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第1章

011 交通事故

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何か術を!!
と思ったものの、慌てていると脳裏の検索スクリーンすら中々立ち上がらない。

えっと、えっと、えっと~~~~!!
どんな術だったら交通事故を止められるのかと焦っている間に歩行者は馬車に轢かれていた。

・・・やはり、とっさの時と言うのは術が使えないようだ。
今晩、防御の術をよくよく確認して、突発的に何があっても死なないようにしておこう。

慌てて被害者の方へ駆け寄るが、加害者の方は馬車を止めもせず、そのまま行ってしまった。
「邪魔だ!」という声が聞こえたのは気のせいだったと思いたい。

とりあえず、現場検証や犯人逮捕は後回しだ。
死亡事故ではなく、単なる傷害に出来ないか頑張ってみよう。

憐れな被害者(中年のおばさんだった)は馬車に轢かれたらしく、体を横切るような形で僅かに出血している。だが、どこも動脈は傷つかなかったのか大量出血にはなっていない。
内出血はそれなりに凄いんだろうけど。

とりあえず、良かった。
何をやったら良いか分からないが、先日見た、『生命力を上げて怪我の治癒を早める術』とかいう術で間に合ってくれると良いんだけど。
その前に、『骨折の治療』もやっておいた方がいいかな?多分馬車に轢かれたんだから何かしらの骨が折れているだろう。それが変な形に繋がってしまったら後でもう一度折って直す羽目になるかもしれない。

『骨折の治療』を選び、詳細条件で『折れている骨は本来ある場所に戻って治癒』と選び、実行。
多分手であるべき場所に骨を揃えてやる方が魔法にかかる魔力が少なくて済むんだろうけど、骨のあるべき配置なんて分からない。
......重症患者っぽい人に触ること自体、怖いし。
今触ったらぐにょぐにょしていそうで悪夢を見ちゃいそう。

とりあえず、妙ににペタンコだった感じの胸のあたりが膨らんできたので、肋骨が折れていたのは正しく治ったっぽい。
他の骨もきっと治ったんだろう。

次に『生命力を上げて怪我の治癒を早める』を選ぶ。
詳細条件は『生命維持に重要な臓器から修復。エネルギーが生命維持までに修復に足りない分は術者の魔力を利用』としておこう。
魔力が沢山あるらしい私の魔力を使って治療する術ならいいけど、患者の生命力を使って怪我の治癒を早めている場合、重体だったら下手したら生命力を使い果たしそうで怖い。

実行を選んだら、すうっと魔力が出ていく感じがした。
・・・でも、治っているのか分からない。
慌てて、先日使ったオーラを視る術を呼び出し・実行して患者を観察。

車輪の痕ぞいに変な感じにどす黒い感じになっていた箇所が、だんだん普通の色に変わっていくのがぼんやりと視える。

うっし。
良い感じに治ってきている感じ?

「ふう。間に合いそうかな?」
小さく息をつきながら患者の上に屈み込んでいた姿勢を伸ばして、地面に座り込んだ。
命の関る緊急事態なんて初めてだ。物凄く疲れた。

「フジノ殿?」
横からカルダールが声を掛けてくる。

「あまり治療は慣れていないのですが(というかこれが初めてなんだけど)、出来るだけのことはやったので死なないで済むのではないかと思いたいですね。医療の心得のある方を呼んでくることは出来ますか?」

「既に神殿へ人をやりました。フジノ殿は魔術だけでなく法術の心得もあるのですか?」

おっと。そう言えば、医療って神官の領域なんだっけ。
ばれるまでは魔術だけで通そうと思っていたことを忘れていた。
まあでも、見て見ぬふりは出来ないし。

「私の世界では魔術と法術の区別が無かったんです。違う領域であるという考え方が無かったので一通り習いました。得手不得手があり、適性もありますが一応術の才能のある人間は多少は両方出来る場合が多かったでしたから、もしかしたらこの世界の魔術と法術の区別も、適性が分かれやすいというだけで、両方をある程度取得するのも可能かもしれませんよ」
ま、業界の住み分けみたいのもあるだろうから適性があったとしても両方学ぶというのは難しいだろうけど。

さて。
加害者を捕まえないと。
この世界の『正義』は運用上は必ずしも公平なものではない様だが、私が関与したものに関しては建前上の正義を公正に貫いて貰おうじゃない。

確か、事件の再現と云うモノが魔術師に頼めば出来るって言っていた。
『事故場面の再現』で検索すると早速出てきた。
詳細条件に、「任意の場面でストップ可能、再現スピード可変」と付け、さっきの現場に向けて術を放つ。
私が被害者の上に屈んでいる場面は倍速でとばす。暫くするとまるでビデオを巻き戻しているかのように、馬車が走り去って行った方向から後ろ向きに帰ってきて、おばさんの上を後ろ向きに通る。
ちょうど轢いたポイントでシーンを停めた。
「加害者が誰か、分かりますか?」

「ラティーフ子爵ですね」
カルダールが小さく溜息を尽きながら答えた。
・・・そのラティーフって昨日習った大貴族の名前にあった気がする。と云うことは、次期侯爵ってやつか。
当然牢屋へ入れるとか鉱山で強制労働なんて云う判決は出ないんだろう。
どうにかして、道を歩く人も人間なんだと分かってもらいたい所だが、そう簡単には学ばないんだろうねぇ。

「患者は?!」
息を切らした若い男性が走ってきた。
これが神官さんかな?
「こちらです。骨折を治し、生命力を上げて治癒を早める術を掛けて見たのですが、大丈夫でしょうか?医療を緊急の場面で実践したのは初めてなので再確認をお願いできますか?」

神官さんは此方を見て何か言いたげな顔をしていたが、まず被害者の方に注意を向けた。
考えてみたら、こう云う緊急治療ってどうなっているんだろう。
この平民の軽視の世界で、日本やイギリスの様に無条件に事故にあった人の治療をしているとも思えないけど。

暫しおばさんを調べていた神官さんはやがて立ち上がって私の方へ体を向けた。
「見事ですね。馬車に轢かれたとは思えない状態です」

「そうですか。被害者の方を助けることが出来て本当に良かったです。意識が戻っていないようですが・・・これは普通のことなのですか?」

「治療というのは体の生命力を大量に使う術なので、大怪我をしたあとは数日は寝て過ごすのが普通です。彼女も暫くは意識が保てない位眠くなるかもしれませんが、それは体が使い切ったエネルギーを蓄え直そうとしているだけのことなので、無理に眠気に逆らわずに寝ているのが一番です」

神官さんはそう答えてから、周りに集まっていた野次馬に声をかけた。
「誰か、この女性の知り合いはいませんか?」

暫くがやがやと声がしていたが、やがて若い男が人ごみを押しのけて出てきた。
「もしかして・・・。お袋!!」

地面に転がったままのおばさんに掴みかかるように近寄った男性を神官が抑えた。
「大丈夫です、重症だったようですが、そちらの女性が殆どの傷をいやしてくれました。残りもいい感じに治りつつありますので、眠気が無くなるまでたっぷり眠らせてあげれば完治します」

「ありがとうございます!!」
がばっと土下座されて、ひいた。

いやさぁ。
命なんて取り返しのつかないものだから、救ったとなれば土下座しても不思議はないんだろうけど・・・やはり違和感ありまくり。
考えてみたら、今まで人間の命に本当にかかわるようなシーンに立ち会ったことは、ない。
医療の現場にでもいない限り、命を救うことも、奪うことも、見殺しにすることも今の日本では殆どない。
だが、こちらの世界ではそれなりに日常茶飯事にありそうだ。

 - 助けになれてよかった、大したことじゃないから頭を上げてくれ
 - いやいやこの恩はどうして返したらいいかわかりません
 - あなたの母上ががこんな目に合ったのは彼女のせいじゃないんだから
 - だけど死ぬところを救っていただいたのに変わりは無いです

といった感じに土下座感謝攻撃と私の防衛はしばし続いたが、やがて警察みたいな雰囲気の制服を着た男の2人組が来たことで取り合えず男性が立ち上がってくれた。

「事故があったとの話ですが・・・」

我々の土下座攻防を面白そうに見ていたカルダールが、警官モドキに答えた。
「ああ、私も見ていたし、ここに現場再現のシーンがある。ラティーフ子爵であることに疑い様がないから、逮捕してくれ」
今も地面に寝ている女性の上に半透明に見える3Dの映像を見て、警官モドキ達も納得したのか、馬車が消えた方向へ姿を消した。

「この後、どうなるのでしょうか?この映像をいつまでもキープしておく訳にはいきませんし」
携帯カメラみたいに、何かにこれって記録出来るのかな?

「神官と警官がしっかり見て確認しているのでもうこの再現映像を解放して大丈夫ですよ」
神官の男性が答えてくれた。

「そうですか。
あ、私は藤野瞳子といいます。前日召喚魔術の失敗で来てしまった魔術師です」

神官さん、戸惑ってる。
「失敗・・・ですか?
え~と・・・私はマダーニと言います。よろしくお願いします」

「こちらこそ。ところで、マダーニさんは緊急治療の担当でもしてらっしゃるんですか?それともたまたま神殿にいて呼び出されたのですか?」

「医療班の人間は交代で神殿に運び込めないほどの重症患者が発生した際に出てくることになっています」

「かなりの激務になりますか?」
地球でのERは激務だと言うが、こちらはどうなんだろ?

「そうですね、それなりに」
ふむ。

私はカルダールの方を向いた。
「マダーニさんの呼び出し費用と、私の医療費は当然加害者が賠償するんですよね?被害者にも慰謝料を払うと思いますが、おまけの懲罰として、3月ほど神殿で医療班の手伝いをすることを命じるというのは可能でしょうか?神殿の方に迷惑がかかるかもしれませんが、貴族の方に命の大切さとそれを救うことの大変さというモノを分かってもらわない事にはまた同じことが起きると思うんです」

マダーニが驚いたように目を丸くしている。
・・・カルダールの目も丸くなっているか。
「面白い考え方ですね。効き目があるかどうかは分かりませんが・・・一応提案しておきましょう」
カルダールが答えた。

「どうもありがとうございました。今度、神殿の方の医療班の仕事も見学させていただいていいですか?医療における効率的な魔力の使い方を学びたいので」
嫌な顔をするかな?

「勿論です。魔術師の方々が医療もできるようになれば、救える命がぐっと増えますからね。いつでもご都合がいいときに来て下さい」
にこやかにマダーニが合意した。
ふ~ん、善意の人っていう感じだねぇ。この世界の神官っていうのは大多数の金の亡者ちっくな日本の宗教法人(偏見だけど)とは違って、善意の存在なのかな?

「では、明後日に丁度私の方にも抜け出せない用事があるので、その日は一日神殿のマダーニ殿のところで過ごしていただくと言うことでいかがでしょう?」
カルダールが提案してきた。

「構いませんよ」
マダーニがあっさり合意する。

「では、よろしくお願いしますね」
あと2日で、一人で外を出歩いても大丈夫なぐらい、一般常識を身につけないと。


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