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第五章 ~学園期・トーナメント編~
第六十五話 「意思」
しおりを挟む「アイリス、契約のこと……ちゃんと説明する。その上で、お前の考えを聞かせて欲しい」
「あいっ」
アイリスは頷きながら、こちらをじっと見つめている。
その様子を見て、サーペントはにやけ顔でほくそ笑んでいた。
……くそっ、なにが狙いなんだこの男は――
「アイリス、少し前のことになるけど、俺たちの街に銀狼族(シルヴァルフ)が襲ってきたこと覚えているか?」
「しるばるふ……あ、しろいの?」
「うん、そう白いの。今はミーシャやマオとも仲良しだけど……最初はわけも分からないまま戦ったよな」
「あい、たたかったの」
今から三年、四年前ほどになるか。
セントリアに戦争を仕掛けてきた集団があった。
「でもあのとき、銀狼族は俺たちと戦いたくなかったんだ……ある男に、操られていた。意思を捻じ曲げられ、戦いを強制されていた……」
グランドールと戦争中である隣国『サルベス』――その騎士であるトルージ・リ・ケヴァンという男が、銀狼族を支配化に置いていた。
「……たたかいたくないのに、たたかったの?」
「うん、戦いたくなかったのに……戦わされたんだ」
「むりやり?」
「無理やりだ」
ふうん、とアイリスは息を吐く。
「簡単に言うと、それが『契約』だよ」
「そっかー……けいやく、しないとパパこまる?」
「――っ」
つぶらな瞳を、くりくりとさせながらアイリスは確信に迫る。
……そっか、俺の言葉だけしか分かっていなくても、ちゃんと話の流れを掴んでいたんだな。
サーペントと会話をしている俺が、困っていたことが、伝わってしまっていたんだろう。
「分からない……けど、アイリスと一緒にいたいなら契約した方がいいって、教えてもらったんだ」
「このへびに?」
アイリスは、サーペントの方に顔を向けてそう言った。
……へび?
アイリスの中のサーペントは、そういうイメージなのか。
「うん、この人に」
「なんで?」
「……今のままだと、アイリスのこと恐がっちゃう人が多いから。契約すれば、安心だよ、危険じゃないよって、そう周りの人に教えてあげられるって……」
「ふうん、こわいのかー……」
俺の言葉を聞いてか、くく、とサーペントは笑い声を漏らした。
……こ、この野郎、なにが可笑しいか。
「パパは、こわい?」
「いや、まったく恐くない。アイリスは優しい子だって、よく知ってるからね」
「へへ、そかー」
目を細めながら、アイリスは嬉しそうに言葉を呟く。
「じゃあ、けいやくしよ?」
「……アイリス、そう簡単に結論を出さないでくれ。契約すればどうなるか、分かっただろう?」
「あい」
一度、こくりと首を縦に振ってから――
「でも、パパといっしょにいたいの」
そう、アイリスは迷いなく言うのだ。
「……その気持ちは、すげー嬉しいよ。俺もこのままアイリスと一緒にいたい、でも、そのためにアイリスの自由意志を奪いたくはないんだ」
「じゆういし」
「アイリスのしたくないことを、無理やりやらせるなんて――」
「パパは、するの?」
「――え」
「したくないなーっておもうこと、やらせるの?」
「い、いや……絶対、しない。したくない」
「なら、かわらないの。けいやくしても、なにも」
……支配下に置いたとしても、俺がそう命じなければ、今と関係は変わらない。
そう、アイリスは言う。
――本当にそうか?
理屈の上では、そうだ。
アイリスの言うとおり、俺が間違いを起こさなければそれで済む。
契約を交わし、周囲にドラゴンの安全性を示すことができる。
そして俺がアイリスの意見を尊重し、意思を捻じ曲げる命令を出さなければいい。
当人がいいと言っているなら、なにも問題はない……。
……いや、よく考えろ。
思考を止めるな。
これは、安易に踏み込んでいいことではない。
絶対に失敗できない、契約を交わしてなにも変わらないなんてことはないはずなのだ……。
そもそもの話、これはサーペントは持ちかけてきた事柄だ。
――なぜ、俺とアイリスが契約するよう勧めてきた?
この男が、なんのメリットもなしに提案するとは思えない。
なにかあるはずだ。俺がアイリスを支配下に置くことで……サーペントに利益が発生する、なにかが。
考えろ、見つけ出せ。
俺は、なにを見落としている。
「……パパ、どうかした?」
「あ、ああ……いや、アイリス、本当にいいのか? 契約するってことは、俺の物になるってことだ、俺の言うことに逆らえなくなるんだぞ? どうして、そんな簡単に……自分の命を預けられるんだ……」
俺の言葉を聞いて、アイリスはきょとんと首をかしげる。
「だって、パパがまちがったことないの」
――その瞳は、あまりにも純真すぎて。
いたたまれなく、なった。
「アイリス、そんなことはない。俺は簡単に間違える」
正解なんて、選べたためしがない。
「俺は、俺は――」
だって俺は……既に、取り返しのつかないほど大きな失敗をしているのだ。
一つしかないはずの命を、落としている。
トラックに轢かれそうな子供を助けた。
そして、代わりに事故にあった――
まともに働きもせず、自身になんの価値を見出せなかった……だが、最後に他人の命を救うことはできたのだ。
そこに後悔などない。子供を助けられてよかったと誇りに思ってもいる。
だけど、カミュに救われ、転生してもらった今だからこそ思うことがある。
あの行為は、美しくはあったが――……正しくはなかったのかもしれない、と。
子供を助けるだけではなく、俺も助かることができればどんなに良かったか。きっとあの出来事で、助けたはずの子供の人生をねじ曲げてしまった。
目の前で自分をかばって人が死ぬというトラウマを、植え付けてしまったのだ。
そして、俺は“命”に対する強烈な意識を植え付けられ、なにかを失われることへの忌避感が元の何倍も高まったのを、今では自覚している。
歪んでしまったのだ、日本にいた頃の俺と……今の俺は同じじゃない。
――俺は、死ぬことがとてつもなく恐い。
でも変わらず人の命を奪うことも恐いのだ。
けれど自分の命と他人の命を天秤にかけたら――迷わず自分の命を選択するだろう。
他人の命を、犠牲にしてでも。
これは、もしかしたら普通の感覚なのかもしれない。
だけど……こんなことを考えるようになってしまった自分のことを――どうしても正しいとは、思えないのだ。
そして、いざというときに……アイリスという力を持ってしまうことが、もっと――
「パパ、こわい?」
まるで心中を見透かされているように、アイリスは俺に問う。
「……ああ、俺は――アイリスを自分のものにしてしまうことが、なによりも恐い」
ドラゴンの力は、簡単に大量の人の命を奪えてしまうものだ。
そんな力を、俺一人のものにしていいわけがない――
「わかったー」
「……わかった、のか?」
「あい、かんたんなの」
「か、簡単なのか……」
「パパといっぱい、けいやくすればいいの」
……んん?
どういう、ことだ?
俺といっぱい契約する……?
「それは、どういうことなんだろう」
「パパ、まちがえるのこわいの」
「ああ、恐い」
「だから、けいやくしてとめるの」
「……えぇ? どういうこと……? 誰が、俺を止めてくれるんだ?」
リズベットか?
それともユウベルト父様とか……?
「あいりす」
「――え」
「あいりすが、とめるの。パパがまちがったら、こらーっておこるの。だから、あいりすがまちがったら――パパが、ダメでしょーっておこればいいの」
その言葉でアイリスの考えが、全て伝わった。
「は、はは……はははっ、そっか……そうすれば、いいのか」
ああ、そうか……そういうことか。
確かに、簡単だったな。俺が、そう思い込んでいただけなんだ……。
契約は、一方がもう一方を無条件に支配する行為なのだと。
「アイリスは、俺のものだ」
「あい、パパのものなの」
「そして俺は――アイリスの、ものになる」
「あい、パパをもらうの」
「ありがとう、やっぱり最高の相棒だなお前は」
「あいっ」
――互いに、契約を交わす。
お互いに自らの所有権を、相手へ渡す。
そうすれば、互いが互いへの抑止力になる――
そう、アイリスは言いたかったのか。
契約をしつつ、意思を尊重しあう……そんな関係になろうと、言ってくれたのだ。
そう、そして……俺を、誰かが支配する――そのキーワードで、思い至ることができた。
考えてみれば、過去にもあったじゃないか。いた、じゃないか。
俺と契約し、支配し、自分の利益に繋げようとした奴が――
「……無事、話は纏まったようだね?」
小さく拍手をしながら、サーペントは微笑んでいる。
「はい、私たちが選択した道を……改めて説明した方がよろしいでしょうか」
「いや、それには及ばない。君の言葉だけでも十分伝わったよ、随分面白い考えに至るものだね、君がドラゴンを支配し、ドラゴンが君を支配するなんて。前代未聞の発想だ」
サーペントの表情はとても穏やかだ。
余裕だな、思惑を潰されたっていうのに……。
「残念ですが、殿下の思い通りにはならなかったようですね」
「ん……それは、どういうことかな?」
「私を、支配しようと考えていたんでしょう? アイリス……ドラゴンと契約した私を、ドラゴンごと手に入れる――そのために、貴方は契約を勧めた」
かつて、トルージ・リ・ケヴァンが俺に試みたように。
ドラゴンは魔力量が多く、抵抗力も高い。
人の魔力では、強制力のある契約を交わすことなどできない。
だから、元から親交のある俺と先に契約させ、それを横から奪い取るように契約を重ねがける。
そういった方法で、サーペントはドラゴンを手に入れようとしたのだろう。
つまり、全然諦めてなんかいなかったのだ。この虐殺王子様は。
「うん、まぁ全然違うけどね?」
「……え?」
にっこりと、サーペントは笑みを浮かべながら俺の推測を否定する。
「いやいや、先に言っておいただろう。私と君の道が同じ方向を向くことはない、と」
「ええぇ、えっと、あの、それでは、なぜ私に契約という選択を迫ったのです?」
「うん、それは単純に……ドラゴンがグランドールに牙を向かないという保障を作りたかっただけだね。未だ幼いとはいえ、ドラゴンの力は危険だということを確認できた。人間に愛想をつかし、突如攻撃を仕掛けられても困るだろう」
えええぇぇー……そうだったのー……?
深読みして、ドヤ顔して解説した俺がバカみたいじゃん……。
「ユウリ=シュタットフェルト」
「は、はい」
「私はね、君の甘い考えを決して好いてはいないが、少しは認めてもいるんだよ」
「え……」
「君がグランドールを裏切るという考えを持たないだろうということも、十分に確認できた。リズベットの下についているかぎり、その力はグランドールのため振るわれるだろう――そこのドラゴンと共にね」
「……は、はい」
「そして君は、またも私の想像を超えて楽しませてくれた。互いに契約を交わすなど……実に面白い、私では絶対に思いつかない選択だろうね」
「あ、ありがとうございます……」
くく、とサーペントは目を閉じて笑う。
「ユウリ君、リズベットにつくにしても……騎士となるならば必ずどこかの騎士団に所属しなければならない。グランドールが指揮する騎士団は東西南北の四つ、そして王都を中心に中央を守護する『黄金』騎士団を入れて五つだ。そして私は東方を守護する『赤銅』を率いている」
再び目を開けて視線を向ける先は――アイリスだった。
「君がウチに配属されるその日を、楽しみにしておこう――サルベスとの戦闘が多い、とても面白い騎士団だよ。そうだね、まずは五年の騎士実習で赤銅を選択したまえ、かのチェスター君も、とても楽しんでもらえたようだからね、他の騎士団に行くよりも強くお勧めしておくよ」
「は、はあ……」
そういえば、五年生になったときに『騎士実習』というものがあるという話を聞いていた。
そうか、実際に騎士団に配属され、戦場で騎士というものを学ぶ機会があるんだな。
……そして、チェスター=ドルマンは東方の赤銅騎士団に配属された。
もしかしたら、そのときチェスターはサーペント=ルドラ=グランドールの騎士になりたいと申し出たのかもしれない。
何度か聞いた『不合格』という言葉は、そこから来ている、のか……?
「さて、契約についての考えも定まったようだし……これからはドラゴンの力を遠慮なく振る舞いたまえ。君が歯ごたえのある相手になっていることを、私は望む。もう用件は済んだ、私はオウグ卿に挨拶をしてからここを離れるよ。ユウリ君、またの機会に」
そう言って、実にあっさりとサーペントは俺とアイリスを解放した。
■ ■ ■
「結局、よく分かんない人だったな……」
「へび、わらってたねー」
自室に戻る道のりを、ゆっくりとアイリスと歩く。
「……ユウリ、ようやく戻ってきたわね」
「あ、きんいろだ」
通路の真ん中に、腕を組んで待ち伏せていたのは、リズベットだ。
「リズ、どうした?」
「ふふーん、まったくもう、ユウリは昨日なにがあったかもう忘れたの?」
……昨日?
そんなの、まだ記憶に新し過ぎて忘れようがない。
「集団試験の決勝戦と、チェスター先輩との決闘……」
「そうよっ、優勝よ!」
いっぱいの笑顔で、嬉しそうにリズベットは宣言する。
「打ち上げよ! もう皆も食堂に集まっているわ、行きましょう!」
その表情を見て、俺も自然に笑顔がこぼれた。
「わかった、行こう」
「うん! ほら、アイリスもっ」
「きんいろ、なにー?」
リズベットがアイリスに駆け寄り、引っ張っていこうとする。
その光景は、なぜか俺の心の中に温かなものを運んでくれた。
――ああ、丁度いい機会かもしれないな。
アイリスとの契約のこと、皆にもちゃんと話そう。
そして、新たな関係へと進むのだ――
「あいりす、か……あいつが自分の名前を口にするの、初めて聞いたな……」
晴れ晴れとした気持ちを抱え、前へと一歩踏み出した。
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