龍は暁に啼く

高嶺 蒼

文字の大きさ
上 下
246 / 248
第三部 新たな己への旅路

大森林のエルフ編 第14話

しおりを挟む
 森の中の小さな家の前で。
 男は足を止めてしばしたたずむ。
 家の中から聞こえてくるのは、複数の人間が楽しそうに会話する声。
 漏れ聞こえる笑い声に耳をそばだてる男の表情は無表情のまま。

 ……いや、ほんの少し。
 わずかにではあるけれど、凍り付いたその表情に僅かなほころびが見えた。

 幸せそうで楽しそうな……今まで、彼女のそんな声を聞いたことは無かった気がする。
 彼女が生まれてから深い傷を負って里を出て行くまで、決して短くは無い時を共に過ごしたというのに。

 彼の知る彼女は、真面目で礼儀正しく控えめで、己の感情を周囲に振りまくのを良しとしない女性だった。
 唯一、幼なじみで友人の巫女には、彼に見せるよりも多彩な表情を見せていたように思う。
 いずれ、己が手ひどく裏切られる事など、知る由も無いままに。

 彼女はどうして自分を頼ってくれなかったのか、今でも時々思う事がある。
 自分の気持ちを、彼女が知らないと言うことは無かっただろう。
 自分は彼女を想っている事を、隠すことはしなかったから。

 だが、彼女が彼の想いに応えることはなく、彼にすがって頼ることもしなかった。
 ただひっそりと、彼女は里からその姿を消し、独りで生きていく道を選んだ。
 彼のそっと差し出した手を取ることなく。

 そうして、彼の想いは行き場をなくし、だが消えてなくなることもなく、ずっとずっと彼の胸の中にあり続けていた。
 あった、はずだった。

 かけがえのない大切なものなくしたような空虚な胸をかかえて、男は茫洋とした瞳で目の前の扉へと手を伸ばす。
 己の訪れを告げ、穏やかで暖かな彼女の時間を壊すため。
 彼女が手に入れたのであろう、大切で愛おしいなにかを奪い去るために。

 そこに彼の意志など無い。
 彼はただ操り人形のように、己に与えられた命令を忠実に果たすのみ。

 扉に、手をかける。
 漏れ聞こえる優しい会話。幸せそうな彼女の声。
 ……なにも感じないはずの胸の奥が、何故かきしり、と軋んだ気がした。

◆◇◆

 シェズが用意してくれた朝食を綺麗に平らげて、ごちそうさま、と手を合わせる。
 美味しかったと伝えれば、シェズは嬉しそうな顔を見せつつも、


 「そうか? それはよかった」


 すました口調でそう返す。
 いそいそと、食後のお茶をカップに注ぎながら。
 二人並んで、他愛ない話をしながらお茶を飲み干し、そろそろこれからの予定を話そうかというタイミングで、家の扉を誰かが叩いた。
 雷砂とシェズは顔を見合わせて、


 「お客さん、みたいだね?」

 「こんな辺鄙な一軒家に客人とは珍しいな」


 シェズは首を傾げつつ玄関へ向かう。
 その途中で、己の獲物を手に取ることを忘れずに。
 扉の正面に立たないように己の位置を調整しつつ、彼女は剣の柄に手をかけながら扉の向こうへ問う。


 「人里離れたこのような場所へ何のご用か」

 「……里の巫女様のご用命で伺った。扉を、開けていただけるだろうか?」


 丁寧な口調のその声には、どこか聞き覚えがあった。
 かつて住んでいた里の住人の声なのだから、聞き覚えがあっても当然なのだが、ただの知り合いというよりもう少し、親しい相手の声のような、そんな気がした。


 「巫女様の? 彼女が私になにが用事があるなど、にわかには信じ難い話だな。私は随分と昔、すでに彼女から切り捨てられた者だ。そのような者に、どのようなご用件だろうか?」

 「貴方本人への用事ではない。貴方の客人と、少々話をさせて欲しくてこうして足を運んだのだ。いい加減、この扉を開けてはくれまいか?」

 「私の客人? 雷砂の事か?」

 「名前は存じ上げないが、貴方の傍らの少年に用事があるのだ」


 平坦な、感情を感じさせない声で、扉の向こうの相手は言い募る。
 その内容に、シェズはちらりと雷砂の顔を伺った。雷砂はわずかに目を細め、それから素早く頷いた。

 どういう手段で知ったのかは分からないが、相手はすでに雷砂の存在を知っている。
 だが、詳細な情報は知らないようだから、雷砂の知り合いということはあり得ないだろう。

 とぼけて雲隠れするという手も一瞬考えたが、それはシェズに迷惑をかける事になるかもしれない。
 それは、雷砂の本意ではなかった。

 雷砂の頷きを確認し、シェズは油断することなく慎重に扉に手をかけ、それから一息に開き……彼女は驚いたように目を見開いた。
 扉の向こうにいたのは、声に聞き覚えがあると感じた通り、彼女が良く見知った相手だった。

 かつて、もう少しシェズが若かった頃。顔に余分な傷が付くより少し前。
 無邪気ともいえた娘時代に、ほのかに想いを寄せた相手がそこに立っていた。


 「サファロ、どの?」


 彼の名を呼び、自分の顔より僅か高いところにある彼の顔を見上げる。
 それなりの年月を経たはずだが、彼の整った美貌は昔と少しも変わらない。
 ただ、その表情だけが以前と違っていた。

 かつてはいつも、穏やかで優しい笑みを浮かべていた彼の顔に、今は微笑みのかけらすら見つけることは出来ず。
 表情を冷たく凍らせた彼は、まるで他人を見るような冷えた眼差しでシェズを見つめた。

 二人はしばし、無言で見つめ合う。

 もしかして、彼はかつての友人とよく似ただけの別人では無かろうか、そう思い始めた頃、ようやく目の前の男が重い口を開いた。


 「久しぶりだな、シェズェーリア。早速で悪いが、そこの少年と話がしたい」


 その言葉を受け、シェズは思う。
 やはり彼は自分の知る人物のようだ、と。

 知っているはずの人なのに、まるで他人を見ているような気持ちで、シェズは戸惑ったようにその顔を見つめた。
 会わない間に彼になにがあったのか、どうしてこんなに変わってしまったのか、そんな思いが頭の中をうずまく。

 だが、混乱するシェズを置き去りに、彼はその視線を雷砂へと転じた。
 自分を見つめる、感情のしれない空洞のような瞳をじぃっと見つめ返し、そこに良くないものを感じ取った雷砂は僅かに眉間にしわを寄せた。


 「オレと話、ね。いいよ。話そうか」


 雷砂は慎重に相手の様子を伺いながら、向こうの求める答えを返す。


 「シェズも、一緒でいいのかな?」


 相手の出方を探るように問うと、


 「いや、君と二人で話したい」


 打てば響くように返事が返ってくる。
 予想通りの応えに目を細め、雷砂はためらうことなく頷いた。


 「分かった。いいよ。そうしよう」

 「雷砂!?」


 二人が話をするのであれば、当然己も立ち会うつもりだったシェズが、思わず悲鳴のような声を上げる。
 雷砂はシェズの思っていた以上に大げさな反応に思わず目を瞬いて、それからその口元を柔らかく微笑ませた。


 「大丈夫だよ、シェズ。話をするだけだし。こう見えて、オレ、意外と強いんだよ?」


 危ないことになったりなんかしないから、心配しないで? ……不安そうなシェズを安心させるように、雷砂は言葉を重ねる。
 それでも中々動き出そうとしないシェズの背中を押して扉の方へと向かい、


 「そう言えばさっき、水くみにいこうって話をしたよね?水くみ、しておいでよ、シェズ。手伝えなくてごめんね?」

 「いや、手伝いは別にかまわない。でも、雷砂……」

 「大丈夫。シェズが水をくんで戻る頃には話も終わってるよ、きっと」


 言いながら、雷砂は少々強引にシェズを扉の外へと押し出した。
 そして、彼女に向かってにっこり微笑む。


 「いってらっしゃい、気をつけてね?」


 送り出しの言葉を告げて、雷砂はシェズの言葉を待たずに扉を閉めてしまう。
 扉の向こうで、逡巡するようなシェズの気配。
 でも、しばらくするとその気配も遠ざかっていくのが分かった。
 雷砂はその気配が十分に遠くへ行くのを待ってから、ゆっくりと振り向き、シェズの知り合いらしい男の顔を見上げる。

 長身の彼は、雷砂の知識の中のエルフらしい淡い色彩と整った容姿をしていた。
 無表情に自分を見下ろすその人の、凍り付いたような目をじっと見つめ、


 「お望み通り、二人きりだよ。さて、なにを話そうか? サファロ」


 首を軽く傾けて問いかける。
 サファロは、そんな雷砂を瞬き一つせずに見つめたまま、僅かに目を細めた。

 美しい少年だ、と心のどこかで思う。
 今はまだ幼いが、人の子の成長は早い。
 あっという間に、シェズと似合いの一対になるだろう。

 自分は立てなかった彼女の隣に、いつかこの少年は立つのかもしれない。
 そう思ったら、胸のどこか奥の方がちくりと痛みを訴えた、そんな気がした。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼はもう終わりです。

豆狸
恋愛
悪夢は、終わらせなくてはいけません。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る

恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。 父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。 5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。 基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。

俺は5人の勇者の産みの親!!

王一歩
ファンタジー
リュートは突然、4人の美女達にえっちを迫られる!? その目的とは、子作りを行い、人類存亡の危機から救う次世代の勇者を誕生させることだった! 大学生活初日、巨乳黒髪ロング美女のカノンから突然告白される。 告白された理由は、リュートとエッチすることだった! 他にも、金髪小悪魔系お嬢様吸血鬼のアリア、赤髪ロリ系爆乳人狼のテル、青髪ヤンデレ系ちっぱい娘のアイネからもえっちを迫られる! クラシックの音楽をモチーフとしたキャラクターが織りなす、人類存亡を賭けた魔法攻防戦が今始まる!

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

処理中です...