上 下
7 / 39
第1章

【1.1.1】 そこに残されしもの。

しおりを挟む
 既視感のあるそれに、その正体が何であるかはすぐにわかった。助けを求めて、倫太郎が一目散にそれに向かって走る。


「ギン!ギン!」


 恐怖の存在であったはずのギンが、ここでは救世主に見えた。道に迷った子供を、迎えに来た母親。迷える子羊を救う、神と言われるもの。
 彼が本当は一体どんな存在であるかは、今の倫太郎にとってはもうどうでも良いことだ。ただこの不安だらけの状況から助けて欲しい、ただそれだけ。


「なかなか面白い奴がいたぞ。」


 羽でもあるかのようにふわっと下り立ちながら、ギンは楽しそうにそう言った。銀色の髪が、少し乱れている。倫太郎のことなど、今の今まで忘れていたに違いないその様子に、倫太郎はまた泣きそうだ。


「クロ、クロは?」


 倫太郎が思い出したようにそう問えば、ギンは呆れた母親のようにその銀色の目を細めて、「呼んでみろ。」とだけ言った。


「え?クロ?」
「その名前で呼ぶなと言ったはずだ。」


 それは、倫太郎のすぐそこ。先ほどまでと同じように、右耳から聞こえた。
 ふと自分の肩を見れば、自分の部屋にいた時と同じように、肩に座る黒猫がそこにいる。クロは、ゆらゆらとその黒い尻尾を揺らしながら、じっとりと倫太郎のことをにらんでいた。


「どこに行ってたんだよぉ。」


 倫太郎は、今にも泣きそうな自分の声が想像以上に格好悪くて、一瞬恥ずかしさを覚えたが、ここにいるのは心を読める二人だ。それも今更か。―――と、顔もくしゃりと歪ませて、感情のままにうるうると瞳を潤ませた。


「倫太郎。お前、これが何だかわかるか?」


 涙が溜まりかけたその時、楽しそうにギンが自分の横を指差した。何も無い空間であるはずのそこに、何かがゆらゆらと揺れながら、こっちを見ているような気がする。しかし、倫太郎が目を凝らしても、その姿は一向に見えてこない。


「ほら。何に見える。」


 にやにやと笑いながら、ギンが倫太郎を急かす。倫太郎は「えっ、えっ。えっと。」とあたふたしながらも、そのもやもやが白っぽい湯気のようだったので、「ひ、羊?」と言った。
 視界の端に映るクロが、がっくりと尻尾を下ろしたような気がする。


「名前は?」
「し、シロ⁉」


 あははは!と腹を抱えるギンの笑い声と、クロの大きな溜息が被る。ギンの横でゆらゆらと揺れていたそれが、やや灰色がかった羊の形になっていく。倫太郎はそれを、もうさほど驚くことなく見ていた。
 そしてそこに姿を現わしたほわほわの毛に包まれた羊は、不倶戴天ふぐたいてんの敵でも見るかのような顔で、倫太郎を睨んだ。灰色の瞳が、とても綺麗だった。


「なぜ、下等動物。」
「人間にされるよりは、ましだろう。」


 羊と猫が視線を合わせ、そして諦めたような溜息を同時に吐いた。

 そっか。動物である必要はないのか。―――と、倫太郎が妙な納得をしていると、クロとシロが揃って残念なものでも見るかのように、倫太郎の方を見た。どうやらシロも心が読めるらしい。

 ギンが羊の背にまたがり、そしてそのほわほわの毛で覆われた背を気持ちよさそうに撫でる。どうどうと宥める様なそれを見ているクロの尻尾が、倫太郎の顔をペシペシと叩く。
 倫太郎は訳もわからず叩かれている顔が、妙にかゆくなって指でポリポリと掻いた。


「お前は?なんで、ここにいる?」


 ギンが、自分の下にいるシロに問いかけた。

 何回か聞いたことのある台詞だと、倫太郎は思った。クロに、そしてクロと同類と思われる羊のシロに、なぜギンはそう聞くのだろう?


「もう、他に行く場所が無いからに決まっているでしょう。」


 シロが怒ったように、自分の背中を見上げるようにして言った。ギンに訴えかけるようなそれは、悲痛な叫びにも聞こえた。
 倫太郎の視界の端に見えるクロが、少し俯いたような気がする。


「ここは、狭いだろう?」
「じゃあ、どうしろって言うのよ。外は無気物だらけで、みんな飢えて消えていったわ。」


 優しく問いかけたギンに、羊が今にも立ち上がりそうな勢いで言った。

 無気物。生きていないもの。気を生まないもの。確か、ギンはそんな風に言っていたはずだ。倫太郎が「無機物」と答えたはずのそれが、「無気物」であるとすんなり頭に入って来ることが、妙な感覚として残る。これが彼らの言うところの「言葉を使っていない」ということなのだろうかと、倫太郎自身が不思議とそれを受け入れてしまいそうになるのも、その気持ち悪さを助長している。
 さっきの騎士が、自分の事を「木嶋倫太郎」と言ったことも、まわりがそれに対して何の違和感をも訴えなかったということも、そういうことなのだろうか。


 その時だった。


「おい。そこに、誰かいるのか。」


 渡り廊下の向こう側、倫太郎がやって来た方向とは違う方で明かりが揺れた。見回りの兵士だろうか。ギンは倫太郎の方をちらりと見ると、ふっと姿を消した。クロもシロも見えなくなってしまったそこに、倫太郎だけが取り残される。


「え?え?」


 再び置いてけぼりにされた倫太郎が、状況を飲み込めずにあたふたしていると、声をかけてきたのは倫太郎と同じ格好をした騎士だった。ランプを片手に寄って来た彼は、倫太郎の顔を見ると、その目を細めた。


「なんだ、倫太郎じゃないか。もう、勤務時間は終わっているんだろう?」


終わっているのだろうか。いや、目の前の騎士がそう言うのだからきっと終わっているのだろう。でも、何かすることがあったはずだと、倫太郎は思い出す。


「でも、明日の用意が。」
「ああ、最強魔法使いの護衛だろ?どちらかというと、お前の方が護衛される立場になるかもよ。」


騎士は、ケラケラとひどく楽しそうに笑っている。馬鹿にされているような気もするが、相手が最強魔法使いだと言うのなら、自分が守られる側になるであろうことは想像できた。


「備品担当が商人の服を持ってくるって。」
「ああ、部屋に適当に置いておいてくれるさ。それより、飯でも行こうぜ。」


 どうやら彼は騎士の仲間らしい。倫太郎は、よくわからないが、もうどうにでもなれとばかりに、うんうんと頷いた。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

借金背負ったので死ぬ気でダンジョン行ったら人生変わった件 やけくそで潜った最凶の迷宮で瀕死の国民的美少女を救ってみた

羽黒 楓
ファンタジー
旧題:借金背負ったので兄妹で死のうと生還不可能の最難関ダンジョンに二人で潜ったら瀕死の人気美少女配信者を助けちゃったので連れて帰るしかない件 借金一億二千万円! もう駄目だ! 二人で心中しようと配信しながらSSS級ダンジョンに潜った俺たち兄妹。そしたらその下層階で国民的人気配信者の女の子が遭難していた! 助けてあげたらどんどんとスパチャが入ってくるじゃん! ってかもはや社会現象じゃん! 俺のスキルは【マネーインジェクション】! 預金残高を消費してパワーにし、それを自分や他人に注射してパワーアップさせる能力。ほらお前ら、この子を助けたければどんどんスパチャしまくれ! その金でパワーを女の子たちに注入注入! これだけ金あれば借金返せそう、もうこうなりゃ絶対に生還するぞ! 最難関ダンジョンだけど、絶対に生きて脱出するぞ! どんな手を使ってでも!

異世界で生きていく。

モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。 素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。 魔法と調合スキルを使って成長していく。 小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。 旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。 3/8申し訳ありません。 章の編集をしました。

クリムゾン・コート・クルセイドー紅黒の翼ー

アイセル
ファンタジー
21世紀初頭、突如として謎の機械生命体――ウィッカー・マン――が、出現する。 既存の兵器を物ともせず、生活圏への侵食を開始した。 カナダ、バンクーバー。その第一種接近遭遇を果たし、ウィッカー・マン対策を担う人材や技術の集う都市。 河上サキは、高校生でありながら、ある事情からウィッカー・マンを倒す技術を得る為に、バンクーバーに渡る。 彼女が命の危機に瀕した時、青年が突如として現れた。 ロック=ハイロウズ。またの名を「紅き外套の守護者」(クリムゾン・コート・クルセイド) ウィッカー・マンにより滅亡しかけた欧州を救った青年の名前だった。 注意)この作品は、以下のサイトで複数投稿しています。内容に変更はありません。 掲載サイト 第二部 "平和たる軍靴:The Pedal Of Pax" まで ・小説家になろう ・カクヨム ・ノベルアップ+ 更新日は金曜日と土曜日、それぞれ、8:30、12:30、17:30、三つの時間帯を予定しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

新人神様のまったり天界生活

源 玄輝
ファンタジー
死後、異世界の神に召喚された主人公、長田 壮一郎。 「異世界で勇者をやってほしい」 「お断りします」 「じゃあ代わりに神様やって。これ決定事項」 「・・・え?」 神に頼まれ異世界の勇者として生まれ変わるはずが、どういうわけか異世界の神になることに!? 新人神様ソウとして右も左もわからない神様生活が今始まる! ソウより前に異世界転生した人達のおかげで大きな戦争が無い比較的平和な下界にはなったものの信仰が薄れてしまい、実はピンチな状態。 果たしてソウは新人神様として消滅せずに済むのでしょうか。 一方で異世界の人なので人らしい生活を望み、天使達の住む空間で住民達と交流しながら料理をしたり風呂に入ったり、時にはイチャイチャしたりそんなまったりとした天界生活を満喫します。 まったりゆるい、異世界天界スローライフ神様生活開始です!

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...