいに決まっているさ」
商都からさほど遠くない街道沿いの宿場の宿で、アガサは自分を巡って争う男達を、どうしたものかしらね、と見つめた。
商都にいたときはまだ良かった。大都市の商都では人も多く、アガサも紛れることが出来たから。
だが、商都を出てドリスティアの王都へ戻る旅を開始したとたん、彼女の周囲はにわかに騒がしくなった。
妻や恋人のある男が彼女にぽーっとなって鼻の下をのばし、妻や恋人にひっぱたかれたり。独り身の男が彼女の心を得ようと、必死にアピールしてきたり。
昔からそうだが、1人で行動するとどうしてだか男関係の面倒ごとが劇的に多くなる。
以前は、それを幸いに色々と満たすために、男をとっかえひっかえしたものだが、シュリに出会ってからというもの、めっきりそんな気もおきなくなってしまった。
今、アガサがほしいのはシュリだけ。
他の男にどれだけ露骨なアピールを受けようとも、面倒なだけ、なのだが。
それを向こうが察してくれる訳もなく。
アガサはさほど広くない宿の食堂で繰り広げられるオス同士の争いに、うんざりしたような吐息をかみ殺した。
さてこれをどうしたものか、とこじんまりした食堂の中をそっと見回す。
何かいいアイデアが落ちてないかと思いつつ。
すると、多くの人が巻き込まれないように距離を置いている中、1人だけこの騒ぎに動じずに食事を続ける人物が目に入った。
適当にのばした黒髪は、手入れが悪くぼさぼさしている。
ちらりと見える横顔の顔立ちは悪くないように思えるが、長い前髪が目を半ば隠してしまっているので、美醜の判断は難しかった。
だが、性別は恐らく女性。
長身で痩せ形のその人の胸は、己の性を主張するようにしっかりと膨らんでいたから。
服も、髪も、恐らく瞳も。白い肌と赤い唇以外は見事なまでに真っ黒なその人は、陰気な様子で食事を口に運んでいた。
彼女の姿をみたとたん、あるアイデアが脳裏に浮かび、アガサはにんまりして席を立つ。
「レディ?」
「ねーちゃん?」
「我が麗しの君?」
それに気づいたアガサを取り合う男達が、彼女の姿を目で追う。
そんな彼らの目の前で。
アガサは、唯一騒ぎに動じていなかった黒の女性の膝に横座りし、そのまま彼女の首に腕を回した。
そして。
「ごめんなさいね。みなさんのお気持ちは嬉しいけれど、私、女性が好きなの」
きっぱりそう告げて、文句を言おうと口を開いた目の前の女性の唇を、有無をいわせずに奪った。
濃厚に、ねっとりと。
そして、女性同士の口づけに目を奪われやや前屈みになった求愛者達を見回し、
「さ、男に用はないわ。私といいことがしたかったら、女になって出直して来て下さるかしら?」
冷ややかに告げて、彼らを追い払った。
衝撃的な出来事に、すごすごと宿の食堂を出て行く男達を見送った後、アガサは突然迷惑をかけた女性に謝る為に口を開こうとした。
しかし。
アガサの唇から謝罪の言葉が出る前に、その唇はしっかりとふさがれてしまった。
目の前にいる女性の唇で。
そしてそのまま、さっきアガサが仕掛けたキスの手順をそのままなぞるように、どこかぎこちないキスが繰り広げられる。
唇をぴったりあわせたまま、キスの手順を2、3度繰り返し。
そのキスからぎこちなさが抜け始めた頃、ようやくアガサの唇は解放された。
「これが人の求愛行動か。ふむ。悪くない。どうだ、女。俺の求愛行動は。上手くできていたか?」
長い前髪の奥から、漆黒の瞳がアガサを見つめる。
「え~、あ、そ、そうね。なかなか良かった、と思うわ」
「ふ。そうか」
相手の行動に意表をつかれ、頭が真っ白になっていたアガサの口から思わず出た返答に、黒の女性は満更でもなさそうに口元をゆるめる。
それを見たアガサは、一瞬で我に返り、慌てて再び口を開いた。
「あの、巻き込んじゃって悪かったけど、別にあなたに気があるとかじゃないのよ? いきなりキスしちゃってごめんなさいね?」
「気にするな。俺も人の求愛行動というものに興味があったからな。それにそなたは中々いいメスだし、不快な気持ちにはなってないから安心していいぞ」
「あ、それはどうも……じゃなくて、私、こう見えて堅い女なの。ちゃんと好きな相手がいるから、あなたとは」
「ん? ああ、そなたが気になっているのはそこか。気にするな。俺の好みは、派手な色のメス……いや、女だ」
「派手な、色??」
「ああ。髪とか目の色とかが、見てるだけで心が浮き立つような、だな。派手なら派手なだけいいな。そうだ! そなた、どこかに派手な色の女の知り合いはいないか??」
「派手な色の、知り合い……。急に言われても、そうねぇ。派手と言っても色々あるけど、たとえばどんな色がより好ましいのかしら?」
「より好ましい、か。そうだな。鮮やかな赤とか目が覚めるようなピンク、とかはいいな。心が浮き立つ」
赤毛はともかく、ピンクの髪なんてお目にかかったことないわね、と思った瞬間、ふと己の所属する国のお姫様の姿が思い浮かんだ。
といっても、直に見た訳ではなく、姫の誕生日ごとに更新される絵姿を見たことがあるくらいだが。
あの絵姿が実物に忠実なのであれば、お姫様の髪も瞳も鮮やかなピンク色。
更に、お姫様の好みなのか、国王夫妻の好みなのかは分からないが、絵姿の姫はいつも可愛らしいピンクのドレスを身にまとっていた。
「ピンク、といえばうちの国のお姫様かしらね~」
考えながら、ついついそんな言葉が口をついて出た。
「ピンクの姫か。ふむ。興味深いな。どこの国の姫だ? 年頃は??」
食いついてきた目の前の人物を注意深く見つめながら、アガサは正直に答えるべきか、数瞬なやんだ。
だが、ここで答えなかったとしても、いつかどこからか情報は漏れるだろう。
ドリスティアの国王夫妻は娘を溺愛しており、ことあるごとに娘自慢をするという評判だし、誕生日ごとの絵姿は、王都では大々的に売り出される。
もし目の前の人物が危険人物だったとしても、かの姫の情報はその気になればあっという間に手に入ってしまうはずだ。
(まあ、この人が危険な人間だって決まったわけじゃないけどね)
恐らく、姫のちょっとした情報を教えたところで害はないはずだ。
アガサはそう判断した。
まあ、念のため、後で姫の護衛のアンジェリカにそれとなく情報を流しておけばいいだろう。
旅の途中で、ピンクの髪に執着する人物に姫のことを聞かれた、と。
「この国のお隣、ドリスティア王国のお姫様よ。年は、確か5歳か6歳くらい、だったと思うけど」
さらり、と表層的な情報を伝え、相手の様子を見る。
「ドリスティア王国の姫か。ピンクという色に加え、姫という属性にも非常にそそられるが、しかしちょっと幼すぎるな」
むぅ、と唸る目の前の人物の様子に、幼女趣味の変態じゃなくて良かった、とアガサは己の少年趣味(シュリ限定)を棚に上げ、ほっと胸をなで下ろした。
「私の知り合いにはいないけど、ちょうどいい年頃のピンクの髪の女性だって探せばきっとどこかにいるはずよ。赤毛ならもっと見つけやすいだろうし」
「まあ、俺は長生きだからな。少しくらいは待つのもいいか。その姫は人間なんだろう?」
「ええ、まあ」
「人は我らから見れば驚くほどあっという間に育つからな。ま、他に好みのメスがいないか探しつつ待ってみるか。有用な情報、感謝するぞ、女。早速ドリスティアに向か……」
善は急げとばかりに立ち上がり、出立しようとした女性は、不意に言葉を切って眉間にしわを寄せた。
「向かおう、と思ったが、今はやめた方が良さそうだな。いやな予感がする。あんまり会いたくない知り合いにうっかり会ってしまいそうな……。そうだな。姫はまだ幼いと言うし、そう急ぐこともないだろう。もうしばらくはこの商業国家で嫁探しをするか。うん。それがいい」
ぶつぶつと独り言のように言葉を連ね、
「有用な情報に感謝する。ではな、女。俺はもう行く。達者でな」
そう言って、宿の食堂から外へ出て行こうとする。その背中に、
「あの、もう夜、だけど?」
アガサは思わずそう声をかけた。もうすっかり夜も更けて外は真っ暗だし、宿というものは夜泊まるものじゃなかろうか。
もしお金がなくて宿に泊まれないようなら、さっきのお礼に1泊くらいならおごってもいい、と思いながら。
しかし、
「ああ。分かっている。俺は暗いほうが落ち着くんだ。だから、宿には昼泊まって、夜の間に旅を進める事にしている」
そんな答えが返ってきて、そう言うことならこれ以上引き留める事もないだろう、とアガサは頷き、彼女に向かって軽く手を振った。
「そ? じゃあ、いい旅を。ただ暗闇には悪いものが潜んでいるから気をつけてね」
そんな別れの言葉に、黒髪の女性はにやりとその口元をゆがめた。
「気遣い感謝する。だが、どんな悪いものも俺にはかなうまい。俺は誰よりも邪悪で強い。半端な悪など、かすんで見えるほどにな」
ふはは、と笑い、宿を出て行こうとする彼女の腕を、むんずっとつかむ者がいた。
この宿の女将である。
「お客さん。宿代はもらったけど、食事代と酒代はまだだよ」
「む。そうか。いかほどだ?」
自称邪悪な女性は懐から財布らしきものを出し、女将に尋ねた。
次いで女将から告げられた金額に頷きつつ財布の中をのぞき込んだ彼女はぴきりと固まった。
そしてそのまま、すがるような目をアガサに向ける。
その目線だけで彼女の訴えを察したアガサは、胸の谷間から自身の財布を取り出しつつ、彼女と女将に歩み寄った。
「はいはい。で、いくら足りないの。彼女の分は私が払うわ」
途端ににこにこ顔になった女将に彼女が求めるだけの金額を支払って、自分よりわずかに高い位置にある悪ぶりたいお年頃の女性の顔をちらりと見上げる。
「う。す、すまぬ。この借りはいずれ必ず返す。こう見えて俺は義理堅い女なんだ」
どうかしらねぇ、と目を細めれば、彼女は慌てたように更に言葉を継ぐ。
「ほ、本当だぞ? 嘘はつかない。ちゃ、ちゃんと返すから。な?」
そう言って非常に申し訳なさそうな顔をするその女性は、どう見ても「誰よりも邪悪で強い」ようには見えなかった。
アガサは思わず微笑んで頷く。
そして、ぺこぺこと頭を下げながら宿を出て行くその姿を見送った。
借りを返す、と彼女は言っていたが、もう会うこともないだろう、と思いながら。
その予想が覆される事など、欠片も考えることなく。
とはいえ、2人が再び顔を合わせる事になるのは随分先の話。
1人になったアガサは、再び男に絡まれるのも面倒だと、そそくさと宿の部屋へ引き上げていったのだった。
「気にするな、シュリ。その気持ちだけで十分嬉しいぞ?」
「そうだよ、シュリ。それに、邪魔なんかじゃなかったよ? シュリがそこにいるだけで、なんて言うか力がわいてきて、いつもよりずっと早くお客様対応出来たし!!」
「シュリ君は、そこにいてくれるだけでいいのよ。心の栄養剤なんだから!!」
お客さんのいなくなった食堂でしょぼんと肩を落とすと、3人は口々に慰めてくれた。
予想外な場所、予想外なタイミングで予想外な姿のバッシュ先生と再会した結果、シュリの頭はフリーズしてしまい。結構な時間使い物にならなかった。
そんなシュリをナーザが抱き上げ回収し、シュリがとっておいたメモをジャズがサギリに渡してくれた為、同じお客さんに再度注文聞きするという失態は免れたが。
営業終了時に、あの可愛い少年の名前を教えてほしい、というおじさん数人との攻防があったらしいが、ナーザは断固として口を割らず、彼らを叩き出すという一幕もあったが、Sランク冒険者のナーザにとっては虫を追い払う程度の労力ということなので、シュリは気にしないことにした。
気にするな、とナーザも言ってたし。
サギリの入れてくれたお茶を飲んで、一息入れて。シュリはそもそもの目的だった帰還の報告をすることにした。
蒼い髪の受付のおねーさんはこの場にいないが、別に仲間はずれにしている訳ではない。
一応、一緒にお茶を飲まないかと誘ったのだが、受付を離れる訳にはいかないと断られたのだ。
なので、サギリが入れてくれたお茶だけを渡して素直に引き下がってきた。
まあ、今回のただいま報告には関係ないし、それでいいかと思いながら。
目の前に座る3人に、一通り簡単に話して、
「そんなわけで、アガサも[月の乙女]のジェスとフェンリーも、みんな無事だし元気だよ」
そう締めくくる。
「そっかぁ。みんな無事なら良かった。わざわざ隣国からアガサさんに持ち込まれたくらいだから、きっと危険な仕事に違いないって心配してたけど、そこまで危なくなかったんだね」
「まぁね」
危険な場面もないことはなかったが、済んだことで心配させるものどうかと思うので、シュリは曖昧に頷いておく。
「ジェスさんとフェンリーさん以外のメンバーも元気なの?」
「ん~、僕は他のメンバーが帰ってくる前に向こうを出てきちゃったから分からないけど、道中問題なければみんな元気なんじゃないかなぁ」
サギリからの質問に首を傾げながら返事を返す。
正直、ジェスとフェンリー以外の[月の乙女]のメンバーとはほぼ交流がないから、彼女達の実力は未知数だ。
なので、ドリスティアの王都から商都への旅程が彼女達にとって危険なのかどうなのかも判断がつかない。
ただ、ジェスもフェンリーも全く彼女達の心配をしていなかったから、問題ないだろうとは思うけれど。
「で? アガサはどうしたんだ?」
「アガサ? アガサはもうちょっと休みを満喫したいからって、商都に残ったよ? 商都の観光をして、のんびり1人旅をしながら戻ってくる、って」
「ほう? アガサを1人で放置してきたのか。それは思い切った事をしたな」
「……えっと、なにかまずかったかな?」
「ん? シュリはなにも悪くないから気にするな。ただ、アガサは1人で行動するとむやみやたらとトラブルを引き起こす、とにかく面倒な奴なんだ」
「と、とらぶる……。どんな?」
「まあ、色々だが、主に男関係だな。アレはもはや体質だから仕方ないが、かといって周囲に迷惑な事はかわりないからな。困ったもんだ」
「そ、そっか。急いで回収してきた方がいいかな?」
「ま、大丈夫だろ? アレでも一応はSランクの冒険者だ。自分の面倒くらい自分でみれるさ。ほっとけ、ほっとけ」
「でもさ、周りの人が迷惑なんじゃあ」
「あいつの色香に迷うような男はろくな男じゃないさ。自業自得だからそっちも放っておけ。アガサもバカじゃないから、無駄な血を流すような事態は避けるだろうさ」
「え~……? それでいいのかなぁ?」
「いいんだ。あいつのことより自分の心配をしたらどうだ? 今日は帰さんぞ?」
「帰さない、って言われても。まだなんにも出来ないってば」
「なんにも、ってことはないだろう? キスをして私に触れてくれるだけでいいさ。ほら、まずはキスからだ」
有無を言わせない口づけに、シュリは目を白黒させたが、すぐに抵抗は諦めた。
抵抗しても許してくれるほどナーザは甘くないと、よく分かっていたから。
ナーザのキスに、適度にお応えしつつ、
(う~ん。アガサ、大丈夫かなぁ。周囲の人に迷惑をかけてないといいけど)
シュリは遠い旅の空の下にいるであろうアガサに思いを馳せるのだった。
◆◇◆
「このレディは今夜は僕とめくるめく夜を過ごすんだ!」
「いや、このねーちゃんは俺みたいなワイルドなタイプが好きに決まってる」
「彼女はきっと、私と知的な会話を楽しみたいに決まっているさ」
商都からさほど遠くない街道沿いの宿場の宿で、アガサは自分を巡って争う男達を、どうしたものかしらね、と見つめた。
商都にいたときはまだ良かった。大都市の商都では人も多く、アガサも紛れることが出来たから。
だが、商都を出てドリスティアの王都へ戻る旅を開始したとたん、彼女の周囲はにわかに騒がしくなった。
妻や恋人のある男が彼女にぽーっとなって鼻の下をのばし、妻や恋人にひっぱたかれたり。独り身の男が彼女の心を得ようと、必死にアピールしてきたり。
昔からそうだが、1人で行動するとどうしてだか男関係の面倒ごとが劇的に多くなる。
以前は、それを幸いに色々と満たすために、男をとっかえひっかえしたものだが、シュリに出会ってからというもの、めっきりそんな気もおきなくなってしまった。
今、アガサがほしいのはシュリだけ。
他の男にどれだけ露骨なアピールを受けようとも、面倒なだけ、なのだが。
それを向こうが察してくれる訳もなく。
アガサはさほど広くない宿の食堂で繰り広げられるオス同士の争いに、うんざりしたような吐息をかみ殺した。
さてこれをどうしたものか、とこじんまりした食堂の中をそっと見回す。
何かいいアイデアが落ちてないかと思いつつ。
すると、多くの人が巻き込まれないように距離を置いている中、1人だけこの騒ぎに動じずに食事を続ける人物が目に入った。
適当にのばした黒髪は、手入れが悪くぼさぼさしている。
ちらりと見える横顔の顔立ちは悪くないように思えるが、長い前髪が目を半ば隠してしまっているので、美醜の判断は難しかった。
だが、性別は恐らく女性。
長身で痩せ形のその人の胸は、己の性を主張するようにしっかりと膨らんでいたから。
服も、髪も、恐らく瞳も。白い肌と赤い唇以外は見事なまでに真っ黒なその人は、陰気な様子で食事を口に運んでいた。
彼女の姿をみたとたん、あるアイデアが脳裏に浮かび、アガサはにんまりして席を立つ。
「レディ?」
「ねーちゃん?」
「我が麗しの君?」
それに気づいたアガサを取り合う男達が、彼女の姿を目で追う。
そんな彼らの目の前で。
アガサは、唯一騒ぎに動じていなかった黒の女性の膝に横座りし、そのまま彼女の首に腕を回した。
そして。
「ごめんなさいね。みなさんのお気持ちは嬉しいけれど、私、女性が好きなの」
きっぱりそう告げて、文句を言おうと口を開いた目の前の女性の唇を、有無をいわせずに奪った。
濃厚に、ねっとりと。
そして、女性同士の口づけに目を奪われやや前屈みになった求愛者達を見回し、
「さ、男に用はないわ。私といいことがしたかったら、女になって出直して来て下さるかしら?」
冷ややかに告げて、彼らを追い払った。
衝撃的な出来事に、すごすごと宿の食堂を出て行く男達を見送った後、アガサは突然迷惑をかけた女性に謝る為に口を開こうとした。
しかし。
アガサの唇から謝罪の言葉が出る前に、その唇はしっかりとふさがれてしまった。
目の前にいる女性の唇で。
そしてそのまま、さっきアガサが仕掛けたキスの手順をそのままなぞるように、どこかぎこちないキスが繰り広げられる。
唇をぴったりあわせたまま、キスの手順を2、3度繰り返し。
そのキスからぎこちなさが抜け始めた頃、ようやくアガサの唇は解放された。
「これが人の求愛行動か。ふむ。悪くない。どうだ、女。俺の求愛行動は。上手くできていたか?」
長い前髪の奥から、漆黒の瞳がアガサを見つめる。
「え~、あ、そ、そうね。なかなか良かった、と思うわ」
「ふ。そうか」
相手の行動に意表をつかれ、頭が真っ白になっていたアガサの口から思わず出た返答に、黒の女性は満更でもなさそうに口元をゆるめる。
それを見たアガサは、一瞬で我に返り、慌てて再び口を開いた。
「あの、巻き込んじゃって悪かったけど、別にあなたに気があるとかじゃないのよ? いきなりキスしちゃってごめんなさいね?」
「気にするな。俺も人の求愛行動というものに興味があったからな。それにそなたは中々いいメスだし、不快な気持ちにはなってないから安心していいぞ」
「あ、それはどうも……じゃなくて、私、こう見えて堅い女なの。ちゃんと好きな相手がいるから、あなたとは」
「ん? ああ、そなたが気になっているのはそこか。気にするな。俺の好みは、派手な色のメス……いや、女だ」
「派手な、色??」
「ああ。髪とか目の色とかが、見てるだけで心が浮き立つような、だな。派手なら派手なだけいいな。そうだ! そなた、どこかに派手な色の女の知り合いはいないか??」
「派手な色の、知り合い……。急に言われても、そうねぇ。派手と言っても色々あるけど、たとえばどんな色がより好ましいのかしら?」
「より好ましい、か。そうだな。鮮やかな赤とか目が覚めるようなピンク、とかはいいな。心が浮き立つ」
赤毛はともかく、ピンクの髪なんてお目にかかったことないわね、と思った瞬間、ふと己の所属する国のお姫様の姿が思い浮かんだ。
といっても、直に見た訳ではなく、姫の誕生日ごとに更新される絵姿を見たことがあるくらいだが。
あの絵姿が実物に忠実なのであれば、お姫様の髪も瞳も鮮やかなピンク色。
更に、お姫様の好みなのか、国王夫妻の好みなのかは分からないが、絵姿の姫はいつも可愛らしいピンクのドレスを身にまとっていた。
「ピンク、といえばうちの国のお姫様かしらね~」
考えながら、ついついそんな言葉が口をついて出た。
「ピンクの姫か。ふむ。興味深いな。どこの国の姫だ? 年頃は??」
食いついてきた目の前の人物を注意深く見つめながら、アガサは正直に答えるべきか、数瞬なやんだ。
だが、ここで答えなかったとしても、いつかどこからか情報は漏れるだろう。
ドリスティアの国王夫妻は娘を溺愛しており、ことあるごとに娘自慢をするという評判だし、誕生日ごとの絵姿は、王都では大々的に売り出される。
もし目の前の人物が危険人物だったとしても、かの姫の情報はその気になればあっという間に手に入ってしまうはずだ。
(まあ、この人が危険な人間だって決まったわけじゃないけどね)
恐らく、姫のちょっとした情報を教えたところで害はないはずだ。
アガサはそう判断した。
まあ、念のため、後で姫の護衛のアンジェリカにそれとなく情報を流しておけばいいだろう。
旅の途中で、ピンクの髪に執着する人物に姫のことを聞かれた、と。
「この国のお隣、ドリスティア王国のお姫様よ。年は、確か5歳か6歳くらい、だったと思うけど」
さらり、と表層的な情報を伝え、相手の様子を見る。
「ドリスティア王国の姫か。ピンクという色に加え、姫という属性にも非常にそそられるが、しかしちょっと幼すぎるな」
むぅ、と唸る目の前の人物の様子に、幼女趣味の変態じゃなくて良かった、とアガサは己の少年趣味(シュリ限定)を棚に上げ、ほっと胸をなで下ろした。
「私の知り合いにはいないけど、ちょうどいい年頃のピンクの髪の女性だって探せばきっとどこかにいるはずよ。赤毛ならもっと見つけやすいだろうし」
「まあ、俺は長生きだからな。少しくらいは待つのもいいか。その姫は人間なんだろう?」
「ええ、まあ」
「人は我らから見れば驚くほどあっという間に育つからな。ま、他に好みのメスがいないか探しつつ待ってみるか。有用な情報、感謝するぞ、女。早速ドリスティアに向か……」
善は急げとばかりに立ち上がり、出立しようとした女性は、不意に言葉を切って眉間にしわを寄せた。
「向かおう、と思ったが、今はやめた方が良さそうだな。いやな予感がする。あんまり会いたくない知り合いにうっかり会ってしまいそうな……。そうだな。姫はまだ幼いと言うし、そう急ぐこともないだろう。もうしばらくはこの商業国家で嫁探しをするか。うん。それがいい」
ぶつぶつと独り言のように言葉を連ね、
「有用な情報に感謝する。ではな、女。俺はもう行く。達者でな」
そう言って、宿の食堂から外へ出て行こうとする。その背中に、
「あの、もう夜、だけど?」
アガサは思わずそう声をかけた。もうすっかり夜も更けて外は真っ暗だし、宿というものは夜泊まるものじゃなかろうか。
もしお金がなくて宿に泊まれないようなら、さっきのお礼に1泊くらいならおごってもいい、と思いながら。
しかし、
「ああ。分かっている。俺は暗いほうが落ち着くんだ。だから、宿には昼泊まって、夜の間に旅を進める事にしている」
そんな答えが返ってきて、そう言うことならこれ以上引き留める事もないだろう、とアガサは頷き、彼女に向かって軽く手を振った。
「そ? じゃあ、いい旅を。ただ暗闇には悪いものが潜んでいるから気をつけてね」
そんな別れの言葉に、黒髪の女性はにやりとその口元をゆがめた。
「気遣い感謝する。だが、どんな悪いものも俺にはかなうまい。俺は誰よりも邪悪で強い。半端な悪など、かすんで見えるほどにな」
ふはは、と笑い、宿を出て行こうとする彼女の腕を、むんずっとつかむ者がいた。
この宿の女将である。
「お客さん。宿代はもらったけど、食事代と酒代はまだだよ」
「む。そうか。いかほどだ?」
自称邪悪な女性は懐から財布らしきものを出し、女将に尋ねた。
次いで女将から告げられた金額に頷きつつ財布の中をのぞき込んだ彼女はぴきりと固まった。
そしてそのまま、すがるような目をアガサに向ける。
その目線だけで彼女の訴えを察したアガサは、胸の谷間から自身の財布を取り出しつつ、彼女と女将に歩み寄った。
「はいはい。で、いくら足りないの。彼女の分は私が払うわ」
途端ににこにこ顔になった女将に彼女が求めるだけの金額を支払って、自分よりわずかに高い位置にある悪ぶりたいお年頃の女性の顔をちらりと見上げる。
「う。す、すまぬ。この借りはいずれ必ず返す。こう見えて俺は義理堅い女なんだ」
どうかしらねぇ、と目を細めれば、彼女は慌てたように更に言葉を継ぐ。
「ほ、本当だぞ? 嘘はつかない。ちゃ、ちゃんと返すから。な?」
そう言って非常に申し訳なさそうな顔をするその女性は、どう見ても「誰よりも邪悪で強い」ようには見えなかった。
アガサは思わず微笑んで頷く。
そして、ぺこぺこと頭を下げながら宿を出て行くその姿を見送った。
借りを返す、と彼女は言っていたが、もう会うこともないだろう、と思いながら。
その予想が覆される事など、欠片も考えることなく。
とはいえ、2人が再び顔を合わせる事になるのは随分先の話。
1人になったアガサは、再び男に絡まれるのも面倒だと、そそくさと宿の部屋へ引き上げていったのだった。
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