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第四部 王都の新たな日々

第362話 奴隷解放①

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 奴隷商に乗り込んで潰すというシュリの作戦に乗せてもらおうと決めたとき、彼が懇意にしているという[月の乙女]という傭兵団が合流するのだろう、と勝手に思いこんでいた。
 だが、裏町に入って奴隷商の店先についても、周囲にこっそり[月の乙女]の面々が潜んでいる、なんて事はなく。
 シュリは戸惑うキルーシャを従えたまま、堂々と正面から乗り込んだ。


 「ごめんくださーい。ここは奴隷の人を扱ってるお店ですか~??」


 そんななんとも気の抜ける訪問の挨拶と共に。
 堂々として身なりのいいシュリを、金持ちの子供とでも思ったのだろう。


 「ええ。安価な奴隷から高級な奴隷まで、色々揃えておりますよ。坊ちゃんはどんな奴隷をお求めですか?」


 奥から揉み手せんばかりに出てきた男は、にこにこしながらシュリに問いかけた。
 そんな彼ににっこり笑い返しながらシュリは答える。
 全部、と。


 「はい?」

 「だから、全部の奴隷を見せてください、って言いました」


 見せていただけますか? 、とシュリは可愛らしく小首を傾げた。
 そんなシュリに、奴隷商人はほんのり頬を染め、それから思わずと言うように値踏みするような視線でシュリを見る。
 この美しい少年は一体いくらで売れる商品になるだろうか、とでも言うように。

 こみ上げる不快感に、キルーシャは顔をしかめて、思わずシュリの前に出そうになった。

 だが、その気配を敏感に察したシュリが彼女を見上げ、大丈夫だよ、というように微笑んだ顔に心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走って動きが止まる。
 その隙に、シュリは奴隷商人を見上げて声をかけた。


 「ほら、この子」

 「その女性が何か?」

 「大商人のダルモンさんに譲ってもらったんだけど、とても気に入ってるんだ。その時、ここにいる子達はいい子が多いって聞いて」

 「なんとなく見覚えがあると思っていましたが、ダルモン様がお求めになった奴隷でしたか。ダルモン様のご紹介でしたら私どもとしましても安心でございます。では、奥へご案内いたします」

 「ありがとう。じゃあ、よろしく」


 再びにっこり笑って、シュリは奴隷商人の後に付いていく。キルーシャは、敵陣の奥へ乗り込むのに武器も持たない状況に心許ない気持ちを感じながらも、大人しくシュリの後に続いた。
 そうして案内されたのは、思いの外豪華な部屋だった。
 恐らく、金払いのいい得意客の為の部屋なのだろう。
 座り心地のいいソファーの前にはステージのような空間があり、奴隷達はそこにつれて来られ、買い手に値踏みをされるのだ。

 シュリ達を部屋に案内してすぐ、奴隷商人は慌ただしく部屋を出ていった。
 シュリの要望に応えるべく、奴隷達をかき集めてつれてくるのだろう。
 そしてその予想違わず、しばらくするとしつらえられた舞台の横の出入り口から奴隷達がぞろぞろと入ってきた。
 全部、と望む客の望みの通り、状態のいい奴隷を全てかき集めてきたのだろう。
 あっというまにそれなりの広さの舞台が埋まり、


 「お待たせいたしました。我らの商品をかき集めて参りましたがいかがでしょう? 比較的見目の整った者を手前に出してありますが、気に入った奴隷はいますでしょうか」


 いつの間にか戻っていた奴隷商人がシュリへ尋ねる。


 「ただ、見目の良い奴隷は、お値段もそれなりに張りますが……」


 そこで言葉を切り、奴隷商人は値踏みをするようにシュリを見た。
 果たしてこの少年はどれだけの金を持参しているのだろうか、と。
 だが、シュリはそんな視線に動じることなく、舞台に並んだ奴隷達を眺め、どこからともなく取り出した布の袋を、どんっとテーブルの上に置いた。


 「金貨で揃えてきたから足りると思うけど、足りなかったら言って。まだあるから」


 言いながら中身を確かめるように促し、それを受けた奴隷商人は半信半疑といった様子で袋の口をゆるめて中をのぞき込み、絶句する。
 子供の言うことだからと侮る気持ちと共にのぞき込んだその袋の中には、嘘偽りなくぎっしりと金貨がつまっていた。


 「し、失礼して、確認させて頂いても?」

 「どうぞ。構わないよ」


 シュリは冷ややかに微笑み、袋に手を入れて中身の確認をする奴隷商人を見守った。


 「た、確かに、全て金貨とのお言葉に嘘偽りはないようです。これだけの金額であれば、高価な奴隷をお好きなだけお持ち帰りいただいてもお釣りが出るでしょう。お客様、どの奴隷がお好みにあいましたでしょうか?」


 奴隷商人の問いかけに、シュリは冷たい笑みを深めて再び、全部、と答えた。
 その答えが理解できなかったように、奴隷商人が首を傾げる。


 「はい?」

 「だから、全部、だよ。ここにいる子達を全部つれて帰る事にする。奴隷契約の主変更をお願いできるかな?」

 「全部……」

 「そう、全部。この袋の中身だけで足りるでしょう?」

 「は、はあ。そ、それは十分すぎるほどに」

 「じゃあ、早く主を僕に書き換えてもらえるかな?」

 「は、はい! ただいま!!」


 有り余るほどのお金とシュリの冷たい声音に背を押されたように、奴隷商人は慌てて部屋を出ていく。
 その背中を冷たく見送り小さく息を付いたシュリは、固かった表情を緩めてキルーシャの顔を見上げた。


 「大した説明もしてなかったのに、大人しくしててくれてありがとう、キルーシャ」

 「いや。だが、奴隷を購入するのか? いや、するんですか?」


 いつもの口調で話しかけ、慌てて慣れない敬語で言い直す。
 目の前の少年が、己から求めた主だということを思い出して。
 だが、それを聞いたシュリは優しく苦笑して、


 「敬語は使わなくていいよ、キルーシャ。普通に話してよ。僕、本当は人から敬語で話されるのは苦手なんだ。仕方ないとは思ってるけど」


 そう言った。
 だからお願い、と頼まれれば、わざわざ苦手な敬語を使うのもはばかられる。
 キルーシャは困惑した顔で頷き、それを見たシュリは嬉しそうに微笑んで、それからさっきのキルーシャの質問に答えてくれた。


 「ありがとう。で、さっきの質問に対する答えだけど、彼等を買うのは自由にする為だよ。主になっちゃった方が、自由にしやすいからね」

 「でも、だからといってあんな大金を」

 「ん~。言い訳じゃないけど、お金はまだまだあるんだ。僕に仕えてくれる人達が優秀なおかげで、領地経営や他の商売なんかも順調みたいでさ。お小遣いだってもらう分をとっておいただけなんだけど、ずいぶん貯まっちゃっただけだし。きっとお金も、いいことに使ってもらえて喜んでると思うよ」


 そう言ってにこにこ笑う小さな主を、キルーシャはなんとも言えない気持ちで見つめる。
 彼は金で奴隷を買うだけで、ここの奴隷商達を罰するつもりはないのだろうか、と。

 だが、その疑問を口に出して問う前に、奴隷商人が戻ってきてしまった。
 シュリは笑わぬ瞳で、だが表面上はにこやかに契約変更を終える。沢山の奴隷はシュリのものとなり、相場以上の大金を得た奴隷商人は非常に満足そうな顔をしていた。
 そんな彼に、シュリは笑みを崩さず問いかけた。


 「じゃあ、残りの奴隷の元へ案内してもらえるかな?」


 と。
 その質問に、きょとんとして奴隷商人が答える。
 商品はこれだけですが、そんな風に。
 だがシュリは、そんな答えで相手を許しはしなかった。


 「でも、いるでしょう? 他にも奴隷が」

 「はあ。でも、残っているのは病気や怪我の奴隷や、まだ教育出来ていない仕入れ立てのやつで」


 お売りできるような代物じゃないんですよ、と言い募る奴隷商人を黙らせるように、シュリは再び金のつまった袋を取り出してテーブルの上に置いた。
 とたんに奴隷商人の言葉が止まり、その目が金の袋に釘付けになる。


 「さ、早く中身を確かめて僕をその奴隷達がいるところに案内して?」


 金の袋に手を入れ、その中身を確かめた奴隷商人はもう無駄口を叩くことはなかった。
 通りがかりの小者に残りの奴隷の契約変更の準備をしておくように伝えつつ、シュリの前に立ち先導する。
 地下へ降り、鍵のかかった扉をいくつか抜け、たどり着いた先は、生きながら人が腐っていく、そんな臭いがした。

 奴隷達はいくつかの檻に分けられ閉じこめられ。
 その中に、キルーシャは自分と似た肌の色の者を見つけた。
 思わず駆け寄り、檻の格子越しに相手の顔を確かめる。

 だが、相手は己と一緒に売られた同じ部族の人間ではなく、肌の色も、よく見れば自分達の肌と違い、ただ日に焼けただけのようだった。
 落胆しつつ、シュリの元へ戻る。
 小さな主は、そんなキルーシャの顔を、じっと見つめていた。

 勝手なことをして怒られるか、とも思ったがそういうわけでもないらしく、シュリは己の傍らに戻ったキルーシャをそのままに、奴隷商人の指示のもと、奴隷の主を己に書き換える作業を行っていく。
 その作業の合間に、


 「……シェルファ。ディリアンに救出した人達を輸送する馬車を手配してくれるように連絡を」


 シュリはごく小さな声で誰にともなくそんな指示を出し、次の瞬間、一陣の風が吹き抜けた。
 その風に、何事かと目を丸くした奴隷商人の耳には、シュリの小さな声は届かなかったに違いない。
 それくらい、小さな声だった。

 さして時間もかからず、全ての奴隷の契約変更は終わり、晴れてシュリは大量の奴隷の主となった。檻に閉じこめられていた自分達で動けない奴隷達は、どこからともなく現れた女性数人が、驚くほど軽々と両腕に抱えて運び出していく。
 その手際の良さに感心しながら、自分も手伝った方がいいのではないか、と遅ればせながら気づき、シュリに話しかけようとした。だが、それより先にシュリが口を開いた。


 「僕、この子の肌の色とか髪の色をとても気に入っていて。彼女と同じような奴隷は扱ってないのかな?」

 「それと同じ様な……砂漠の民の事でしょうかね? ちょうどうちがそれを仕入れた頃、砂漠の民の部族間で争いがあったらしく、負けた部族の生き残りが奴隷として売りに出されましてね。うちが仕入れたのはそれだけですが、他の奴隷商人が数人、何人かずつまとめて買っていってましたよ」


 キルーシャを示しながら問いかけたシュリに、奴隷商人は何の警戒もなくさらりと答えた。
 そして更に言葉を継ぐ。


 「砂漠の民がご入り用ですか? よろしければ、奴らを仕入れた商人に連絡をして売れ残りをまとめてお取り寄せしますよ」


 金払いのいい客を他に取られてなるものか、と差し出された提案に、シュリは見事にかかったふりをして、


 「へえ。その砂漠の民を仕入れた奴隷商人と連絡が取り合えるんだ。でも、取り寄せてもらうのも大変だし、場所さえ教えてもらえれば自分で買いに行ってもいいんだけど」


 小首を傾げて問いかける。
 上客を他の商人に渡したくない奴隷商人は、いくつかの地名を上げ、


 「お客様が足を運ぶには遠すぎますよ。時間もかかりますし。私共に任せていただければ、すぐに連絡をして輸送の手はずを整えますよ。そうすれば、お客様はお屋敷かお宿でお待ち頂くだけで望むものが手に入りますでしょう?」


 その方がいいですよ、と言い募る。


 「そうだねぇ。そうしてもらおうか。でも、色々なところに散らばった砂漠の民がどれだけ残ってるか分かったりしない? 数が分かってれば、お金を準備しておくのにいいと思うんだけど」

 「なるほど。でしたら記録を調べて参りますよ。数日前の情報になりますがね。お客様のように、特定の種族をまとめて欲しがるお客様もいらっしゃいますので、珍しい種族の奴隷がまとめて売り出されたときは、互いに連絡を取り合って客を紹介しあうことも多いんですよ。砂漠の民がそれほど需要がある訳じゃないですが、奴らがまとめて売りに出されることは少ないですし、体が頑丈で少々頑固ですが戦士としてもそれなりに役に立ちますからね」

 「ふぅん。そうなんだ。教えてくれてありがとう。……オーギュスト?」


 幼い見た目を侮り、普通ならば話さない内情をぺらぺらと教えてくれた奴隷商人ににっこり笑って礼を言い、シュリは己に忠実な悪魔の名前を呼ぶ。
 次の瞬間、シュリの傍らには黒髪の美女の姿があり、その手にはなにやら手紙の束の様なものが握られていた。


 「これが他の奴隷商との手紙の束だ。各商人の手元に残っている砂漠の民の情報も書かれている。これによれば、今のところあまり売れ行きはよく無さそうだ」

 「そっか。ありがとう、オーギュスト」


 微笑んで礼を言ったシュリの手がオーギュストと呼ばれた黒髪美人の頬を撫で、彼女は心地よさそうに目を細める。


 「シュリの為ならお安いご用だ。後はなにをすればいい? あの人間を再起不能にすればいいのか?」


 もっとシュリにほめられたいとの欲望の為か、美女の口から出たちょっと過激な発言に、奴隷商人がひぃっと小さく悲鳴をあげた。
 ただ美人に見つめられただけで大げさな、と思わないではないが、彼女の視線は思いの外鋭く、その瞳にはシュリがうんと頷けば容赦なく敵を排除するであろう得体の知れない恐ろしさがあった。 

 そんな彼女を見ていると、その主であるシュリさえも得体の知れない恐ろしいものの様に思えてくるから不思議だ。
 だがそんなキルーシャの内心も知らず、シュリは苦笑をして柔らかくオーギュストをたしなめる。


 「彼は悪い人だけど再起不能はやりすぎだよ。ただ、逃げられないように縛っておいてもらえると助かるかな。他にも、この店にいる奴隷以外の人達も拘束しておいてくれる?」


 たしなめながら、奴隷商人の一味を捕らえるように指示を出し、分かった、と頷いたオーギュストは瞬き1つの間に目の前の奴隷商人を素材の分からないロープでがんじがらめにし、


 「じゃあ、他の悪者も拘束してくる。シュリの、為に」


 そういい残してその場から消えた。
 文字通り、忽然と。


 「彼女は、一体何者だ? 余りに人間離れしている」

 「ん? オーギュストのこと? 人間離れは仕方ないよ。だって人間じゃないし」

 「人間じゃ、ない?」

 「そう、人間じゃなくて悪魔だよ。僕の眷属できちんと契約も交わしてる、れっきとした、ね」

 「あ、悪魔」


 キルーシャは驚きの眼差しで目の前の幼い主を見つめた。
 まだ幼く愛らしく、どこか弟を思わせるこの少年は悪いものなのだろうか、と若干の疑いを含ませて。

 だが見つめれば見つめるほど、彼に惹かれていく自分を感じる。
 悪魔は悪いものだと分かっているし、それを使役する彼も善いだけの人間ではないかもしれないのに。
 そんなキルーシャの気持ちを敏感に察したのだろう。
 シュリはキルーシャの顔をじっと見つめた。


 「ごめん。少し配慮が足りなかった。怖かった、よね? オーギュストは悪い悪魔じゃないけど、キルーシャにそんなこと分かるはずもないし」


 素直な謝罪と共に、悪魔のイケニエにされるところだった元奴隷の気持ちを、シュリは優しく気遣ってくれた。
 暖かな心に触れ、キルーシャの胸の鼓動が少し早くなる。
 目の前の少年に対する慕わしさが加速度的に急上昇するのが分かり、さすがにちょっとおかしいのではと思いつつも、その気持ちを抑えることは出来なかった。

 勝手に頬が熱くなり、きっと今の自分の顔は端から見ても赤いに違いない、と思う。
 案の定、キルーシャの顔を見ていたシュリがはっとしたような顔をし、慌てたように視線をはずすのが分かった。
 きっと、見苦しいほどに赤くなった顔のせいに違いない。

 主に懸想する奴隷などどこにいる、と己の気持ちを抑えようとする。
 それに流石に年が離れすぎじゃないだろうか。
 年の離れた弟よりも年が下の相手に思いを寄せるなんて、ちょっとどうかしている。

 第一、自分の好みはこういう可愛いタイプではなかったはずだ。
 父親のように、強いが乱暴者ではなく、男らしいが優しくて思いやりのある……
 悶々と思い悩むうちに、時間が過ぎたのか。


 「シュリ、終わったぞ。全員縛り上げて外に積み上げてある。馬車も届いて奴隷達を積み込みはじめたが、捕縛者の人数が思ったより多くて馬車が足りず、ディリアンがぐちぐち何か言ってたな」


 いつの間にか戻ってきたオーギュストがシュリに報告しているのが聞こえた。
 いけない、しっかりしなくては、と頭を振り、主であるシュリの方へ意識と視線を戻す。


 「ありがとう、オーギュスト。そっか、ディリアンが来てくれたんだ。じゃあ、僕達もそろそろ表に行……んっ」


 表に行かないと、と恐らくシュリはそう言おうとしたのだろう。
 キルーシャは若干混乱した頭でそんなことを考える。
 だが、その言葉は途中でとぎれ、続きを聞くことも出来そうにない。
 なぜなら。

 なぜならシュリの小さく愛らしい唇は、オーギュストの妖艶な唇にふさがれ、現在進行形でむさぼられているから。
 そんな状態で言葉を発するなど、どう頑張っても無理な相談である。

 箱入りで己の体を鍛えるのが趣味なキルーシャだったが、それでもキスの経験くらいはある。
 砂漠の民は早婚で、18歳のキルーシャと同じ年の娘は結婚して子供がいる娘も多かったし、キルーシャにだって言い寄ってくれる男の1人や2人や3人や4人は余裕でいた。

 ただ、父親が過保護だったせいと、キルーシャがそう言うことに興味がなかったせいで嫁にいきそびれ、いき遅れと言われる年齢に達してしまっただけだ。
 父親の目を盗んで、好奇心から唇を許した事は数度ある。

 だが、目の前で行われているそれは、砂漠の男がキルーシャに与えてくれたそれとは次元が違っていた。
 シュリとオーギュストが繰り広げているソレが本当のキスだと言うのなら、キルーシャが知るキスなど子供の児戯に等しい。


 (こ、これが本当のキス、なのか!?)


 うれきったリンゴのように真っ赤な顔のキルーシャが目を離すことが出来ないでいる間に数分がたち。
 ようやく満足したのか、名残惜しそうにシュリの唇を解放したオーギュストは甘やかな吐息を漏らし、


 「ご褒美、もらったぞ?」


 婉然と微笑んで、己の唇をなめた。
 そして次の瞬間には忽然とその姿を消し、仕方ないなぁ、と柔らかく笑ったシュリは、


 「ディリアンが待ってるし、外へ行こうか?」


 何事もなかったようにキルーシャを見上げてそう促した。
 だが、赤い顔でぼーっとして反応しないキルーシャに、仕方ないなぁ、と再び苦笑を漏らし、シュリは手を伸ばして彼女の手をそっと握る。
 そしてそのまま、キルーシャを先導するように、その手を握ったまま歩き出した。

 キルーシャはというと、シュリに手を取られた瞬間には己を取り戻していたのだが、なぜか己の手を握る小さな手から逃れる気になれず。
 その小さな手が導くまま、彼の後ろ姿をじっと見つめて歩く。

 胸の鼓動がやかましい。

 だが、その胸の高まりが騒がしい事をのぞけば、まるで父親に手を取られて導かれている様に、キルーシャはこの上ない安心感に包まれていた。
 その瞬間、キルーシャははっとした。

 強いけれど乱暴者ではなく、(男らしくて)優しくて思いやりがある……目の前にいるこのシュリこそ、自分の好みど真ん中ではないか、と。
 己の好みのタイプから、男らしい、という一文が見事に削除されている事に全く気づくことなく。

 その日から、キルーシャは語り続ける事になる。
 自分の好みのタイプは、強いが乱暴者ではなく、可愛くて優しくて思いやりのある人だ、と。
 そしてそれは、彼女が年老いてその命を終える瞬間まで生涯変わることは無かった。

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