扉〜とびら〜

直哉

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扉〜とびら〜

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 階段から、子供が落ちてくる。次の場面は女に泣きながら、謝り続けている。その場面のいずれにも、香水と華やかなオーラが、妖艶な色となって画面を塗りたくっている。決まって最後は、静かに横たわる子供。途切れる画面。
 
 トモヤは、両親と同居している。しかし、本当の両親ではなく、実の父親は商社を経営。実の母親は、モデルとして活躍していたらしい。
 二人の出会いは、有名ファッションデザイナーの、パーティーだった。
 そして、実母は、トモヤの出産の一年後に、第一線に復帰した。

 幼いトモヤは、千代田区九段にある、実父の実家に預けられることが多くなった。ヤマザキ家は、千代田区九段に家を構えていた。
 そこには、実父の母タエと、兄で一級建築士の資格を持ち、大手ハウスメーカーに勤務するコウゾウと、妻リョウコ、姉で宮内庁勤務のカズエが、ひとつ屋根に暮らしていた。
 そして実父は、ヤマザキ家では、異端児だった。生活は派手で、神楽坂に家を構え、自分用と妻用に、二台のモーガンという高級車をイギリスから取り寄せた。また、交友関係の広さと、酒の飲み方は半端ではなかった。

 実母は、仕事の忙しさから、実父の家族の多さをいいことに、トモヤを実父の実家に、ずっと預けていた。たまに、連れて帰っては、母親面をしたが、トモヤは、女を母親とは認めず、ぐずった。次第に実母は、育児ノイローゼとなった。結局、トモヤにチャイルドアビューズ(幼児虐待)をするようになった。これが、実父と実母の離婚の原因のひとつになった。
 それと、同じ頃、実父の会社は倒産した。
その実父が、残したものは、多額の借金とトモヤだけだった。
 借金の連帯保証人となっていた、タエ、コウゾウ、カズエは借金返済のために、九段の家を売り払うことで、どうにか借金は返済できたが、ヤマザキ家のタエ、コウゾウ、リョウコ、カズエそして、トモヤは、東京の郊外に引っ越す事になった。

 幸い、コウゾウとリョウコの間には、子供がおらず、トモヤも、九段の家に、長らく預けられていることが多く、またリョウコにもよく懐いていたため、養子という形が、一番自然だった。
 そして、東京郊外の新天地では、表向きには、問題のない、上品な家族として、ご近所からも扱われてきた。
 ヤマザキ家は、古風なところがあり、「品格」を重んじるため、トモヤの小さい頃から、礼儀作法を重んじた。  
 その先頭をきっていたのが、宮内庁勤務で、実父の妹のカズエだった。五十歳をすぎても未婚のカズエは、仕事柄、血筋の良い友人が多く、よく、トモヤを、そのような大人と接する機会を設けた。それをタエも喜んだ。
 トモヤは、子供ながら、理屈などでなく、本能によって、生きる為には、大人に気に入られなければならないと思い、「大人に好かれるいい子」を演じるように努力した。
 よってまわりの大人への接し方が、幼いながら、きちんとできていた。
 トモヤは、生を受けてから、まだ五年だが、本来子供の特権である「奔放さ」を、生きるために封印した。この小さな体が経験した出来事がそうさせた。
 同じ年頃の子供達は、「純粋で奔放。そして残酷」だから、苦手だった。それよりも、大人と話すほうが楽だと思った。
 次第に、ヤマザキ家で、生き抜くためにトモヤは、人間関係を計算するようになった。「いい子」と呼ばれるように。そうなることで、家族(大人)から愛されるように。
 当時、トモヤの一番の友達は、近所にいる子供達でもなく、ミニカーだった。彼らには、変な気遣いは無用だ。

 孫としてトモヤのことを、可愛がってくれたタエが亡くなった。ちょうどトモヤが、小学校六年生の時だった。
 おばあちゃん子だった、トモヤはタエとの思い出が蘇り、ひどく悲しんだ。もう会えないと思うと涙がこぼれた。

 トモヤは、味方が一人減ってしまった気持ちになった。

 
 トモヤは中学生になり、思春期に入ってからは、幼少期のような「いい子」を、装うことが難しくなり、育ての両親であるコウゾウ、リョウコとの喧嘩が頻繁になった。ただし、トモヤは、コウゾウとリョウコには、日頃から養子として自分を育ててくれたことに、感謝していたが、言葉に出すことができなかった。
 なぜだか、好きな人ほど、言葉で傷つけてしまった。逆にコウゾウも、トモヤのことを言葉で傷つけた。
「お前は、あいつの子だから、ろくなことしない。嫌なら、出て行け」
 と、トモヤを叱るときに、コウゾウが度々言った。

 トモヤは、理解に苦しんだ。悪い事をして怒られるのは、当然としても、ヤマザキ家では、疎まれている実父と比較されることに、釈然としないどころか、駄目な理由が遺伝子レベルにあるように言われることが許せなかった。
 それでも我慢した。飛び出しても、中学生が、どう足掻いても生きて行けるわけがない。いや、どうにかなるかもしれないが、トモヤにとっては、それが得策でないと思ったからだ。
 
「今は辛抱しよう。生きることが楽じゃない事は、実父が命をもって証明してくれた」
 トモヤは、うつむいたまま呟いた。
 もうすぐ、別のエリアに避難できる。嫌なことがあった日は、自分の部屋に鍵を掛け、泣きながらカッターで手首にある治りかけの傷を、さらに傷つけた。
 手首を見ているはずが、頭の中に映像が広がり始める。

「階段から、子供が落ちてくる。次の場面は女に泣きながら、謝り続けている」
 画像はそこで途切れて、また手首を凝視していた。
 赤い血を見ながら、この血の色では死ぬことはできない。さらに、もっと深く傷つけなければと思うほど、意志とは逆に、カッターを持つ手から、チカラが抜けていった。
 あとに残された痛みが、トモヤにこの世で生きている実感を与えた。

 普通の子供になりたい。
 普通に女の子のことが、好きになれたら。
 
 涙と汗で歪んだ視界には、窓の外の新緑が、力強い青で、そよ風に、さーささーと、ゆらぎ輝いていた。
 
 
 香田は、リュウを指名してから、今日で六回目になった。その持ち時間は、一二〇分。時間の半分以上は、相変わらず、香田の仕事に対する愚痴やゲイ社会への質問だった。
 リュウにとって、香田の話は特に目新しいことは無かったが、それでも、香田が笑いながら、また真剣な面持ちで話しているのを見ているだけで、幸せだった。
 そして、香田のそれは、リュウの陰茎をしっかり受け入れるようになっていた。
 客とボーイという、立場をうっかりすると忘れてしまいそうになるほど、お互いが求めあった。
 ドロドロと流れ出る、甘い水飴のような感覚だ。水飴の質なんて関係ない。それが、自分にあっているか、どうかのほうが、重要なのだ。それは、舐めれば、舐める程、喉が渇く。つきない煩悩。
 
 煩悩をむさぼりあったあとの二人は、無性に腹が減った。何かを確認し、達成するには想像以上のチカラが必要だった。 
 ベッドの中で、「何、食べようか?」などという定番の台詞を、どちらともなく切り出すが、結局、店はおおかた決まっていた。
 二人は、シャワーを浴び、服を着て玄関の扉から出る直前に、口づけを交わした。
 
 香田が来週も、必ず指名してくれることはわかっていた。
なのに、不安で寂しい。
「リュウ君、いつもの駅前にいるから」
「ウッス。わかりました。店での清算済ませてから、急いで行きますね」
 リュウが、部屋の扉に鍵をかけながら言った。
 
 正面に、東京タワーと六本木ヒルズが並んで見える。
 人間性を持ち、暖色系の東京タワーと、とてもクールで機械的な、寒色系の六本木ヒルズ。とても対照的だった。
 二人は、その対照的な建造物が収まるフレームの中にいた。
「香田さん、今日も中華食べたいんじゃないっすか?」
「よくわかったねぇ」
「でも、なんでニンニク苦手なのに、餃子は大丈夫なんっすかね? わけわかんないっすよ」
「え、そうかな。単体だと駄目だけど、混ざっていると大丈夫なことって、あるよね」
「そんなもんっすか?」

 二人は、いつもの中華料理屋に入った。
 店は、L字型のカウンターと、いくつかのテーブルしかなく、客が出入りすると、座っている客が背筋を伸ばすか、席を前に詰めないと、ぶつかるような狭さだった。今夜も会社帰りのサラリーマンや、若者で賑わっていた。
 味は平均点だった。不味いと言うものもいなければ、特筆に、うまいというものもない。どこにでもあるような、ラーメン、レバニラ炒めなどを中心としたこの店は、濃い味付けや店の雰囲気から、男性客がほとんどだった。九五%は男性客だ。
 厨房では、大きな黒い中華鍋を、初老の男性店員が不機嫌に、振っていた。もうひとり中年の男性店員がいるが、こちらも愛想という言葉は存在せず、淡々と事務的に仕事をこなしていた。

 二人は、店のL字型のカウンターの角に座った。
 香田は、五目ラーメンと餃子を、リュウは、ビールと餃子を注文した。
「リュウ君は、酒好きだね。この前も注文していたよね」
 香田が、目尻を下げながら微笑んだ。
「勿論、好きっすよ。酒抜きの人生なんて、考えられないっすよ。香田さんは、酒は全くダメなんっすよね」
 リュウは、ビールを一気に流し込むと、安価な赤いカウンターテーブルに、ビールジョッキを置いた。
「香田さん、今度デートしようよ。もし、良ければの話だけど・・・。」
リュウは、香田の顔を、見る事ができず、店のテレビ画面を凝視していた。
 人に否定されることに臆病だった。香田の気持ちがわかっているはずだったが、確信がもてずにいた。もし、嫌だと否定されたらどうしようかと。
「良いの? リュウ君、店の外で、飯食えるだけでも嬉しいのに。誘ってもらえるなんて」
 答えを聞き、リュウは安心して、凝視していたテレビ画面から、香田の顔を見ることができた。
 餃子を頬張った。ビールジョッキに残った、中身をいっきに飲み干した。ビールジョッキを握った際に、リュウの高価なリングが当り、カチリと音を立てた。
 その横で、香田は、腹が減っているとはいえ、多めに注文しすぎた餃子と五目そばを、忙しそうに箸が往復している。  
 その行動は、香田を象徴しているかのようだった。リュウは微笑ましく思った。
 

 東京郊外の、丘の上に建つコンクリート製の家。都心から電車で、五〇分程かかる。周り家々は、同じくらいの土地の広さだ。また、広くない庭には、花が咲き誇り、それぞれの家庭の幸せを象徴しているかのようだ。
 春の日差しの中、香田とのデートを胸に秘めたトモヤは、自宅のガレージに置いてある愛車から、ボディーカバーを外した。
 カバーを外され、露になったのは、手入れをされ、奇麗に磨き込まれた。ホワイトのBMW335iクーペだった。そのホワイトのボディは、空の青さを映し込みながら走るのを、待ち望むかのようだった。
 そして、クリームベージュのレザーシート。明るい色調のウッドパネルが選ばれていた。
 これらは、トモヤが、BMWのディーラーより、ドイツにオーダーしてコーディネートしたクルマだった。
 トモヤは、幼少期からクルマが好きだった。ミニカーが友達だったことも多少なりと、関連があるようで、愛車の存在は、トモヤにとって大きなミニカーそのものだ。その証拠に、昔から気に入ったミニカーは誰にも触れさせなかったように、乗ったことがあるものは、ごく少人数だった。

 奇麗にシェイプされた、白地に紺のストライプシャツを着たトモヤは、運転席のレザーシートに身を滑り込ませ、エンジンのスタートボタンを押した。
 優雅なクーペのボディースタイルとは反対に、忽ち、野太い威圧的なエンジン音が響いた。
 少し遅れて、車内には、ショパンのノクターンが流れ始めた。
 
 青い空の下、住宅街。白いクーペに、町並みや道端の木々を映して下っていく。
 開けたサンルーフからの風が、シャツの襟を優しく撫でた。

 トモヤは、一生この瞬間が続けばいいのにと思った。
 
 香田と待ち合わせしている、恵比寿のロータリーに着くと、すでに彼は待っていた。香田はいつものような、紺のアウターに、インナーはシャツを合わせた、清潔感のある服装で立っていた。ガッシリとした体と短めの髪型がよく似合っていた。
 香田に、クラクションで合図したが、車種を教えていなかったことから、すぐにはリュウとはわからなかったようだったが、二度目のクラクションで、やっと香田が運転席のリュウを確認すると、嬉しそうに、リュウのクルマに乗り込んできた。
「びっくりしたよ。これ自分のクルマ?」
「勿論、自分のクルマっすよ。でも、親にも少し援助してもらったんっすけど。でも月々の支払いは許容範囲内っすから」。

 トモヤは、免許を取ってから、数台のBMWを乗り継いだ。最初のクルマは、親から買ってもらった。その後は、購入資金の一部を出してもらっていた。このクルマを購入した際も、その下取り金額を基に、残りはローンを組んだので、月々の支払い金額も、無理した金額ではなかった。
 それよりも、このクルマに乗るために、カラダを売っていると思われるのではないか。また、月々の生活費が逼迫しているから、そういうことをしていると思われるのではないか。と思われることが嫌だった。自分のプライドのために、「支払いは許容範囲」などと付け加えてしまった。

 香田は、リュウのクルマに乗ってからも、落ち着かなかった。自分が普段使っているクルマとは違い、乗り心地もいいはずだが、なぜか、居心地が悪かった。
 その頭の中では、ここ数ヶ月の自分が変わってしまったこと。タブーを日常にしてしまったことなどが、巡っていた。
 薫とのセックスと男とのセックスは、根本的な部分が違うからと、自分に納得させていたが、男とセックスするときは、以前まで、自分の彼女がしていた体位になり、受け止める側になることへの、違和感が気持ちをムズ痒くさせた。
 なぜか、ふと、学生時代に学校を転校した、初日の気持ちを思い出した。
 自分の体も心も、変わらないのに、環境が変わって、自分自身も変わっていってしまうような、変わっていかなければいけないような、妙な不安。いずれ、この違和感も時間が解決してくれるのか。
 
 不思議なことに、リュウと会ってからは、女に欲情しなくなった。かわりに、男が目に入るようになった。
 香田の職場には、若い男が多かった。弁当を配送するドライバー達が、視界に入り込んでくることが多くなった。
 だが、薫と付き合っていた頃までは、彼らと一緒に風俗に行ったこともあった。そんな彼らに、今の自分のことは理解できるはずもないだろうと思っていた。
 職場では、自分のことが見破られないように、なるべく、男を見ないように留意していた。
 
 リュウのクルマの車窓から、広尾の町並みを眺めながら、初めてリュウを指名した時を、思い出した。
 そのルックスに、ゲイにしておくにはもったいない。
 女に不自由しないだけでなく、男からも好意を持たれるだろうと思った。だから、話すまでは、高飛車なのではないかとさえ思っていた。しかし、自分が話をしている時、リュウが話を真摯に聞こうと、真っすぐに目を見つめられた時、印象が良い方向へと正反対に変わった。
 昔から緊張すると、顔や、手足が熱くなった。
 だから、リュウに見つめられたときも、ハンドタオルで、額を拭いていた。
 社交辞令とはいえ、仕事について励ましの言葉は、リュウの優しさに思え、とても好印象だった。
 めまぐるしく変わる環境に、つい最近のことが、懐かしくさえ思えていた。

「香田さん、昼って食いました?」
「あっ、まだ食ってないや」
と、考え事をしていた香田は、少し慌てた返答になった。
「そういえば、餃子の美味い店知ってるんっすよ。行きませんか?」
「リュウ君のお勧めなら、間違いないね。楽しみだよ」
 香田の優しい笑顔が、リュウに向けられた。
 
 リュウが、大きめの餃子にかぶりついた時、皮を破り、そこから、香ばしい油の香りと肉汁のスープが口の中であふれて、幸せな気分になった。
 何気なく、今食べた餃子の断面を見ると、白みがかったピンク色をした豚肉に、鮮やかな緑色のニラが点在した。
 二人は、中華料理屋の大きな回転する丸テーブルに、他の客に混じり相席していた。リュウの隣に座っていた香田も、えらく気に入った様子だった。
 普段からこの中華料理屋の餃子は、人気があり、雑誌には、幾度も掲載されていた。
 休日にもなると、長蛇の列ができることもあった。

 トモヤも会社の昼休みによく、会社の同僚や先輩と食べに来ていた。
 あるとき、朝の番組の名司会者が、窓際で、彼のマネージャーと思わしき者と、この店で餃子を食べているところを目撃した。
 すかさず、会社の同僚が言った。
「あれ、朝顔一郎だよね、朝の番組を体調不良で休んでいたはずなのに・・・。元気そうだな。しかも店の中で、携帯で話まくっているなぁ・・・」。
 日頃から、事件などで、人の倫理などをコメントする名司会者は、時に熱く感情を込めて倫理について説いていたが、プライベートの彼の行動に、みなで閉口したことをトモヤは思い出していた。
 やはり銀座という場所柄、有名人もたびたび見かけた。
 
 香田は、ニンニクは入っている餃子でも、大丈夫と言っていたが、ここの餃子はニンニクが入って無い。そこも、えらく気に入ったようだった。
 しかし、二人は、店では多く会話を交わさなかった。ランチタイムの混雑する店では、長居は無用だ。
 お互い社会人として、暗黙の了解のようなものを心得ていた。
 春とはいえ、混雑する店内は暑く感じられた。そのぶん、外に出た瞬間の心地よい風が、二人を癒した。
 そして、リュウにとっては、心地よい街だが、香田にとって、窮屈に感じるに違いないと思い、海へのドライブに誘った。
 
 海に向かうと告げられた香田は、海なんて何年ぶりだろうと思った。最後に行ったのは・・・。
 薫とは行ったことがないから、その前の彼女と行ったきりだったことを思い出していた。
 当時の彼女と聞いた、ドリカムの題名は忘れたが、曲のフレーズだけが思い出された。助手席に流れる車窓の景色を眺めながら、自分の心の中を散歩していた。

 二人を乗せた、ホワイトのBMWのクーペは、一時間ほど高速を走り、マリーナを望むことがきる公園の駐車場に着いた。
 マリーナのバースには、大小様々な船達が係留されていた。純白の豪華なクルーザーや、帆を高く上げているヨット。それらは、マリーナの湾内にできた、小さな波に緩やかに、やさしく揺れている。  
 その揺れに二人は、今を重ね併せて同様に揺れていた。
 
 二人は、公園の小高い丘へと続く階段をのぼり、海に面した柵に上半身を預けた。
「俺、前にここで、マリンウェアの撮影したことあるんっすよ」
「リュウ君は、やっぱりモデルなんだ。そんな気がしていたよ」
 香田が言った。
 リュウはその仕事で、この場所を知った。雑誌の撮影内容は、極寒の真冬に着るマリンウェア。ちょうど十一月中旬ということもあり、寒いから丁度いいと思っていたが、この日に限って、温暖化の影響か、ニュースでも、「本日は、日中は日差しに恵まれ、汗ばむ気温になります」という予報。実際、日中は汗ばむ気温になり、極寒用ウェアは、中綿やインナー付きばかり。製品としてクオリティが高いだけに、その日差しのなかでは、クオリティの高さが「お節介」に感じながら、顔のテカりを防ぐことに苦労したことや、カメラマンの怪力女性新人アシスタントが、折りたたみ式のレフ版を、折り畳む方向と逆の方向に力をいれてしまい折れたことなど。撮影中のたわいのない笑い話を、香田に面白おかしく話した。

 一艇の純白のクルーザーが、春の暖かな太陽の日差しを受け、悠然と沖に向かって進んで行くのが見えた。

 そして、春の黄色い日差しのなか、互いの好意による変化が起きた。

 リュウは、香田に対し、演技することが、苦しくなっていた。それは、いつもの、客に対してする口調。店でのキャラクター設定だった。それは、リュウとトモヤを分ける、「一線」。
 トモヤの演じるリュウは、明るく親しみやすい印象だった。今を楽しく生きる、単純な若者を演じた。カレを演じるときは、何を言われても本当の自分に対する評価ではないから、傷つかなかった。 
 心許せるもの以外との会話には、細心の注意を払っていた。自分が弱いことも、拭いきれない経験から、気持ちが歪んでいることも承知だった。知っているからこそ、防御する「壁」が必要だった。
 
 その「壁」には、「扉」が付いていた。カレと話して、見つけられる者と、カレによって、「扉」の存在を告げられる場合もあった。
 しかし、大抵は壁すら見つけることも不可能だが。

 リュウは、香田に、ヤマザキ トモヤが本名であることを打ち明けた。香田に隠してきた、歳、仕事、家族の事、残りのひとつ以外を打ち明けた。
 そして・・・。
 彼氏がいることも・・・
 香田に打ち明けた。
 
 香田は、リュウに彼氏がいることは、うすうす気がついていた。だから、驚きはしなかった。それよりも、自分に洗いざらい正直に、打ち明けてくれたことが嬉しかった。
 
 春は風が強い。それに、少し目を細めながら、香田はトモヤに言った。
「俺のこと、もし嫌いならしょうがないけど、俺は、リュウ君じゃなくてトモヤのことが好きだ。だから、体を売る仕事を辞めろとも言わないし、俺が指名することで、トモヤの役に立てるなら、これからも、変わらずに指名するから。それに、トモヤは、俺のこと、客って思っていれば、彼氏との関係にも影響無いだろ。今まで通りだろ?」
「それじゃ、香田さんが幸せになれないよ」
「俺は、三年も付き合っていた彼女と別れた理由が、二股の末の結婚だったから深く傷ついていた。さらに、職場の移動では、今まで以上にキツい部署に配属されて自棄になっていた。そんな時に、トモヤに会えて癒されたし、元気にしてくれた。だから、なんだか吹っ切れた。感謝しているんだ」
 香田が言った。

「こちらこそ。俺も、香田さんに会ったときから好意をもっていましたから。出会えたことも、そんなふうに思ってもらえていたことも、嬉しいですよ」
 と言うと、トモヤは微笑んだ。

「トモヤは、彼氏を優先してくれ。俺は二番目でも三番目でもいいから。なんであれ、今の俺は、トモヤとの関係が、切れることのほうが怖い」
 香田が、トモヤの胸あたりに視線を落として言った。

 トモヤは、香田の手を優しく握った。そして、瞼をゆっくりと閉じて、小さく一回だけ頷いた。
 さっき見た、純白のクルーザーは、どこにも見あたらなかった。
 大きな橙色の夕日が、もうすぐ去ろうとしていた。かわりに、周囲にダークブルーの夜空が現れ、塗りつぶしはじめた。
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