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第一部 幼年期
第一話 高遠瑞希の死んだ理由※表紙イラストあり
しおりを挟む高遠瑞希は良く女にモテる女だった。
彼女自身が女好きだった訳ではない。ただ、モテるのだ。女が群がってくる。
バレンタインデーにはいつも抱えきれないほどのチョコレートをもらったものだった。
女にしては身長が高く、手足が長くてスタイルがいい。
無駄な贅肉がなくスレンダーで、それ故胸もない。
頭も筋肉もそこそこ。
武道は剣道から弓道、柔道、合気道、古武術など、色々なものを嗜んできた。
最近はテコンドーにはまっていて、総合的な格闘術を自分なりに追求していたりもする。
体を鍛えるのは結構すきだった。
顔も悪くない・・・・・・というか、唯一恋愛感情を匂わせない友人に言わせるとかなりいいらしい。
自分ではあまり自覚はないが。
くっきり二重で切れ長な瞳。
その目で流し目をしたら、どんな女でもイチコロだ、とはその友人の言葉。
ホストか宝塚を目指していれば大成しただろうなぁとしみじみ言われたことがある。
宝塚はともかく、ホストは無理な話だ。
自分は女だし、女性に対して恋愛感情を持った事は無い。
女に押し倒されそうになった事はあるが、ノーマルだ。
彼氏だっていたことはある。
女を道具としか思っていないような酷い男だったし、巨乳の女に浮気されたのを期にあっという間に別れてしまったが。
それ以来、どうも男が苦手になってしまった。
現在は、男っ気も女っ気も全くない、寂しいお一人様の29歳だ。
普通に会社に勤め、普通に生活し、最近は、親から結婚しろコールが酷い。
見合い写真が毎月の様に届き、それを毎回たたき返している。
何だかノイローゼになりそうだ。
だが、精神が強いからノイローゼにもなれない。
友達に言わせると、鈍感なのだそうだ。天然、とも言われる。
自分でも少しは自覚がある。
以前仕事の後輩に食事に誘われ、家に連れ込まれた事があった。
仕事の相談かと思ってつき合ったのだが、気がつけば真っ赤な顔をして下着姿の後輩に抱きつかれ、やっと「ああ、恋愛相談だったんだな」と気づく始末。
あの時は問答無用で胸をまさぐられて服を脱がされそうになり、慌てて逃げた。
色恋沙汰とは無縁に過ごしていた為、一瞬快楽に負けそうになり危ない所だった。
それ以来、性欲を貯めるのは危険だと、週に一回は性欲処理をするようにしている。
いわゆる、一人えっちというやつ。有り体に言えばオナニーだ。
それを友人に話したら、えらい勢いで笑われた。こっちは真剣で切実なのに、何ともひどい奴だ。
だが、もう長い付き合いだ。そんな事で今更愛想を尽かすつもりもないが。
実は、今日もこれから奴と会って飲む予定だ。場所はいつもの居酒屋。
予定より帰りが遅くなり、少々急いでいる。
会社から直接向かえれば良かったのだが、運悪く今日はバレンタインデーだった。
毎年、良くも飽きずにくれるものだと思うが、今年も持って帰るのが嫌になるくらい大量のチョコをもらってしまった。
義理ならまだいいが、みんながみんな、頬を染めて恋する乙女の表情で手渡ししてくる。
そうじゃないものも熱烈なメッセージ付きだ。
そろそろいい加減にしてほしいと思う。
毎年毎年、男性社員の視線が痛くてかなわない。まあ、思うだけで彼女達に言えるわけも無いが。
純粋な好意をはねつける事はなかなか難しいものだ。
だが、きっとはっきり言うべきだったのだろう。そうすれば、悲劇は避けられたのかもしれない。
その時、彼女は両手に荷物を持っていた。チョコレートが満載の紙袋が4つ。それ故、後ろから近づいてきた男への対処が遅れた。
気がついたときには手遅れだった。
腹部に滑り込む冷たい感触。だが、すぐにかっと熱くなる。
ぎらぎらした目の男の顔が目の前にあった。無精ひげをはやし、お世辞にも格好がいいとは言えないやつれた男。
「お前が、悪いんだ」
震える声で、男が言った。
「お前が、オレの明日美をたぶらかすから」
明日美、という名に覚えがあった。
確か今年の新入社員。瑞希が研修を担当し、キラキラした目でいつもこちらを見上げていた小柄なかわいい女の子。
今日も、彼女からチョコレートを受け取っていた。手作りなんですとはにかんだ顔が可愛かった。
一度だけ、元彼がしつこくて怖いから助けてほしいと懇願され、彼女を家に送り届けた事があった。
その時に顔を見られたのかもしれないなーそんな事を妙に冷静に考えた。
腹を、見下ろす。
包丁が深々と突きたった腹を。
場所が悪い、と思った。すぐに救急車を呼んでも間に合うかどうか。
救急車を呼んでくれと言い掛けて苦笑い。
ここには自分と、自分を刺した男しか居ないのだ。
自分を憎み、狂気を目に宿した男が、救急車を呼んでくれるはずもない。
(万事休す、か)
腕から力が抜ける。両手に持っていた紙袋が落ち、チョコレートが地面に散らばった。
その音で我に返ったのか、男がおびえたように手を引き、刺さった包丁がずるりと抜ける。
楔が抜けて、膝から地面へ崩れ落ちた。
気がつけば地面に頬をつけていて、栓が抜けた腹からは驚くほど大量の血が流れていた。
片方の手で傷を押さえ、もう片方の手でポケットにつっこんでいたスマホを取り出す。
血が、止まらない。
救急車は、間に合わないだろう。自分がきちんとこの場所を説明できるかどうかも微妙だ。
ここで死ぬんだなー妙に冷静にそう思った。
その時、スマホがふるえた。
反射的に、通話のボタンを押す。スマホを、耳に押し当てた。
(あ、瑞希?あとどの位かかりそう?私は今着いたんだけど・・・・・・)
友人の、声だった。
瑞希はそっと唇をほころばせる。良かった。これで彼女を待たせないですむ、と。
「さ、さくら・・・・・・」
声が、ひどくかすれていた。
(ちょっと、どうしたのよ?ひどい声だけど、かぜ?具合悪いなら日を改めてもいいわよ?)
瞼が重くて目を閉じる。
彼女はいつも優しい。瑞希に甘い。自分はいつだって彼女に甘えてばっかりだったな、とそんな事を思った。
意識がだんだん遠のいてくる。だが、最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。
「ごめん・・・・・・。もう、待たなくて・・・・・・いい」
吐息の様な声。ちゃんと彼女に聞こえただろうか?
(待たなくていいって、今日は来れないって事?)
彼女の返答に、ちゃんと伝わったと吐息を漏らす。
だが後もう一言、彼女に伝えたい言葉があった。
「さくら?」
(ん?)
「今まで、ありがと・・・・・・」
最後の呼吸とともに、その言葉を絞り出した。意識が遠のく。もう、息を吸い込めない。
(ありがとうって、瑞希。あんた、ちょっと変よ!?どうしたの?今どこにいるの?すぐに行くから、どこにいるか教えて、瑞希!!!)
手から滑り落ちたスマホから、かすかに聞こえる友人の声。もう、答えることは出来そうもない。
来なくていい。来ないでほしい。
こんなところでのたれ死ぬ自分を、彼女にだけは見せられない。そうなったら、彼女はきっとすごく傷つくから。
来ないでと言いたいのに、もう声が出ない。
いつの間にか血だまりは、瑞希の頭の下にまで広がっていて、彼女の頬を赤く汚した。
涙が一筋、こぼれる。
どうか。
どうか、私の死が、少しでも優しく彼女に伝わりますようにー遠のく意識の中、それだけを彼女は願った。
こうして、高遠瑞希は29歳という若さでこの世を去った。たくさんの女性に惜しまれながら。
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