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第二部 少年期のはじまり

第百二十二話 ご褒美のお時間です

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 ヴィオラの手によって無事に回収されたエロスは、慌てふためく教師達の手によって医務室に運ばれた。
 まあ、風圧で吹き飛ばされただけのようだから、大した怪我はないようだ。
 むしろ、地味なシュリの魔法攻撃によるやけどの方が酷いらしい。
 でもまあ、腐ってもここは魔術学院。
 治癒魔法の使い手には事欠いていないので、怪我に関しては問題ないとの事だった。
 吹き飛ばされたショックでまだ意識は戻らないようだが、戻ったら戻ったで、自分のしでかした事の後始末が大変そうだ。
 沢山の人の居る場所で生徒が広域魔法をぶっ放そうとした現場を目撃してたいそうお怒りのヴィオラに、その場にいた先生方はこっぴどく叱られた。
 どのくらいかといえば、お叱りを受け終わった後の先生方の頬が、げっそりと痩けてしまうくらいには。
 そんな訳で、エロスは目が覚めたら地獄が待っている。
 ヴィオラの怒りに触れた先生達の当然の権利として、厳しい教育的指導が行われることは明らかだった。

 さて、自爆したエロスの事はもういいとして、今は絶賛フィリアとヴィオラの顔合わせ中。
 カチンコチンに緊張したフィリアが噛み噛みの台詞で、ヴィオラに挨拶をしていた。
 ヴィオラは面白そうに、そんなフィリアの様子を見守っている。
 フィリアは上手な挨拶は出来なかったが、別の意味でヴィオラに好印象を植え付けることが出来たようだった。
 なぜそう思ったかと言えば、テンパるフィリアの様子をにまにましながら見つめるヴィオラの呟きが偶然耳に入ってきたから。


 「……からかいがいのありそうな子ねぇ。お酒でも飲ませたら、もっと面白いことになりそうだわ~」


 今度絶対に飲ませちゃおう、とほくそ笑むヴィオラに、シュリが高速でつっこみを入れたのは言うまでもない。


 (まったく、おばー様ってばフィリアのことを何だと思ってるのさ!?……でも、まあ、きっと、ちょっと遊びがいのありそうな、退屈しのぎにぴったりの相手、とでも思ってるんだろうなぁ)


 そんなことを考えていると、ひょいと体を抱き上げられた。


 「さーてと。フィリアちゃんとの顔合わせも終わったし、ぼちぼち行こうか。シュリ」


 頭の上から聞こえてきたのはヴィオラの声。シュリは顔を上向かせ、下からヴィオラの顔を仰ぐと、


 「もうほかの場所に行くの??」


 そう問いかけた。


 「一応、そのつもり。ただ、ジャズに学校へ来てほしいって頼まれてるから、ちょっと顔出してからの出発になるとは思うけど」

 「あ、そういえば、ジャズとナーザさんは??」

 「ああ、先に帰ったわ。流石にあんまり長く店を開けるのは心配だからって」

 「そうだよねぇ。ご主人のハクレンは強面だから確かに心配だよね……って、あれ??」


 そこでシュリの脳裏に浮かんだのは、昨夜のハレンチな酒盛りの場で、流れたアナウンスだ。
 ステータス画面を呼び出して、確かめてみるが、そこには確かに、昨日アナウンスされた通りの内容が記されていた。


 ・恋愛状態[ナーザ(54%)]


 (あれぇぇ??)


 それを見て、シュリは首を傾げる。
 ナーザはジャズのお母さんで、ハクレンはジャズのお父さん。
 と言うことは、ナーザとハクレンは夫婦と言うことで間違いはないはずなのだが、どうして恋愛状態に突入してしまったのか。


 (二人って、もしかしてあんまり仲が良くないのかな??)


 そんな風に思い、シュリは祖母を見上げた。


 「おばー様、おばー様」

 「ん?どしたの??」

 「ナーザさんとハクレンって夫婦でしょ?仲、悪いの??」

 「ん~??仲はそれなりにいいとは思うけど。でもまぁ、ちょっぴり温度差はあるのかな。ハクレンはナーザにベタ惚れだけど、ナーザはちょっと淡泊というか。元々は弟みたいに思っていた相手みたいだから、恋愛感情は薄いのかもね。もう、子供もいるし、愛情はあるんだろうけど」


 それを聞いて思う。
 あ~、カイゼルとエミーユの所と一緒かぁ、と。
 あそこもお互いに愛情を持っているが、恋愛感情という意味では枯れている。
 浮気も、お互い公認のようだし。
 ただ、ちょっと違うのは、ナーザとハクレンの夫婦は、ハクレンの方はナーザに惚れきっているという所だろうか。


 (ハクレンに恨まれるのもどうかと思うし、ナーザとは極力接触しない方がいいんだろうなぁ。うん、そうしよう)


 会ってしまえばどうしても、ナーザの気持ちはシュリへと傾く。
 シュリの好感度UP補正は、半端じゃないのだ。


 (でもどうしようかなぁ。王都を出るにしても、まずは子猫の遊び場亭に戻って荷物を出して来なきゃだし、行けばきっとナーザさんと顔を合わせちゃうし)


 なんとかならないかなぁと、考え込んでいると、思わぬ方向から助け船がやってきた。


 「あ、あの、ヴィオラさん」

 「ん?どしたの??フィリアちゃん」

 「もう、王都をたたれるんですよね?シュリと一緒に」

 「うん。そのつもりよ?」

 「でしたら、少しだけお時間を頂けませんか?ちょっと、シュリと約束していた事が、その、あるので……」


 フィリアそんな風にヴィオラにお願いをして、ちらりとシュリを見てほんのりと頬を染めた。


 「約束?そっかぁ。いいわよ?」

 「本当ですか?ありがとうございます、ヴィオラさん」

 「いいの、いいの。可愛いフィリアちゃんの頼みだもの。じゃあ、シュリ。私は一足先に戻って、宿を引き払っておくわ。その後、ジャズの通っている冒険者養成学校に顔を出すから、そこで待ち合わせをしましょ?場所、分かる?分からなければ、後でもう一度迎えに来るけど」

 「大丈夫、一人で行けるよ」

 (よしっ。これでナーザさんに会わずに王都を出られるぞ!)


 シュリは内心ガッツポーズをし、表面上はにこにこと頷いて見せた。
 冒険者養成学校の場所は分からないが、シュリには便利なスキルがある。
 [レーダー]でヴィオラかジャズの居る場所の経路検索をすれば、問題なく行けるはずだ。


 「そ?じゃあ、フィリアちゃん、シュリを預けていくわね~?」


 シュリの言葉にヴィオラはあっさりと頷き、シュリをフィリアの手に預けると、


 「じゃあ、後でね~」


 とさっさと行ってしまった。
 残されたのは、シュリと、フィリアと、リメラ。


 (さっきは助かったけど、何の用事かなぁ?)


 とフィリアの顔を見上げると、ばちりと目と目が合って、その瞬間、フィリアの顔が真っ赤になった。


 「フィリア??」


 名前を呼ぶと、フィリアの顔がますます赤くなって、


 「あ、あのあの。やっ、やく、やく……ごっ、ごっ、ごっ……」


 意味不明な言葉を発した。訳が分からず首を傾げると、


 「ああ、シュリ。フィリアはこう言いたいんだ。約束していたご褒美を、まだ渡していない、と」


 フィリアの隣に立っていたリメラが、分かりやすく通訳してくれた。


 「約束?ご褒美??」


 だが、それでもまだ意味が通じずに、シュリは再び首を傾げて今度はリメラを見上げる。
 フィリアに聞くより、彼女に聞いた方がてっとり早そうだと。
 そんなシュリの様子に、リメラは肩をすくめ、


 「なんだ?もう忘れたのか??あの、人騒がせな男との決闘の勝者に贈られるはずの賞品のことだよ」


 そう言った。そこまで言われてやっと思い出す。そんなことがあったなぁと。
 エロスが求めたもの、それは確か……。


 「あ、キス?」


 やっと至った答えを思わず言葉に出すと、シュリを抱っこしているフィリアの体温が更に上がった気がした。
 リメラはそんな友人を見つめて苦笑をもらし、それからシュリと目線を合わせるように膝を屈めた。


 「じゃあ、シュリ。私はもう行くよ。この後はヴィオラ殿と王都を出るそうだから気をつけてな?今度会ったときにでも、色々な冒険の話を聞かせてくれ。絶対絶対、里帰りするフィリアにくっついて会いに行くから」

 「んぅ~?来なくても、いいんだよ?」

 「いやだ。絶対行く。私をやっかい払いしようとしても無駄だぞ?こう見えて、かなりしつこいんだからな」


 ニヤリと、リメラが笑う。
 シュリも仕方ないなぁと笑って、


 「じゃあいいよ。フィリアがいいって言ったら、一緒に来れば?別に待ってたりはしないけど」


 そう答えた。リメラは一応、その答えで満足したのだろう。


 「うん、それでいいさ。では、またな?」


 そう言ってシュリに微笑みかけ、それから姿勢を正すと、


 「じゃあ、フィリア。邪魔者は退散するとしよう」


 そう言って今度はフィリアにニヤリと笑いかける。


 「えっ、えっ?じゃ、邪魔者??」

 「まあ、頑張れ。……貸し、いち、だからな?後でちゃんと返してくれよ?」


 わたわたするフィリアに、そんな言葉を残し、リメラは颯爽と歩いていってしまった。
 最後に残ったのはシュリとフィリア。
 フィリアは、真っ赤になって固まっている。
 これではちゃんとキスが出来るか疑問である。


 (キス、ねぇ……。ここは僕がリードすべき、なのかなぁ)


 そんなことを思いながら、ちらりとフィリアを見上げれば、彼女は潤んだ瞳でシュリを見ていた。
 シュリが好きで好きで仕方がないーその瞳が一途に伝えてくる想いに、シュリは思わず微笑み、フィリアの頬に手を伸ばした。
 指先で、なぞるように頬を撫でれば、フィリアの体がぴくりと震える。
 その唇がわずかに開いて熱い吐息を漏らし、シュリと同じ菫色の瞳が何かをねだるようにシュリをじっと見ていた。


 「あの、シュリ?」

 「なぁに?姉様」

 「……もう。名前で、よんで?」

 「ごめん、フィリア。どうしたの?」

 「えっと、ご褒美、どうする。もし、シュリがいらないなら……」

 「いらなくないよ。フィリアがくれるものなら、何でも欲しい」

 「ほんとに?」

 「うん。ほんと」

 「じゃあ……」

 「うん……」


 二人はゆっくりと距離を縮めて、そっと、ぎこちなく、フィリアの唇がシュリの唇の上に重なった。
 触れるだけのキス。
 だが、否応なしに色々なお姉さま方に鍛えられてしまったシュリにとってのキスは、そんな生やさしいものではなかった。

 触れあうだけのキスにうっとりと目を閉じていたフィリアの頬に、シュリの小さな手が優しく添えられる。
 そして、シュリはわずかに顔の角度を変えて、小さな唇でフィリアの柔らかな唇をついばむように何度も触れた。
 そうやって角度を変えて、何度も何度も唇をこすりあわせながら、ゆっくりとその触れ合いを深くしていく。

 その触れ合いの心地よさに夢中になったフィリアが、もっととねだるように唇を押しつけてくるのを舌先でいなし、そのまま彼女の唇をノックする。
 何のことか分からないまま、反射的にうっすらと開いたフィリアの唇の隙間から舌先を忍び込ませ、その口の中を余すことなく愛撫した。

 小さな頃、幼いシュリと交わした可愛らしいキスとまるで違うキスに、フィリアは翻弄されつつも夢中になる。
 つながりあった唇から漏れる水音に背中を押されるように、フィリアもまた、シュリの舌を求めて己の舌先をのばした。

 柔らかな舌が触れ合い、絡み合う感触は何とも心地よく官能的で、背中をはしる電流のような快感に、フィリアはずるずると地面に崩れ落ちて座り込む。
 それを合図としたように、シュリの唇が離れていくのを感じて、フィリアは思わずそれを追いかけた。

 再び、二人の唇が触れ合う。
 今度は優しく、穏やかに。
 シュリは、だだをこねるフィリアをあやすようなキスをして、そっと唇を離した。
 目を開けると、すぐ目の前には自分と同じ色の瞳。
 シュリは微笑み、フィリアのほっぺたに自分の頬をそっとすり寄せた。心からの、愛情を込めて。
 そしてそのまま、フィリアの首に手を回して抱きつく。
 満足そうな吐息をもらして、くっついたまま一息ついて。なんだかまったりして、フィリアの息遣いに耳をすましていると、


 「シュリ?」


 ふいに耳元で聞こえるフィリアの声。


 「なぁに?フィリア??」

 「シュリはどうしてこんなにキスが上手なの??まだ五歳なのに」


 そんなフィリアの質問に、思わず固まった。
 ついいつもの癖で、本気のキスをしちゃったが、そこまでする必要はなかったかも、と内心冷や汗を流しつつ。
 ジュディスやシャイナ、カレンとキスをするときと同じような感じでキスをしてしまったが、フィリア相手にここまでする必要はなかったかも知れない。


 (普通に考えて、さらっとディープキスをかます五歳児って微妙だよね……?)


 もしや、フィリアはどん引きなのでは?と恐る恐る彼女の顔を伺うと、彼女は本心から疑問に思っているだけのようだ。
 首を傾げ、純真な瞳を向けてくるフィリアに、シュリはなんて説明しようかと頭を捻る。


 (年上のお姉さま達からキスの薫陶を受けました……ってのはダメだよねぇ。事実は事実なんだけどさ……。うーん)

 「えーっと、その、キスは男のたしなみだから、上手になっておきなさいって母様が」


 ごめん、ミフィーと心の中でアズベルグにいる母親に手を合わせつつ、シュリは苦しい言い訳をフィリアにぶつけて反応を待つ。
 こんな言い訳じゃあダメだろうなぁと、半ば諦めつつ。


 「そうなんだ?ミフィーさんがそんなことを?」

 「う、うん」

 「ふうん。練習、したの?」

 「そ、そうだね。練習しないと、上手にならないし」


 そっかぁ。練習したのかぁ、とフィリアがほんのり唇を尖らせる。
 そのちょっぴり不満そうな表情に、不安になったシュリは問いを重ねた。


 「ぼっ、僕のキス」

 「シュリの、キス?」

 「その、あんまり上手じゃなかった、かな?」


 その問いかけに、フィリアは一瞬きょとんとした顔をした。
 それから思わずと言った感じで、自分の唇に指先で触れ、シュリとのキスを思い出したのか、その頬を鮮やかに赤く染めた。
 そして、少し潤んだ瞳でシュリを見つめ、


 「じょ、上手だった、と思うけど?その、すごく、気持ちよかったし」


 恥ずかしそうにそう答えた。


 「気持ちよかった?ほんと??」

 「うん……すごく」

 「そっか。なら良かった。フィリアが不満そうな顔をしてるからてっきり……」

 「ち、違うの!」


 シュリがほっとしたようにそう返すと、フィリアは慌てたような声を上げた。


 「えっと、キスに不満があったとか、そういうんじゃ無くて。その、シュリが練習をしたっていうから、誰と練習したのかしらって考えちゃって、それで……」


 ちょっとやきもちを焼いちゃったの、とフィリアは恥ずかしそうに打ち明けた。
 そんな彼女の様子が何とも可愛くて、シュリはフィリアの頬にキスを落とす。
 そして、フィリアを気持ちよく出来てよかったと、彼女の耳元に甘くささやいた。
 フィリアは真っ赤になって、潤んだ瞳でシュリを見つめ、それからゆっくりとシュリの耳元に顔を寄せる。
 そして、


 「ね、シュリ。今度は私でも、キスの練習をしてね?」


 いつでも練習台になるからと、そんな可愛いことを言われ、シュリは反射的に手を伸ばしてフィリアの唇に指先で触れていた。
 びっくりした顔のフィリアに、シュリは少しずつ顔を近づけて、そして、


 「じゃあ、もう少し、キスの練習をしておこうかな。いい?」


 ささやくように問いかける。
 フィリアは、赤い顔を更に上気させ、コクンと頷き、


 「……うん。して?」


 短く答えてそっと目を閉じた。
 二人の唇が、再び重なり合う。最初は浅く。少しずつ深く。
 そして二人は飽くことなく、思う存分キスの練習を繰り返したのだった。
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