龍は暁に啼く

高嶺 蒼

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第三部 新たな己への旅路

大森林のエルフ編 第9話

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 エルフの里。
 巫女の間へ続く回廊を早足に歩く男がいた。

 端正で美しい顔を生真面目に引き締めた男の名前はサファロ。
 かつて、彼自身の気づかぬところで巫女とシェズ、二人の女から淡い想いを寄せられていた男だった。

 彼自身は、長い間ずっとシェズェーリアにひっそりと想いを寄せていた。
 だが、シェズが幼なじみの友人でもある巫女の想いに気づき、身を引いた事で、彼の想いが叶うことはとうとう無かった。

 シェズの事件が起こり彼女が里からひっそりと姿を消した後、巫女から積極的に迫られ想いを告げられはした。
 しかし、あちらがダメならこちら、と軽く考えられる性格でも無かった彼は、そんな巫女からの申し入れを断ったという過去がある。
 それでも長い間、巫女は彼に執着していたが、それも最近はずいぶん下火になっていて。
 やれやれと胸をなで下ろしていたのだが、今晩……それも深夜といって良いほどの時間に差し掛かってから、急に巫女の呼び出しを受けた。


 (……やっかいな事に、ならねばいいが)


 と思いながら、サファロは足早に歩く。
 そうは思っていても、この里の中での巫女の地位は高く、彼女の呼び出しを理由もなく断ることは難しかった。

 特に、当代の巫女は歴代の巫女よりも力が強く、まだ若くして巫女の地位についた。
 そのせいなのか、巧妙に隠してはいるものの、隠しきれない傲慢さが彼には感じられ、それがどうしても鼻についてしまう。


 (彼女がいれば、少しは違ったのだろうか)


 彼は思う。
 かつて、傍らに幼なじみの彼女を置いていた頃は巫女も今より随分素直で、わがままな部分もあったが今のような取っつきにくさはなかった。
 彼の心は、物静かでありながら凛とした巫女の幼なじみの方を向いてはいたが、それでも当時の巫女の事は可愛い人だと思ってはいた。
 それはたとえば妹を思うような、暖かな気持ちでしかなかったが。
 仲のいい姉妹のようだった二人の様子がおかしくなったのは、いつくらいからだったか。
 それはサファロが巫女の視線に熱を感じ始めた頃からだったかもしれない。


 (私の、せいだったのか……?)


 時折、思うことがある。
 己が彼女を思わなければ、己が巫女の目にとまらなければ、あるいは、と。
 もう今更、どうにもならないことだが。

 そんな取り留めのないことを考えながら、巫女の間への最後の角を曲がったところで、サファロはふと足を止めた。
 静謐であるはずの空気が、やけに重々しくのどに絡んでくるように感じられて。


 (なんなんだ、この空気は……私の、気のせいか?)


 巫女の間は、里の中で最も森の息吹を深く感じられる神聖な場所。
 そんな場所がまさか、と思いながら、サファロは少し早足に歩を進めた。


 「……巫女様。サファロにございます。お呼びを受けて参上致しました」


 戸口に立ち、その向こうへと慎重に声をかける。
 すると、いつもの如くするすると戸が開き、隙間から見慣れた女が顔を覗かせた。
 巫女付きの侍女のような働きをする御周り衆の一人である。

 長く巫女の元で働き続けている女の、見慣れているはずのその顔が、今日は随分よそよそしく感じられて首を傾げる。
 サファロの顔を認め、中へ招き入れた女に続いて戸の内側へと入りながら、なにがいつもと違うのかと考えていたが、その思考はすぐに止まった。
 さっきまでの場所と戸を一枚隔てただけだというのに、その室内の空気は息が詰まるほど濃密で。
 サファロは思わず口元を片手で覆い、己の行く先を睨む。
 そこにはもったいぶるようにもう一枚の戸が設えられており、御周り衆の女はその場に平伏すると、


 「巫女様。お呼びの者、お連れしました」


 無機質な声で、戸の向こうへそう告げた。


 「そう……中へお通しして」


 戸の向こうから聞こえるのは、いつもと変わらぬ聞き慣れた巫女の声。
 だが、サファロはそのいつも通りの声にこそ違和感を感じた。
 この里の誰よりも森との繋がりの深い巫女が、この場の空気の異質さに気づかぬなどありえない。
 なのに、巫女の声はいつもと何ら変わらぬ常のもの。
 ならばきっと、この戸の向こうでは常ならざぬ何かが、おきているに違いない。


 「……さ、どうぞ」


 感情のない女の声が、サファロを促しす。
 サファロは奥歯をぐっと噛みしめて、促されるまま再び戸をくぐった。


 (……何がおきているのか見極めて、長老衆に報告せねば)


 生真面目な性格そのままに、サファロはそんな決意を胸に巫女と向かい合う。
 視線を落としたまま巫女の前に進み出て、床に膝を落として頭を下げた。


 「お呼びにより、参上しました」

 「久しぶりね、サファロ。相変わらず、貴方は固いのね。その性格、どうにかならないのかしら?」


 巫女の鈴を鳴らすような声が響き、頭の上にすっと影が落ちる。


 「顔を、お上げなさいな、サファロ」


 間近から聞こえた言葉に促されて顔を上げると、巫女の顔は思っていたよりもずっと近くにあった。
 彼女は膝を折り曲げ床に座り、面白そうに驚いた顔のサファロを見つめている。
 そのたおやかな腕が伸びてサファロの顎先をすぃっと撫でた瞬間、彼の背筋を電流のような何かが走った。
 埋もれた官能を呼び起こすようなその刺激に、サファロは思わず奥歯を食いしばる。
 そして己に言い聞かせた。流されるな、と。

 だが、そんな思いもすぐ鈍り、長くは続かない。
 鼻孔をくすぐるのは、甘い、甘い香りだ。
 まるで、腐りかけの果実のような甘すぎる、妙に鼻につくその匂いを、不快に思わない己に疑問を感じる。
 何かがおかしいと思うのに、何がおかしいのか分からない。


 「ねぇ、サファロ?」


 名を呼ばれて、顔を上げる。
 ほんの少し距離を詰めたら唇が触れ合いそうな距離にある巫女の顔。
 サファロはぼんやりと、熱に浮かされたようにその美しい面を見つめる。
 彼女は笑っていた。
 楽しくて仕方がないというように。


 「こんなに近くに私がいるのに、貴方は逃げようとしないのね?」


 彼女の問いに、ああ、そういえば、とサファロは思う。
 逃げなければ。彼女に捕らわれてはいけない。なぜなら、自分が想う相手は他にいるのだから。
 だが、そこまで考えて、サファロはわずかに眉間にしわを寄せた。何かを思い出すように。

 少し前まで、その面影は確かにそこにあったはずだった。
 だが、砂が指の隙間をすり抜けて落ちていくように、サファロの想いも愛しい面影も、さらさらと形をなくしてゆき、何も残さずに消えてなくなる。
 それを上書きするように胸にわき起こるのは、目の前の相手への押さえがたい情欲と忠誠。

 男の手が、女に伸びる。
 女はそれを、拒みはしなかった。
 力強い腕に抱かれ、組み敷かれ、その白い首筋に男の唇を受けながら、くくっと喉の奥で小さく笑う。


 「これで貴方は私のモノね」


 そんな女の呟きも、もはやサファロの耳には届きはしなかった。




 「……手に入ってしまえばあっけないものね。こんなに、つまらない男だったかしら?」


 存分に欲望を満たし眠る男の腕の中から抜け出して、巫女……アーセリアンは冷え切った眼差しで恋しかったはずの男を見下ろした。


 「でも、いいわ。これで強力な手駒が一つ、手に入ったんだもの」


 暗闇の中、女は嘲笑う。
 そして、眠る男をその場に残して窓辺に立つと、まだ闇に沈む森へその眼差しを向けた。
 その森の向こうに誰を見ているのか。
 その瞳はとろりと潤み、口元には甘やかな笑みが浮かぶ。


 「……シェズ。貴方だけが幸せになるなんて許さない。だから」


 貴方の大切なモノをまた、私が奪ってあげる……かつての親友の面影を胸に描き、アーセリアンはにぃ、と形のいい唇を歪める。
 楽しそうにクスクス笑い、だが床に眠る男の姿が視界に入った途端、その表情は色を失った。

 かつて愛した男。
 だが、己の手に落ちた今、その愛情はどこぞへと消えてしまった。

 感情のない瞳で男を眺めながら、その脳裏に一人の少年の姿を描く。
 昼間、黒い男が見せてくれた映像の中で、シェズェーリアと仲良く手をつないで歩いていた少年。
 彼は、今までみた誰よりも美しく、煌めくような生命の輝きを放っていた。
 その輝きを自分だけのモノにする……そう思うと、アーセリアンの冷えた心が熱くなり、その鼓動は早さを増していく。

 ああ、恋をしているのだ。
 アーセリアンは、なぜかそう思う。
 自分は、シェズェーリアが大切にしているあの少年に、恋をしているのだ、と。

 彼を捕まえて、シェズェーリアから奪い、己のモノにする。
 それはどんなに幸せなことだろうか。
 想像するだけでも、身を震わせるような快感が背中を突き抜け、アーセリアンは自分を抱きしめ、その頬をバラ色に染めた。


 (でも……)


 ふと我に返り、再び目を落とす。
 ずっとずっと、手に入れたかった男。ついさっきまで、好きでたまらなかったはずの男に。


 (……あの男の子も、手に入ったら色あせてしまうのかしら)


 そんなことを思い、それを否定するように首を横に振る。
 違う、彼は特別なはずだ、と。
 シェズェーリアをあんなに幸せそうな顔にする事の出来る少年が、ほかの誰かと同じであるわけがない。

 彼ならきっと、私も幸せにしてくれるはずなのだ、と己に言い聞かせる。
 そして、巫女は夢見るように微笑む。
 見も知らぬ少年が、己に幸福を運んでくれるはずだと、己に言い聞かせ。そう、信じ切って。
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