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第三部 学校へ行こう

第264話 シュリ、王都へ来る!? ~その頃、王都では~①

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 ぎりぎりぎりぎり……

 その日の王城の空気は、妙にぴりぴりしていて。
 その空気の中、流れるBGMはまだ生え替わっていないちっちゃな歯が奏でる、神経をすり減らすような音。
 次の誕生日がくれば御年5歳になる、この国唯一の姫君・フィフィアーナのご機嫌は、その日見事にこれまでの最低ラインを更新していた。

 そんな彼女の側で、その不機嫌顔とは真逆の、心底嬉しそうな顔でにこにこしているのは、姫お付きの専属護衛。
 フィフィアーナのこの上ないお気に入り人材で、名前はアンジェリカ。

 そんな可愛らしい名前とは裏腹に中性的でハンサムな彼女は、普段は比較的きりりとしているその面を、だらしなく緩めきらせていた。
 きっと、すぐ隣で超絶不機嫌顔をしている己の小さな主の事など、気が付いていないに違いない。

 そんな対照的な主従の前で。
 ひざまづいたまま体を小さくして、顔を青くしたり白くしたりしているのは、姫が個人的にお使いになっている隠密だ。
 名前をアズサという極東出身の彼女は、己の持ってきた情報のあまりの劇薬ぶりに、内心震え上がっていた。
 怒りまくっている姫様ももちろん怖いが、その横で空気も読まずに幸せそうな空気を振りまいているその専属護衛もかなりヤバい。


 (は、はやくここじゃないどこかへ行きたいっすぅぅ……)


 切実に思いながら、彼女はじりじりと後ろへ後ずさる。
 そしてそのままこっそりフェードアウトしてしまおうと企んでいたら、そんな彼女を阻止するように小さな雇い主が声をかけてきた。
 ただ聞いている分には可愛らしいはずなのに、妙に底冷えして背筋を震わせる、そんな声で。


 「ねぇ、アズサ? 今、あり得ない事を聞いた気がしたんだけど、私の聞き間違いかしら? もう一度、お願いできる?」


 実際耳に届くのは、鈴の音を転がすような、非常に可愛らしい声だ。
 だが、それを耳にしたアズサは震え上がり、ぷるぷる震えながら平伏した。


 「は、はいっすぅぅ! えっと、そのっすねぇ……」

 「……あなたに怒ってる訳じゃないから、もう少し落ち着いて報告しなさい」


 慌ててしまって言葉が中々出てこない部下に、姫は呆れたように声をかける。
 最近すっかり身につけた、大人らしい話し方で。
 少し前まで残っていた舌足らずな感じはすっかり無くなり、姿を見なければまるで大人が話している様に錯覚させる口調だ。
 幼げな非常に愛らしい声でさえなければ、だが。
 シュリに一方的な対抗心を抱き、たゆまぬ努力をした結果である。

 そんな一人娘の変化に王様と王妃様は、姫の成長を喜ぶ嬉しい気持ちと、もっと子供らしくいて欲しい親心の寂しい気持ちが混ざり合い、少々微妙な表情をしていたけれど。
 そんな、なんともアンバランスな大人らしさを醸し出す姫様の言葉に、アズサは少しだけ心を落ち着けて再び口を開いた。


 「はいっす。件の少年ですが、先程も報告したように、王立学院への進学が決まって、来春には王都にやってくるみたいっす」

 「……確か、私の記憶違いじゃなければ、シュリナスカ・ルバーノは今年、初等学校へ入学したんじゃなかったかしら?」

 「姫様のおっしゃる通りっす。対象は確かに今年初等学校へ入学した新入生っすけど、先日報告した内容の通り、飛び級の検討がされてたっす。そんな中、対象の優秀さを王都の各校が独自の情報網で掴み、人材の獲得に動いたってのが現状みたいっすね。王立学院、高等魔術学院、冒険者養成学校がいち早く行動を開始し、結果、王立学院が対象を手中におさめたって感じっす。ただ……」

 「ただ?」

 「高等魔術学院、冒険者養成学校も退かず、本人の意向もあって、結果、対象は王立学院に籍は置くものの、三つの学校を又に掛けて学ぶという結論に落ち着いたようっすよ」

 「はぁ……すごいですねぇ、シュリ君。初等学校一年目で飛び級の話が出るだけでもすごいのに、中等学校も飛び越して王都の学校に呼ばれるなんて。さすが、私のシュリ君、です」


 アズサの再度の報告に、姫はぎりりと奥歯を噛みしめ、アンジェはうっとりと感嘆の声をあげる。


 「私の、って。アンジェ、あなたねぇ……」


 そんなアンジェリカに、当然の事ながら姫様がもの申す。
 アンジェの事を尋常無く気に入っている彼女にとって、シュリに対するアンジェの態度は、正直許容しがたいものだった。
 まあ、簡単に言ってしまえば盛大な焼き餅というだけのことなのだが。


 「いいじゃないですか。ただ、そう言ってみただけなんですから。あ、もしかして姫様も言いたいですか? 私のシュリ君、って。いいんですよ? 恥ずかしがらないで言っちゃって。なんと言ってもシュリ君ほど可愛くて格好いい男の子はそうそういないですからね!」

 「誰が言うかぁっ!!」


 アンジェの盛大な勘違いを、さっくりと切って捨てるフィフィアーナ。
 確かにフィフィアーナはシュリという少年を特別視している。
 してはいるが、それは一重に大好きなアンジェリカの心を奪って話さない少年に盛大な嫉妬心を抱いているが故なのだ。
 彼自身を好きだからという訳ではない。

 とはいえ、特別嫌っている訳でもないが。
 嫌いだ、憎たらしいと思いつつも、何故かどこか憎めない。それがシュリナスカ・ルバーノという少年だった。


 (……変な奴)


 彼を思うとき、フィフィアーナはいつもそんな風に思う。
 綺麗な顔をしていて能力もあるのに、それを鼻にかけず妙に腰が低くてなんだか間抜け。

 初めて顔を合わせたときも、つんつんするフィフィアーナを、困ったような、だけど優しげな瞳で見ていた。
 お姫様を見る目じゃなく、駄々をこねるただの小さな子供を見るような、飾らない眼差しで。
 そんな風に見られることのほとんどないフィフィアーナは、不機嫌顔の奥で、少しだけ戸惑ったものだ。

 姫として生まれ、それからずっと姫として過ごしてきた。
 両親以外は常に彼女を特別な存在と認め、そう扱ってくる。
 お気に入りとして重用し、気安くつきあうことを許しているアンジェリカでさえも、フィフィアーナを見つめる瞳の奥には、やはり特別なものを見るような視線が隠されていた。
 それなのに、あのいけ好かない少年だけは違うのだ。


 (ほんと、変な奴)


 幼いながらも他に類を見ないほどに美しく、群を抜いた能力を持つ少年。
 だけどその内面はどこかぽやっとして親しみやすくて……


 (それに、きっと、バカみたいに優しいんでしょうね)


 彼の優しい眼差しを思い出しながらそんなことを思う。
 会ったことがあるのはただ一度だけ。
 だが、フィフィアーナは一度会っただけのシュリの本質をしっかりと掴んでいた。

 好きじゃないはずだ。
 物心がついた頃から自分の女好きは筋金入り。
 性別が男というだけで、彼は自分が想う対象ではない。その、はずなのに。
 何故かすごく、彼のことを理解できる気がするのだ。
 本当に本当に、不思議な話ではあるけれど。

 その彼が王都にやってくる。
 アンジェの側に彼を置きたくない気持ちもある反面、久しぶりに顔を合わせるのが楽しみのような、そんな気持ちもある。

 複雑な気持ちだ。
 でも、理解できない気持ちに戸惑っている暇はない。
 彼が王都に来るまでに、やっておかなければならないことは沢山ある。
 フィフィアーナはむぎゅっと唇を噛んで、真剣な瞳でアンジェリカを見上げた。


 「アンジェ、家庭教師達に連絡を」

 「家庭教師の、先生方に、ですか?」

 「そうよ。先生達に伝えて。私を出来るだけ早く王立学院に入れるためのカリキュラムを早急に組むようにって。勉強時間が伸びることは問題ないわ。根性で乗り切ってみせるから」

 「こ、根性で? で、でも、どうしてそこまで?? そんなに急いで頑張らなくても、姫様なら遠からず王立学院からお呼びがかかると思いますよ?」

 「シュリナスカ・ルバーノは来年、王立学院に来るんでしょう? のんびりなんかしてられないわ。彼に遅れを取るなんて、私のプライドが許さないもの。お父様とお母様には私からお願いをしておくから、アンジェには先生達の説得をお願いしたいのよ。ね、お願い」

 「プライド、ですか。う~ん……ほんとは無茶はダメだってお止めしなきゃいけないんでしょうけど、なんだか姫様のお気持ちは分かる気もします。シュリ君は姫様のいいライバルなんですねぇ」

 「ライバル、ね。確かに、そんな感じはあるかもしれないわ」

 「そうですか。分かりました。それだったら、姫様のお手伝いをしないわけにはいきませんね」


 そう言ってアンジェが、お任せください、と男前な笑顔でにっこり笑う。
 そして、すっくと立ち上がると、フィフィアーナに一礼してから颯爽と部屋を出ていった。
 フィフィアーナはその背中を頼もしそうに見送って、それからふと部屋の中を見回す。
 そこには、確かにいたはずの隠密の姿がどこにも見あたらなかった。


 (また、逃げたわね? ったく)


 そんな事を思いながら苦笑を漏らす。
 非礼を働かれた訳だが、どうにも怒る気にはなれないし、彼女を切るつもりも毛頭ない。
 それくらいには、あの忍びを気に入ってもいた。


 「ま、アズサは今度じっくり折檻するとして。今はとりあえず、そうね。まずはシュリナスカ・ルバーノに……っていい加減フルネームで呼ぶのも長くて面倒ね。もうシュリでいいか。いいわよね、うん。えっと、シュリに手紙を書いて、それから……」

 父親と母親に話を通すのは、夕食の席でいいだろう。
 国を治める彼らの一日はとにかく多忙なものだから、娘のわがままでそれを邪魔する訳にはいかない。

 フィフィアーナは一つ頷き、書き物をするための机へと向かう。
 手紙には、まず王立学院進学の祝いの言葉を書き、それからこう書こう。
 王都での再会を楽しみにしている。首を洗って待て……だと、ちょっとおかしい。
 待つのはこっちで、来るのがあちらなのだから。となると……


 「……えっと、首を綺麗に洗っていらっしゃい、と。これでいいかしら。いいわよね」


 サラサラとシュリへの手紙をしたため、最後に自分の署名を入れ。
 それを読み返したフィフィアーナは、その可愛らしい面に満足そうな笑みを浮かべた。
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