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ブルーグレーのパーカーを着た女神。

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 寝不足とドライアイでショボショボする目を、何度も瞬きすることで誤魔化しながら、チャイムが鳴り終わる瞬間に理人は教室に走り込んだ。今日も間一髪セーフだ。

 理人が「ふぅ。」と呼吸を整えながら荷物を机の上に置いた時、「なにそれー!超かわいいじゃん!」という耳に響く森の声が聞こえて、ふとそちらを見た。


「げっ。」


 思わずそんな声が出た。
 その声は、ざわざわとしたクラスの喧騒に消されただろうが、みるみるうちに顔が赤くなっていくのに気が付いて、理人は慌てて椅子に座り、鞄に隠れるようにしながら荷物を片付けた。頬杖を突き、外を見るようにしてそれを必死で誤魔化す。


「カイリとおそろじゃん!しかも、チョー似合ってる!」


 まわりは煩いはずなのに、森の声だけが妙に頭の中に響く。
 息が苦しい。これは、胃か?胸か?

 教壇では担任が既に何か話し始め、日直によって号令がかかればもう隠れることはできない。一番後ろの席で良かったと、理人は心から思った。


(なんで、そんなの着て来るんだよ。)


 なんと!三田が、あのブルーグレーのパーカーを着ていたのだ。先週、理人が着ていたあれだ。
 三田にとっては明らかに大き目なそれは、彼女をとても小さくて守らなければならないもののように見せている。何より、自分の色を纏っているかのような、妙な恍惚感に気を抜けばすぐに襲われて、思わずにやけてしまうのを理人は必至で隠す。
 すぐ斜め前にいるのだ。目を逸らしても入って来るその色に、理人は顔を上げられずにいた。


(なんなんだよ。畜生。)


 ままならない自分の気持ちにイライラとしたものを感じるが、ブルーグレーが目線に入ればそんな気持ちも、他のざわざわとした気持ちと混ざってうやむやになる。理人の心の中は、乱世のごとく混乱しまくっていた。

 袖の先から少しだけ見える指先。
 肩に載った大き目なフードに触れるかのように揺れるポニーテールの髪先。
 その先にある、少し赤くなった耳。


(うわ。変態か。俺。)


 再び顔を両手で覆う。神々しい女神のような存在を、目の当たりにしてしまったような高揚感と罪悪感。見てはいけない。俺が見れば、彼女が汚れてしまう。―――そんな妄想まで始まってしまう。理人が視線を向ければ、そこからどろどろと黒いものに覆われていく、そんなホラーな映像。それすらも自分色に染めようとしているのだと気が付いてしまえば、理人はもう顔が赤くなるのも息が上がるのも止められる気がしなかった。


(ああ、でも、もういい。生きていて良かった。)


 もう、完全に思考回路が壊れたのだと理人は認め、そして諦めた。そうして顔を上げれば、担任が何かを配っているところで、プリントが前の席から流されている。

 理人が前の席のやつからそれを受取ろうとした瞬間、三田が後ろに回すプリントを手に持ってこちらを向いた。


「あっ。」


 そう言って手を伸ばした時には遅く、プリントがふわりと滑り落ちていく。理人の想いを乗せたかのようにそれは、三田の足元へと床を滑っていった。
 理人が立ち上がるより早く、三田は足元からそれを拾い上げた。ポニーテールがその度に揺れて、触れてもいない理人をくすぐるかのようだ。


「はい。」


 渡されたプリントを無意識に受け取って、「あ、ありがとう。」と妙に丁寧にお礼を言ってしまったことなど気づかずに、理人は三田を見ていた。その黒い瞳が、理人を捉えたのは一瞬だったが、理人にとっては時が止まってしまったかのように感じた。
 三田が一瞬ニコッとして、座り直して前を向く。理人は背を向けられた時にハッとして、やっと自分の今の状況に意識が戻って来た。向けられた背中がひどく寂しくて、それでも渡されたプリントが妙に温かい気がして、理人は呆然とそのプリントの視線を落とした。

 来週からの中間テストの範囲表だった。

 一気に地獄に落とされた感覚に、動悸が落ち着いていく。呼吸を忘れていたかのようだ。空気が身体に入っていくのが、久しぶりのいことのように感じられた。ふうっと一つ息を吐き、手元のプリントを見れば、嫌でも現実に戻される。理人はそれにちょっとホッとしていた。

 朝のホームルームが終わり、もう一度三田に目線を向ける。三田はブルーグレーの袖から少しだけ見える左手で、ポニーテールの髪先を纏めた。


(やっぱり、可愛い。)


 そう思った瞬間に、三田の方を向いて喋っていたらしい森と目が合った。理人は慌てて目を逸らすが、もう遅いだろう。この感じも既に何回目か忘れた。誤魔化したところで意味がないことも、『気がつけば三田を見ちゃう病』を治すことができないことも理人にはよくわかっていた。


(森に何か言われても、知らぬ存ぜぬで貫き通せば良いや。)


 腹を括り、いつ森からのアクションがあるかと待ち構えていた理人だったが、結局その覚悟は無駄に終わり、心を乱されながらも至極であった一日は、相変わらずの睡眠欲に負けながら、あっという間に過ぎて行った。





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