鋼鉄の棺を魔女に捧ぐ

立川ありす

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第1章 夢見る前のまどろみ、あるいは目覚めた後の夢の欠片

廃墟

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 恋人とのスリリングな逢引から数刻後。
 舞奈は崩れたコンクリート壁の合間を歩いていた。

 まだ夕焼けが赤かったこの時代。
 それでも街の片隅には朽ちたビルの残骸が群れなす廃墟の一角があった。

「遅刻よ。すっごい遅刻。あいかわらず時間にルーズなんだから」
 聞きなれた鈴の音のような声に、舞奈は廃ビルの陰を見やる。

 姫カットの長い黒髪をなびかせた少女が、しかめっ面で出迎えた。
 青い下フレームの眼鏡がキラリと光る。

 身にまとっているワンピースは彼女のお気に入りのぐんじょう色。
 その上からカッチリした黒いケープをはおっている。
 襟の詰まったケープは彼女の商売道具を収める大事なものだが、ワンピースの胸元からのぞくはずの形のいい鎖骨を隠してしまうのが難点だ。

 安倍明日香。
 腐れ縁の友人で、バイト仲間でもある。

「それより靴履いていいか?」
 舞奈は笑う。
 生真面目な友人の非難などどこ吹く風だ。

「金欠だって聞いてたけど、とうとう下駄箱まで売り払ったの?」
「家の下駄箱ならまだあるよ。でも園香の親父さんがオニみたいな顔で追って来てな」
「また真神さんの家? 仕事前に何してるのよ、まったく」
 明日香はやれやれと肩をすくめる。
 骸骨の留め金つきのケープごしにすらわかる肩の細さに見ほれつつ、

「時間もなかったし、クン――」
「――だいたい、時間厳守って言ったでしょ? 今日は執行人エージェントと共同作戦なのよ」
 答えかける舞奈を無視して眼鏡は気にせず文句を続ける。
 返事を聞きたかったわけではないらしい。

 明日香の背は舞奈よりちょっと高いから、指ひとつ分ほど上から目線でぬめつける。
 そんな彼女の髪から香るシャンプーの芳香を楽しみつつ、舞奈は何食わぬ顔で、

「そういや、んなこと言ってたな。名前なんだっけ、クン――」
「『グ』ングニルだ!!」
 怒気をまじえた男の声に振り返り、背後に立っていた長躯を見上げる。

「そうそう、グンニグル」
「……まあ、いい。てめぇがもうひとりの仕事人トラブルシューターか」
 言葉を返したのは、ワイルド……というより粗野な雰囲気の青年だった。
 年頃は大学生ほどか。仕草と顔立ちが、野生の猿を連想させる。

 青年が手にしたタバコの煙を、舞奈は心底嫌そうに睨みつける。
 鼻のいい舞奈はヤニの臭いがすこぶる嫌いだ。

(よろしくな、脂虫ヤロウ)
 喉元まで出かけた一言を、明日香に睨まれて飲みこむ。

「よろしく、お嬢ちゃん」
「よろしく頼む」
 こちらもくわえタバコの2人、眼鏡の優男と、筋骨隆々とした大男が続く。

「どうも、はじめまして」
「よろしく、小さなお嬢ちゃんたち」
 華奢な少年が続き、ロン毛を鮮やかな紫色に染めた軟派男が続く。そして、

「あ、あの、はじめまして……」
 最後におどおどと声をかけたのは、高等部の制服を着こんだ少女だった。

 うつむき加減なのは気弱だからか。
 だが子供の舞奈から見上げると、真正面から見つめ合う体勢になる。
 不安げに下げられた目じりが保護欲をそそる、なんとも可愛らしい少女である。
 彼女のウェーブがかかった長い髪は、醒めるような金髪だ。
 さらにセーラー服の胸はダイナミックに膨らんでいる。

「ヒューッ!!」
「……また始まった」
 舞奈は思わず口笛を吹く。
 明日香は嘆息する。

 舞奈は女の子が大好きだ。
 それも美人やカワイ子ちゃんならなおのこと。なので、

「お姉さん、名前を教えてもらってもいいかい? あたしは舞奈だ。志門舞奈」
「あ、あの……、レインです」
 がつがつとせがむ。
 そんな舞奈に少し狼狽えながら彼女は答える。怯む姿も別嬪だ。

 続けて男たちも何やら名乗る。
 だがそっちは適当にあしらって、舞奈はレインと名乗った少女に笑みを向け、

「あんたにピッタリの可愛い名前だ。どこの国の人? あんたの国には、あんたみたいなカワイコちゃんが他所にあふれるほどいるのかい?」
「え……? あ、その……」
「……イタリアじゃないことだけは確かよ。彼女の国も、ここもね」
 明日香はやれやれと肩をすくめ、舞奈の襟首をつかんで後へ追いやる。

 レインは会うなり口説いてきた『女の子』を困惑顔で見やっている。

「やってくれるねぇ、お嬢ちゃん」
 ロン毛が囃したてる。
 他の男たちも一様に顔を見合わせる。

 野猿だけは不快げに舞奈を睨みつける。
 彼はパーティの紅一点が他人と仲良くするのが気にいらないらしい。
 だが舞奈はそんな視線もどこ吹く風で、

「敵の構成はどうよ?」
 仕事の話を始める。

「確認済みよ。泥人間が2ダース。向こうの広間にいるので全部よ」
「おっどれどれ」
 明日香の言葉を確かめるように、崩れたコンクリート壁に忍び寄る。
 ゴミを漁っていた野良猫を丁重に追い払いつつ、壁の端から様子をうかがい、

「うへっ、泥人間ってやつは、いつ見ても吐き気がするな」
 口元を歪める。

 公園跡とおぼしき廃墟の広間に、人型の何かが群をなしていた。
 それは腐った肉にただれた皮膚を張りつかせ、錆びた刀や鉄パイプを手にしていた。

 人でも、獣でもない武装した『何か』。
 だが舞奈も他の面々も、今さらそんな化物の存在に驚いたりはしない。

「やつらの異能力は……【火霊武器ファイヤーサムライ】【氷霊武器アイスサムライ】【雷霊武器サンダーサムライ】」
「それに【魔力破壊マナイーター】と【偏光隠蔽ニンジャステルス】がいるわね」
「雑魚ばっかりだな」
「そりゃあ泥人間――最低ランクの怪異だもの」
 バケモノを見やりながら軽口を交わす。

 化物たちが手にした凶器のいくつかは炎を、紫電を、青白い冷気をまとっている。
 そんな様子を見やりながら、舞奈の口元に浮かぶのは不敵な笑み。

 霊や呪い、低俗なオカルトと一蹴される超常現象のうちいくばかかは、確たる現実として確かにこの世界に存在する。
 その存在を知り得た者たちは、それを異能力(あるいは異能)と呼ぶ。

 怪異とは、異能力を操る害獣を指す語だ。
 科学的な立証が困難ゆえに歴史の陰に、社会の裏側に埋もれた者たち。
 古来には荒らぶる神とも呼ばれていた超常的な存在。
 あまねく科学の光が闇を駆逐したはずの現代においても、奴らはコンクリートの影に潜み隠れ、人々を害し、喰らう。

 中でも醜悪な人間型の怪異『泥人間』は、数だけは多い低級な怪異である。

 醜い低級怪異どもは好んで人を襲うくせに人里を嫌う。
 だから街の片隅にある廃墟の一角は、奴らの絶好の繁殖場所だ。

「あと、異能力の特定ができないのが1匹」
「ちゃんと確かめたのか? 几帳面なおまえらしくもない」
 背後の明日香に、ひとりごちるように愚痴る。途端、

「なんだガキ。怖気づいたのか?」
 言って野猿はあざ笑う。
 どうやら舞奈を敵認定したらしく、一言一句にケチをつけてくる気のようだ。

「泥人間ごとき、何匹いようが何してこようが、俺様の敵じゃねぇんだよ!」
「……【火霊武器ファイヤーサムライ】か」
 吠えつつ手にした木刀ををかざす。
 不敵な笑みとともに、木刀が紅蓮の炎に包まれる。

「それに、そういった怪異たちを闇へと帰すのが、能力《ちから》を持った私たち執行人エージェントの務め」
 優男の言葉と共に、組み立て式の槍が霜の混ざった冷気をまとう。
 こちらは【氷霊武器アイスサムライ】だ。

 次いで少年が取り出したナイフは稲妻をまとう。
 彼は【雷霊武器サンダーサムライ】の短剣家らしい。

 緑色のプロテクターで身を固めた大男が、手にした電動ミキサーを回転させる。
 身に着けた防具を強化することによって動く砦と化す【装甲硬化ナイトガード】の証だ。

 ロン毛は背から光の翼を生やす。
 念動力の翼によって空中移動を実現せしめる【鷲翼気功ビーストウィング】であろう。

「へぇ、こいつは結構な異能力だ」
 舞奈は口元を笑みの形に歪める。

 人間でありながら怪異と同じ異能力を得た者たちがいる。
 彼らは異能力者と呼ばれる。
 異能力者になれるのは、その身に魔力を宿し、更にその魔力すら捻じ伏せる強烈な自我を持った若い男だけだ。基本的に女には使えない。

 彼らの多くは【機関】と呼ばれる組織に属する執行人エージェントとなる。
 そして異能力によって怪異を駆り滅ぼすべく人知れず闇のと闘いに身を投じる。
 執行人エージェントとは、社会の裏側に潜む怪異を狩る者たちのうち、敵と同じ異能を操る異能力者によって構成された【機関】の正規部隊員だ。

 そして舞奈たち仕事人トラブルシューターは報奨金を目当てに異形を狩る、いわば傭兵だ。
 舞奈と明日香は学業の側、バイト代わりに裏の世界の賞金稼ぎに勤しんでいるのだ。

 今回の掃討任務は両者の共同作戦でもある。
 一方は仕事人トラブルシューター【掃除屋】。
 そして、もう一方は猿率いる執行人エージェント【グングニル】。
 そんな【グングニル】の紅一点がおずおずと取り出したのは小型拳銃グロック26だった。

「こいつは女だから、戦闘の役に立つ異能力を使えないんだ」
「そうなんです。あの、すいません……」
 レインはしょんぼりと肩を落す。

 男の身に宿る異能力に対して、少女には特殊な魔力の顕現である大能力が宿る。
 大異能力者は異能力者に比べて極端に少ない。
 加えて大能力は通例によって非戦闘用の異能力と見なされる。
 だから自衛の手段として銃器を支給される。
 そのため、一部の異能力者から弱者として蔑まれる。

 彼女の大能力が何なのかは不明。
 だが『戦闘に不向きな大能力』は彼女のコンプレックスなのだろう。だから、

「グロック26か。いい銃じゃないか」
 舞奈は猿を睨みつけてから、レインを見やって穏やかに微笑む。

「9パラじゃあ一撃必殺ってわけにはいかんだろうが、軽くて小さくて取りまわしやすい。カワイコちゃんにぴったりの得物だ」
 言いつつ右手をひと振りする。
 すると舞奈の手の中に精悍なフォルムの拳銃ジェリコ941があらわれる。

 ジャケットの内側から抜いただけだ。
 だが、その手練の鮮やかさにレインは驚く。

「ひょっとして、ジェリコ941ですか? えっと口径は……」
「45口径だ。まあ、こいつで飯食ってるからな」
 小柄な少女が撃つには強力すぎるとも思える大口径の宣言に、レインは驚く。
 舞奈は相好をくずしてだらしなく笑う。
 その目前に、

「異能力もない無異能力者が。銃の話題で盛り上がろうとしてんじゃねぇぞ!」
 猿が怒りもあらわに立ちふさがった。
 どうやら彼は自身の異能力以外のものがもてはやされるのも気にいらないらしい。
 挑発に答えるように、舞奈の瞳に剣呑な光が宿る。

「俺たちは、この剣に宿らせた異能力で怪異どもを焼き尽くす」
 野猿は吠える。
 舞奈は不敵な笑みで言で先をうながす。その鼻先に、

「それが【グングニル】のやりかただ!!」
 猿は炎の剣を突きつける。
 それでも舞奈は笑みを崩さない。その理由がない。
 目前の剣先より、剣を持つ手がプルプルしているのが危なっかしいとすら思える。

 何故なら舞奈には剣も拳も当たらない。
 舞奈は周囲の空気を通して相手の筋肉の動きすら把握する鋭敏な感覚を持ち、人外レベルの反射神経によって如何なる近接攻撃をも回避するからだ。

「テメェみたいな生意気なクソガキが、俺たちのやり方に口出しすんじゃねぇよ!」
「あ、あの、待って……」
「ちょっ……やめなよ!」
「落ち着け、相手は子供だ」
 レインは怯える。
 青年たちも猿を制する。
 だが舞奈は口元に笑みを浮かべたまま、

「どっちが速いか試してみるかい? 何なら、この体勢からで構わないよ」
「そ、そんな、舞奈さんまで……」
 うろたえるレインの言葉を、

 キイン――!

 夕闇を切り裂く澄んだ異音が遮った。
 見やると明日香がかざした掌の先に、霜をまとわりつかせた氷の柱が起立していた。

 明日香はさらに真言を唱え、魔術語ガルドルと呼ばれる魔術語の一句で締める。
 氷柱は溶け、掌の先に灼熱の炎が灯った。
 次なる呪文で炎は雷光となって、はじけて消える。

「な……!?」
「2つの……いや3つの異能力……!?」
「わたしたちは完全分業制なんです。彼女が物理的手段による直接戦闘を、わたしは異能力の分析と行使を担当しています」
 明日香は言ってニッコリ笑う。
 対して野猿も、優男も大男も、少年とロン毛も息を飲む。
 青年たちの異能力をひとまとめにしたかのような明日香の手品に驚いているのだ。

 ひとりの異能力者が持つ異能力は1種類だけ。
 そもそも直接攻撃に使える異能力は男にしか使えない。
 その例外中の例外に、執行人エージェントたちは戸惑う。

 当の明日香は満足げに微笑む。
 パートナーのフォローをしたつもりなのだろう。

「とりあえず、仕事を終わらせてしまう方向で構いませんか?」
 諍いを収めた明日香は満足げに微笑む。

「相手は泥人間ですが、数が多く、先日の戦闘で執行人エージェントの別チーム【ロンギヌス】を壊滅させています。くれぐれも気をつけてください」
「俺たちは、そんなヘマしねぇよ!」
「では、作戦は打ち合わせどおりに一斉攻撃ってことでいいですね?」
「……ああ、かまわねぇ」
 野猿は舌打ちを残し、廃ビルの陰へと消えた。
 他の面々も、各々の配置に着く。

 そして舞奈と明日香も、崩れかけたコンクリート塀に身を潜めた。

――――――――――――――――――――

 予告

 平和な世界の裏側で、異能を操る怪異の群を狩り滅ぼすは舞奈と仲間たち。
 敵と同じ異能の力を宿した少年たちは、果敢に無謀に挑みかかる。
 舞奈は静かに45口径ジェリコ941を構えて戦いの行く末を見定める。

 次回『犠牲』

 過去も未来も、硝煙と血の匂いは変わらない。
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