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狂人と詩人と恋をしている者は、想像力でいっぱい。
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その日、晶子が学校に到着したのは、まだ教室に数名しかいないような時間だった。
自宅から学校まで使える路線が一つしか無いため、いつだって少し余裕を持って行動しているつもりだが、今朝はなんだか落ち着かなくて、いつもより一本早い電車に乗ってしまったのだ。
自分を包むブルーグレーのパーカーは、あーちゃんの生配信復活記念のつもりだ。本当の理由は、背中から当たるクーラーの寒さ対策であり、もっと本当の理由はきっと、配信に参加する勇気が無い癖に、カイリ様とあーちゃんの距離が近づいて行っているような、そんな推す側が持ってはいけない焦燥感のようなものを誤魔化すためである。でもこれで、きっと心も体も暖かいはずだ。
もう間もなく朝のホームルームが始まるという頃、教室の前側の扉から慌ただしく入って来たあーちゃんが、晶子のそれに気が付いたようで、指を差して笑った。「早く席につけー!」という教師の声が廊下から聞こえてくる。その声に押されるようにして走って入って来た酒井の姿に、晶子の胸からドクリと音がした。少し、息が苦しい気がする。長身で猫背気味の酒井は、まだ治っていないのだろうか、マスクをしていた。そのため表情は伺えないが、それでも久しぶりに見る姿に晶子は妙に落ち着かなくなった胸に手を当てて、ほおっと息を吐いた。
(あーちゃんが変なこと言うから。)
睨みつけるような気分であーちゃんの方に視線をやれば、席に着いた酒井とあーちゃんが、何やら話している。そんな姿をさみしいというかなんというか、複雑な気持ちで見ながら、酒井はもう大丈夫なのだろうかとその背中を心配した。もう一度自分の手を見る。大き目のトレーナーが自分の両手を隠してしまっている。自分の気持ちもこんな風に隠せているだろうかと、その袖を隠れた手でギュッと握った
ホームルームが終わり、晶子は朝の挨拶とばかりにいつも通りにあーちゃんの元へ行く。そして、「おはよう。」と声をかけようとしたちょうどその時、酒井が鞄からブルーグレーの物体を引っ張り出した。
( !!!!! )
あっと思った時にはもう既に遅かった。横までやってきていた晶子と目が合って、酒井が「なっ!」と驚きの声をあげた。
「ご、ごめん!」
やってしまった!―――晶子はお揃いになってしまったそれを隠すように、自分の身体を抱きしめる。すると、いち早くそれに気が付いて振り向いたあーちゃんが、「お!おそろじゃん!」と言って笑った。
「あ、あの、一番後ろの席はクーラーの風があたって、寒くて、えと、それで。」
必死で言い訳をするのだが、しどろもどろになってしまう。こんなとき、うまい言葉が出ない自分が恨めしい。
「早く着たら?」
パーカーを手に持ったままの酒井に、あーちゃんが言った。焦っている晶子のことなどお構いなしだ。それは、晶子にとってはとてもありがたいけれど。驚いたように目を見開いた酒井に、「寒いんでしょ?風邪、ぶり返すよ。」とあーちゃんは言って、早く着ろと言わんばかりに両手を振る。酒井がもう一度こちらを見た。
「わ、私とお揃いなんて、…嫌だよね。」
思わず出た言葉に、晶子は自分が傷ついたのがわかった。酒井がその手を止めたのは、間違いなく自分のせいだと。「そんなわけ無いよねぇ。」と、あーちゃんが笑うが、それすらも酒井にひどく申し訳ない気持ちになる。
「三田は、嫌じゃない?」
トレーナーを取る姿勢のまま固まっている酒井が、上目遣いで晶子を見る。申し訳なさそうなそれに、晶子は「私は、大丈夫だけど。」と急いで頭を横に振り、それがまた恥ずかしくて俯いた。
(やっぱりうまくできない。)
晶子がそう落ち込んでいると、それを全く気にしていないかのように「おい、酒井。はよ着なはれ。」とあーちゃんが言う。そして、いよいよ酒井がそれを着た。自分が着ている時と全くイメージの違う男の子のそれに、晶子は胸の辺りがそわそわと落ち着かない。あれほど迷惑ではないかと思っていた気持ちが嘘のように、恥ずかしくて、嬉しくて、先ほどよりももっと暖かい。
「お揃い、だね。」
申し訳なさをごまかすようにそう言えば、酒井は真っ赤な顔になってしまった。もっと気の利いた言葉が無かっただろうかと、頭の中はぐるぐると渦巻状態だ。しかし、裾を引っ張りながらブルーグレーのパーカーを見せれば、酒井は顔を真っ赤にしたまま「うん。」とだけ言った。
チャイムが鳴る。きっと耳まで真っ赤になっているはずだ。晶子は恥ずかしくなり、「じゃあね。」とだけ言って自分の席へと戻る。席についてもまだ引かない熱に、晶子は両手でその顔を覆い、あーちゃんのバカー!と心の中で叫んだ。
その日の晩もJの配信を待ちながら、晶子はベッドの上でスマホを見ていた。お昼休みにあーちゃんの提案で撮ったお揃いのパーカーを着た酒井との写真。晶子はそれをぼんやりと見つめながら、この気持ちはそうなのだろうかと、そんなことを考える。メッセージアプリに貼られたそれを見るだけで、晶子はふわふわとした気持ちになるのだから、もう認めないといけないのだろうか。
好き。
好き?
好きって、何?
あーちゃんが前に言っていた言葉が、頭から離れない。画面をスクロールして、まだ病み上がりの頃の、驚いた顔をした酒井の写真で手を止める。
(人を好きになるってこういうこと?)
小説でしか読んだことの無いそれに、頭は混乱状態だ。『恋の始まりは、晴れたり曇ったりの四月のようだ。』と言ったのは誰だったか。そんなことを考えながら、時間を確認するが、配信の時間はもう少し先だ。
自分の気持ちを誤魔化すように、そう言えばとカイリ様のSNSを開く。前にアップしていたブルーグレーのパーカーの写真。カイリ様にしては珍しく、いや初めてリアルを晒したそれは、今ではとても懐かしくさえ感じた。
カイリ様もこれを着ているのだろうか?酒井みたいな感じなのだろうか?―――そんなことを思いながら、しばらくそれを眺めていたのだが。顔は映っていないが、その背景を見たことがあるような気がした。それもつい最近。
ふと画面を先ほどのメッセージアプリに戻す。驚いた酒井の顔。その後ろに映るパソコンと壁の色。同じ機種、同じ配置、同じ色。
(カイリ様はやっぱり、酒井みたいな人なんだろうな。)
沸きあがった違和感のようなものは、自分の言葉で打ち消して、いよいよ始まる配信に画面を映す。そして、いつも通り始まったゲーム実況の生配信。
『こんばんは!Jでーす。今日ものんびり生配信、やっていきまっしょう!』
Jが始まりのいつもの台詞を告げる。続々とゲームに入って来る参加メンバーの名前がチャット欄に溢れていく。晶子が見始めた当初、参加者はほんの数名で、しかも途中参加途中退出も多かった。今ではこんなに有名になってしまったことが、ちょっとさみいしい。
『KAIRI023』の名前が表示される。今日は少しでも映りますように願う。するとそのすぐ後に『SHOUJOA』の名前が。
(あーちゃん、平日なのに参加するんだ。)
途端に沸きあがる複雑な気持ち。嬉しい。羨ましい。楽しみ。さみしい。明るい気持ちの合間に差し込む仄暗い何か。なんだか、嫌な性格に近づいてきているようで、晶子は暗い気持ちになる。推しを見つけたことで輝き始めたはずの世界が、また少しづつ陰ってきている気がした。
(明日、ユタ氏と話そう。今日はこれを楽しもう。)
晶子はそう決めて、動き回るJを見つめた。しかし、その日も地下帝国が映ることは無かった。
自宅から学校まで使える路線が一つしか無いため、いつだって少し余裕を持って行動しているつもりだが、今朝はなんだか落ち着かなくて、いつもより一本早い電車に乗ってしまったのだ。
自分を包むブルーグレーのパーカーは、あーちゃんの生配信復活記念のつもりだ。本当の理由は、背中から当たるクーラーの寒さ対策であり、もっと本当の理由はきっと、配信に参加する勇気が無い癖に、カイリ様とあーちゃんの距離が近づいて行っているような、そんな推す側が持ってはいけない焦燥感のようなものを誤魔化すためである。でもこれで、きっと心も体も暖かいはずだ。
もう間もなく朝のホームルームが始まるという頃、教室の前側の扉から慌ただしく入って来たあーちゃんが、晶子のそれに気が付いたようで、指を差して笑った。「早く席につけー!」という教師の声が廊下から聞こえてくる。その声に押されるようにして走って入って来た酒井の姿に、晶子の胸からドクリと音がした。少し、息が苦しい気がする。長身で猫背気味の酒井は、まだ治っていないのだろうか、マスクをしていた。そのため表情は伺えないが、それでも久しぶりに見る姿に晶子は妙に落ち着かなくなった胸に手を当てて、ほおっと息を吐いた。
(あーちゃんが変なこと言うから。)
睨みつけるような気分であーちゃんの方に視線をやれば、席に着いた酒井とあーちゃんが、何やら話している。そんな姿をさみしいというかなんというか、複雑な気持ちで見ながら、酒井はもう大丈夫なのだろうかとその背中を心配した。もう一度自分の手を見る。大き目のトレーナーが自分の両手を隠してしまっている。自分の気持ちもこんな風に隠せているだろうかと、その袖を隠れた手でギュッと握った
ホームルームが終わり、晶子は朝の挨拶とばかりにいつも通りにあーちゃんの元へ行く。そして、「おはよう。」と声をかけようとしたちょうどその時、酒井が鞄からブルーグレーの物体を引っ張り出した。
( !!!!! )
あっと思った時にはもう既に遅かった。横までやってきていた晶子と目が合って、酒井が「なっ!」と驚きの声をあげた。
「ご、ごめん!」
やってしまった!―――晶子はお揃いになってしまったそれを隠すように、自分の身体を抱きしめる。すると、いち早くそれに気が付いて振り向いたあーちゃんが、「お!おそろじゃん!」と言って笑った。
「あ、あの、一番後ろの席はクーラーの風があたって、寒くて、えと、それで。」
必死で言い訳をするのだが、しどろもどろになってしまう。こんなとき、うまい言葉が出ない自分が恨めしい。
「早く着たら?」
パーカーを手に持ったままの酒井に、あーちゃんが言った。焦っている晶子のことなどお構いなしだ。それは、晶子にとってはとてもありがたいけれど。驚いたように目を見開いた酒井に、「寒いんでしょ?風邪、ぶり返すよ。」とあーちゃんは言って、早く着ろと言わんばかりに両手を振る。酒井がもう一度こちらを見た。
「わ、私とお揃いなんて、…嫌だよね。」
思わず出た言葉に、晶子は自分が傷ついたのがわかった。酒井がその手を止めたのは、間違いなく自分のせいだと。「そんなわけ無いよねぇ。」と、あーちゃんが笑うが、それすらも酒井にひどく申し訳ない気持ちになる。
「三田は、嫌じゃない?」
トレーナーを取る姿勢のまま固まっている酒井が、上目遣いで晶子を見る。申し訳なさそうなそれに、晶子は「私は、大丈夫だけど。」と急いで頭を横に振り、それがまた恥ずかしくて俯いた。
(やっぱりうまくできない。)
晶子がそう落ち込んでいると、それを全く気にしていないかのように「おい、酒井。はよ着なはれ。」とあーちゃんが言う。そして、いよいよ酒井がそれを着た。自分が着ている時と全くイメージの違う男の子のそれに、晶子は胸の辺りがそわそわと落ち着かない。あれほど迷惑ではないかと思っていた気持ちが嘘のように、恥ずかしくて、嬉しくて、先ほどよりももっと暖かい。
「お揃い、だね。」
申し訳なさをごまかすようにそう言えば、酒井は真っ赤な顔になってしまった。もっと気の利いた言葉が無かっただろうかと、頭の中はぐるぐると渦巻状態だ。しかし、裾を引っ張りながらブルーグレーのパーカーを見せれば、酒井は顔を真っ赤にしたまま「うん。」とだけ言った。
チャイムが鳴る。きっと耳まで真っ赤になっているはずだ。晶子は恥ずかしくなり、「じゃあね。」とだけ言って自分の席へと戻る。席についてもまだ引かない熱に、晶子は両手でその顔を覆い、あーちゃんのバカー!と心の中で叫んだ。
その日の晩もJの配信を待ちながら、晶子はベッドの上でスマホを見ていた。お昼休みにあーちゃんの提案で撮ったお揃いのパーカーを着た酒井との写真。晶子はそれをぼんやりと見つめながら、この気持ちはそうなのだろうかと、そんなことを考える。メッセージアプリに貼られたそれを見るだけで、晶子はふわふわとした気持ちになるのだから、もう認めないといけないのだろうか。
好き。
好き?
好きって、何?
あーちゃんが前に言っていた言葉が、頭から離れない。画面をスクロールして、まだ病み上がりの頃の、驚いた顔をした酒井の写真で手を止める。
(人を好きになるってこういうこと?)
小説でしか読んだことの無いそれに、頭は混乱状態だ。『恋の始まりは、晴れたり曇ったりの四月のようだ。』と言ったのは誰だったか。そんなことを考えながら、時間を確認するが、配信の時間はもう少し先だ。
自分の気持ちを誤魔化すように、そう言えばとカイリ様のSNSを開く。前にアップしていたブルーグレーのパーカーの写真。カイリ様にしては珍しく、いや初めてリアルを晒したそれは、今ではとても懐かしくさえ感じた。
カイリ様もこれを着ているのだろうか?酒井みたいな感じなのだろうか?―――そんなことを思いながら、しばらくそれを眺めていたのだが。顔は映っていないが、その背景を見たことがあるような気がした。それもつい最近。
ふと画面を先ほどのメッセージアプリに戻す。驚いた酒井の顔。その後ろに映るパソコンと壁の色。同じ機種、同じ配置、同じ色。
(カイリ様はやっぱり、酒井みたいな人なんだろうな。)
沸きあがった違和感のようなものは、自分の言葉で打ち消して、いよいよ始まる配信に画面を映す。そして、いつも通り始まったゲーム実況の生配信。
『こんばんは!Jでーす。今日ものんびり生配信、やっていきまっしょう!』
Jが始まりのいつもの台詞を告げる。続々とゲームに入って来る参加メンバーの名前がチャット欄に溢れていく。晶子が見始めた当初、参加者はほんの数名で、しかも途中参加途中退出も多かった。今ではこんなに有名になってしまったことが、ちょっとさみいしい。
『KAIRI023』の名前が表示される。今日は少しでも映りますように願う。するとそのすぐ後に『SHOUJOA』の名前が。
(あーちゃん、平日なのに参加するんだ。)
途端に沸きあがる複雑な気持ち。嬉しい。羨ましい。楽しみ。さみしい。明るい気持ちの合間に差し込む仄暗い何か。なんだか、嫌な性格に近づいてきているようで、晶子は暗い気持ちになる。推しを見つけたことで輝き始めたはずの世界が、また少しづつ陰ってきている気がした。
(明日、ユタ氏と話そう。今日はこれを楽しもう。)
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