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第三部 学校へ行こう

第257話 シュリ争奪戦②

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 シュタインバーグと名乗るおじいさんを教員室に送り届けた後、シュリはまっすぐ家に帰ろうとした。
 帰ろうとしたのだが、学校を出る前に再び思いもよらない人物に掴まってしまった。 

 ルバーノ家の馬車へ向かって歩く途中、あまり見たことのない高級な馬車の前を通りかかった時。
 不意に開いた馬車の扉から伸びてきた何かにあっさりと確保されたシュリは、馬車の中へ連れ込まれてしまった。

 敵意も危険も感じなかったから特に抵抗はしなかったのだが、馬車の中でアズベルグにはいないはずの人を見て、シュリは目をまあるくする。
 普段、老淑女に擬態しているはずのその人は、シュリを前に己の本来の姿を堂々とさらして艶やかに微笑んでいた。


 「あれ? アガサ??」

 「はぁい、シュリ。久しぶりね」


 王都で高等魔術学院の学院長をしているはずの彼女がどうしてアズベルグにいるのか、そんな疑問にシュリは可愛らしく首を傾げる。
 が、彼女を見ているだけでその疑問が氷解するはずもないので、シュリは二番目に気になっていることをまず解明する事にした。

 馬車に引き込まれる際にシュリのお腹にからみついた細長い何か。
 最初はアガサの腕だと思っていたが、優雅に組まれた二本の腕は彼女の豊かな胸を強調するように押し上げている。

 シュリはそれをまじまじと見つめて再び首を傾げた。
 アガサの腕は両方ともきちんと仕事をこなしている。
 ということは、だ。
 今も現在進行形でシュリのお腹を緩やかに締め付けているのは、いったい何なのだろうか。

 その疑問を解明すべく自分のお腹に目を落とすと、黒く艶やかななめし革のような質感のモノがシュリのお腹をくるりと一回りしていた。
 それを見て、シュリはやっと合点がいったように頷く。
 そういえば、アガサには尻尾があったんだった、と思い出しながら。

 そうして納得と共に頷きながら、シュリはアガサのお尻と自分のお腹を交互に見た。
 アガサと対面に立っている為、彼女のお尻とシュリの身体の距離はそれほど近くない。
 それなのに、彼女の尻尾は余裕を持ってシュリのお腹を一回りはしているようだ。
 更に言うなら、さっき馬車の外まで伸びてきてシュリを捕まえた訳だけど、そう考えるとずいぶん……


 「えっと、アガサの尻尾、ずいぶん長いんだね?」

 「もう、久しぶりに会ったのにいきなりそこ? まあ、シュリらしいと言えばシュリらしいけど。尻尾……尻尾ね。私のコレ、結構伸縮自在で便利なの。なれちゃえば、それなりに器用に使えるのよ?」

 「ふぅん? すごいんだねぇ」

 「シュリの尻尾だって鍛えればそれなりに使えるはずよ? ね、アノ姿に変身してみない? 私が丁寧に教えてあげ……はぅんっ」


 感心したように目を輝かせるシュリに、あわよくばもう一度、猫耳・猫しっぽのシュリを堪能出来ないかと言葉をついだアガサの言葉が途中で止まる。
 甘い悲鳴を最後にこぼして。

 その原因はもちろんシュリだ。
 己の腹に巻き付いたままのアガサの尻尾を、シュリは無邪気に悪気なく、優しい手つきで撫でていた。
 その器官がひどく敏感だという事実など、すっかり忘れて。


 「ちょ、ちょっと、しゅ、しゅり? そ、それ……尻尾を、そんな風に触られたら……んっ。はぁん」


 身悶えるアガサ。
 シュリはきょとんとその様子を見上げ、一瞬遅れて尻尾というモノはひどく感じやすい繊細な場所だという事を思い出し、ぱっと手を離した。


 「あ、ごめん」

 「ぁん……シュリに触られるなら別にいいんだけど、出来ればこういう事は、邪魔者の入らない密室で二人きりの時に、ね?」


 なにが「ね?」なんだ、と思わないでもないが、失敗したのは自分なのでシュリは大人しく曖昧に笑っておく。
 そんなシュリの頬を、少し息を荒くしたアガサの手がしっとりと撫で、淡い欲望の灯った瞳がシュリを映して妖しく細められた。


 「でも、キスくらいなら、ね?」


 だから、なにが「ね?」なんだ!? 、と思うけれど、それを問う間もなくアガサは素早くシュリとの距離を詰めてきた。
 後一息で唇と唇が触れ合うという時、それを阻むように馬車の扉を激しく叩く音が響いた。

 甘い時間に水を差され、シュリはほっと息をつき、アガサはちっと舌打ちを漏らす。
 だが慣れたもので、アガサはすぐに淑女の仮面をかぶり、しゅるりとシュリのお腹に巻かれた尻尾を回収すると、


 「どなたかしら? なにかご用?」


 よそ行きの声で馬車の外へ問う。
 すると、馬車の外から帰ってきたのはルバーノ家の馬車の御者のおじさんの声だった。


 「ご無礼をお許し下さい、奥様。こちらに当家のシュリ様が連れ込まれ……いえ、入っていく様子が見えたもので。失礼ですが、確認をさせて頂いてよろしいでしょうか? 当家の坊ちゃまは見目麗しい方なので、よからぬ事を考える輩も多いのです。奥様がそうだと申している訳ではございませんが、なにぶんこの辺りでは見かけない馬車ですし、当家と付き合いのあるお宅の紋章とも違いますし」


 おじさんは切々と言い募る。
 きっとその手は、馬車がいきなり逃走してもしがみついて逃さないと言わんばかりに、馬車の扉をぎゅっとつかんでいる事だろう。


 「あらあら、ずいぶん大切に守られているのねぇ」


 アガサは小声でからかうようにそう言って、シュリを見つめる目を細めた。


 「大切? ん~……まあ、否定は出来ない、かなぁ。みんなが僕にすごく優しいのは事実だし、ね」


 シュリは小さく肩をすくめてその事実を肯定し、馬車を出てそろそろ御者のおじさんと家へ帰ろうと、立ち上がろうとした。
 が、アガサはそんなシュリを制して上品な老婦人へ一瞬で擬態すると、


 「あらあら。いきなりシュリを招いてしまって心配をさせてしまいましたわね? 鍵はかかってませんから、どうぞ中へお入りになって?」


 外に向かってそんな風に声をかける。


 「よろしいのですか? では失礼しまして……」


 馬車の外からはそんな御者のおじさんの声。
 そしてすぐに馬車の扉が開いて、つるっつやっとしたおじさんの顔が目に飛び込んできた。

 最近は、すっかりシャイナと仲良しで、お肌のお手入れ方法にも余念が無いらしい。
 シュリのアドバイスの元、シャイナが自作している化粧水を使っているおじさんは、お肌の曲がり角を過ぎたとは思えないくらい綺麗な肌を保っていた。

 そのことにはもちろんアガサも気が付いたようで、彼女は驚愕の眼差しでまじまじとおじさんの顔を見つめる。


 「あ、シュリ様。良かった。その……ご無事ですか?」


 おじさんはそんなアガサの視線にも気づかずに、視界に納めた幼い主の様子を確認することに忙しい。
 シュリが無事な様子に思わずにっこりする様は、おじさんなのに何とも言えずに愛らしかった。


 「うん、大丈夫。この人、ヴィオラおばー様の古い知り合いなんだ。王都でもお世話になったんだよ」


 シュリはにこにこ笑って己の無事をアピールしつつ、アガサの擁護に勤めた。


 「そうなんですか。ヴィオラ様のお知り合いなんですね」

 「そうだよ。ね、アガサ……さん」


 まだ半信半疑と言った様子のおじさんを納得させるべく、シュリはアガサを見上げ、彼女の同意を求めた。


 「え? ええ! そ、そうね。ヴィオラは昔からのお友達なの」


 おじさんの肌を熱心に観察していたアガサは、一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに持ち直してシュリの言葉に同意して頷いて見せた。
 シュリとアガサの言葉に、少しだけ不信感を薄めたおじさんだが、まだ何となく胡散臭そうにアガサを見つめている。
 そんなおじさんを見ながら、もう一押ししないとダメかなぁ、とシュリは再び口を開いた。


 「えっとね? アガサ……さんは、フィリア姉様の通っている高等魔術学院の学院長先生なんだ。僕もこの間学校を見学させて貰ったんだよ」


 シュリはにこやかにそう告げる。


 「高等魔術学院の学院長先生!?」


 驚いたような声を上げるおじさんの様子に満足そうに頷きながら、


 「そうだよね? アガサ……さん?」


 再びアガサの同意を得るべく見上げたが、彼女はまたしてもおじさんを熱いまなざしでじっと見つめていた。
 そんな彼女を見ながらシュリは思う。コレはもしかしてアレだろうか?……と。

 アレというのはもちろんアレ、である。

 おじさんがアガサの好み直球ど真ん中で一目で惚れてしまったのではなかろうか、ということだ。
 なるほどなるほど、と微笑ましげな眼差しでアガサを見つめ、それからその視線をおじさんへと移す。

 おじさんは中年を少し過ぎ、決して若いとは言えないお年頃だが、それより遙かに長く生きている(らしい)アガサが文句を言える筋合いではない。
 ということで、年の釣り合いは問題ない、として。

 おじさんは、最近少々、特殊な趣味に目覚めてしまったようだが、男の影は無い……はずだ。
 おじさんと仲良しのシャイナからもそんな情報は聞いたことはない。
 ということは、おじさんは普通に女の人が好きなはずで、彼の好みがどんな女性かは分からないが、アガサがとっても美人な事は間違いない。
 そんな女性に好かれたら、おじさんだって悪い気はしないはずだ。
 うん、しないに違いない。……多分。

 まあ、悪くない組み合わせなんじゃないかな、と一歩引いて見守る体制のシュリの目の前で、アガサの指がつぃっとおじさんに向かって伸びる。


 「ねぇ、貴方。ちょっといいかしら?」

 「……はい?」


 顎に指をかけられ、それでも意味が分からずきょとんと首を傾げるおじさんが、まるで無垢な小動物のようで妙に愛おしく感じられる。
 僕、ここにいていいんだろうか、と思いつつも脱出の機会を逃したシュリは、せめて二人の邪魔はしまいと息を殺して見守る事にした。
 きっとこのまま、二人の顔が近づいて、それから……


 「貴方、この肌……」

 「肌、ですか?」


 しかし、続く会話はどうもシュリの予測と違っている。
 シュリは無言のまま、首を深ぁく傾けた。


 「そうよ、この肌! 男性の貴方の肌がどうしてこんなにモチモチぷるぷるしてるわけ!? 一体どんなお手入れしてるのよ??」

 「あ、はあ。その、仲良しのメイドさんに、お手入れの道具を譲って頂いて、彼女に教えていただいた方法で毎朝毎晩お手入れしていたら自然と……」

 「なんなの、そのスーパーメイドは!? どこのメイドよ!?」


 教えなさい、と迫るアガサの剣幕に押されたように、おじさんはついつい漏らしてしまった。
 その、メイドの名前を。その名は……


 「シャイナさんという方ですよ。ルバーノ家のお抱えで、シュリ様付きの……」

 「シュリ付きの?」


 アガサはぽつんと呟き、急に興味を失ったようにおじさんの顎から手を離すと、じーっと気配を消していたシュリの方へ、ぐりんっと顔を向けた。
 そのあまりに鬼気迫る表情に、シュリは思わず漏れそうになった小さな悲鳴を喉の奥でかみ殺す。
 そんなシュリに気付かずに、彼女はにっこり笑うとシュリの肩をがっと掴んだ。


 「紹介、してくれるわよね?」


 そんな言葉と共に至近距離から覗き込んでくる目が真剣すぎて怖い。


 「え?あ、う、うん。も、もちろん……」


 肩を掴むアガサの指がぎりぎりと食い込んで来るのを感じながら、シュリは引きつった笑顔で頷くことしか出来なかった。
 これ、思ってたのと、なんか違う……そんな風に思いながら。
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