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第四部 王都の新たな日々

第345話 王都に降り立つ蒼き影①

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 「くちゅっ」


 王都の街の一角で。
 特に寒いというわけでもないのに、何とも可愛らしいくしゃみが響いた。


 「くっちゅん、くちゅっ。……いやですね。誰かが私の噂でもしているのでしょうか。きっとルージュですね。そうに違いありません」


 立て続けに3回のくしゃみをしたその人物を一言で表すなら、その言葉は蒼。
 髪も瞳も、怜悧な美貌を彩るのは目が覚めるようなアイスブルー。
 衣装もアイスシルバーを基調とされた色合いで、蒼、という印象が先に立つ。

 だが、その蒼さに慣れてくると、次に脳に届く情報はその美貌。
 少し前に、美しいエルフが現れ、この地にビューティーパニックを巻き起こしたが、ここは腐っても王都。
 探せば美しい人など沢山いる。
 件のエルフも噂によると王都に住み着き、その美人率を跳ね上げているらしいが、それ以外にも人々の口に上る美人は数多くいた。

 貴族屋敷……特にルバーノという地方貴族の屋敷には特に美人が多いという噂があったが、貴族なんてものは美人を搾取する生き物だし、それはルバーノという貴族に限ったものではない、というのが王都の一般市民達の見解だ。
 そんな、比較的目の肥えている王都の住民から見ても、その蒼い人はかなりけた外れの美人と言っても過言ではなかった。
 スタイル的には、ちょっと物足りない印象を受けはしたが、その美貌はそれを補っても余りあった。

 道行く人が見ほれる中、彼女は悠々と街を歩いていく。
 時折足を止めるのは、初めて来た街の様子を見ているからだろうか。
 でもその割には、周囲を見回している様子はあまり見られないのだが。

 周囲の人がそんな風に思っているなど知る由もなく、彼女……氷雪の上位古龍ハイ・エンシェント・ドラゴンシャナクサフィラは非常にマイペースに行方不明の友人を彼女なりのやり方で探していた。


 「ルージュの気配は無いですね。なんというか、残り香、のようなものは感じられますが。ということは、少し前まで、ルージュはこの辺りにいたのかもしれません。件の少年はルバーノという貴族屋敷で暮らしている、ということですから、まずはそちらに行ってみるべきかもしれませんね」


 時折足を止めていたのは、どうやら王都に友人の気配が無いかを探していたかららしい。
 彼女が王都にいるのなら、その強烈な存在感の発生源へ向かえばいいだけなので、非常に捜索が楽だったのだが、いないものは仕方がないだろう。
 そう気持ちを切り替えて、ルバーノという貴族屋敷を探そうと顔を上げた彼女は、ぐぅ、と間抜けな音を立てて空腹を訴えた腹を押さえ、わずかに眉根を寄せた。


 「……そう言えば、急ぐ余りに食事をすっかり忘れていました。人の子の食事では少々量が足りませんが、今は仕方がないですね。肉の塊を焼いているような屋台か店は……」


 ないでしょうか、と呟きながら周囲を見回す。
 すると、さすがに塊肉を焼いてはいなかったが、肉の串焼きを焼いている屋台を見つけた。
 肉の焼ける臭いに思わずごくりとのどが鳴り、サフィラはふらふらとその屋台へ向かう。


 「へい、らっしゃ~、い!?」


 屋台の前に立った人影に、威勢よく挨拶しながら顔を上げた主人は、己の視界に入ってきたびっくりするほどの美女に、思わず目をむいた。
 そのまま無遠慮に相手の顔をまじまじと見つめ、それから解せないというように首を傾げる。
 屋台の店先に立つ客は、美人で上品そうで、肉の串焼きを食べるような人種に見えなかったからだ。


 「お、お客さん? 店をお間違えじゃないですかね??」


 己にできる限りの丁寧さで、屋台の主人は目の前の女性に問う。


 「あるだけの肉を焼いてください。できるだけレアで。味は、そうですね。薄目の味付けでお願いします」


 だが、目の前の美人は、屋台の主人の質問など聞いていなかったように、平然とした顔でそんな注文をしてきた。
 その注文を聞いた屋台の主人は、再び目の前の美人な客をまじまじと見た。
 彼女の注文のしかたが、この屋台の常連といっても過言ではない少女の注文のしかたと同じだったからだ。

 脳裏に浮かんだ、常連の少女の屈託のない笑みを思い出し、店主は思わず口元に笑みを浮かべる。
 そして、いつも少女にせかされながら用意するように、並べられるだけの串を並べて焼き始めた。

 焼きながら、店主はちらりと、静かに焼き上がりを待つ客を、今更ながら盗み見る。
 見た目はあの少女と似ていない。
 色合いだってまるで真逆だ。
 似ているのはちょっとどころこじゃなく乏しい体型くらいで……いや、それ以上考えるのはやめよう。
 考えているだけでは伝わらないはずだが、何となく目の前の女性の視線が冷たさを増したように感じる。
 だが、関係性があるのか、聞くくらいならかまわないだろう。
 自分にそう言い聞かせ、


 「お客さんは、イルルちゃんの身内なんですかい?」


 さりげなく、そう尋ねてみた。
 その問いに、目の前の女性の目が、すぅっと細くなる。


 「イルル、ですか?」

 「おっ、やっぱりお知り合いですかい?」

 「いえ。ただ、その名前は友人の名前によく似ています。イルルヤンルージュ、ではなく、イルルなんですね?」

 「はあ。本人はイルル、とそう名乗ってましたがね」

 「そう、ですか。どうしてそのイルルと私が知り合いだと?」

 「あ~、それは、その、お客さんの注文の仕方とイルルの嬢ちゃんの注文の仕方が全く一緒だったもんで、もしかしたら、と」

 「なるほど、注文の仕方が。それで、そのイルルと私の外的要素は酷似しているのでしょうか?」

 「外的要素? 酷似??」

 「見た目はよく似ているのか、という意味です」


 サフィラの説明に、なるほど、と店主は頷き、


 「いや、見た目はそれほど似てないですぜ。そりゃあ、お二人とも、びっくりするくらいの美人ですがね。といってもイルルの嬢ちゃんはまだ、美人って言うより可愛いって表現の方があってるかもしれんですな。それに、なによりお2人は色合いが真逆だから、一目見て関係性を疑う奴なんていないでしょうよ。わしはただ、イルル嬢ちゃんがよく店に来てくれてたもんで、ふとそう思っただけで。お2人みたいな注文の仕方をする客は他にはいなかったもんでして」


 一生懸命丁寧な言葉を心がけつつそう説明した。


 「真逆の色合い、ですか」

 「へえ。イルルの嬢ちゃんはお客さんとは逆で、髪の色は綺麗な赤なんですよ。目の色は、赤じゃなくて金色でしたがね」

 「赤い髪に、金色の瞳……。その、イルルとかいう人物の容貌は? 私より少し背が高くて、バカみたいに胸が大きくて、背中の真ん中くらいまで伸びた長い髪の、ちょっと派手な顔の美人じゃありませんでしたか? 見た目が美人なのに、ふはははは、とか笑う、中身はちょっと残念な感じの」


 覚えのある髪の色と瞳の色。
 イルルヤンルージュ、という名前を縮めたようなその名前。
 店主の言うその人物こそ、己の探している友人に違いないと半ば確信し、記憶の中の友人の人型形態の特徴をあげてみる。

 友人は、鮮やかな色合いの目の覚めるような美人でスタイルのいい人型形態を自慢としており、その姿は確実に見た者の記憶に焼き付くはずだ。
 この屋台の店主も、きっとその姿を目に焼き付けている違いない。
 半ばそう確信しての問いだった。
 しかし。


 「いや? イルルの嬢ちゃんはそんなにでかくはないですぜ? たぶん、上背はお客さんの胸の辺りより下じゃないですかね? 髪は長いですが、いつも2つにしばってるんで、腰まであるかはちょっとわからんですなぁ」


 店主はあっさりと、サフィラの予想を否定した。


 「そう、ですか。違いますか」

 「あ~、でも、可愛いのに、ふはははは、とか笑うってのは、イルルの嬢ちゃんもそんな感じでしたがね」


 店主の否定に思わず肩を落としたが、その後に続いた言葉にサフィラは顔を上げた。


 (色合いはルージュと同じ。名前も笑い方も似ている。ただ、サイズ感だけが私の知るルージュのものではない……。まさか、ルージュの隠し子!? い、いえ。まさか。ルージュが子づくりをしていたという話は聞いたことがないですし、今回の失踪の間に作ったにしては少々育ちすぎではないでしょうか。我ら種族の子供の成長は、長寿な種族の弊害として、非常にゆっくりですし。はっ! でも、人族との混血なら!? いえ、冷静になりなさい、サフィラ。たとえ混血であったとしても、2年ほどの間に子づくりをして出産をして生まれた子供が私の胸ほどの大きさになるなど、そんなのあり得ない事です)


 友人に似たその子供が、友人その人が産んだ子供である、という可能性はとりあえず捨てた。
 その上で、サフィラは更に考える。


 (では、その子はルージュの何だというのでしょう? 私が知らないルージュの親類でしょうか? まあ、無いとは言えませんが、可能性は低いでしょう。我ら程長く生きていると、近しい親族はほぼ生きていないですし、ルージュは1人っ子だったと聞いています。そして彼女自身も子供を産んだ経験はない。となると、親族の血筋が残っていたとしても、遠く薄いものになるでしょう。まあ、それでもその中にルージュに似た子がいる可能性も無いではありませんが、それならそれで噂くらいは耳に入るはずです)


 どうやらこの線もなさそうです、と1人頷く。
 そんな彼女の手に、屋台の店主が串焼きがぱんぱんにつまった大袋を押しつけ、条件反射のように彼女が支払った代金をありがたく受け取り、ぼんやりしたままの彼女を送り出して、売り物のなくなった屋台を閉めた。

 送り出された彼女は、思考の海を漂いながら、ぼんやりと街を歩く。
 その手に持った串焼きを、次から次へと胃袋に納めながら。


 (ルージュの子でもない、親戚でもない……。ならばその子の正体はなんでしょう。名前が似ているだけの赤の他人、という可能性も無いではないですが。私の勘が、ルージュに関わりのあること、とささやいている事実は無視できません。ですが、答えも見つからない。幼いルージュ。ルージュのミニチュア。ルージュ自身が何らかの理由で縮んでしまった、とか。私が存在を知らなくとも、そういう呪いも、無いとは言い切れません。世界は、広いですからね)

 「でも、呪いで体が縮むとか、まあ、ないでしょうけど」


 結局答えは見つからず、彼女は物憂げな吐息をもらす。
 そして、腕に抱えた袋を見下ろし、はっとした。
 気がつけば、その中身は串だけになっている。
 食べた覚えはないが、お腹は満ち足りているので、無意識のうちに食べ尽くしていたのだろう。
 美味しかったような気もするが、何せ無意識に食べていた為、よく味を覚えていない。


 (もったいないことをしました。あの屋台には、また足を運んでみましょう)


 友人のミニチュアも通い詰めているという屋台への再訪を決意し、サフィラはその足をとりあえず、ルバーノという貴族の屋敷へ向ける事にした。
 彼女の友人の最後の痕跡地にいたという少年、シュリナスカ・ルバーノに会う為に。
 その少年であれば、彼女の友人に関して何らかの情報を持っているかもしれない。
 その可能性に一縷の望みをかけて。
 しかし。


 「シュリ様にご用があるという方は貴方ですか?」


 シュリナスカ・ルバーノ少年に会いたいと訪ねた先で、彼女の前に姿を現したのはその少年本人では無かった。


 「ええ。行方不明の友人を捜していていまして。最後に彼女が目撃された場所に彼も居たという確かな情報を得たものですから、何か情報を持ってないか、ぜひ本人の口から話を聞きたいと思って来たのですが」


 秘書然とした女性を前に、サフィラは出来るだけ丁寧に言葉を紡ぐ。
 彼女が知る限り、人の子の貴族とはひどく体面というものを気にする生き物だ。
 貴族を怒らせたところで別に怖くも無いが、無用な争いも殺生も望んではいない。
 平和にルージュを見つけ、無事に引っ張って帰れればそれでいいのである。


 「なるほど。貴方のご友人が最後に目撃された場所というのはどちらでしょう? 我が主は幼く、訪れたことのある場所はかなり限定されておりますので、人違い、ということも考えられます」

 「スベランサ、という街からさほど遠くない場所にある山です。その名称は確かヴィダニア。亜竜が数多く生息する山として有名なようですが」

 「失礼ですが、時期は?」

 「2年ほど前、でしょうか」

 「なるほど……。主に代わってお答えしたいところですが、その辺りの時期はちょうどお側を離れていた期間もあり、少々情報の精度が足りません。主に確認しなければお答えできない事もございますし。……大変申し訳ありませんが、日を改めて出直して頂けませんか?」

 「日を改めて? シュリナスカ・ルバーノ氏は不在ですか?」

 「ええ。外出しております」

 「お戻りになるまで、待たせて頂ければ、それが1番良いのですが」

 「それが、少々遠出しておりまして。戻りがいつになるか、はっきりしておりません。向かった先が国外なものですから」

 「国外? どちらへ??」

 「自由貿易都市連合国です。知人から依頼を受けまして」

 「なるほど。では少なく見積もってもひと月程はかかりそうですね。出発は最近でしょうか?」

 「はい。つい先日」

 「そう、ですか。ならばお戻りもひと月ほど先になりそうですね」

 「そうなります」

 「仕方ありませんね。わかりました。またひと月ほど後に再訪しましょう。ちなみに、ヴィオラ・シュナイダー氏はこちらには?」
 
 「ヴィオラ様でしたら、先ほどお話に出たスベランサへ行っておられます」

 「わかりました。では、また日を改めてお伺いします」

 「わざわざ足を運んでいただきましたのに、なんのおもてなしも出来ずに申し訳ありません。お客様の事は、主に申し伝えておきます。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 「サフィラ、と。とはいえ、そちらのご主人……シュリナスカ氏は私の名前をご存じないとは思いますが」

 「サフィラ様、ですね。ありがとうございます」


 主にきちんと伝えます、とにっこり微笑む女性に見送られ、背を向けて歩き出したサフィラはふと足を止めた。
 そしてもう1度後ろを振り向き、


 「イルルヤンルージュ、という名前に聞き覚えは無いでしょうか? 私の友人の名前です」


 ダメ元で訪ねてみた。
 その名前をぶつけられた女性は、ほんの少しだけ目を見張ったようだ。
 だが、こぼれ落ちたかすかな驚きもすぐに外向きの顔に覆い尽くされ、


 「イルルヤンルージュ様、ですか? ……そのお名前は存じ上げません」


 答える声は平静で、動揺のかけらすらも伺わせない。
 目の前の人の子は、中々侮れない人物のようだと思いつつ、


 「では、イルル、という名前に聞き覚えは?」


 更に問いを重ねる。


 「イルルは、我が主が重用している冒険者の連れ子です。親代わりの冒険者と共に今は街を離れておりますが」

 (ルージュによく似ている幼女が、ルージュと接触している可能性の高い少年と共にいる。これは偶然でしょうか?)


 内心疑問は渦巻くが、ぶつけても目の前の人の子に上手にはぐらかされてしまう予感がした。


 (シュリナスカ・ルバーノに直接ぶつけたいところですが、いないものは仕方ありませんね。出直しましょう)


 サフィラは己に言い聞かせるように小さく頷き、見送る女に背を向けると、今度こそルバーノ家の屋敷の前から立ち去ったのだった。
 己の背中を見送る強いまなざしを、痛い程に感じながら。

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