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4巻
4-2
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「そこで相談なのじゃがな、そのお方が来られるときに料理を作って欲しいのじゃ」
「料理?」
「うむ、村では今、料理がまともにできる者がおらんでなあ」
もちろん、ごく一般の家庭料理くらいなら作れる者は大勢いる。だが、身分の高いお方に出すには少々問題がある。なぜなら――
「この村にはな、【料理】のスキル持ちがおらんのじゃ」
そもそも、こんな小さな片田舎の村に身分の高い人が来るなどあり得ないことなのだ。
けれど、なぜかその異常事態が起こってしまったのだから、とにかく少々凝った料理を作れる料理人が至急必要なのは間違いない。
急遽手分けをして探し、近くのコニッシュという港街から連れてこようとしたのだが、もてなすべきお方の身分があまりにも高すぎて料理人たちは皆尻込みしてしまい、引き受けてくれる者がいなかった。
そこへ、イタチョーが現れた、というわけだ。
「ただし、気を悪くしないで欲しいのじゃが、でき上がった料理はワシが【鑑定】スキルで毒が入ってないかどうかを確かめさせてもらう」
「はあ、そりゃそんなに身分が高い人なら毒見は当然として……あの、スキルって何です?」
「……そなた、スキルを知らんのか」
村長が目を丸くしてイタチョーを見る。
「ええと、はい。日本にはなかったので」
村長の発言はイタチョーにわかりやすい言葉へと勝手に翻訳されているらしいのだが、どうもその「スキル」というのは英語のスキルとは違うニュアンスのようである。だから、イタチョーは曖昧に頷くしかなかった。
「ううむ。それではそなたは、自身の保有スキルも称号も知らんということになるのう」
もし【料理】のスキルを持っていなかったらマズイ、と村長がうんうんと考え込む。
「スキル持ちと持たぬ者とでは、同じものを作ったとて、その出来に天と地ほどの開きがあるからのう」
村長は悩んだ末に、神殿の神官に話を通し、彼のスキルを確認してもらうことにした。
身分の高い人に【料理】スキルのない者が料理を出すなどあり得ない、というのがこの世界の常識なのだ。
そして、村で唯一の神殿で神官に確認の儀式をしてもらったところ、イタチョーのスキルが判明した。
【名前】桜川寅之助(イタチョー)
【称号】神の舌を持つ男・老舗の板長・異界よりの来訪者
【メイン職】天才料理人
【保有スキル】
料理:70 食材鑑定:82
食材の心得:66 料理の心得:88
解体:68 混乱耐性:12
「数値が異常なまでに高いのう。さすがは来訪者じゃ」
大抵の『来訪者』は何かしらの特技を持っており、スキル数値が異様に高いことは一般にも知られている。
スキルを見て、これなら……と思った村長は、すべてを彼に任せることにした。
身分の高いそのお方が来訪する前日、イタチョーは集められた食材を使っていくつか料理をしてみせた。そのどれもが唸るほどの出来であり、一度箸をつけたら完食するまでやめられないくらい美味しい。
また、イタチョー自身も驚いていた。見たことのない食材でも、なぜか使い方がわかるのである。そのうえ、日本で作った時よりも格段に出来がいい。
これこそがスキルの恩恵であり、味にもかなり補正が効いていると実感した。
そして当日。村にやってきたのは、リオール皇子だった。
「『来訪者』? ああ、帰る方法なら知っているぞ」
デザートをぱくつきながらあっさり言い放った彼の名はリオール。このロウス皇国の第九皇子にして、今最も皇位に近いと言われている人物である。
彼はイタチョーの料理を絶賛し、呼び出して誉めまくると、イタチョーの話も快く聞いてくれた。高い身分に反して、なんとも気さくな皇子である。
「ほ、本当に!?」
あまりにあっさり言い放たれたために、皇子の言葉を脳裏で三度ほど反芻して、ようやく理解できたイタチョーは、驚いて思わずグイッと顔を皇子に近づけ、護衛の騎士に制止された。
こんなにあっという間に日本に帰る方法が見つかるなど、幸運以外の何ものでもない。その時のイタチョーには、リオール皇子が神様に思えた。
しかし、そんなうまい話などありはしない。
続いたリオール皇子の言葉に、イタチョーは目が点になる。
「いいか、早とちりするな。帰る方法は知っているし、試してもいいが、本当に元の世界に帰れるかどうかまではわからんぞ」
その言葉を二度心の中で繰り返しても、全く意味がつかめないイタチョー。
そんな彼の心の内がわかったのか、リオール皇子は来訪者とはどういう存在かということも含めて、かみ砕いて説明してくれた。
「つまり、だ」
彼の解説によると、こうだ。
・来訪者の存在は太古から確認されており、数十年に二、三人現れる。そのため、どこの国でもある程度の対応が決められている。
・来訪者が異世界へ帰るための魔法陣は昔、一人の来訪者が作り出しており、古い血統を保っている国の王族ならば知っているし、そこまで秘匿されているわけではない。
・魔法陣は大掛かりなもので、制作者の来訪者以外が使うとなると、最低でも宮廷魔術師クラスの魔法使いが十人は必要。準備にも三年はかかる。
・魔法陣を発動させれば異世界への扉が現れるが、扉の向こうが本当に帰りたい世界なのかどうかは誰にもわからない。
「……最後のところ、もう一度お願いできますか」
「うん? だから、魔法陣を作って異世界に行くことはできるが、その異世界が元いた場所だという保証はないってことだな」
二度聞いてもわからなかったイタチョーは首を傾げる。
「この魔法陣を作った来訪者が、帰り際に言い残した言葉があってな」
『いずれ、魔法陣を使用するかもしれない未来の来訪者たち。この魔法陣は想いを形に変えるものだ。想い描く場所が扉の向こうの世界。想いが足りなければ帰ることはかなわない』
「……はあ」
こういったことに疎いイタチョーには、やっぱりよくわからなかった。
が、つまりは、この世にはいくつもの世界があり、それらが同時に存在しているということなのだろう。
魔法陣を使えば別世界への扉を開くことはできるものの、特定の世界へと繋ぐことは難しい。おそらく、重なり合う何百枚の折り紙の中から、目隠しをして目的の一枚を抜き出すみたいなものだ。
そこで、使用者の想いを形に変えるという――つまりは想いが道しるべになって、元の世界との扉を繋ぐという設定にしたのだろう。
簡単に言うと、イタチョーの故郷への想いが足りなければ、扉は全然別の世界へ繋がってしまう可能性があるということだ。しかも扉をくぐってみないと、向こう側がどういった世界なのかはわからない。やり直しはきかないのである。
そこまで聞いて、イタチョーは考えた。
帰りたいという気持ちは強いが、果たして自分はどれだけ強く故郷を、娘を想えば帰れるのだろう、と。
これでまた全然違う場所に行ってしまったら、今度はもうどうすることもできないかもしれない。
「魔法陣は準備しよう。それが我が国と来訪者の取り決めだからな。魔法陣を使うか使わないかはお前次第だ。もちろん使わなくても構わない。最低でも三年の準備期間が必要だし、魔法陣は二年は特に何もせずとも維持できるからな。五年の猶予がある。ゆっくりと考えるがいい」
五年、とイタチョーは呟いた。
そもそも三年後の自分は、今と変わらず故郷を思い出せるのだろうか。年々記憶力も低下しているのに?
もちろん娘に対する愛情は揺るぎないものだし、彼女を忘れることなどあり得ない。
だから、帰れるとほぼ確信はしているのだが、それでも即答はできなかった。
そんなイタチョーに、リオールは魔法陣の準備期間中に頼みたいことがあると言った。
料理の腕を見込んで、街で食堂を開かないかと提案してきたのである。
◆ ◆ ◆
「それでまあ生計を立てる必要もあるし、と誘いに乗って街に来てみたら、大騒ぎになっていた」
「大騒ぎ?」
なんと、街中で冒険者が暴れてスキルを暴発させ、その影響で温泉が湧き出たらしい。
だが悲しいかな。この辺りにはそもそも温泉という文化がなかった。
だから街中の人々は、地中からお湯がものすごい勢いで噴出しているがどうしたらいいか、と右往左往し、もう少しで街の治安維持を担う魔法騎士団まで出動するところだったそうだ。
イタチョーは同行していたリオール皇子に、温泉の有用性を説くことにした。
リオール皇子は有用性は認めてくれたが、ではどうしたら良かろう、とイタチョーに返した。
そこでイタチョーは故郷を忘れないためにも、リオール皇子の協力のもと、この温泉宿兼小料理屋を作ったのだという。
ただの食堂よりは、せっかく湧き出た温泉を有効活用したほうがいいに決まっているし、何より日本人のイタチョーにとって、毎日温泉に入り放題というのは非常に魅力的だった。
そして今では、街中の人間が温泉のとりこになりつつある。
「へえ、それは良かったね」
「うむ、イタチョーに力説されてオンセンヤドなるものを作ったが、まさかオンセンがこれほど素晴らしいものだとはな」
リオールが腕を組んで唸るように言った。実際、彼も温泉の魅力に取りつかれた一人らしい。用もないのにここにきては温泉に入り浸っているのだとか。
ちなみに、ここでたまに提供している日本食はイタチョーが初めに持ち込んだ段ボール箱の中身を使っているので、もう残りはわずかだという。これが尽きたら、日本食はほぼ作れなくなってしまうそうだ。なんてこった。
「すでに今回提供したもので、お好み焼きとカレーは最後だ。調味料も作ろうとは試みているが、今のところ自家製では味噌しかできていないな。まあ、もうすぐ醤油はできそうだが。あと米麹とか、ぬか床かな」
「え、味噌とぬか床? ちょうだい、ちょうだい」
グイッとイタチョーに顔を近づける私。
それはそうだろう。味噌とぬか床があればそれだけでも……。く、ニヤニヤが止まらない。しかも醤油に米麹までもうすぐできるって!? それはもう……我が家に勧誘するしかないでしょう。
「お、おお。嬢ちゃん、その年で味噌とぬか床にここまで食いつくとは。なかなか渋いな」
まあ、中身の実年齢は子供じゃないからね。見た目詐欺だからね。
「醤油と米麹って、完成までにあとどれくらいかかる?」
「そうだな、あと二ヵ月もあればできるだろう。この世界には魔法とかいう、けったいなものが存在するからな」
けったいって、おっさん。まあいいけど。
「いやまあね。ところでイタチョーさん、我が家に来ない?」
たぶんこの世界に来て初めて、私は自分から同居人に誘ってみた。
しかしあっさり断られる。
「すまんな、嬢ちゃん。お誘いは嬉しいが、俺はこの温泉宿を離れたくないんでね。ここは俺の勤めていた旅館を模して作ってある。何年経っても鮮明に故郷を思い出せるようにな」
懐かしそうに目を細めるイタチョー。
私はそもそもそこまで日本に思い入れがないので、この方法で帰還するのはほぼ百パーセント不可能だろうが、イタチョーなら帰れるのかもしれない。
だがしかし。日本食にだけは未練が残る。食べ物の恨み(?)は怖いのだ。
とはいえ、よくよく思い返してみれば、ミネアの父親が研究していたお餅はナセルの迷宮で発見されたということだった。
ならば、イタチョーがだめでも、もしかしたらその迷宮には日本食材が眠っているのかもしれない。まだまだ日本食材を諦めるのは早いということか。
あと、お米は初めにイタチョーが飛ばされたリセリッタ村で、少量だけ作っているらしい。しかも!
「もち米もある」
重々しく呟かれたその言葉を、真の意味で理解できたのはもちろん私だけだろう。そしてそこに食いついたのもまた当たり前と言える。
考えてみれば、イタチョーは開店祝いに紅白餅をご近所さんに配っていたのだ。もち米、作ってて当然だよね。まさか日本から持ち込んだ貴重なもち米を紅白餅にして、ご近所さんに気前よく配りまくるとは思えないしねえ。
「ムムム、もち米かあ」
何を作ろうか。焼き餅、お雑煮、お汁粉、おはぎ……
「ところで小豆とか大豆は?」
「ない」
めいっぱいの期待を込めた私に、無情にもきっぱりと首を横に振るイタチョー。
聞けば、味噌や醤油は大豆とは別の豆を使って開発しているらしい。
「そ、そんな……餅ができるのに餡子も黄な粉もないなんて」
それはまさにタルタルソースのないチキン南蛮。銀杏のない茶碗蒸し。あり得ない。
「そりゃあね、はちみつとかお砂糖でも美味しくいただけるよ? お雑煮もお味噌でもいけるよ。でもさ、黄な粉も餡子もないなんて」
あんまりだ、と打ちひしがれる私を不思議そうに見ている同行者一行。
「話が全く見えないが、リンは何にここまでがっかりしているんだ?」
「食べ物の話だろ?」
ラティスとスレイが顔を見合わせる。
「まあでも、リンにしては珍しいくらい表情が出てるわね」
「なんだかひどく失望したような顔だけどな」
アリスとミネアが面白そうに私を指差す。
「というか~リンは来訪者だったのですね~」
「道理で~空気が違うと~」
マナカとヴェゼルが顔を見合わせる。
その二人の会話にハッとして一同が騒ぎ始めた。
「本当だわ。リンのことだし、あまりにも違和感なく会話してたから、思わずスルーしちゃった」
「確かにな。しかし来訪者か。道理で色々規格外なわけだ。何があってもリンだから、で納得してしまっていたな。反省しなくては」
何となくもう驚かなくなっていたと言うアリスに、フェイルクラウトが頷く。って、何気に失礼だな、おい。
リオール皇子は、と振り返れば、ぽかんと口を開けて私を見ている。
「皇子? そんなに口開けてると顎外れるよ」
あとアホの子に見えるよ。言わないけど。
「あ、ああ。リンは……」
「ん?」
「リンは来訪者だったのか」
「ああうん、一応」
「一応? とにかく来訪者なら、ストル王子には俺から話を通してリンにも魔法陣を……」
提供しよう、と言いかけたリオール皇子に、即座に私は首を横に振った。
「いいのか? 一生元の世界には帰れないぞ。よく考えて……」
「考えても無駄だよ」
だって、この方法では私は帰れない。間違いなく。
今ではもう、鮮明に思い出せるのは食事くらいのもの。日本の風景なんてとうに忘れてしまったよ。
想いの強さが世界をつかみ取るというのなら、私は間違いなく無理だ。
そう言うと、リオールはほっとした顔で頷いた。魔法陣作るの大変そうだからね。私の分を作らなくて済んで安心したのかな?
ともあれ、イタチョーととことん話をして。
翌朝、私たちは全員目の下に立派なクマを作っていたのだった。
3 もち米と蒸し器、臼と杵
結局、イタチョーの話をじっくり聞いていたら明け方近くになってしまった。
本当はできれば日帰りでと思っていたけど……まあ、なんとなくこうなる気はしていたよ。バッチリ宿に部屋用意してあったしな。
しかもよくよく聞いてみると、来た時に使った転移門はそう頻繁には使用できないらしい。あれは城や重要な砦なんかに設置されているもので、行き先を自由に設定できるんだけど、防衛の観点から使用できる者や頻度に制限がかけられているのだそうだ。
まあ、今回だってストル王子が色々と理由を作っていたわけだしね。そりゃ、一般人は利用しづらいよねえ。
もちろん一般人が利用できる転移門もあるけど、そっちはメーティル地方とリヒトシュルツ王国とを繋ぐものではない。一般利用できる転移門の出口は特定の場所に決まっていて、他の地点には出られないのだ。
ってわけで、この地に……というよりお米に未練たらたらな私は、農園留守番組代表(?)の蚊トンボを喚んで事情を話し、二、三日ここに留まることを告げた。
「そんなことになる予感はしとったわ」
呆れたようにため息をついて、蚊トンボが言う。妖精とは名ばかりの、くたびれたおっさん顔の生き物だ。
「お嬢の行動パターンはだいたい把握済みや」
「え、そう?」
「そうや。まあ、農園のほうは任せや。二、三日ならあっしらでなんとかするわ」
案外頼りになるのだ。蚊トンボも。だが、そのドヤ顔はやめろ。イラッとくるから。
ともあれ、そんなわけで私は朝から温泉を堪能していた。
やっぱり温泉の醍醐味といえば、朝風呂だよねえ。
明るいうちに入る温泉は格別なのだ。しかもこの温泉、露天風呂つきで、ちょっとしたなんちゃって日本庭園が見えて郷愁をそそるよ。こういうところに来ると日本が懐かしくなるし、ちょっと帰りたいかな、とか思ってしまうね。
それはそれとして、私は温泉に浸かりながらずっとあることを考えている。
「うーん、リンって出会った時とあまり変わらないわね。可愛いから、個人的にはこのままでいいと思うけど」
「そうね~来訪者だからなのかしら~」
一緒に温泉に浸かっていたアリス、マナカが口々に言ってくる。
ミネアは無言で私を見て、ふっと笑った。
うん、視線が私の胸に固定されているのはなぜだ。あとアリス、個人的意見はとりあえず心に秘めておいてくれ。
それと、私は一言物申したい!
「言っとくけど、これでもちょっとは成長してるわ!」
余計なお世話である。そのかわいそうな子を見るような視線はヤメテ。
確かに私の胸はここに来たときからあまり成長してないかもしれないが、それはこの体がゲームのアバターのようなものだからだ、たぶん。だって日本にいたときはそれなりにあったし!
というか、君たちが大きすぎるんだよ! 重くない? 肩凝らない? みんなプロポーション良すぎないか? なんだかすごく理不尽だ。
でも、なんか言ったら負けな気がする。
ところで、さっきから考えているのは、もちろん胸のことではない。断じて。
それは食事のことだ。イタチョーの勧誘にはあっさり失敗したが、調味料を分けてもらう約束はしたし、ここにいる間は作れる範囲でなら和食モドキも作ってくれるとのこと。それはとても嬉しい。
だがしかし、帰ったらまた和食からは遠のくよねえ。
「どうしました~リン~」
マナカの問いに、私は正直に答える。
「帰ったら、もう和食は食べられないんだなって。まあ、お米は分けてもらえるけど」
「リンは食欲の塊だな」
「今さら何を言ってるの、ミネア。当たり前じゃない」
ミネアの言葉を力強く肯定する私。
いや、だって考えてもみてよ。
「美味しいご飯を食べれば、それだけで気力が湧くでしょ? 反対にまずいご飯だとやる気なくなるじゃない。それが故郷の一番なじんだ味なら、なおさらだよ」
「確かにリンの言う通りね。食事は大事だわ」
アリスが深く同意してくれる。さすがは食材ギルド職員。わかってくれたか。
にしても、そろそろ茹ってきた。湯あたりする前に上がらないとね。温泉は自分が思っている以上に体を温めるし、体力も失うのだ。
私たちは二階に作られた休憩処で椅子に座って、ゆっくりとお茶をすることにした。もちろんケーキも忘れずに。
湯上がりに甘いものは最高だよね。出てきたのは、季節のフルーツをたっぷりと盛り込んだフルーツタルトだった。甘すぎなくて、すごく美味しい。
ちなみに男性陣は少し離れた席でなんだか小難しい話をしている。
どうやらリオールとフェイルクラウトが中心になって、差し支えない範囲で情報交換しているようだ。
リオールはラティスたちの冒険譚にも興味津々で、色々質問もしている。
ちなみに、ヴェゼルは私たちと一緒にケーキを美味しそうに食べている。子供だしね。
ラグナ少年はこちらの様子をチラ見しながらも、来る様子はない。なんとなく顔が赤いけど、湯あたりでもしたのかな?
もちろん、グリーは私の隣に座って人間の姿でケーキを食べている。彼は意外にも甘いもの好きなのだ。
それにしても、だ。
とりあえず、お米ともち米は分けてもらえることになっている。イタチョーが知り合いの農家に話をつけてくれるらしい。
まあ、見返りとして某会社とゲームとのコラボ製品である調理器具のいくつかを譲ることになっているが。ゲーム時代のネタアイテムのほうが、この現実世界ではお役立ち。意外ですね。
ともあれ、お米を貰ったらスキルで苗にして、家の庭に水田を作って植えよう。これでお米に困ることはないと思うと、今からにんまりしてしまう。
「リンが~何か変だわ~」
「うーん、さっき話してたお米とやらの調理法でも考えているのかしら?」
アリスさん、鋭い。
「フフフ。お釜は家にあるけど、問題は蒸し器だねえ。それに臼と杵」
私は美味しいものを手に入れるための労力は惜しまない。
「ウスとキネ? って、何?」
アリスが知らないのも当然だ。
「お餅を作るのに必要なんだよ」
幸い家には、レッドドラゴンのオルトも、ブラックドラゴンのメロウズもいる。力はあり余っているし、餅つき要員には事欠かない。
であれば、やはり臼と杵を用意してつきたてのお餅をいただきたい。
そうなると、まずはもち米を蒸さないといけないだろう。イタチョーはどうやらリオールの紹介でやってきた従業員に、スキルと魔法を駆使してもらってお餅を作ったらしいのだが。
「『蒸し器』って、どんなものなの?」
アリスに聞かれてちょっと首を傾げ、頭の隅から記憶を引っ張り出す。
「えーと……」
思い出しつつ紙に絵を描いて説明する。
「こんな感じで、ここに水を入れて蒸気で調理する道具なんだけど……」
「あら、これならヴィクターに作ってもらえばいいんじゃない?」
アリスの言葉に、はっとした。
そういえば、うちには樽……もとい、腕のいいドワーフの鍛冶師がいたじゃないか。武器防具以外にも、詳しく説明すれば調理道具だって作れるに違いない。
これで蒸し器の問題は解決だ。材料となる金属は、この街の鍛冶屋か道具屋を回れば適当なのが見つかるだろう。
あとは臼と杵か。こちらも絵を描いて説明してみる。
「そうねえ、これ材料は木なの?」
「そう」
「それなら~私の~知り合いに~腕のいい木工師がいるわ~頼んでみましょうか~」
「本当!?」
ぜひ、と勢いよく頷く私に、マナカが乾いた笑みを浮かべる。
「本当に~食べることが~お好きなんですね~」
そう言って、なぜかヴェゼルがキラキラした瞳で見つめてくる。少年よ、今の会話のどこにそんな尊敬の眼差しを向ける要素があったのかね? 思わず、じっと見つめ返してしまった。
「この子~少し変わってるのよ~」
……少し? マナカの言葉にも、つい首を傾げてしまう私なのだった。
「それはともかく~、木工師に頼むのは問題ないのだけど~」
「何か他に問題が?」
「素材の木よ~。なんでもいいのかしら~」
「あ、そうか」
素材はなるべく丈夫で壊れにくいものでないとダメだよね。なにせ餅をつくのは……
脳裏に浮かんだのは、もちろんオルトとメロウズの竜コンビだ。力加減などできるだろうか?
「ううん、とにかく丈夫な木じゃないとダメだな。竜が踏んでも壊れないくらいに」
私の言葉に、アリスは眉を寄せて考える。
「そんな木あるかしら」
「丈夫なだけでいいならグレアーの木があるぞ」
うーん、と悩んでいると、いつの間にか側に来ていたリオールが唐突に声をかけてきて、驚いて振り返った私は思いきり彼と頭をぶつけてしまったのだった。
「料理?」
「うむ、村では今、料理がまともにできる者がおらんでなあ」
もちろん、ごく一般の家庭料理くらいなら作れる者は大勢いる。だが、身分の高いお方に出すには少々問題がある。なぜなら――
「この村にはな、【料理】のスキル持ちがおらんのじゃ」
そもそも、こんな小さな片田舎の村に身分の高い人が来るなどあり得ないことなのだ。
けれど、なぜかその異常事態が起こってしまったのだから、とにかく少々凝った料理を作れる料理人が至急必要なのは間違いない。
急遽手分けをして探し、近くのコニッシュという港街から連れてこようとしたのだが、もてなすべきお方の身分があまりにも高すぎて料理人たちは皆尻込みしてしまい、引き受けてくれる者がいなかった。
そこへ、イタチョーが現れた、というわけだ。
「ただし、気を悪くしないで欲しいのじゃが、でき上がった料理はワシが【鑑定】スキルで毒が入ってないかどうかを確かめさせてもらう」
「はあ、そりゃそんなに身分が高い人なら毒見は当然として……あの、スキルって何です?」
「……そなた、スキルを知らんのか」
村長が目を丸くしてイタチョーを見る。
「ええと、はい。日本にはなかったので」
村長の発言はイタチョーにわかりやすい言葉へと勝手に翻訳されているらしいのだが、どうもその「スキル」というのは英語のスキルとは違うニュアンスのようである。だから、イタチョーは曖昧に頷くしかなかった。
「ううむ。それではそなたは、自身の保有スキルも称号も知らんということになるのう」
もし【料理】のスキルを持っていなかったらマズイ、と村長がうんうんと考え込む。
「スキル持ちと持たぬ者とでは、同じものを作ったとて、その出来に天と地ほどの開きがあるからのう」
村長は悩んだ末に、神殿の神官に話を通し、彼のスキルを確認してもらうことにした。
身分の高い人に【料理】スキルのない者が料理を出すなどあり得ない、というのがこの世界の常識なのだ。
そして、村で唯一の神殿で神官に確認の儀式をしてもらったところ、イタチョーのスキルが判明した。
【名前】桜川寅之助(イタチョー)
【称号】神の舌を持つ男・老舗の板長・異界よりの来訪者
【メイン職】天才料理人
【保有スキル】
料理:70 食材鑑定:82
食材の心得:66 料理の心得:88
解体:68 混乱耐性:12
「数値が異常なまでに高いのう。さすがは来訪者じゃ」
大抵の『来訪者』は何かしらの特技を持っており、スキル数値が異様に高いことは一般にも知られている。
スキルを見て、これなら……と思った村長は、すべてを彼に任せることにした。
身分の高いそのお方が来訪する前日、イタチョーは集められた食材を使っていくつか料理をしてみせた。そのどれもが唸るほどの出来であり、一度箸をつけたら完食するまでやめられないくらい美味しい。
また、イタチョー自身も驚いていた。見たことのない食材でも、なぜか使い方がわかるのである。そのうえ、日本で作った時よりも格段に出来がいい。
これこそがスキルの恩恵であり、味にもかなり補正が効いていると実感した。
そして当日。村にやってきたのは、リオール皇子だった。
「『来訪者』? ああ、帰る方法なら知っているぞ」
デザートをぱくつきながらあっさり言い放った彼の名はリオール。このロウス皇国の第九皇子にして、今最も皇位に近いと言われている人物である。
彼はイタチョーの料理を絶賛し、呼び出して誉めまくると、イタチョーの話も快く聞いてくれた。高い身分に反して、なんとも気さくな皇子である。
「ほ、本当に!?」
あまりにあっさり言い放たれたために、皇子の言葉を脳裏で三度ほど反芻して、ようやく理解できたイタチョーは、驚いて思わずグイッと顔を皇子に近づけ、護衛の騎士に制止された。
こんなにあっという間に日本に帰る方法が見つかるなど、幸運以外の何ものでもない。その時のイタチョーには、リオール皇子が神様に思えた。
しかし、そんなうまい話などありはしない。
続いたリオール皇子の言葉に、イタチョーは目が点になる。
「いいか、早とちりするな。帰る方法は知っているし、試してもいいが、本当に元の世界に帰れるかどうかまではわからんぞ」
その言葉を二度心の中で繰り返しても、全く意味がつかめないイタチョー。
そんな彼の心の内がわかったのか、リオール皇子は来訪者とはどういう存在かということも含めて、かみ砕いて説明してくれた。
「つまり、だ」
彼の解説によると、こうだ。
・来訪者の存在は太古から確認されており、数十年に二、三人現れる。そのため、どこの国でもある程度の対応が決められている。
・来訪者が異世界へ帰るための魔法陣は昔、一人の来訪者が作り出しており、古い血統を保っている国の王族ならば知っているし、そこまで秘匿されているわけではない。
・魔法陣は大掛かりなもので、制作者の来訪者以外が使うとなると、最低でも宮廷魔術師クラスの魔法使いが十人は必要。準備にも三年はかかる。
・魔法陣を発動させれば異世界への扉が現れるが、扉の向こうが本当に帰りたい世界なのかどうかは誰にもわからない。
「……最後のところ、もう一度お願いできますか」
「うん? だから、魔法陣を作って異世界に行くことはできるが、その異世界が元いた場所だという保証はないってことだな」
二度聞いてもわからなかったイタチョーは首を傾げる。
「この魔法陣を作った来訪者が、帰り際に言い残した言葉があってな」
『いずれ、魔法陣を使用するかもしれない未来の来訪者たち。この魔法陣は想いを形に変えるものだ。想い描く場所が扉の向こうの世界。想いが足りなければ帰ることはかなわない』
「……はあ」
こういったことに疎いイタチョーには、やっぱりよくわからなかった。
が、つまりは、この世にはいくつもの世界があり、それらが同時に存在しているということなのだろう。
魔法陣を使えば別世界への扉を開くことはできるものの、特定の世界へと繋ぐことは難しい。おそらく、重なり合う何百枚の折り紙の中から、目隠しをして目的の一枚を抜き出すみたいなものだ。
そこで、使用者の想いを形に変えるという――つまりは想いが道しるべになって、元の世界との扉を繋ぐという設定にしたのだろう。
簡単に言うと、イタチョーの故郷への想いが足りなければ、扉は全然別の世界へ繋がってしまう可能性があるということだ。しかも扉をくぐってみないと、向こう側がどういった世界なのかはわからない。やり直しはきかないのである。
そこまで聞いて、イタチョーは考えた。
帰りたいという気持ちは強いが、果たして自分はどれだけ強く故郷を、娘を想えば帰れるのだろう、と。
これでまた全然違う場所に行ってしまったら、今度はもうどうすることもできないかもしれない。
「魔法陣は準備しよう。それが我が国と来訪者の取り決めだからな。魔法陣を使うか使わないかはお前次第だ。もちろん使わなくても構わない。最低でも三年の準備期間が必要だし、魔法陣は二年は特に何もせずとも維持できるからな。五年の猶予がある。ゆっくりと考えるがいい」
五年、とイタチョーは呟いた。
そもそも三年後の自分は、今と変わらず故郷を思い出せるのだろうか。年々記憶力も低下しているのに?
もちろん娘に対する愛情は揺るぎないものだし、彼女を忘れることなどあり得ない。
だから、帰れるとほぼ確信はしているのだが、それでも即答はできなかった。
そんなイタチョーに、リオールは魔法陣の準備期間中に頼みたいことがあると言った。
料理の腕を見込んで、街で食堂を開かないかと提案してきたのである。
◆ ◆ ◆
「それでまあ生計を立てる必要もあるし、と誘いに乗って街に来てみたら、大騒ぎになっていた」
「大騒ぎ?」
なんと、街中で冒険者が暴れてスキルを暴発させ、その影響で温泉が湧き出たらしい。
だが悲しいかな。この辺りにはそもそも温泉という文化がなかった。
だから街中の人々は、地中からお湯がものすごい勢いで噴出しているがどうしたらいいか、と右往左往し、もう少しで街の治安維持を担う魔法騎士団まで出動するところだったそうだ。
イタチョーは同行していたリオール皇子に、温泉の有用性を説くことにした。
リオール皇子は有用性は認めてくれたが、ではどうしたら良かろう、とイタチョーに返した。
そこでイタチョーは故郷を忘れないためにも、リオール皇子の協力のもと、この温泉宿兼小料理屋を作ったのだという。
ただの食堂よりは、せっかく湧き出た温泉を有効活用したほうがいいに決まっているし、何より日本人のイタチョーにとって、毎日温泉に入り放題というのは非常に魅力的だった。
そして今では、街中の人間が温泉のとりこになりつつある。
「へえ、それは良かったね」
「うむ、イタチョーに力説されてオンセンヤドなるものを作ったが、まさかオンセンがこれほど素晴らしいものだとはな」
リオールが腕を組んで唸るように言った。実際、彼も温泉の魅力に取りつかれた一人らしい。用もないのにここにきては温泉に入り浸っているのだとか。
ちなみに、ここでたまに提供している日本食はイタチョーが初めに持ち込んだ段ボール箱の中身を使っているので、もう残りはわずかだという。これが尽きたら、日本食はほぼ作れなくなってしまうそうだ。なんてこった。
「すでに今回提供したもので、お好み焼きとカレーは最後だ。調味料も作ろうとは試みているが、今のところ自家製では味噌しかできていないな。まあ、もうすぐ醤油はできそうだが。あと米麹とか、ぬか床かな」
「え、味噌とぬか床? ちょうだい、ちょうだい」
グイッとイタチョーに顔を近づける私。
それはそうだろう。味噌とぬか床があればそれだけでも……。く、ニヤニヤが止まらない。しかも醤油に米麹までもうすぐできるって!? それはもう……我が家に勧誘するしかないでしょう。
「お、おお。嬢ちゃん、その年で味噌とぬか床にここまで食いつくとは。なかなか渋いな」
まあ、中身の実年齢は子供じゃないからね。見た目詐欺だからね。
「醤油と米麹って、完成までにあとどれくらいかかる?」
「そうだな、あと二ヵ月もあればできるだろう。この世界には魔法とかいう、けったいなものが存在するからな」
けったいって、おっさん。まあいいけど。
「いやまあね。ところでイタチョーさん、我が家に来ない?」
たぶんこの世界に来て初めて、私は自分から同居人に誘ってみた。
しかしあっさり断られる。
「すまんな、嬢ちゃん。お誘いは嬉しいが、俺はこの温泉宿を離れたくないんでね。ここは俺の勤めていた旅館を模して作ってある。何年経っても鮮明に故郷を思い出せるようにな」
懐かしそうに目を細めるイタチョー。
私はそもそもそこまで日本に思い入れがないので、この方法で帰還するのはほぼ百パーセント不可能だろうが、イタチョーなら帰れるのかもしれない。
だがしかし。日本食にだけは未練が残る。食べ物の恨み(?)は怖いのだ。
とはいえ、よくよく思い返してみれば、ミネアの父親が研究していたお餅はナセルの迷宮で発見されたということだった。
ならば、イタチョーがだめでも、もしかしたらその迷宮には日本食材が眠っているのかもしれない。まだまだ日本食材を諦めるのは早いということか。
あと、お米は初めにイタチョーが飛ばされたリセリッタ村で、少量だけ作っているらしい。しかも!
「もち米もある」
重々しく呟かれたその言葉を、真の意味で理解できたのはもちろん私だけだろう。そしてそこに食いついたのもまた当たり前と言える。
考えてみれば、イタチョーは開店祝いに紅白餅をご近所さんに配っていたのだ。もち米、作ってて当然だよね。まさか日本から持ち込んだ貴重なもち米を紅白餅にして、ご近所さんに気前よく配りまくるとは思えないしねえ。
「ムムム、もち米かあ」
何を作ろうか。焼き餅、お雑煮、お汁粉、おはぎ……
「ところで小豆とか大豆は?」
「ない」
めいっぱいの期待を込めた私に、無情にもきっぱりと首を横に振るイタチョー。
聞けば、味噌や醤油は大豆とは別の豆を使って開発しているらしい。
「そ、そんな……餅ができるのに餡子も黄な粉もないなんて」
それはまさにタルタルソースのないチキン南蛮。銀杏のない茶碗蒸し。あり得ない。
「そりゃあね、はちみつとかお砂糖でも美味しくいただけるよ? お雑煮もお味噌でもいけるよ。でもさ、黄な粉も餡子もないなんて」
あんまりだ、と打ちひしがれる私を不思議そうに見ている同行者一行。
「話が全く見えないが、リンは何にここまでがっかりしているんだ?」
「食べ物の話だろ?」
ラティスとスレイが顔を見合わせる。
「まあでも、リンにしては珍しいくらい表情が出てるわね」
「なんだかひどく失望したような顔だけどな」
アリスとミネアが面白そうに私を指差す。
「というか~リンは来訪者だったのですね~」
「道理で~空気が違うと~」
マナカとヴェゼルが顔を見合わせる。
その二人の会話にハッとして一同が騒ぎ始めた。
「本当だわ。リンのことだし、あまりにも違和感なく会話してたから、思わずスルーしちゃった」
「確かにな。しかし来訪者か。道理で色々規格外なわけだ。何があってもリンだから、で納得してしまっていたな。反省しなくては」
何となくもう驚かなくなっていたと言うアリスに、フェイルクラウトが頷く。って、何気に失礼だな、おい。
リオール皇子は、と振り返れば、ぽかんと口を開けて私を見ている。
「皇子? そんなに口開けてると顎外れるよ」
あとアホの子に見えるよ。言わないけど。
「あ、ああ。リンは……」
「ん?」
「リンは来訪者だったのか」
「ああうん、一応」
「一応? とにかく来訪者なら、ストル王子には俺から話を通してリンにも魔法陣を……」
提供しよう、と言いかけたリオール皇子に、即座に私は首を横に振った。
「いいのか? 一生元の世界には帰れないぞ。よく考えて……」
「考えても無駄だよ」
だって、この方法では私は帰れない。間違いなく。
今ではもう、鮮明に思い出せるのは食事くらいのもの。日本の風景なんてとうに忘れてしまったよ。
想いの強さが世界をつかみ取るというのなら、私は間違いなく無理だ。
そう言うと、リオールはほっとした顔で頷いた。魔法陣作るの大変そうだからね。私の分を作らなくて済んで安心したのかな?
ともあれ、イタチョーととことん話をして。
翌朝、私たちは全員目の下に立派なクマを作っていたのだった。
3 もち米と蒸し器、臼と杵
結局、イタチョーの話をじっくり聞いていたら明け方近くになってしまった。
本当はできれば日帰りでと思っていたけど……まあ、なんとなくこうなる気はしていたよ。バッチリ宿に部屋用意してあったしな。
しかもよくよく聞いてみると、来た時に使った転移門はそう頻繁には使用できないらしい。あれは城や重要な砦なんかに設置されているもので、行き先を自由に設定できるんだけど、防衛の観点から使用できる者や頻度に制限がかけられているのだそうだ。
まあ、今回だってストル王子が色々と理由を作っていたわけだしね。そりゃ、一般人は利用しづらいよねえ。
もちろん一般人が利用できる転移門もあるけど、そっちはメーティル地方とリヒトシュルツ王国とを繋ぐものではない。一般利用できる転移門の出口は特定の場所に決まっていて、他の地点には出られないのだ。
ってわけで、この地に……というよりお米に未練たらたらな私は、農園留守番組代表(?)の蚊トンボを喚んで事情を話し、二、三日ここに留まることを告げた。
「そんなことになる予感はしとったわ」
呆れたようにため息をついて、蚊トンボが言う。妖精とは名ばかりの、くたびれたおっさん顔の生き物だ。
「お嬢の行動パターンはだいたい把握済みや」
「え、そう?」
「そうや。まあ、農園のほうは任せや。二、三日ならあっしらでなんとかするわ」
案外頼りになるのだ。蚊トンボも。だが、そのドヤ顔はやめろ。イラッとくるから。
ともあれ、そんなわけで私は朝から温泉を堪能していた。
やっぱり温泉の醍醐味といえば、朝風呂だよねえ。
明るいうちに入る温泉は格別なのだ。しかもこの温泉、露天風呂つきで、ちょっとしたなんちゃって日本庭園が見えて郷愁をそそるよ。こういうところに来ると日本が懐かしくなるし、ちょっと帰りたいかな、とか思ってしまうね。
それはそれとして、私は温泉に浸かりながらずっとあることを考えている。
「うーん、リンって出会った時とあまり変わらないわね。可愛いから、個人的にはこのままでいいと思うけど」
「そうね~来訪者だからなのかしら~」
一緒に温泉に浸かっていたアリス、マナカが口々に言ってくる。
ミネアは無言で私を見て、ふっと笑った。
うん、視線が私の胸に固定されているのはなぜだ。あとアリス、個人的意見はとりあえず心に秘めておいてくれ。
それと、私は一言物申したい!
「言っとくけど、これでもちょっとは成長してるわ!」
余計なお世話である。そのかわいそうな子を見るような視線はヤメテ。
確かに私の胸はここに来たときからあまり成長してないかもしれないが、それはこの体がゲームのアバターのようなものだからだ、たぶん。だって日本にいたときはそれなりにあったし!
というか、君たちが大きすぎるんだよ! 重くない? 肩凝らない? みんなプロポーション良すぎないか? なんだかすごく理不尽だ。
でも、なんか言ったら負けな気がする。
ところで、さっきから考えているのは、もちろん胸のことではない。断じて。
それは食事のことだ。イタチョーの勧誘にはあっさり失敗したが、調味料を分けてもらう約束はしたし、ここにいる間は作れる範囲でなら和食モドキも作ってくれるとのこと。それはとても嬉しい。
だがしかし、帰ったらまた和食からは遠のくよねえ。
「どうしました~リン~」
マナカの問いに、私は正直に答える。
「帰ったら、もう和食は食べられないんだなって。まあ、お米は分けてもらえるけど」
「リンは食欲の塊だな」
「今さら何を言ってるの、ミネア。当たり前じゃない」
ミネアの言葉を力強く肯定する私。
いや、だって考えてもみてよ。
「美味しいご飯を食べれば、それだけで気力が湧くでしょ? 反対にまずいご飯だとやる気なくなるじゃない。それが故郷の一番なじんだ味なら、なおさらだよ」
「確かにリンの言う通りね。食事は大事だわ」
アリスが深く同意してくれる。さすがは食材ギルド職員。わかってくれたか。
にしても、そろそろ茹ってきた。湯あたりする前に上がらないとね。温泉は自分が思っている以上に体を温めるし、体力も失うのだ。
私たちは二階に作られた休憩処で椅子に座って、ゆっくりとお茶をすることにした。もちろんケーキも忘れずに。
湯上がりに甘いものは最高だよね。出てきたのは、季節のフルーツをたっぷりと盛り込んだフルーツタルトだった。甘すぎなくて、すごく美味しい。
ちなみに男性陣は少し離れた席でなんだか小難しい話をしている。
どうやらリオールとフェイルクラウトが中心になって、差し支えない範囲で情報交換しているようだ。
リオールはラティスたちの冒険譚にも興味津々で、色々質問もしている。
ちなみに、ヴェゼルは私たちと一緒にケーキを美味しそうに食べている。子供だしね。
ラグナ少年はこちらの様子をチラ見しながらも、来る様子はない。なんとなく顔が赤いけど、湯あたりでもしたのかな?
もちろん、グリーは私の隣に座って人間の姿でケーキを食べている。彼は意外にも甘いもの好きなのだ。
それにしても、だ。
とりあえず、お米ともち米は分けてもらえることになっている。イタチョーが知り合いの農家に話をつけてくれるらしい。
まあ、見返りとして某会社とゲームとのコラボ製品である調理器具のいくつかを譲ることになっているが。ゲーム時代のネタアイテムのほうが、この現実世界ではお役立ち。意外ですね。
ともあれ、お米を貰ったらスキルで苗にして、家の庭に水田を作って植えよう。これでお米に困ることはないと思うと、今からにんまりしてしまう。
「リンが~何か変だわ~」
「うーん、さっき話してたお米とやらの調理法でも考えているのかしら?」
アリスさん、鋭い。
「フフフ。お釜は家にあるけど、問題は蒸し器だねえ。それに臼と杵」
私は美味しいものを手に入れるための労力は惜しまない。
「ウスとキネ? って、何?」
アリスが知らないのも当然だ。
「お餅を作るのに必要なんだよ」
幸い家には、レッドドラゴンのオルトも、ブラックドラゴンのメロウズもいる。力はあり余っているし、餅つき要員には事欠かない。
であれば、やはり臼と杵を用意してつきたてのお餅をいただきたい。
そうなると、まずはもち米を蒸さないといけないだろう。イタチョーはどうやらリオールの紹介でやってきた従業員に、スキルと魔法を駆使してもらってお餅を作ったらしいのだが。
「『蒸し器』って、どんなものなの?」
アリスに聞かれてちょっと首を傾げ、頭の隅から記憶を引っ張り出す。
「えーと……」
思い出しつつ紙に絵を描いて説明する。
「こんな感じで、ここに水を入れて蒸気で調理する道具なんだけど……」
「あら、これならヴィクターに作ってもらえばいいんじゃない?」
アリスの言葉に、はっとした。
そういえば、うちには樽……もとい、腕のいいドワーフの鍛冶師がいたじゃないか。武器防具以外にも、詳しく説明すれば調理道具だって作れるに違いない。
これで蒸し器の問題は解決だ。材料となる金属は、この街の鍛冶屋か道具屋を回れば適当なのが見つかるだろう。
あとは臼と杵か。こちらも絵を描いて説明してみる。
「そうねえ、これ材料は木なの?」
「そう」
「それなら~私の~知り合いに~腕のいい木工師がいるわ~頼んでみましょうか~」
「本当!?」
ぜひ、と勢いよく頷く私に、マナカが乾いた笑みを浮かべる。
「本当に~食べることが~お好きなんですね~」
そう言って、なぜかヴェゼルがキラキラした瞳で見つめてくる。少年よ、今の会話のどこにそんな尊敬の眼差しを向ける要素があったのかね? 思わず、じっと見つめ返してしまった。
「この子~少し変わってるのよ~」
……少し? マナカの言葉にも、つい首を傾げてしまう私なのだった。
「それはともかく~、木工師に頼むのは問題ないのだけど~」
「何か他に問題が?」
「素材の木よ~。なんでもいいのかしら~」
「あ、そうか」
素材はなるべく丈夫で壊れにくいものでないとダメだよね。なにせ餅をつくのは……
脳裏に浮かんだのは、もちろんオルトとメロウズの竜コンビだ。力加減などできるだろうか?
「ううん、とにかく丈夫な木じゃないとダメだな。竜が踏んでも壊れないくらいに」
私の言葉に、アリスは眉を寄せて考える。
「そんな木あるかしら」
「丈夫なだけでいいならグレアーの木があるぞ」
うーん、と悩んでいると、いつの間にか側に来ていたリオールが唐突に声をかけてきて、驚いて振り返った私は思いきり彼と頭をぶつけてしまったのだった。
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