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第四部 王都の新たな日々

第342話 旅路の間の中と外②

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 タペストリーハウスを収納したポシェット型の魔法袋をしっかりと斜めがけにし、人目に付かないように上空を飛んでいたイルルは、ふとその眉間にしわを刻んだ。

 ちょっぴりだが、いやな予感を感じたのだ。
 このまま進むと、良くないことがおこるぞ、というような。
 イルルはむむむっ、と唇を尖らせて、しばし思案する。

 シュリのお願い通り、最速最短で目的地へたどり着くためには、このまま進むのが1番だ。
 だが、このまま行くと、どうにもやっかいな事態が起こりそうな、そんな予感がしていた。


 (む~。無視してこのまま進んでも良いのじゃが、妾のこういう予感はものすごく当たるからの~)


 ここは、いやな予感を信じてちょっと遠回りな進路を取るべき。
 イルルはそう判断し、進路を北へとり、再び高速で進んだ。
 少し進んでいやな感じが無くなったら、また南へ進路を取り直そうと考えて。

 だが、久々に上空を高速で飛ぶのが楽しくて、再び進路を変えるのをうっかり忘れて飛ぶ内に、目の前に見覚えのある山が現れて、イルルは目をぱちくりした。
 高くそびえるその山の名前はヴィダニア山。
 シュリとイルルが出会うきっかけとなった山である。

 かつてそこでシュリと戦ったことや、シュリのお願いでそこに住む亜竜達の調教をしたことを思い出し、イルルはちょっとだけその山に降りてみようと考えた。


 (あ奴ら、ちゃんとお利口にしてるかのぅ。妾の目がないからといって悪さをしてはおらんかの)


 懐かしさとそんな心配から。
 きっちり調教はしたはずだが、あれから時もたっているし、不安がないとは言えなかった。
 そんな訳で、イルルはほんの少しの寄り道を己に許し、山頂に向かって降下する。

 南の方。イルルがそのままの進路で進んでいたら到達していたあろう場所で、


 「……あら。ルージュらしき気配を感じたような気がしたのだけれど。私の気のせい、かしらね」


 蒼く輝く鱗の、美しくも高貴な龍が、そんな呟きを漏らしたことなど、全く知らぬままに。

 そして、ヴィダニア山に住まう亜竜達も、かつて自分達を恐怖に叩き落とした存在が近くに来ているなどとは夢にも思わずに、彼らなりののんびりした日常を楽しんでいた。
 イルルの薫陶のまま、決して山頂付近の自分達の領域から離れることなく、極力人と関わらないように気をつけながら。

 だが、かの者の脅威が感じられなくなり、それなりの時がたち。
 あの事件の後に生まれた個体や頭のあまり良くない個体を中心に、少々緩みが見え始めていた。
 そんな時のことだった。
 上空から、


 「おぬしらぁぁぁ、ちゃんといいつけは守っておるかぁぁぁ? 悪さをしていたらおしおきなのじゃぞぉぉぉ」


 そんな声と共に、驚異的なまでの存在感が降ってきたのは。
 その声と存在感をしっかり覚えていた個体達は、わかりやすくびっくぅ、とした後に大慌てでわたわたと、かつて叩き込まれたように整列をする。

 頭の悪い個体や、そもそも脅威の源を知らない個体がきょとんとその様子を見守るなか、彼らは見事に整列し、その存在を待った。
 それから間もなく、山頂の大地が着地の衝撃に激しく揺れた。

 整列していない亜竜達がわたわたする中、整列している者達は微動だにせずにいる。
 そんな彼らの見守る中、激しい着地の衝撃で舞い上がった土煙の向こうから、


 「ごほっ、ごほっ。うぅ。少し勢いよく降りすぎたのじゃ……」


 そんな声と共に、小さな人影が現れた。
 その姿に、整列している亜竜達の姿勢が伸び、現れた人物はその様子を満足そうに見回した。


 「ふむ。お主ら、妾のことを忘れてはおらぬようじゃの。よい子にしておったか?」


 自分達に向けられたその問いに、お行儀が良い方の一団はこくこくと頷く。
 列に加わっていなかった亜竜達の中でも、イルルの怖さを知っている個体は、小さくなって列に加わろうとソロリソロリと動きだした。
 だが、当時の事を知らない若い個体や後に加わった個体は、なんだコイツは、と言わんばかりの眼差しをイルルに注ぐ。

 普段、シュリから口を酸っぱく注意されているイルルは、己の存在感やら力やらオーラとかやらを極力押さえ込んでいた。
 故に、かつてこの山頂の生き物全てを恐怖の淵に叩き込んだイルルを知らない個体は、イルルの怖さを全く感じることが出来ず。
 結果、血気盛んできかんぼうな若い個体達は、わかりやすく調子に乗った。

 ちょっと普通と違うが、人間の範疇を越えない小さな生き物に従う年寄りなど、とるに足らぬ。
 あの人間を喰殺し、老人共にどちらが優れた存在か教えてやろうではないか、若者達はわかりやすくそう考え、悩むことなくそれを実行に移した。


 「んむ? なんじゃ?? 妾に遊んで欲しいのか?? 元気のよい奴らじゃのう」


 一気に襲いかかってきた若い亜竜達を見て、イルルはわははと楽しそうに笑う。
 その笑顔に、かつてイルルとの遊びの経験もある整列した亜竜達は一斉に身をすくめ、可哀想な生き物を見るように、イルルに襲いかかろうとしている身の程知らず達を眺めた。


 「妾も最近ちょっと運動不足じゃからの~。良い機会じゃから、思いっきり遊んでやるのじゃ」


 にんまり、とイルルが笑う。
 そして、遊びという名の蹂躙劇が始まった。


◆◇◆


 数分後。


 「なんじゃ~? もう終わりなのか?? 歯ごたえがない奴らじゃのぅ」


 ちょっぴり不満顔のイルルの前には、亜竜達が死屍累々と転がっていた。
 とはいえ、ぴくぴくはしてるので、みんなちゃんと生きているようではあるが。


 「じゃが、まあ、ちょっとした気分転換にはなったのじゃ。やっぱりたまには体を動かしてやらんといかんのぅ」


 今度、シュリに頼んで相手をして貰うことにしようかの~、とのんびり考えていると、


 『イルル? 旅路は順調?? あとどのくらいで着くかな?』


 脳裏にシュリの声が響き、イルルは文字通り飛び上がる。


 『しゅ、しゅりぃ!? ど、どうしたのじゃ??』

 『ん? ちょっと時間があいたから、イルルはどうしてるかな~って思ってさ。問題とか、特にない??』

 『問題? 問題は……』


 シュリの突然の質問に若干思考停止に陥りつつ、イルルは己の周囲を見回した。
 いやな予感がした、という理由はあるものの、目指す進路とは全く真逆の方向にある山へ寄り道したあげく、うっかり楽しく遊んでしまったという事実なら目の前に転がっている。
 身の程をわきまえずにいきがった代償として、身動きできずにぴくぴくしている亜竜達、という姿をとって。
 だが、それをそのまま口にするのはマズい、ということくらいは、空気を読むのが苦手なイルルにも分かっていた。


 『も、もも、問題は無いのじゃ。うむ! なーんもない。旅は順調すぎるくらい順調じゃから、シュリは安心してのんびりしておって良いのじゃぞ? 全て妾にお任せなのじゃ!!』

 『そう? じゃあ、困ったら連絡して? 想定外の場所に来ちゃって道が分からなくなっちゃった、とかさ?』


 イルルの嘘にまみれた報告を受けたシュリからは、今の状況をご存じなのでは? と言いたくなるような返答が返ってきて、イルルはちょっぴり冷や汗を流す。


 (じゃ、じゃが! 認めたら負けなのじゃ!!)


 でも、あくまで己の失敗を隠してミッションを成功し、シュリにいっぱい褒めて貰うという野望を持つイルルは、心の中で己にカツを入れ、


 『わ、妾が迷子とか、あり得ない話なのじゃ。シュリは心配性じゃのぅ。妾にどーんと任せておくのじゃ』

 『ん~、分かった。じゃあ、イルル、よろしくね?』

 『うむっ。お任せなのじゃ!!』


 ぺったんこな胸をどーんと叩き、イルルはそう請け負って。
 そして、念話がきっちり終わるのを確認してから、イルルは改めて整列したままの亜竜達と倒れたまま動かない亜竜達に向き直った。


 「きゅ、急用が出来たのじゃ。妾はもう行くが、お主ら、妾がおらずともよい子にしてるのじゃぞ?」


 では、さらばじゃ、の言葉を合図に、イルルの小さな体が上空へ舞い上がる。


 「分かっておるとは思うが、悪さをしたらお仕置きじゃからな!」


 そんな台詞を置き土産に、イルルはどびゅんと南の空の彼方へ消えていった。
 あっという間もない程のスピードで。
 亜竜達はぽかんとそれを見送り、それからはっとしたようにぴくぴくしている同胞の介抱をはじめた。

 こうして、イルルの突然の襲撃により、ヴィダニア山の亜竜達の風紀は正され、彼らの結束も強まった。
 結束が強まったといっても、イルルに反発し反乱を起こすたぐいのものではなく、むしろ長いものには巻かれろ的なものであったが。

 そんなわけで。

 ちょっとした騒動はあったが、今日もヴィダニア山は平穏静か。それはきっと明日も明後日もその先まで続くことだろう。
 亜竜のそれほど大きくない脳みそが、イルルという脅威を覚え続けている限り。

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