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第三→四部 旅路、そして新たな生活

第290話 ルビスとアビスの事情

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 「……やっぱりあの子、なにかおかしいわ」

 「……そんなこと、ないと思うけど。シュリ様は私が想像していたよりずっといい方だと思う。無茶な命令はしないし、屋敷の使用人にも優しいし、こちらの仕事に理解を示してくれる。正直、ご領主様……カイゼル様は好色なところがあったから、シュリ様も同じかと思ったけどそんなことも無いみたいだし」


 シュリが王都に来てから数日が過ぎたある日の夜、ルビスとアビスは姉妹に与えられた部屋の中でそんな会話を交わしていた。
 二人でお金を出し合って買った、大きな寝心地のいいベッドの上で、同じ毛布にくるまりながら。


 「なぁにぃ? アビスは私よりあの子供の肩を持つわけ?」

 「そういう訳じゃないけど……お姉様は、シュリ様のどこがそんなに気に入らないの? あんなに幼い割には、良く出来た方だと思うけど」


 自分の言い分に同意してくれない妹への不満を表すように可愛らしく唇を尖らせるルビスに、アビスは苦笑混じりに問いかける。
 屋敷を取り仕切る執事長としてのアビスから見たシュリは、正直申し分のない主だった。

 別にカイゼルも無能な主ではなくむしろ優秀な部類に入るのだが、女にだらしない点だけは玉にきずで。
 ちょっと見た目のいいメイドがいるとすぐに手を出すものだから、彼が王都に滞在する時は常に注意が必要だった。
 無理強いをしないことだけは救いではあったが。


 (奥様も、良くアレに我慢できる……)


 このところ、カイゼルが王都に滞在することは極端に少なくなった為、最近の……シュリが来てからすっかり女っ気の無くなった現在のカイゼルを知らないアビスはそんなことを思う。
 そんな現当主の数々の浮き名を思えば、シュリのどこに不満が? と言いたくなるというものだ。

 屋敷の使用人達もルビスとアビスを除けば、もうすっかりシュリの虜だった。
 シュリの為なら命をも惜しまないというくらいの入れ込み具合は、少々異常じゃないかと思わないでもないが。

 だが、そういう使用人が多いのも事実である。
 この数日で、シュリはすっかりこの屋敷を掌握したと言っても過言では無かった。

 とはいえ、当のシュリに偉ぶった所は全くなく、使用人達はシュリに喜んでもらいたい一心で懸命に働くという、理想の主従関係が出来上がっていた。
 そんなシュリを、執事長たるアビスはきちんと評価し認めた訳だが、その姉でありメイドを取り仕切るメイド長たるルビスはそうでは無いらしい。

 彼女は、色気と幼さが混在した絶妙な美を宿すおもてに浮かぶ不満を隠そうともせず、


 「あの子って、何か不自然よ。近くにいると、なんだか、妙な気分にならない? あの子の為に何かしてあげたい、あの子以上に愛おしい存在なんていない、あの子の前に全てをさらけ出して愛されたい、みたいな」


 そう言って不快そうに眉間にしわを寄せた。


 「お姉様。それって、ただ単にシュリ様を好きってことじゃあ……」

 「ない! それは絶対あり得ない!! 私が男に惚れる? まさか」


 ルビスは、妹の指摘を即座に否定する。
 それくらい、あり得ない考えだったから。

 かつて。
 この屋敷の使用人として落ち着く前。

 彼女は……いや、彼女達姉妹は男の汚い部分を嫌と言うほど見てきた。
 身も心も、これ以上ないくらいに傷つけられ、気がつけば男という生き物を死ぬほど嫌いになっている己に気がついた。

 本当なら、男のいる職場などごめんなのだが、ルバーノの屋敷は男の使用人は少ないし、まあ、我慢できなくもない職場だった。
 更に言うなら、他の貴族に比べ、ルバーノ家の面々はかなりましな部類に入るし使用人も大切にしてくれる。

 当主であるカイゼル・ルバーノの女癖の悪さはマイナスポイントだが、彼とて嫌がる女を無理矢理手込めにするようなゲスではない。
 それに、領主である彼は一年の大半を領地で過ごすため、王都の屋敷に滞在するのは年間通してもほんのわずかな期間にすぎなかった。
 その僅かな時間もここ数年はほとんど無く、王都の屋敷はほぼ放置されている状態。
 
 それ以外の時間は、女ながらに執事長を任されている優秀な妹のおかげで快適に過ごせる、素晴らしい職場である。
 いや、素晴らしい職場だった、と言うべきか。

 数日前からこの屋敷に居座り始めた一人の少年のせいで、その素晴らしさは今や半減していると言っても言い過ぎではないだろう。


 (アレが女の子なら、少しはマシなんだろうけど)


 そんなことを思いながら、大きなため息をつく。
 そうしながら、純粋な瞳でこちらを見つめる妹の顔をちらりとうかがった。

 アビスも、ルビスほどでは無いにしろ、男性嫌いだったはずだ。
 なのにたった数日で、まだ子供とはいえれっきとした男にほだされつつあるのはどう言うことだろう。


 (やっぱり魅了系の妙なスキルでも使ってるのかしら? でも、その割には状態異常表示は出てこないけど)


 思いながら、己のステータスを改めて確認する。
 状態異常であれば、ステータスにその表示が出るはずなのだが、いくら見てもその表示は見つからない。


 (私だけじゃなくて、アビスのステータスにも状態異常の表示は出ていなかったし)


 それに、もし本当に魅了をかけられたとしても、その効果は永遠ではない。
 定期的なかけ直しが必要なはずだし、屋敷の者全部を魅了するとなるとかなりの魔力が必要だ。

 シュリが当主の血筋なのは確かだし、わざわざ魅了などしなくても、使用人達が彼を適当に扱う事などあり得ない。
 だとすると、大量の魔力を消費して魅了をかけ続ける事にメリットなどないはずだ。

 だがもし、シュリの頭が思うより弱く、デメリットなど関係なく己の欲望の為に魅了の力を使ったとしても。


 (それなりの数がいる使用人達の誰か一人くらい、自分の状態異常に気づくんじゃないかと思うんだけど)


 そうやって考えれば考えるほど、シュリが魅了のスキルでみんなの心を操っているという仮説は考えにくい。
 そんなルビスの予想は、当たらずとも遠からずといった、惜しいところをかすめているのだが、この世の中に[年上キラー]なる卑怯なまでに強力で珍妙なスキルが存在するなど、誰に想像できただろうか。

 少なくともルビスの想像の範囲を軽く飛び越えてしまってはいた。
 そんなわけで、正解にたどり着けず瞑想する姉の思考を知ってか知らずか、


 「確かに、お姉様が今更男性に心を奪われるなんて考えにくいけど……でも、シュリ様ってあんまり男って感じがしないんだよね。まだ、幼いせいかもしれないけど」


 だから他の男の人ほど嫌じゃ無いのかもしれない、アビスはそんな新たな可能性を示した。
 ルビスはその言葉に耳を傾け、吟味する。
 そして、この屋敷の主として君臨する少年の顔を脳裏に思い浮かべ、確かに、と思った。

 確かに、あの少年からは不思議なくらい男の匂いを感じない。
 通常であれば、どんな感じのいい男性にも感じる嫌悪感も皆無だ。


 「……確かに。あの子に男は感じないわね」

 「でしょう? まあ、かといって女の子って感じでも無いけど」

 「そうね。みんな、ちゃんとあの子を男の子として扱ってるし、惚れてもいるって感じよね? 男女の生々しさを感じるというか、あの子の子供をいつか産んでやるという気合いが透けて見えるというか……特にアレね。あの子の取り巻き連中は酷いわ」

 「取り巻き……ジュディスにシャイナにカレンの事? みんなとても優秀な女性だよ? まあ、確かにシュリ様に関することでは若干ポンコツになる傾向は見えるけど」

 「それに加えて、なぜだか屋敷に居座っているヴィオラ・シュナイダーもよ。確か、祖母と孫の関係なのよね? あの子とは。肉親をも狂わせるなんて、やっぱりあの子、どこかおかしいわよ」

 「そう、なのかなぁ」

 「どこがおかしいとは、明確には言い切れないけど、ね。まあ、そうね。取り敢えずは、確かめやすいところから確かめてみようかしら」

 「確かめる? なにを??」

 「もちろん、ナニがあるかどうか、よ」


 きっぱりと、ルビスは言い切った。
 その内容は、ちょっとどうかと思うものだったが。


 「お姉様……」

 「言いたいことはわかるけど言わないで。もし万が一、あの子が女の子であれば……私、なんのわだかまりもなく心からシュリ様にお仕え出来るような気がするのよ。その為に、必要なの。ナニの確認が!」


 止めても聞かなそうな姉の様子に、アビスは仕方がないなぁと肩をすくめ、


 「わかった。確認すれば、満足するんだね?」

 「ええ」

 「それでもしシュリ様が男の子だったとしても、きちんとお仕えしてくれる? 今までの態度を改められる?」

 「……まあ、努力はしてみるわ」

 「そこは確約してほしいところだけど、まあ、仕方ないか。じゃあ、明日、シュリ様の性別を確認する機会をどうにか作ってみる」

 「本当? でも、どうやって」

 「シュリ様の入浴の手伝いに、お姉様をねじ込むんだよ。いつもはジュディスかシャイナかカレンの誰かがやっている仕事だけど、ボクは執事長だからね。なんとでも出来る」

 「お風呂、か。確かに、そこなら確実に確認出来るわ!」


 ありがとう、とルビスはアビスに抱きつき、似たところは残しつつも自分よりもシャープで大人っぽい妹の顔を愛おしそうに見つめ、そして。

 自分のふっくらした子供っぽい頬とは違い、すっきりとしたラインを描くその頬に指を滑らせ、唇を押し当て軽く吸い上げる。
 頬に、首筋に、鎖骨のくぼみにキスを落とし、妹の甘い声を楽しんだ。

 妹の柔らかな唇と舌を味わい、胸の頂に甘く歯をたてれば、アビスの熱く潤んだ瞳がその先を急かすように、ルビスを見つめた。
 ルビスもまた、甘くとろけた妹をうっとりと見つめ返し、彼女の望むことを成すために毛布の中へ潜り込んだ。

 ルビスとアビス。

 お互いを愛しすぎるくらい愛している二人は、その愛ゆえにシュリのスキルから上手に逃げおおせていた。
 まあ、二人の半端ない男嫌いのせいもあったかもしれないが。
 しかし、その逃亡劇ももはや時間の問題だった。
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